地獄のような世界で
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この世界はとにかく異質だった。元居た世界よりも歪で異常だった。霧の森では毎日、キラーがサバイバーを殺してはエンティティという神に捧げるという異様な儀式を行なっていた。
エンティティはサバイバーを殺すことを拒む人や、反抗的な人を拷問しては無理矢理キラーとして働かせ、自分の思いのままに支配する。どれだけ嫌でも誰もここから逃げ出すことが出来ずに儀式は繰り返されていく。
こんな残酷な世界、夢であってほしいと願った。朝、起きたら全てがただの悪夢で良かったと安心したかった。前の世界で僕の望んだ日常には戻れないとしても、それでも良かった。どれだけ辛く苦しくても仲間と共に生きていたかった。こんな世界で暮らすくらいなら前の世界の方がマシだ。どれだけ頑張ってもこの世界には希望なんてものはない。
初めて儀式を行なったとき無意識だったのにも関わらず、人を殺した感覚が手に残っていた。人の血の匂いが、返り血が、洗っても洗っても取れない気がした。吐き気と身体の震えが止まらなかった。気がついたら涙が流れていて、どうしたら罪悪感や胸の苦しみ、気持ち悪さが消えるのかわからなかった。毎日に絶望した。僕はこの地獄の世界で一生、苦しんでいくべき化け物なんだと理解した。
赫子で命を断とうとしても、それは叶わなかった。儀式外でもエンティティが僕を見張っていて、それを阻止してきたからだ。勝手に死ぬことすら許されない。それがわかると、僕は一人塞ぎ込んだ。何もする気が起きない。誰かと話す気も起きない。この世界には異常者しか居ないから、誰もこの気持ちを理解することなんてできないと思った。誰にも会いたくない。誰とも関わりたくない。
ずっとベッドで踞っていると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。それでも返事をする気も起きなければ、扉に向かう気力もなかった。
何もせずにじっとしていれば、いつの間にか扉の前から人の気配が消えていた。内心、ほっとした。誰かはわからないけれど、恐らくエンティティに仕えている調教師だろう。彼女には会ったその日に色々と説明されたが、正直、そんなこと僕にとってはどうでも良かった。この世界から出られないと聞かされた時点で希望なんてものはなかったのだから。彼女は兎に角、嫌な感じがする。キラーに拷問を与えているというのを聞いた時点で僕を拷問していた喰種の顔が浮かんで、嫌悪感を覚えた。彼女は敵だ。関わりたくない。
どれくらい踞っていただろうか。身動ぎをすると罪悪感で自ら赫子で貫いた手が思い出したようにジクジクと痛みだした。再び扉がノックされる音がする。先ほども無視していたら帰ったように、今度も諦めて帰るだろうと無視を決め込む。しかし、痺れを切らしたように、入るよと女性の声がした。嫌だなと思いながら僕は動けなかった。女性の近づいてくる気配がしても顔を上げる気にはならない。早く帰れと追い返してしまいたくなる。僕の気持ちと裏腹に遠慮がちに僕を心配する声が届いた。それでも、嫌悪感は消えない。心配するふりなんかしても、どうせ彼女は僕をキラーとして働かせる道具としてしか見てないだろう。彼女にはっきりと拒絶する言葉を向ける。そうすれば流石に帰ると思っていたが、どうやら今回は彼女も引く気がなかったようだ。
話がしたいと言った彼女が最初に聞いてきたのは、儀式のことだった。よりにも寄って僕が一番話したくない話をしなくてはいけないなんて最悪だ。そんなことを聞いて何になる?僕が絶望している姿を見て内心、嘲笑っているんじゃないか?やり場のない怒りが沸々と沸いてくる。彼女は他人事だ。僕を心配しているから、こんな言葉を掛けている訳じゃない。自分がキラーという立場じゃなくて良かったと僕を見下して安心しているに違いない。
「……君が望むものは、何?」
「……ありません、何も。…こんな世界で生きていくくらいなら、…死んだ方がマシだ…!」
「…どんなに辛くても、この世界では死ぬことは許されない。…毎日、儀式は繰り返されていくの」
「…どうして、僕なんですか…!?…僕が、…何をしたって言うんですか…!?」
等々、怒りが抑えられずに彼女の肩を掴む。そのときに見た彼女の表情は酷く苦しそうだった。僕に向けていた瞳には同情の色が滲んでいて、直視するのも辛かったのか、すぐに目を伏せた。…何なんだよ、一体。辛いのは僕だけじゃないとでも言いたいのか。こんな風に苦しんでいるキラーが僕以外にも居たのだろうか。彼女の考えがわからない。彼女はエンティティに仕える人で、キラーとは立場が違う。だから、僕の苦しみなんて到底理解できるはずはないのに。
「……こんな、世界は…間違っている…」
ふと、喰種捜査官の言葉が思い出されて呟くように口にした。例え敵という立場でも共感できるような正義感を持った人だった。彼みたいな人がこの世界に来たとしたなら、こんな歪な世界を変えられたのだろうか。それとも、この間違った世界に染まってしまうのか。…僕にはわからなかった。僕は無力だったから、もうどうしようもないと思ってしまった。
「…うん。…でも、こんなおかしな間違っている世界でずっと、生きてる人達がいるの」
この世界を否定した僕の言葉を否定する訳でもなく、彼女は言った。その言葉に何故か、はっとさせられる。僕がここに来るずっと前からこの世界は存在していた。まだ僕も知らない沢山のサバイバーとキラー達がここにはいる。拒否することも出来ずに連れてこられて、エンティティに従わされていた。この世界の人達には自由に生きるという選択肢すら与えられていなかった。この世界を否定することは、ここで必死に生きてきた人達を否定することと変わらない。彼女はそんな自由を失った人達を否定することはしてほしくないから、そんなことを言ったのかもしれない。
「…人によっては、前の世界よりこの世界の方が好きだって人もいるんだよ」
「……こんな世界が…?」
「…実は私がそうなんだけど、私はこの世界に、エンティティ様に救われた。前の世界では生きていたって仕方がないって思ってたけど、今は生きてて良かったって思える」
彼女の声色は穏やかだった。嘘偽りなく、本心で、この世界に希望を見出している人の表情だった。彼女が前世でどんな人生を送ってきたのかなんて僕は知らない。こんな世界より酷い世界なんてあるものかと思いながらも、彼女が救われたと言っている以上、少なくとも彼女の前世よりはマシなのだろう。…不思議なことにこんな世界で救われた人がいる。その事実が僕にとっては衝撃的で信じ難いことだった。
「この世界に連れてこられたことを全部、悪いことだと思ってほしくないの。…君にとっては地獄のように見えるかもしれないけれど、いつか意外とこの世界も悪くないって思えるようになるはずだから」
「……」
「…君に少しでもそう思ってもらえるように、できる限りがんばってみるから何でも言ってほしい」
そう言って柔らかく微笑んだ彼女は最初に見たときの冷たい笑みとは全く違って、本心で笑っているように見えた。ものすごく綺麗な人だ。思わず彼女に見惚れてしまう。初めて会ったときは訳も分からずにこの世界に連れてこられて、動揺してからいたせいで、そんなことを気にしている余裕もなかった。
それと同時に彼女の発言から本当にこの世界が大好きなんだというのが伝わってきた。きっと、一緒に過ごしているキラー達も彼女にとって大事な人達なんだ。彼女はこんな世界でも少しでもキラー達に好きでいてほしいからこそ、出来ることをしようとしている。少しだけ彼女に対する思いが変わって、最初の嫌悪感は消えていた。
すると、彼女は何かに気付いて僕の手を指差す。言われて自分の手が怪我したまま、まだ治癒できてなかったことを思い出した。意味が無いとわかっていながら、極力、彼女に手が見えないように隠す。彼女は僕が自傷行為をしていたことがわかったらしく、不満そうな様子で僕を注意する。
キラーに拷問をする立場なのに、キラーの自傷行為を注意するなんて変だと感じて、冷たい言い方をしてしまった。それでも彼女は気を悪くした様子はなかった。拷問をするのが好きなのに、痛い思いをしなくて済むならその方がいいと考えるなんて変な人だ。それから、彼女は部屋から包帯を持ってきて簡単に怪我の手当てをしてくれた。別に包帯なんか巻かなくても放っておけばいつかは自然治癒する。だけど、断るのも悪いし、怪我が治るまでは血で汚れたりもするから巻いといて損はない。それ以外にも彼女は喰種用の肉まで用意して手渡してくれた。空腹だと辛くなるから彼女の気遣いに感謝した。
まだ、慣れないことばかりで嫌なことばかり頭を巡る。だけど、来たばかりのときよりも、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった気がした。