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──もういいかい。
──まあだだよ。
青くにおい立つ、夏の草むら。まだ小さい女の子のわたしは、じいっと息をひそめている。名前も知らないトンボが、背高のっぽの草に囲まれてしゃがみこんだわたしの視界を、右から左へすいっと横切って、やがてどこかへ飛んでいった。
吸って、吐いて。また吸って、吐く。どきどきとせわしない心臓をしずめようと、わたしは大きく深呼吸をする。聞こえるのは、遠くで一途に鳴き続けるセミの声だけ。
ふ、と。わたしは地面に目を落とす。あっちにぽつり、こっちにもぽつり。セミの幼虫たちが、夏のお日さまに会うために、必死にはい出てきた穴があいていた。
ひい、ふう、みい、よ……一心に数えていたら、いつの間にか、草むらから出てしまっていたみたい。わたしの背後で、ようやく待ち焦がれた声がした。
「──見つけました、主さま!」
わたしはじいっと息をひそめ、彼に見つけてもらうのをいつも待っている。──そんな、なつかしい日の夢をみた。かくれんぼはもう終わり
あれから、何年経ったんだろう。いや、経ってしまったんだろう。今のわたしは、夢の中とはちがって、もう小さいなんて言える年頃じゃないし、1日中庭で遊んでいるわけにもいかない。
開けっぱなしの障子の向こう、鬼ごっこに夢中になる短刀たちの笑い声が、涼風とともに吹きこんで、りいんと風鈴を揺らす。
逃げる者を追いかける鬼の声。その中の、ひとつ。小さい子を合法的に追いかけられる喜びに満ち満ちている、それ。
「……いいなあ」
あ。と思ったときには、もう遅く。くちびるからうっかりこぼれ出た言葉は、わきに控えていた歌仙の耳に、しっかりお届けされていたようで。彼はおごそかに、「主」と口を開く。無意識のうちに丸まっていた背すじが、しゃんと伸びる。
「たしかに息抜きも大事だと思うけどね、きみはさっきお茶をしたばかりだろう」
だいたいきみは、と初期刀さまのお小言が始まったあたりで、わたしの耳はシャッターをおろすのだ。年相応に、だの、しとやかに、だの、彼の言いたいことは、もう耳にたこができるくらい聞かされている。
「いいかい主。きみには僕たちを使役し、これまでの歴史を、そしてこれからの未来を守っていくという重大な責務があるんだ」
──いつまでも幼い子どものように、庭を駆け回ってばかりはいられないよ。
歌仙の言葉は、決まってそう締めくくられる。それを聞くたび、わたしの胸の、ぽっかり穴があいたところが、ひゅうひゅうと情けない音をたてる。
そうだよね、わたしはもう、子どもではないんだ。彼の好きな、彼に好いてもらえるような、小さな子どもではないんだ。
鬼ごっこも、かくれんぼも、もう何年もしていない。ああやって彼に追いかけられたり、一番先に見つけてもらうのは、いつだってわたしの役目だったはずなのに。
幼いころは、将来のことなんて何ひとつわからなくて。わからないから、恐ろしくもなくて。ただひたすらに、朝日を受けたみずみずしい若葉の露が、きらきら光るさまを眺めていた。それがわたしの幸せだったの。
「……わかってますー」
ねえ毛利。どうしてわたし、大人になってしまうのかなあ。§
物心がついたときにはもう、この本丸で審神者をつとめていた。父は知らない、母も知らない。わたしにとって家族は、この本丸にいる刀剣男士たちだけ。
赤ん坊のころから、毛利は率先してわたしの面倒を見ていたと、一期は言う。ご飯を食べるときも、着替えるときも、お風呂に入るときだって、毛利はいつも、わたしを支えてくれていたらしい。彼が小さい子どもが好きだってことに気づいたのは、うんと後のことだったけれど。それでもわたしにとって、毛利は物語に出てくる王子さまみたいな存在で、どこまでも穏やかで、優しくて。そんなの、好きになるなって言うほうが、無理なお話なのだ。
彼のとなりに並んで、可愛らしい兄と妹じゃなく、いつか可愛らしいカップルに見られるようになりたい。わたしは背丈を伸ばしたい後藤と一緒になって、部屋の入り口の柱に、背比べのしるしを刻んでいった。
日々、どんどん大きくなっていくのが嬉しかったわたし。早く、早く毛利に追いつきたかった。だけどあるとき、気づいたの。──大きくなってしまったら、彼に可愛がってもらえない。
今まで立っていた柔らかな草原に、とつぜん底なしの穴があいて、どこまでもどこまでも落ちていく……そんな感覚が、わたしの頭からつま先までを、じっとりとおおっていく。
その日からわたしは、毛利のとなりから、少しずつ離れていった。成長を思い知らされるのが、嫌だったから。昔は目を合わせるとき、首の後ろがツキンと痛むくらい、見上げていたのになあ。
柱に刻んだ背比べのしるしは、とっくのとうに、彼の身長を追い越している。§
ひまわり畑のあぜ道を、背中を丸めながら歩いていく。大きな黄色い花が、夏の青空によく映える。どの子もみんなお日さまに振り向いてもらおうと、ぴいんと背伸びをしているみたい。──わたしとは、あべこべだ。
いつからか、猫背でいるのが常になったわたし。歌仙には見つかるたび、「姿勢が悪い!」と注意をいただくけれど、それでもやっぱり、ちょっとでも背を低くみせたくて。
足元を小さなバッタが、ぴょんぴょんと軽やかに跳ねまわる。なんとなく、わたしも真似してスキップしていると、ひまわりの奥から、誰かの話し声がふたつ、聞こえてきた。片方は響くような、高い男の子の声。これは包丁かな。そしてもうひとつは、
「──ありがとうございます!」
わたしの記憶を、こころを、思いを、今でも柔らかな青葉の檻にとらえてやまない、とうとい声。
「小さい頃からもらったお菓子……大切にしまっておきますね!」
「そこはきちんと食べてくれよー」
むくれる小さい子も可愛い! と頬をゆるませながら、毛利は包丁から受け取ったお菓子の包みを懐 に入れた。
どうやら包丁が万屋街で大荷物に困っていた人妻を助けたところ、お礼にとお菓子をたくさんいただいて。気分がいいのでたまたま鉢合わせた毛利に、そのうちのひとつをお裾分けしたらしい。
──ああ、嫌だ。どうしてわたし、隠れて聞いているんだろう。こんなの盗み聞きだ。頭では理解しているのに、わたしの足は動いてくれずにいる。久しぶりのかくれんぼは、なんだかとっても浅ましい。
「やっぱり人妻っていいよね。優しいしー、撫でてくれるしー、おまけにお菓子ももらえる! あーあ、主も早く人妻にならないかなあ」
「──主さまは、まだ……」
続く毛利の言葉に、今まで錆びたブリキのおもちゃみたいだった足が、はじかれたように動き出す。こそこそしていたことも忘れ、一目散に自分の部屋へ逃げ戻った。
「まだ」。あの後につむがれたであろう言葉を、わたしの都合のいい頭は、都合よく考える。まだ早い? まだだめ? もしかしてあなたにとって、わたしはまだ、小さい子どもなのかな。
わたしは弱虫でずるいので、それを直接確かめることはできない。否定されるのが、怖いから。それならば、自分におあつらえ向きな夢は夢のまま、ずっとひっそり、胸の奥にしまっておけばいい。§
わたしが返事をするよりも先に、すらり、閉じた障子が開く音がした。「失礼します」といつものように穏やかな声色で部屋に入ってきた毛利は、開けたときと同じように、すらりと障子を閉めた。
たす、たす、と軽やかな足音が近づいてきて、わたしと彼をへだてていた襖 は、あっけなく開かれてしまった。
「見つけました、主さま」
わたしは口をまあるく広げたまま、しばらく固まっていた。数年ぶりにかけられたその言葉を、どう受け止めたらいいのかわからなかった。
押入れの下の段で膝をかかえているわたしに、礼儀のなった動作で寄ってきた彼の、くるりと丸まった一房の髪が、視界の端で揺れている。
「主さま」
こんなに近くで毛利の顔を見るのは、いったいいつ以来だろう。彼は聡 い子だから、わたしが意図的に避けていたことにも気づいていたはず──そのとき、この審神者思いの優しい神さまは、何か事情があるのだろうと推しはかって、何年も近づきすぎないようにしてくれていたのだと、わたしはようやく気づいた。
そばで膝をつく毛利の目を見た。くりっとして、きれいな、桔梗色の瞳。そこに映り込むわたしは、あのころのままではないけれど。
「もーり」
からからの喉から飛び出たのは、自分でもわかるくらい、舌足らずな声。思えば昔も、わたしはもーりもーりととびきりのおまじないのようにその名前を呼び、彼に飛びついていた気がする。そしたら毛利はわたしを抱きしめて、こう返す。
「はい、主さま」
「……毛利」
「はい」
抱きしめるかわりに、毛利はわたしの丸まった背中にそおっと触れた。今のわたしよりも、一回り小さい手のひら。わたしのこころの中では、こんなにも大きな存在なのに。
「わたしもみんなと一緒がよかったなあ」
どんなに同じ場所にいても、どんなに同じものを食べても、わたしは彼らと同一にはなれない。
歴史修正主義者たちによる大侵寇、時の政府の防人作戦により、わたしの生きるここは仮想現実で、あのセミも、ひまわりも、どこまでも続くような青空も、全部全部、ただのホログラムであることが明らかとなった。
まやかしの世界に、見た目だけが人間にそっくりの刀剣男士。そんな中で、どうしてわたしだけが本当なのかなあ。どうしてわたしだけが、大人になってしまうのかなあ。
子どものままでいたかった。そうすればいつまでも、毛利に好きでいてもらえるのに。胸にあいた穴がまた、ひゅうと音をたてる。やだな、こんな、味気ない音。どうせならここにも風鈴を吊るして、もっときれいな音を奏でてよ。
「成長するのは人間だけだって思ってませんか?」
逃げるように他事を考えていたわたしの頭だから、彼の言葉を理解するのに数秒かかった。わたしは「へ」とまぬけな声をもらす。「よおく聞いてくださいね」と、毛利はわたしの目を見つめ返して言う。
「僕らだって、習合や錬結、修行に行ったりなんかして、日々成長しています」
「それは」
……ちがう。わたしは部屋の入り口の、すっかり古くなった柱に残されたままのそれに目をやった。わたしと後藤の、背比べの記録。ひとつはどんどん天井に近づいていってるけれど、もうひとつはずっと同じ位置に刻まれていた。
──人間の成長と、彼らの成長は、言葉は同じでも、まったく別のものだ。
そう言おうと口を開いたわたしの声は、毛利の「いいえ」という力強い声によって、喉の奥へと押し戻される。
「ちがいなんてありませんよ。僕も主さまも、今日の自分は、昨日とくらべて1日分成長してるんです」
さっき、包丁との会話を聞いていたでしょう。そう続けられて、一拍、わたしはうんと小さくうなずいた。やっぱり、毛利にはバレちゃってたんだ。
「主さまはまだ、僕のことがお好きですものねえ」
「えっ!?」
面と向かってそんなことを言われるとは思ってなくて、素っ頓狂 な悲鳴をあげてしまった。あのときの「まだ」の続きが、まさか!
毛利はわたしのあわてようを見て、くすくすとお上品に笑う。
「小さいころの主さまは、大きくなったら僕と結婚するんだって、何度もお話しされてましたよ」
「ぇ、え? そんなこと言ってたの……?」
はつらつとした声色で、「はい!」と返事をした毛利は、あまりの衝撃でかちこちになったわたしを見て、ふ、となごやかに微笑む。それがあんまりにも温かくて、ぽかぽかとわたしのすべてを包むから、凍ったわたしはすぐに雪解けしてしまうのだ。
「ですからね、僕、主さまが大人になるのを、ずうっとお待ちしてるんです」
それはどうしてって、たずねるのは野暮だってことくらい、わたしにも理解できる。子どもじゃないから、理解できてしまう。だって毛利が、わたしを見つめて、いっとう優しく笑っている。彼はこんなにも、大人びた顔で笑う男の子だった……?
ああ、神さま。うつくしい、刀の神さま。もしあなたがわたしに向ける気持ちが、わたしがあなたに向ける気持ちと同じだったとするならば。
「わたしが大人になっても、好きでいてくれる?」
「ええ」
「しわしわになっても、髪の毛が白くなっても、今より背中が丸くなっても、ずっとずっと好きでいてね」
「もちろん」と答えた毛利の手のひらが、背中に添えられたまま、ゆっくり、そこを上下に往復する。その安らかなリズムとは逆さまに、わたしの喉はどんどん震えていって、やがて小さな子どものように、わあわあと声をあげて泣いた。
恥も外聞もない──うそ、ほんとはとっても恥ずかしい。でも、これで子どものわたしとはもうさよならをするから、お願いします。今日だけは、許してね。
押入れから飛び出し、毛利、毛利と泣きすがりながら名前を呼べば、仕方がないなあって表情で、今度こそ彼は、わたしをぎゅうっと抱きしめる。やっぱりわたしにとって毛利は、毛利だけが、いつまで経っても王子さまなんだなあ。
そうしてわたしは、その日から私になった。歌仙からお小言を頂戴する機会はまだまだあるけれど、それでもちょっとずつ、減らしていけたらいいなと思う。
とりあえず、背中を丸めるのはやめた。白無垢を着て彼のとなりに立つときに、凛とした姿勢でいたいもの。
だから、ね。
かくれんぼは、もう終わりにしよう。
──もういいかい。
──もういいよ。
(20220801/にこら)
