治金丸
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
とろとろと、ぬるま湯にひたっているような心地よさのなか、治金丸は目を覚ましました。
閉じた飾り障子の隙間から、ひっそり朝日が差し込んで、かけ布団の上に細い一本道を作っています。
あたたかい布団にくるまったまま、しばらくじっとしていた治金丸でしたが、そのうちお腹がぐうと鳴ったので、とうとう起き上がることにしました。腹が減っては動きがにぶる、人間の肉体は便利だけど、こういうときは不便だな、と彼は思っていました。
今日は日曜日です。日曜日というのは、特別なものです。
この本丸では、日曜日はよっぽどのことがないかぎり、出陣も、遠征も行いません。内番だけは週の始めに決めたとおりこなしますが、それ以外の業務はすべてお休みなのです。いつもなら7時きっかりにみんなで手を合わせていただきますをする朝ご飯も、今日だけは別。各自好きな時間に起きて、好きなものを食べる。毎日身をけずりながら戦ってくれている刀剣男士たちに、せめて日曜日だけはのびのびと自由なことをしてもらいたい──それは、この本丸の審神者が就任してから、ずっとずっと大切に守られてきた規則でした。
ですから、普段は朝日がのぼるよりも早起きして手 の鍛錬にはげむ治金丸も、この日ばかりはのんびり朝を過ごすようにしているのですが……今日の彼のお腹は、どうやらいつもと同じ時間に朝ご飯を求めているようです。
まだとなりで寝ている兄弟たち(千代金丸は言わずもがな、この本丸の厨番長を任されている北谷菜切も、冬の朝はどうも苦手なようです)を起こさないよう布団をたたみ、寝間着から着替え、ちゃちゃっと髪を結います。軽く身なりをととのえると、治金丸は静かに障子を開けて、部屋の外に出ました。
ひんやりとした空気を大きく吸えば、鼻の奥がつんとします。兄弟たちとは違い、治金丸は身が引き締まるような感覚のするこの季節が、存外嫌いではありませんでした。
きんと冴えた廊下を、音もなく歩きます。目指す先はもちろん、この腹を満たすための厨です。おのおの自由に過ごす日曜日とはいえ、すでに誰かしら起きているはず。もし誰もいなかったとしても、とりあえず簡単なものを作って腹におさめよう。
食パンを焼こうか。ああ、夕べのご飯が冷蔵してあるのなら、それをおにぎり にしてもいいかな。そうだ、目玉焼きもつけてやろう。両面焼きにしてさ、黄身にも完全に火を通した固いやつ。うん、それがいい、上等だ。
治金丸のお腹の虫は、先ほどからどんどん大きな声で鳴いています。知らず知らずのうちに、歩調は速くなっていきました。
いくつかの角を曲がり、厨まであと少しというところで、治金丸はおや? と足を止めました。彼の耳が、聞き慣れた声を拾ったからです。
その声は、向かう先から聞こえてくるようでした。よおく耳をすましてみると、それが鼻歌であることがわかります。ちょっとずれた音程が微笑ましくて、ふっと笑みをこぼしました。
治金丸の胸は、人知れずどきどきしていました。心地よく目覚めた冬の朝に、一番に顔を合わせるのが彼女 であることが、大変ありがたいものだと思えたので。
治金丸はわざと床板を踏みしめ、足音を立てました。以前音をさせずにいたら、とても驚かせてしまったことがあったため、それ以来彼女に近づく際は、治金丸はいつもこうするようにしていました。
足音に気づいたこの本丸の審神者が、ぱっとこちらを振り向きました。
「おはよう、主」
「おはよう、治金丸」
ボウルを抱えたまま、彼女はにっこり笑って言いました。
「早いね、今日は日曜日だよ」
治金丸が口を開こうとしたその時、彼のお腹が再び、ぐうと鳴りました。あわてて腹筋に力を込めましたが、時すでに遅し。
目をまあるくさせていた審神者でしたが、やがてけらけらと笑い声をあげました。対して治金丸はといいますと、はじめは恥ずかしさで顔を赤らめていましたが、一向に落ち着かない審神者を見て、「笑うなよ」とちょっぴり拗ねたようにこぼしました。
「だって、す、すごい音、あはは」
右手の甲で口元を隠し、なんとか抑えようとしているのでしょう。けれどもなかなか、声は収まってはくれません。そういえば、この人は笑い上戸だった、と治金丸は頭のすみっこで思い出しました。
「やれやれ、朝から元気だな」と大げさにため息をつき、治金丸は審神者に近寄ります。そっけない態度をとっていますが、彼はこの笑い声を聞くと、胸の奥が、もううららかな春の陽だまりのようにぽかぽかするのです。もっともっと、聞いていたいなと、そう思うのです。
彼女が抱えたボウルをひょいと覗くと、何やらもったりとした黄色いかたまりが入っていました。ほのかに優しい、甘いにおいもします。「これは何だい?」と治金丸がたずねると、ようやく笑いの波が引いた様子の審神者が、「ホットケーキだよ」と、泡立て器をぴっと構えて答えました。
「治金丸も食べる?」
「じゃあ、ご相伴にあずかろうかな」
「おっけー」
そう言うや否や、審神者はボウルをテーブルに置き、冷蔵庫の中をごそごそ探り始めました。そこで治金丸は、彼女の後ろ髪がひとつ、ぴょこんと跳ねているのを見つけました。
──もしかしたら、彼女も治金丸と一緒だったのかもしれません。お腹がすいたから、身支度もそこそこにして、いの一番に厨に足を運んだのかもしれません。
「起きてきたのがきみで良かった」
ふとかけられた言葉に、無意識に彼女の髪へと伸ばしかけていた手が止まります。それはいったい、どういう意味だろう。ひょっとすると、主もオレと同じ気持ちで……?
しかし治金丸のあわい期待は、振り返った彼女が手にしていたものを見て、ほろほろと散っていきました。
「私1人だと泡立てるの時間かかっちゃうもん」
「はは……」
勘違いした気恥ずかしさをまぎらすように、治金丸は止まっていたその手で、彼女からホイップクリームのパックをひょいとさらいました。
「働かざるもの食うべからず、というわけだ」
「そーゆーこと」
治金丸のやきもきした心なんて、おそらく、これっぽっちも気づいていないのでしょう。ニッと歯を見せて笑う彼女の顔の、なんと晴れやかなこと。それでも治金丸は、この人が自分を必要としてくれることが、何より嬉しかったのです。
仮にここに来たのが自分じゃない、他の刀剣男士──例えば、そう、千代金丸だったとしても、彼女は同じようにお願い をしたかもしれません。北谷菜切なら、彼女が言う前にすすんで手伝いを申し出ていたでしょう。
それでも今この瞬間、審神者が頼れるのは治金丸だけでした。そして治金丸は、きっと誰よりもうまく、素早く、美しくホイップクリームを泡立てる力を持っています。だから、「仕方がないなあ」と憎まれ口をたたきながらも、彼のくちびるは、きれいな弧を描いていたのでした。
──さて、治金丸がホイップクリームと格闘している間、審神者はフライパンに向き合います。中火で熱して、一旦濡れ布巾の上で冷まします(余談ですが、この時のジューッという音を聞くのが、彼女は好きでした。なんとなく、鍛刀の、焼き入れ作業を思い起こすので)。
フライパンをコンロに戻し、今度は弱火に。おたまで生地をすくい、高めの位置から流し入れていきます。ためらわず、一気に落とすことがコツです。こうすることで、まん丸な形に焼き上がるのです。
生地に火が通るのを待っている合間に、審神者はふと思い立ちました。そうだ、せっかく治金丸がいるんだから、アレも作っちゃおう。調味料がしまってある戸棚を開けると、お目当ての黒砂糖はすぐに見つかりました。それを行平鍋に水とともに入れ、火にかけます。ぽこぽこ煮立ってきたらアクを取り、とろみがつくまで木べらで煮詰めていけば完成です。
喜んでくれるかな。くれたらいいなあ。審神者が治金丸の笑った顔を想像していた時、
「──黒みつだ」
とっくのとうにホイップクリームのツノを立たせ終わった本刃の声が耳の間近で聞こえたので、彼女は「わあ!」と飛び上がりました。思わず手放しそうになった鍋の柄を、「おっと!」と背後からひと回り大きな手のひらが覆います。ふう、と審神者の耳元でため息をつく彼に、審神者は「ちーがーねーまーるー?」と地を這うような声でその名を呼びました。
「危ないじゃん、もう!」
「いやあ、悪い悪い」
治金丸は眉尻をさげて謝ります(内心、またやってしまった、と思っていました)。審神者はそんな彼を見て、「……まあ、こぼれなかったからいいけど」と続けました。
「……」
「……」
「……あの」
「ん?」
「手、いつまでこうしてるの?」
審神者が背後から重ねられたままの手をぴくりと動かすと、治金丸は「んー……」ともぞもぞ身じろぎしました。
「ほら、寒くてさ」
「寒いの?」
「……うん」
「ん……なら、しょうがないね」
治金丸が本当はそんなに冬の寒さが苦手じゃないということを、彼女はちゃあんと知っていました。知っていながら、知らんぷりをしたのです。そして治金丸も、彼女が知らんぷりをしていることを、知らんぷり。
それからお互い口を開くことなく、鍋の泡が大きくなっていくのを見つめていました。ふくらんで、はじけて、とろけていくさまを、ふたりでじいっと、無心に見つめていました。
「あーっ!」
「おごえ!」
突然審神者があげた声に、今度は治金丸がおどろく番でした。耳をおさえ、目を白黒させている彼をよそに、彼女はわたわたとフライ返しを手に取り、ほったらかしにしてしまったホットケーキを勢いよく裏返します。
「あーあ……」
「これは……」
本来なら美しいきつね色になるはずだったそれには、言うなればバスクチーズケーキのような、黒い黒い焦げができてしまいました。削げば食べられないことはないと思いますが、それでも残念な気持ちには変わりありません。
がっくりと肩を落とす審神者の後ろ姿に、治金丸は「ごめん、主」ともう一度謝りました。
「治金丸のせいじゃないよ。私が──私が……」
ついさっきまで自分が触れていた、審神者の手の甲。彼女はそこを、する、と反対の手で撫でました。うつむいた拍子に、彼女の髪がさらりと揺れます。その隙間からのぞいた耳が赤く染まっているのを見たとき、治金丸はぶわっと首元が熱くなりました。たぶん、今度は、勘違いなんかじゃない。
──名残惜しいと感じたのは、オレだけじゃあないんだな……。
治金丸は、まだ柔らかな感触が残る手のひらをきゅうっと握りしめ、身の内にくすぶる熱を追い出すように息を吐きました。それから、「さあ」とわざとらしく声を張りました。
「皿を用意しようね、もう我慢の限界だ」
そう言った時、タイミングよく彼のお腹がぐう、とまたもや大きく鳴ったので、審神者と治金丸はぱちくりと目を見合わせたあと、まだ寝ているかもしれないみんなを起こさないよう、ひそかやに笑い合ったのでした。ふたりっきりのないしょの朝
丸いテーブルの真ん中に
はじっこ焦げたホットケーキ
ホイップ 黒みつ お好みで
たんとかけて召し上がれ
(20220125/にこら)
