五月雨、恋催い
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気づけばしとしと降っていた雨が、本降りになっていた。
傘を持ってこなかったのは、朝に降っていなかったから、それだけ。
今日は最悪な日。
雨が降ると仕事も上司も、そして自分も、ちょっとずつ何かが狂っていく気がする。
業務はスムーズにいかないし、課長もずっと機嫌が悪かった。
そうこうして18時には仕事が終わり、いつものように電車で帰る。
アパートの前に立って、私はそこで気づいた。
鍵が、ない。
鞄をひっくり返すように探す。
でも、やっぱり見つからなかった。
ポケットにも、財布の中にも、どこにも。
混乱しながらまた同じ所を探していると、あることに気がついて、あっ、と声を上げた。
…あの人が持って行ったままだ。
今日、仕事に行く途中の車の中で、またあの人と喧嘩した。
「もういい」って吐き捨てるように言って、運転していた彼は怒ったまま私を下ろした。
その後の私の言葉も聞かず、どこかへ行ってしまったから、鍵を返してもらうのを忘れていた。
一か八か、彼が家の中にいることを願ってチャイムを押してみるけれど、いくら経っても返答は無い。
このアパートには軒がないから雨を凌げなくて、冷たい雨水がじわりと服の奥まで染みこんでくる。
寒さと不甲斐なさから、はぁ、と大きいため息をついて座り込んでしまった。
…どうして私は、こんな夜にひとりでいるんだろう。
どこかおかしくなりそうなほど体が冷たくて、涙が出てくる。
もしかしたら雨が降っててよかったかもしれない。
泣いてるのを誰かに見られても言い訳ができるから。
茫然自失のままぼんやりオートロックの扉の前にいると、急に影が落ちて雨が止んだ。
「……姫野さん?」
聞いたことある声に、顔を上げる。
黒い傘の下で目を細めていたのは、隣に住む大学生の男の子だった。
初対面ではないけれど、名前を呼ばれて少し驚いた。
「どうしたんですか。 濡れてますよ、びしょ濡れ」
そこで雨が止んだのではなく彼が傘を私にさしてくれたんだと気づいた。
彼もちょうど帰宅したところのようで、傘を持っていない方の手には、私が喉から手が出るほど欲しかった鍵が握られていた。
「お隣の、豪炎寺くん…?」
そう言って、私は笑ったつもりだった。
でも、喉がかすれて声は上手く出てこなかった。
彼とは朝のエントランスでよくすれ違うから、少しだけ言葉を交わしたことがある程度。
たぶん何かスポーツをしているんだと思う。
休日もよく外に出ていて、ストイックそうな雰囲気だった。
「鍵が、色々あって無くなっちゃって」
言いながら自分で自分が情けなくて、また視線を落とした。
こんなところを、ましてや豪炎寺くんに見られるなんて…穴があったら入りたい気分だ。
でも彼は責めるようなことは何一つ言わなかった。
ただ、静かに傘を私の上へ差し出している。
「…寒いですよね。嫌じゃなきゃ、うち、来ます?」
「え…いいの」
彼の傘の下に入れてもらいながら、私は思わず目を見張る。
それは進退窮まっている私にとって、酷く魅力的な提案で、断るという選択肢は無かった。
けれどあんまりそういう人助けをするタイプではないと思っていたから拍子抜けしてしまう。
目の前の彼は、少しだけ困ったように笑っていた。
「ほんと、あぶなっかしい。ここに来たのが変なやつだったらどうするんですか」
「ふふ…豪炎寺くんだったから良かったね…」