新たな居場所
Me
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女性に手を引かれながら歩くこと数分、たどり着いた場所にはとても立派な建物が聳え立っており、それを見るなり私は思わず息を呑んだ。管理が丁寧なのかまだ築年数はそれほど経っていないのか…外壁の塗装も綺麗に施されているし、恐らく2階だと思われる小窓が続いた先には小さなバルコニーのような空間もある。
まさに豪邸という名がよく似合う。
一軒家…に見えなくもないが、とても彼女が1人で住んでいるとは思えないくらいの大きさだ。かと言って外から見ていても一切人の気配がしないため、複数人が住むようなマンションなどにも見えない。…もしや、親御さんがすごくお金持ちとか?
なんて悶々と憶測を張り巡らせている私を他所に、女性は人が3人ほど一気に通れそうな大きな玄関を開けると、また私へ向き直り素敵な笑顔を向けた。
「さ、入って!」
「…お、お邪魔します…」
少し離れた場所から一歩も動けなかった私を催促するように、扉の中へと手を向ける女性。私はそれに素直に従い、戸惑いがちに言葉をこぼしながらもゆっくりと玄関へ近づいた。
建物は外観こそとても豪勢のように見えたものの、中は案外普通の造りとなっていて何だか拍子抜けしてしまう。…いや、むしろそっちの方が良い。これで中がタイルの敷き詰められた滑りやすい床だったり、目の回りそうなほどの螺旋階段が続いていたり、誕生日ケーキかのごとく沢山の蝋燭が散らばった派手なシャンデリアが見えたものなら、今すぐここから立ち去っていただろうから。
張っていた気が少しほぐれ、小さく息を溢しているとリビングらしき部屋に案内される。
「じゃあ、ここに座っててください。紅茶か、コーヒー…どっちが良いですか?」
「あっ、い、いえ、…そんなお構いなく…!」
「いえ、それくらいさせてください。気持ちも落ち着きますよ」
「…じゃ、じゃあ、紅茶で……」
見知らぬ私に声をかけてくれただけでも感謝しきれないほどなのに、家にまで上げてくれた上にお茶まで入れてくれようとする女性に私は申し訳なくなり、遠慮しようと首を横に振るが彼女は穏やかな笑顔と共に優しい言葉を紡いでくれる。そんな厚意を無碍にするわけにもいかず、私は素直に甘えることにした。
リビングとキッチンは併設されているようで、奥の方から食器が擦れる音が聞こえて来る。とりあえず立ち尽くしているのも何なので、女性に言われた場所へと腰を下ろし暫くぼんやりと見慣れない空間を目に焼き付けていた。
「おまたせ!」
少ししてから、紅茶を淹れたカップを2つお盆に乗せた女性が現れ、私の目の前にミルクやシュガーと共に置いてくれた。淹れたてだからかくっきり見える湯気。恐らく猫舌の私にとってすぐ飲むには適していないだろう。しかし、茶葉の癖がなくともはっきり主張される香りが鼻をくすぐると、自然と心が落ち着いた。
「…あ、ありがとうございます…」
お礼と共に頭を下げれば、目の前の彼女も柔らな笑顔で頷く。その笑みの美しさに思わず見惚れてしまっていると、固まった私を心配した女性は、先程のように眉根を寄せて伺うような視線を向けながら「どうしたんですか?」と聞いてくる。
ハッと我に帰った私は何だか照れ臭くなって、慌てて何でもないのだと大げさに手を振った。
「それで、あの。さっきのことなんですけど…」
「、っ…は、はい」
おずおずと口をつけたミルク入りの紅茶を半分ほど飲んだ所で、女性は少しだけ歯切れが悪そうに先程のことを切り出した。
突然のことに思わず咽せてしまいそうになるのを必死に堪え、平然を装うように彼女に向き直る。
口の中に紅茶とミルクが絶妙に絡まった甘い香りを残したまま、私はゆっくりとカップを置いた。
そして、少しの沈黙。
何から話したら良いか、いやそもそもこんな私の面白くもない事情を話して何になるのか、彼女には何にも関係のない事なのに、重いと思われるのではないか___色んなことが一瞬のうちに頭の中に浮かび上がってはぐるぐると回り出す。どうしていいか分からず、視線を彷徨わせる私に気づいたのか、女性はまた口を開いた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたよね…ごめんなさい。私は立花いづみと言います。実はここで活動してる劇団の監督兼主宰をさせてもらってるんです。えと、…MANKAIカンパニーって知ってますか?あんまり有名じゃないけど…」
きっと私の空気を一瞬で察知し、とりあえず気を落ち着かせるために方向転換してくれたのだろう。女性が見せてくれる優しさを目一杯含んだ笑顔を見れば、自然と凝り固まった心がほぐれていくような感覚になる。
立花いづみ、さん。素敵な名前だ。その容姿にとても似合う綺麗な響きをしている。彼女の名前を心の中で何度か反芻しながらそんなことを考えた。
すごいなぁ。見たところ20歳そこそこに見えるし、若いのに劇団の監督をしてるなんて。
えと、名前が……MANKAI…
「MANKAIカンパニー…ですか?」
「そうです。やっぱり初めて聞く名前ですよね」
「い、いや、実はその、MANKAIカンパニーっていうのは初めて聞いたんですけど、…MANKAIシアターなら知ってます。昔、家族と何度か行ったことがあるんです。父がそこで活動してた劇団のことをとても気に入っていて。もしかしたら、それと関係あるかなって」
「えっ!?そうなんですか!そ、そうです!そのMANKAIシアターで活動してたのが、MANKAIカンパニーっていう劇団なんです!…あ、すみませんっ、急に大声を出しちゃって」
MANKAIという名に聞き覚えがあったため、私の知っている情報をありのまま伝えると、途端に目の前の女性___立花さんは興奮したように声を上げる。しかし我に帰ったのか、次の瞬間恥ずかしそうに頬を赤らめて萎んでしまった。
年上らしからぬくるくると変わる表情が、見ていて何だか微笑ましい。
「いえ、大丈夫です。何だかすごい偶然ですね」
「本当ですね。小さい頃に来たことがあったなら、もしかしたらどこかで私達出会ってるかもしれませんね。お父様も気に入ってくれてたみたいだし、嬉しいなぁ…」
ふにゃり、と今度は崩したような表情で笑うものだから、それに釣られて自然と私の口からも笑顔が漏れていた。
すると、立花さんは驚いたように一瞬目を見開いた後、花が咲いたように嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「ふふ、良かったです。あなたの笑顔が見れて」
「え、……」
「あなたを見つけた時、このまま消えちゃうんじゃないかって、今捕まえなきゃ、後悔するって直感したんです。…だから何振り構わず声をかけちゃったんですけど…
正直お節介だったかもって考えてたから。こうやってあなたの素敵な笑顔が見られて、間違いじゃなかったって思えました」
そう言って色素の薄い瞳を瞼に隠すようにして笑う立花さんに、私は胸の奥から言葉にできない温かな感情が流れ込んでくるのを感じる。嬉しさと、戸惑いと、少しの切なさで胸が痛くなるほどだ。もう何年も触れてこなかった誰かの優しさはこんなにも温かいものだったのだと、姉の面影を浮かべながら一つ一つ噛み締める。
_____この人には、話せる。…いや、話したい。
聞いてほしいのだ。
直感的にそう感じた私は、意を決して震える唇から言葉を紡いだ。