尸魂界篇
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「おはようございます、隊長。」
「おはよう」
翌朝、美桜は白い羽織を靡かせながら七番隊の廊下を歩いていた。通りかかった隊士たちの挨拶にいつも通り返事をしながら隊首室に向かう。
辿り着いた隊首室では既に雫が執務を始めていた。
「おはようございます、隊長。」
「おはよう、雫。」
上座にある自席につくと、昨日の情事を思い出して桃色のため息が出た。心が満たされているのがわかる。旦那が好きすぎてつらい。
そんな上司に「あぁ、旦那さんとイチャイチャしたんだろうなぁ」と雫は冷ややかな目線を送った。別に恋人が欲しいわけではないが、
が、そんな気持ちを吹き飛ばす出来事が起きた。
カンカンカンカンッ
「緊急警鐘! 瀞霊廷に旅禍が接近。各隊速やかに守護配置についてください。」
ここ何十年も鳴ったことがない緊急警鐘が鳴った。
嫌な音だ。鼓膜を突き刺すような、遠慮にも配慮にも欠けるけたたましい音。実際に聞いたわけではないが、百余年前のあの時もこんな音だったのだろう。美桜は思わず眉間に皺を寄せた。
そんな美桜に雫は膝をついて首を垂れた。
「隊長、ご指示を。」
雫に返事をする前に美桜は旅禍の霊圧を探った。外壁に沿うように探っていくと、西門である白道門付近に旅禍と思われる霊圧を複数発見した。その近くに市丸ギンもいるようだ。何が狙いかはわからないが、とりあえず出撃する必要はなさそうだ。
「三番隊隊長が旅禍のすぐそばにいるわ。私たちは待機。」
「かしこまりました。」
そう言って部屋を出ていく雫を見送ってから美桜は背もたれに身体を預けて天井の木目を見上げた。
美桜は浦原喜助から崩玉を朽木ルキアの中に封印したことを聞いていた。だから朽木ルキアを助け出そうとする旅禍の味方をするべきだが、この立場で果たしてどれだけのことが出来るか。表立って動けば、旅禍より先に自分が処刑対象になりそうだ。そうなっては目も当てられない。他の死神に悟られずにどこまで旅禍をサポートすることが出来るか。
「……まずは可能性を潰そうか」
美桜は昨日の真子との会話を思い出した。中央四十六室が乗っ取られたという可能性。望みは薄いが、その可能性を否定するために目を閉じて霊圧感知に全力を注ぐ。
意識を一点だけに集中する。目指すは第一級禁踏区域。本来なら四十人の賢者と六人の裁判官の霊圧があるはずのそこには、一つの霊圧もなかった。もうこの時点で僅かな望みは潰えた。
しかし、大きな声で言えないが少しだけ胸がすいた。
真子たちを虚として処分という決断を下した中央四十六室。元凶の藍染はもちろん、美桜はそんな決定を下した中央四十六室も許せなかった。百余年経って代替わりした者もいると思うが、心のどこかで藍染に「よくやってくれた」と言いたい自分がいて嫌になる。
「っはーー……」
今後のことを考えるとため息を吐かずにはいられない。主に藍染とか藍染とか藍染のことだ。双極を使って朽木ルキアの中にある崩玉を奪った後、どうするのだろうか。いくら藍染といえど、古参の京楽や浮竹、卯ノ花、そして総隊長である山本を相手して無傷ではいられまい。美桜がいくら考えても答えは見つからなかった。
( 四十六室の決定は藍染にとって都合がいいものってことね。それだけでもはっきりしたからまぁいっか。 )
一度思考を放り投げた美桜の視界にヒラヒラとした黒いものが映った。「げ、」と低い声をあげてから廊下にいる雫を呼ぶ。
「雫〜」
雫は三席に指示を出してから美桜の元へ走ってきた。その姿に申し訳なくなりながら机の上で羽を休めている地獄蝶を指差す。
「あれお願い。」
「……はぁ。」
美桜は虫が好きではない。むしろ嫌いだ。故にいくら地獄蝶とはいえ触れたくないのだ。出来れば近付きたくもないし、さらに言えば見たくもない。手に乗せるなんて以ての外だ。
「地獄蝶に触れない隊長格など他におりません。」
「でも嫌なものは嫌なの。」
雫は机にいる地獄蝶にそっと指を近付ける。地獄蝶は指に止まると羽を広げたり閉じたりして内容を伝えた。
「隊長、緊急の隊首会だそうです。」
「旅禍のことかな〜。」
隊首会でどんなことを言われるかわからないが、雫に言っておきたいことがあった。
「……ねぇ、雫。」
「はい。」
「……裏切りに見えるかもしれないけど、それでも私についてきてくれる?」
「!!!」
雫は珍しく目を見開いて感情を露わにした。それもそうだろう。八十年以上美桜と共にいて、そんなこと言われたのなんて初めてだった。
「裏切りに見えるかもしれない」ということは、実際は裏切りではないということ。たとえそうでなかったとしても、答えはひとつしかなかった。雫は片膝を床につき、首を垂れた。
「もちろんです。隊長。」
「……ありがとう。」
美桜は机の上を簡単に片付けた後、隊長羽織を翻して隊首会に向かっていった。
「じゃあ、行ってくるね。」
「はい、行ってらっしゃいませ。」
目の前に聳え立つ一番隊隊舎。
ここは堅苦しくて好きではないと言う真子の気持ちがよくわかった。空気が違うのだ。厳かで、堅い。まるで総隊長である山本のような雰囲気なのだ、一番隊隊舎というものは。
美桜は隊首会が行われる広間で所定の位置についた。藍染の隣というこの位置が本当に嫌だが、藍染の言動を近くで監視できる。それに反対の隣は東仙だ。こちらの動きにも警戒することができる。他の隊長もいる隊首会で何か行動を起こすことはないと思うが、警戒するに越したことはない。
病欠という連絡のあった十三番隊隊長の浮竹と三番隊隊長の市丸以外の隊長が、既に集まっていた。
広間の扉がギィと古めかしい音を立てて開く。皆の視線がそちらに集中する中、そこにはいつも通りの妖しい笑みを浮かべた市丸がいた。
「きたか、三番隊隊長。」
椅子に座った山本が厳しい目つきを市丸に向けるが、当の本人はそれをものともせずにいつもの調子でおちゃらけた。
「なんですの? いきなり呼び出されたかと思うたら、こない大袈裟な。尸魂界を執り仕切る隊長さん方が、僕なんかのために揃いも揃って。」
「ふざけてんじゃねぇよ。そんな話で呼ばれたと思ってんのか? テメェ一人で旅禍と遊んでたらしいじゃねぇか。しかもヤリ損ねたとはどういうわけだ。」
「あら、死んでへんかってんねや、あれ。」
てっきり死んだと思ってんねんけどなぁと続けた市丸を、十二番隊隊長 涅マユリが嗤う。
「フッフッフッ。猿芝居はやめたまえヨ。我々隊長クラスが相手の魄動が消えたか察知できないはずはないだろう?」
今日もくだらない喧嘩をしている。美桜はそう思いながら目を閉じた。聞いていてもあまり意味がなさそうだ。
「やめんかみっともない。……じゃが、お主がここへ呼ばれた訳は概ね伝わったかの。此度の単独行動、そして標的を取り逃すという失態。なにか弁明でもあるかのう。」
「弁明なんてありません。僕のボンミスや。」
言い訳のしようがないと肩を窄めて見せる市丸に、美桜の隣にいる気配が動いた。
「ちょっと待て市丸。その前に聞きたいことがある。」
そう言って藍染が市丸に何かを聞こうとした時。
カンカンカンカンッ
「緊急警報! 瀞霊廷に侵入者あり。各隊は守護配置について下さい。繰り返す…」
昨日からよく鳴る、否応なしに百余年前を思い出させるこの音。京楽も同じことを思い出しているのだろう。編笠を深く被り直していた。
「致し方ない。隊首会はこれにて解散じゃ。各隊守護配置についてくれ。」
山本のその声を合図に、皆出口へと歩き出した。
美桜はゆっくりと歩き出した京楽の隣に並んだ。
「京楽隊長。始まりますよ。」
「堅苦しいよ〜美桜ちゃん! ね、前みたいに春兄って呼んでよっ!」
美桜は隊長になってから、それまで春兄と四郎兄と呼んでいたのを隊長呼びするようになった。美桜なりの敬意である。護廷十三隊の中でも古参の二人を兄呼びするなど、逆に今までよく何もお咎めがなかったものだ。しかし二人とも隊長呼びが気に入らないみたいだ。
ちなみに美桜が隊長呼びするのは執務中だけである。
「気が向いたらね。」
美桜が真剣な目で京楽を見る。その視線で、何が言いたいのか分かったのだろう。「やれやれ」と言いながら編笠を深く被った。
美桜が隊舎に戻った時、雫の指示で隊士たちは皆持ち場についていた。
「雫、ありがとう。今戻ったわ。」
「隊長! おかえりなさいませ。」
すると、高濃度の霊子体がものすごい勢いで近付いてくるのがわかった。美桜は自分の肉眼では見えないのにも関わらず、思わずそちらを見てしまう。
やがて遮魂膜にぶつかった球体状のそれは、四つに分かれて散っていった。白道門で感じた懐かしい霊圧もある。
美桜はそのどれもが七番隊の管轄外に落ちたことを確認して、雫以下隊士に指示を出す。
「全てうちの管轄外に落ちたわ。私たちのやるべきことは負傷者の戦線離脱とその応急処置。戦う必要はないわ。でももし出会ってしまったら、自分の命を最優先に考えて行動しなさい。……私たちには負傷者を救う力がある。私たちが負傷することで、助けられる命が助からない可能性があることを覚えておいてね。」
「「「はいっ!!!」」」
美桜は「じゃあ雫、あとはよろしく」と一方的に声をかけた後、瞬歩でどこかへ消えていった。
旅禍が消えたと騒ぐ隊士を屋根の上から見下ろす一匹の黒猫。その黒猫はなぜか人の言葉を話している。
「一人になってしまったか。じゃがその方が都合が良いかもしれんのう。」
美桜は霊圧を完全に消して黒猫を後ろから抱き上げた。突然のことに黒猫が暴れるも、誰に抱き上げられたのかわかったのだろう。すぐに抵抗を止めた。
「お久しぶりです、夜一さん!」
「お、美桜か! 久しいのう! 元気しておったか?」
「はい! まさか夜一さんが旅禍に混ざってるなんて。」
美桜は黒猫改め夜一を腕の中に抱きかかえ、顎の下を撫でる。夜一は気持ちよさそうに目をつぶり、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
しばらくするとハッとしたように夜一が目を見開いた。大方、気持ちよくて夢中になっていたんだろう。
美桜はそんな夜一に笑いながら、撫でる場所を顎の下から頭に変えた。
「夜一さんはこれからどちらへ?」
「そうじゃな。喜助と作った秘密基地にでも行こうかの。」
そこは百余年前に虚化した真子たちを一時的に匿っていた場所である。その後すぐに合流した美桜によってより安全な異空間に移動したが、あそこを知る者など今の護廷十三隊にはほぼいない。
「そうですか。私に出来ることがあったらいつでも言って下さいね。」
美桜が危険を冒してまで夜一に会いに来たのはそれ相応の理由がある。
「あと、四十六室が全滅しています。」
「なんじゃと!?」
予想していなかったのだろう。夜一は金色の目を大きく見開いて固まっている。
「どうやら議事堂全体に鏡花水月をかけているようで、誰も気付いていません。四十六室の決定には気をつけてください。」
尸魂界は奴らの手に堕ちつつある。そう明言しなくても、夜一には美桜の言いたいことが充分伝わった。
「わかった。情報助かったぞ。」
「何か進展があれば会いに行きます。どうかお気をつけてください。」
今の彼らにとって尸魂界は敵の巣窟。四方八方敵だらけなのだ。故に美桜が心配するのも当然なのだが、夜一はマズルの部分をむふーっと膨らませた渾身のドヤ顔で返した。
「儂を誰だと思うておるのじゃ。」
「ふふっ、そうでしたね……瞬神夜一さん」
「案ずるな。美桜も気をつけるのじゃぞ。」
と、喉をゴロゴロ鳴らしながら言われても説得力がないのだが、美桜はゆるく微笑んで黒い毛並みを撫でた。
