治金丸
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
──あ、治金丸。
黒南風 に乗って聞こえてきたかすかな声は、治金丸の耳にすとんと入りこんできた。まるでここがあるべき場所だとでもいうように。お互いのために作られた刀と鞘のように。
あごに垂れた汗をぐいとぬぐい、声のした方向に顔をむける。てるてる坊主がゆれる縁側に、腕にうずたかく積んだ分厚い本を抱えた審神者が立っている。治金丸はとっと地を蹴り、たちまち彼女の前に降り立った。
「はいさい、主」
まばたきひとつの合間にやってきた治金丸に、審神者は「わ!」とおどろいた様子で肩をふるわせた。こちらの一挙手一投足に素直な反応を示してくれる彼女は、とても好ましいと思う。
「あんなに遠くにいたのに、速いね治金丸」
「そうかな」
「そうだよ。呼んだのだって小さい声だったのに」
確かに、むしろあれは呼んだというより、治金丸を見かけたから呟いた程度の声量だった。返事がくるのを想定していない、ただの独り言。だけど治金丸の耳はきちんとそれを拾ったのだ。
「ほんとに耳いいよね」
──うん、それもあるけれど。
「ねぇねぇ の声を聞き逃したりはしないさ」
治金丸がほがらかに笑いながら放った言葉に、審神者は戸惑ったように目を伏せた。本の山に隠れた彼女の表情は見えなかったが、きっとサンダンカの花のように色づいてることだろう。
「もー……勘弁してよお……」
彼女は治金丸が兄弟のことを「にぃにぃ」と呼んでいるのを知り、面白半分で自分のことも「ねぇねぇ」と呼んでみてはくれないかと頼んだことがあった。当初は新鮮な呼び方を楽しんでいたのだが、しばらくして己がお姉さんなどと彼らに呼ばれる年齢ではないことを思い出し(彼らのほうが何百歳も年上なのだ!)、あの申し出は忘れてほしいと治金丸に頭を下げたのであった。あの時はどうかしてた、琉球宝刀がついにそろったことで調子づいていたに違いない。
それでも治金丸は、今でも時々こうして審神者を「ねぇねぇ」と呼ぶ。そして、穴があったら入りたいと顔を赤くする彼女をからかうのである。
「ちがねのいじわる」
「お、言ったな」
それじゃ、オレが意地悪なんかじゃあないってとこ、証明してやりますか。そう言うが早いか、治金丸は縁側にあがり、審神者の腕から本を拝借した。からになった腕を見て目をぱちくりさせていた彼女は、治金丸の「どこに運べばいいのかな」という声にはっと我に返った。本当に、風のような刀だ。
「ちょっ、いいって! 今日非番でしょ? 鍛錬してたんでしょ?」
「気にしない気にしない。で? 書庫でいいのかい?」
言いつつもすたすたと歩を進める治金丸を、こうなったらもう審神者は追いかけるしかない。「お願いします」と後ろから声をかければ、「お願いされました」と嬉しそうな返事が戻ってきた。
──正直、ちょっと、いや、結構重かった。審神者は線のような赤い痕がついた腕を無意識にさする。それでも、少しずつ持って書庫まで何往復もするより、一気に抱えていったほうが効率がいいと思ったのだ。それに、あんまり待たせちゃうのも、申し訳ないし……。
「だい兄は?」
「えっ?」
ちょうど思い描いていた近侍の名を呼ばれて、審神者はまぬけな声を出した。「だい兄に手伝ってもらえばよかったのに」と続ける彼の目は、まっすぐ審神者の腕に向けられている。ああ、と前置きをして、彼女はへらりと笑った。こんなものなんでもないというように両手をひらひら振った。
「千代金丸さんには先に書庫の整頓をお願いしたんだ。持ってくって言ってくれたんだけどね、まだ報告書書くのが終わってなくて、その、使わなくちゃいけなかったから……」
決してにらんでいるわけではない。けれど、治金丸のどこか咎めるかのようなその視線に、思わず千代金丸をかばうための言い訳じみた言葉を並べてしまった。彼が近侍の仕事をサボっていると思われては大変だ。
治金丸から言葉は返ってこない。審神者はいたたまれなくなり、それ以降は口をつぐみ、うつむいたまま彼の後ろをついていった。
実のところ、治金丸は怒っているわけではなかった。彼女は誰かに頼ることが苦手な人間だということは、これまで接してきた中でわかっていたことだ。もちろん、千代金丸がそんな彼女を放っておくような性格ではないことも。
厄介 だなあ、と治金丸は心のうちで思う。こうしてお互いに壁を作ってるってわけだ。嫌われないように、相手を自分の我で押し通したりせず、適度に引き際を見極めている。でもお互いに不干渉だから、距離はそれ以上縮まらない。
ふいに治金丸は立ち止まった。下を向いていた審神者は気づかず彼の背中にぶつかったが、弾かれたたらを踏んだのは彼女だけだった。
「ちが、」
「一人で頑張る主の姿勢は素晴らしいと思うよ。一緒にやるより、分担してやったほうが効率がいいってことも理解してる。でも──」
振り返り、治金丸は言う。はっきりと、その心に届くように。
「──頼ってほしいと思ってる存在がいることも、忘れないで」
「治金丸……」
「だい兄に言えないことなら、オレが引き受けてやるからさ」
影で動くのは得意なんだ、とは、言わないけれど。
さあ、と治金丸は彼女をうながす。
「だい兄が待ってるよ」
審神者はたった今気づいたようだが、そこはもうすでに書庫の目の前だった。障子一枚越しに、治金丸は馴染んだ気配を感じ取っていた。さっきの言葉は、単に審神者に向けただけではなかった。こうでもしないと、きっとふたりは先に進まないだろう。オレはただ、背を押しただけ。
「治金丸」
「ん?」
「ありがとね」
審神者は腕を広げる。もちろん、それは抱擁をするためではないことくらい、治金丸にもわかっている。赤い線が薄くなった彼女の腕に、本の山を戻した。
「ねぇねぇが困ってたら助けるのが弟だよ」
「だから、ねぇねぇはもうやめてって言ってるのに……」
眉を下げつつ苦笑いを返す審神者に手をふって、治金丸はその場を立ち去る。空気を読むのだって得意分野だ。腕がふさがった主のために障子を開けるのは、オレの役目じゃない。
どんなに遠くに離れても、彼の良すぎる耳には、すす、と木の枠がこすれる音が確かに聞こえていた。
いい加減結ばれてくれないかな。そうすれば、心の底から「姉」と呼ぶことができるのに。
……ああ、うん。恋心というものは、本当に 厄介 だな。
(20210526/にこら)
