出逢いの息吹
Me
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「………え、……」
目の前に広がる光景は、夢?幻?
信じたくない事実に直面すると、人は現実逃避するというのはどうやら本当らしい。
完全に思考停止した脳内で、私は呆然と体を固まらせたままその場に立ち尽くした。
私の瞳に映るのは、バラバラに壊された姉の形見のブローチで。大事に鍵をかけておいた箱は壊され、力無く床に横たわっている。
今日は…あの後朝ご飯を食べて、施設内の掃除をして、買い出しに行って、…普段通りの生活をしていたはずだ。
色んなことをしていると気づけば夕暮れ時が近づき、夜ご飯を作るべく慌てて家に帰ったら…こんな状況だった。
私は立っていられなくなり、がくんと膝から崩れ落ちる。這いずるようにブローチの元へ向かい、優しい手つきで拾い上げた。
すっかり年数が経って色褪せてきてはいるが、これはいつまでも私の宝物で心の拠り所でもあった。辛くてもこれを胸に抱いて寝ると、不思議と力が湧いて頑張れる気がした。
姉がそばにいてくれている、そんなことを思ったりもした。…なのに。
もはや原型を留めていないほど粉々にされたブローチを見て、私は体が芯から冷えていくのを感じた。急速に熱を奪われたことで、顔は青ざめ体が震え出すのがわかる。
なんで、どうして。
その瞬間___部屋の扉が開き誰かが入ってきた。
ゆっくりと視線を音のした方へ向けると、そこにいたのは秋奈ちゃんと冬音ちゃんだった。
秋奈ちゃんは体を丸めてブローチを抱える私を一瞥すると、ゆっくりと口を開けて言葉を紡いだ。
言わないで、
なぜか反射的にそう思ったが、今の私に声を出すことなんてできなくて。
ただ零される言葉を黙って聞くこととなった。
「そのブローチ。もう古いしデザインも可愛くないし、捨てたらいいのにって思ってさぁ。…ずーーーっと大事そうに持って捨てられないの、可哀想だし、私達が代わりに壊してあげたの」
「いい加減そんなのに縋るのやめたら?持ってたって意味ないじゃない。捨てて正解」
___ぱきん、心のどこかで何かが完全に折れた音がする。
…二人を見上げた私はどんな顔をしていたのだろう。私の表情を見るなり、二人は少したじろいだように息を詰まらせる。しかし、そんなことに私が気づくわけもなく。
____気づけば私はドアに立ち塞がる二人を押し退け、衝動的に外へ飛び出していた。
もう、何も考えたくなくて。もう何も知りたくなくて、…耐えられなくて。
ボロボロになった心は、いつの間にか限界を突破していて、この日の出来事は私の必死に押しとどめていた絶望の波を決壊させるのには十分すぎた。
…ひたすら走った。どこか遠くへ、遠くへ行きたいと願ってひたすらに。
息が上がりきって苦しくなるのを無視して、何度も息が止まってその度咳き込むのを無視して、私の持てる全速力で街を駆け抜ける。
___そうしているうちに、見覚えのない場所へ辿り着いてしまった。
「、はぁっ…、はぁ、…、っゲホッ…」
胸に手を当て必死に呼吸を整えようと深呼吸を繰り返す。運動は別に得意ではないし、持久力も飛び抜けているわけではないため、走り続けた体は既に悲鳴をあげていた。
少しずつ息が整い始めたことで余裕が生まれ、私はゆっくりと瞳を浮上させて辺りを見回してみる。
やはりそこは見覚えのない場所だ。見たことのない風景がどこまでも広がっている。
…携帯も置いてきちゃったし、どうしよう。
そんなことが頭に浮かんだが、今は施設のことは考えたくない。私は頭が冷静に整理されるまでこの土地を散策していくことにした。
そこまで人通りは多くなく、どことなく廃れた雰囲気が見てとれる。…いや、それは今日が平日の夕暮れ時だからなのか?
大きな建物には三角の飾りがかかっていて、一定間隔に並べられた緑の街灯にはカラフルな旗のようなものがつけられている。
そこに並べられた英語の文字を認識すると共に、私の記憶がゆっくりと目覚めるのが分かった。
「ビロード…ウェイ…」
この名前、どこかで聞いたことがある。もうずっと昔のことだ。
モヤモヤしているのが気持ち悪いので、何とか記憶をひきづり出そうと頭を抱えながら何度もその名前を脳内で反芻する。
すると、靄がかっていた記憶が段々と鮮明に浮かび上がるのがわかった。
父は無類の演劇好きで、季節ごとに変わる色んな劇団の作品を見に行っていた。それに私も何度か連れて行ってもらった記憶がある。
…そうだ、そしてここがその演劇の聖地で、沢山の劇団がある場所___ビロードウェイだ。
思い出せたことにスッキリした反面、家族との思い出が少しずつ自分の中で薄れてきているのを自覚して寂しさを覚える。忘れたくないのに、…人はこうやって忘れて行ってしまう。
感傷に浸りながら通りを歩いていれば、やはり演劇の聖地だけあって次々劇場が視界に現れ、少しだけ混乱してしまう。さすがだなぁ…
すると、ふと視界に一つの劇場の名が映り込み思わず足を止める。その名はひときわ私の記憶を刺激する何かがあったのだ。
「MANKAI…シアター…」
ゆっくりとその名前を読み上げてみる。
そうだ、父は数ある劇団の中でも特にここの劇団の作品を気に入っていた。
毎シーズン欠かさず観に行って、最終日には必ずと言っていいほどぐずぐずに泣いて帰ってきていたな。そしてそれを母が優しく慰めて、私と姉はからかって…。
もう二度と戻れない楽しい記憶を思い出せば胸が苦しくなる。私はそれを振り切るように劇場に背を向け、また歩き出した。