罪を背負うモノ
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一度、人を殺したらもう二度と人間には戻れない。
例えそれは人間のように見えたとしても人の形をした獣に違いない。それは私も同然だった。
自分の身を守る為に仕方なかった行為だったと自分に言い聞かせても、それが正当化されることはない。
人の生臭い血を浴びる感覚も、人の肉にナイフが食い込む感触も、苦しそうな呻き声も一生、忘れられるものではなかった。
人の形をしたナニカは次第に、人と関わることをやめ、喋ることを忘れ、空腹を忘れた。意識が闇に溶け込みそうになったところで、何とか最期くらいは自身で命を終わらせることを望んだ。
誰もいない深い森を覚束無い足取りで進んでいく。
ここなら誰もいない。誰にも見付からずに自分を終わらせることが出来る。
初めて人を殺した戒めとしてずっと持っていた乾いた血がついた錆びたナイフを自分の喉元を目掛けて突き刺した。
……これでもう苦しまなくて済む。
最期に微かに自分の耳元で低い獣のような唸り声が聴こえたような気がした。
もう二度と罪悪感に襲われなくて済むはずだった。
もう二度と目を覚まして身体を動かさなくて済むはずだった。
なのに、気付いたら私は呼吸していて、心臓が動いていて、瞬きをしていた。
辺りを見回してもさっきと変わらない霧深い森にいた。自分の喉元にそっと触れれば、痛みを感じるどころか傷ひとつ、血一滴さえ流れていなかった。
「…どういう、こと?」
久しぶりに出した声は掠れていて、まるで自分の声じゃないみたいだった。勿論そんな問いに答えてくれる者なんていないと思っていた。
しかし、間もなくして低く唸るような声が何処かから聞こえてきた。意識を失う前に聞こえた声と同じだ。獣のような唸り声に聞こえれば、人の声のようにも聞こえなくもない。ただ、声が何と言っているかは不思議とはっきり聞き取れた。
"お前には今日から狩りを行なってもらう"
一体、何を言われているのかわからなくて、また質問を投げ掛けようとした所で、目の前が真っ暗になる。まるで目隠しをされたみたいに。だけど、その感覚はすぐになくなり、目を開いたときにはさっきと別の場所に立っていた。薄暗い場所だけどさっきの森とは明らかに違う。右手に違和感を感じて手元を見れば、見知った血がこびりついたナイフが握られていた。
……何で、このナイフが…。
もう、二度と見たくないものだったのに。
"ここにいる4人の人間を殺して、わたしに捧げろ"
さっきの声が頭の中に響く。
……殺す?
意味がわからずに呆然としていた私の頭の中に一瞬にして映像が流れ込んできた。
マスクで顔を覆った男が人を追い掛け、武器で殴り、フックに吊るす。その一連の流れを繰り返し、男は4人の人間を処刑してみせた。
その見せられた映像だけで私は嫌でも自分が何をしなくてはいけない立場の者なのかわかってしまった。
…私は、ここにいる4人の人間を殺して、それを望む者に捧げなくてはいけない。
頭では理解しているはずなのに身体が動かない。
額に脂汗が滲み、呼吸が苦しくなる。
どうして私がまた人を殺さなくてはいけないの?
過去の映像がフラッシュバックして目眩がした。気付いたら私はその場に膝をついて座り込んでいた。
……出来るはずがない。もう、苦しくなりたくないから命を断ったはずだったのに。
手が震える。涙が頬を伝う。
人間じゃないものが泣く資格なんてもうないってわかってるのに。
私はそれなら、と深く息を吸うとナイフをもう一度自分自身に向けた。今度はちゃんと終われるように心臓に一突きで。勢いよく刺そうとした。だけど、ナイフの刃は私の心臓に突き刺さることはなく、ぴたりと胸の前で止められていた。私がナイフを刺す手を止めた訳ではなく、黒く爪の長い蜘蛛の脚のようなものが私の手を掴んで無理矢理止めていた。
「……なんで死なせて、くれないの?」
ポタポタと溢れる涙が服に滲んで染みを作る。
その涙が人じゃない私が人間でありたいと願う気持ちから溢れ出る異物のようで気持ち悪くて仕方なかった。
こんな感情も全部、消えてなくなってしまえば良かったのに。
"お前は逃げられない。この運命からも、わたしからも"
この生き地獄の世界を作った邪神はそう囁くと、嗤った。
辛くても苦しくても逃げることは赦されない。
それがお前が生前、犯した罪への戒めだ。