壊してくれるなら、優しくして
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今日、最後のチャイムが鳴り、ようやく一日が終わる。
革の鞄を抱えて校門を出ると、鬼道家の黒いセダンが既に私を待っていた。
運転手は私の姿を認めると、後部座席のドアを開けた。
「雷門中へお願いします」
「はい、わかりました」
そわそわとする気持ちを抑えて、スカートの裾をぎゅっと握りしめる。
朝と同じ風景も、またどこか違って見えた。
流れゆくそのすべてが、これから起こる出来事の序章のように思えて、胸の高鳴りが抑えきれない。
車は見慣れない学校の駐車場で止まり、それに気づいて黒い日傘を手に取った。
外へ出ると活気ある生徒たちの声が耳に入ってきて、私の通う学校とはまるで違う光景に瑞々しい気持ちになる。
「姫野様、この辺りでお待ちしております」
「はい、お願いします」
日傘を片手に少し足早でサッカーグラウンドへ向かう。
「…ねえ、あの制服、春百合女子の子……?」
「雷門に何しに来たんだろう……」
「……素敵、やっぱりこんな可愛い女の子しか居ないのかな」
「ちょっとなにあれ、ひけらかしに来たの…?」
校舎の影から眺めていた時と違って、堂々と敷地を歩いているから、見慣れない制服を着た私はとても目立つのだろう。
すれ違う雷門の生徒達は、一長一短で様々な目を私に向けていて、その視線に少しまごつきながらも歩みを進めた。
しばらく歩くと、グラウンドに雷門サッカー部のユニフォームが見えてフィールドに近寄らないよう迂回をして階段をおりていく。
「あの!」
逆光で誰かはよくわからなかったけれど、近くにいたマネージャーらしき髪の長い女の子へ後ろから声をかけた。
その子はぴくりと肩を揺らし、ゆっくりとこちらを振り向く。
その端正な顔立ちを見た瞬間、お互いにあっ、と声が漏れる。
「あなたは…!?」
「あら、夏未さん、こんにちは」
彼女は私を見つめたまま驚いた顔で固まってしまった。
私はこの前の試合でサッカー部にいることを知っていたから、当然のように挨拶をするけれど、夏未さんは「どうしてここに」と言いたげな顔をしている。
…彼女は両親によって交友関係が限られていた中、唯一心を許せる相手であった。
そんな箱入りの私にたくさんのことを教えてくれた彼女とは、まるで姉妹のような関係だったのを覚えている。
中学に上がり、春百合へ入学してからはめっきり会わなくなってしまったから、急に現れた私に意表を突かれた様子だった。
ずっと待ちわびていた再会に思わず頬がほころぶ。
「雷門に居るとは聞いていましたけれど、サッカー部のマネージャーさんだったとは…嬉しいですわ」
夏未さんも再会を喜んでくれる…そう思っていたけれど、それを期待したのは私だけだったみたい。
彼女は私を見るなり目を細めて無表情で見つめ返した。
「まさか、鬼道くんのお相手が姫野の令嬢だなんてね」
その声に幼い頃に交わした温かい思い出は一片も感じられなかった。
「…どうしましたの?」
「……いいえ、なんでもないわ。見学をしに来たんでしょう?そこにあるベンチに座って見てていいわ」
そう言うと夏未さんはそれからこちらに見向きもせず、マネージャーの仕事へと戻っていってしまった。
私とのことを忘れてしまっているの…?
ううん、それなら私を見てあんな顔はしない。
それなら、会わない間に私たちの関係はもう終わってしまったの…?
…大いに有り得る。
なんだか、心臓を強く掴まれたような、そんな苦しい感覚に襲われた。
夏未さんが指さしたベンチに座って練習風景を眺める。
けれど、その風景は目に入っても頭には入ってこなかった。
どうして、彼女はあんなふうに言うの…
どうして、どうして…
握った日傘の柄に自然と力がこもる。
ぐるぐると考えが巡り、外の暑さと相まってふわ、と意識が遠のきそうになってしまう。
「なまえ」
低いけれど確かに耳に届く声がする。
はっと顔を上げると、そこにいたのは会いたかったはずの彼だった。
内心、嬉しいのにどこか感情が上手くついてこなくて喜びが喉まで込み上げてこない。
「有人さん…」
何を話すでもなく思わず名前を呼んでしまう。
「どうした、なんだか疲れた顔をしてるな」
「え!?そうですか?少し、暑いだけだと…」
わざとらしく自らの首元に触れると、さらりとした感触がしてどこか決まりが悪い。
彼は訝しげな表情で私に何か話しかけようとしていたが、後ろからチームメイトの呼ぶ声がして名残惜しそうに此処を離れた。
大丈夫。
私が不安に思っていると彼に迷惑をかけてしまうだろうし、何も、気にしないようにしないと。
それでも、心残りからちらりと夏未さんの姿を見やる。
選手の動きを確認しながらメモを取り、タイムを計
測し、時折キャプテンに次のメニューを伝え、転がってきたボールを素早く拾って返すとすぐに別の仕事へと移っていく。
そんな一連の動作が、既にもう身についているよう。
それはこのサッカー部に対して、熱を持って接していることを物語っていた。
…見ない間に随分と彼女は変わったみたい。
こんな1つの部活に肩入れするなんて、ましてやマネージャーにまでなっている。
そう考えて、ふと自分を省みた。
私が有人さんに出会って変わってきているように、彼女にも信条を動かすような出会いがあったのかもしれない。
しばらくしてタイムが取られ、部員たちが水分補給や休憩に戻る中、夏未さんがこちらに 歩み寄ってきた。
じっとこちらを見つめるその瞳には、一片の笑みもない。
「少し、いいかしら」
その声は硬く、周囲のざわめきとは隔絶していて脳内に冷たく響いた。
彼女は周りを見回し近くに誰もいないことを確認するとまた私に向き直る。
「大事な話よ。理事長室で話しましょう」
拒む理由も無く、ただ暖味に微笑んで領いた。
「ええ…」
彼女の背を追って雷門の校舎に入ると、暑さが無くなり、外の喧騒も嘘のように静まり返った。
昔に「学校を案内してあげる!」って手を引かれて校内を駆け回った記憶が呼び起こされる。
今はそんな手のひらがとても遠く感じた。
「入って」
大きな扉を開いた夏未さんはそう短く告げる。
部屋に入り、扉が閉まるのと同時に彼女は振り返って、その目にははっきりとした敵意が宿っていた。
「鬼道くんに近づいて、何を企んでるの?」
企み……確かに、最初は両親に言われた通り、取り入ろうとはしていたけれど、それは婚約を破談しないようにする為だけではないのか?
何かがあるのだとしても、事実、私はそれを知らない。
「…ごめんなさい…見に覚えがありませんわ」
「嘘」
首を傾げる私に対して彼女は鋭い言葉を私に向ける。
「影山という男、もちろん知っているわよね?」
影山。
その名を聞いた瞬間、ぴくりと体が強ばる。
有人さんはその男に対して酷く嫌悪感を持っていた。
けれど、それを私に問うことがどういう意味を持つのか分からない。
「たしか、帝国学園の元総帥のお方でしたね」
「……白々しいわね。そういうの辞めたらどうなの?」
「…どういうことですの?」
「少し調べているの。証拠不十分とはいえ、影山がどうしてあんなに早く釈放されたのか…って」
確かにあの鉄骨事件をはじめ、ほかの事件も目撃証言や状況証拠も揃っていたはず。
しばらく私が考え込んでいるのを見て夏未さんはそのまま話を続ける。
「裏から誰かが手を引いていると思うの。そう……」
彼女がこちらに歩み寄って来て、近づくにつれて自分の息が浅くなっていくのを感じる。
そして彼女は、何のためらいもなく人差し指を伸ばし、私の胸元を突き刺すように押した。
「姫野家、とかね」
そのまま軽く押し当てられているその指先は、まるで鼓動の速さを探るかのよう。
彼女の威圧感に押されるようにして一歩、後退りをする。
「姫野製薬は以前、帝国学園へ養護教諭として人材派遣を行っていたようね。それにこのタイミングで縁談なんて…本当は何か知っているんじゃないの?」
「…っ…知りません。私は、何も………」
「だったらどうして鬼道くんに近づくの?偶然だと言い張る訳?」
「違いますわ…」
「それならやっぱり探る為なのね?」
「違う…」
「何が違うの!?」
「全部、全部違いますわ!!!」
「……っ!」
堪え切れず、叫んでいた。
涙が滲んで視界が歪み、頬を伝ってぽたりと制服のリボンを濡らす。
「ええ、作られた邂逅だったかもしれませんわ…
けれど、有人さんのことをお慕いしていることに相違はありません!!
もし姫野の名を捨てて誓えと言うのなら、今すぐ、…っ!…ぅ……こほっ」
感情的に胸の内を吐き出したから途中で息が苦しくなる。
はぁ、はぁ、と肺が必死に空気を取り込もうとして息が自然と荒くなっていく。
「…っ、そんなこと」
その震えた声は夏未さんのものだった。
彼女の頬を涙が一筋通って、静かに落ちていく。
それは怒りでも憎しみでもなく、募っていた感情がどうしようもなく溶け出したもののように見えた。
「私だって…信じていたい。ずっと杞憂であれって思ってる」
夏未さんは唇を噛みしめ、嗚咽をこらえるように言葉を紡ぐ。
「あなたと出会って、妹が出来たみたいですごく嬉しかった。だから……信じたいの…けど……!」
彼女の言葉を聞いて考えるより先に体が動いた。
「夏未さん…っ」
涙でにじむ視界のまま彼女に駆け寄り、強く抱きしめる。
夏未さんは驚いたようで身体が小さく揺れた。
けれど、すぐに私の背に腕が回される。
「ごめんなさい、なまえ」
やっと昔のように名前を呼ばれて、全てが元通りになっていく感覚が明確にあった。
革の鞄を抱えて校門を出ると、鬼道家の黒いセダンが既に私を待っていた。
運転手は私の姿を認めると、後部座席のドアを開けた。
「雷門中へお願いします」
「はい、わかりました」
そわそわとする気持ちを抑えて、スカートの裾をぎゅっと握りしめる。
朝と同じ風景も、またどこか違って見えた。
流れゆくそのすべてが、これから起こる出来事の序章のように思えて、胸の高鳴りが抑えきれない。
車は見慣れない学校の駐車場で止まり、それに気づいて黒い日傘を手に取った。
外へ出ると活気ある生徒たちの声が耳に入ってきて、私の通う学校とはまるで違う光景に瑞々しい気持ちになる。
「姫野様、この辺りでお待ちしております」
「はい、お願いします」
日傘を片手に少し足早でサッカーグラウンドへ向かう。
「…ねえ、あの制服、春百合女子の子……?」
「雷門に何しに来たんだろう……」
「……素敵、やっぱりこんな可愛い女の子しか居ないのかな」
「ちょっとなにあれ、ひけらかしに来たの…?」
校舎の影から眺めていた時と違って、堂々と敷地を歩いているから、見慣れない制服を着た私はとても目立つのだろう。
すれ違う雷門の生徒達は、一長一短で様々な目を私に向けていて、その視線に少しまごつきながらも歩みを進めた。
しばらく歩くと、グラウンドに雷門サッカー部のユニフォームが見えてフィールドに近寄らないよう迂回をして階段をおりていく。
「あの!」
逆光で誰かはよくわからなかったけれど、近くにいたマネージャーらしき髪の長い女の子へ後ろから声をかけた。
その子はぴくりと肩を揺らし、ゆっくりとこちらを振り向く。
その端正な顔立ちを見た瞬間、お互いにあっ、と声が漏れる。
「あなたは…!?」
「あら、夏未さん、こんにちは」
彼女は私を見つめたまま驚いた顔で固まってしまった。
私はこの前の試合でサッカー部にいることを知っていたから、当然のように挨拶をするけれど、夏未さんは「どうしてここに」と言いたげな顔をしている。
…彼女は両親によって交友関係が限られていた中、唯一心を許せる相手であった。
そんな箱入りの私にたくさんのことを教えてくれた彼女とは、まるで姉妹のような関係だったのを覚えている。
中学に上がり、春百合へ入学してからはめっきり会わなくなってしまったから、急に現れた私に意表を突かれた様子だった。
ずっと待ちわびていた再会に思わず頬がほころぶ。
「雷門に居るとは聞いていましたけれど、サッカー部のマネージャーさんだったとは…嬉しいですわ」
夏未さんも再会を喜んでくれる…そう思っていたけれど、それを期待したのは私だけだったみたい。
彼女は私を見るなり目を細めて無表情で見つめ返した。
「まさか、鬼道くんのお相手が姫野の令嬢だなんてね」
その声に幼い頃に交わした温かい思い出は一片も感じられなかった。
「…どうしましたの?」
「……いいえ、なんでもないわ。見学をしに来たんでしょう?そこにあるベンチに座って見てていいわ」
そう言うと夏未さんはそれからこちらに見向きもせず、マネージャーの仕事へと戻っていってしまった。
私とのことを忘れてしまっているの…?
ううん、それなら私を見てあんな顔はしない。
それなら、会わない間に私たちの関係はもう終わってしまったの…?
…大いに有り得る。
なんだか、心臓を強く掴まれたような、そんな苦しい感覚に襲われた。
夏未さんが指さしたベンチに座って練習風景を眺める。
けれど、その風景は目に入っても頭には入ってこなかった。
どうして、彼女はあんなふうに言うの…
どうして、どうして…
握った日傘の柄に自然と力がこもる。
ぐるぐると考えが巡り、外の暑さと相まってふわ、と意識が遠のきそうになってしまう。
「なまえ」
低いけれど確かに耳に届く声がする。
はっと顔を上げると、そこにいたのは会いたかったはずの彼だった。
内心、嬉しいのにどこか感情が上手くついてこなくて喜びが喉まで込み上げてこない。
「有人さん…」
何を話すでもなく思わず名前を呼んでしまう。
「どうした、なんだか疲れた顔をしてるな」
「え!?そうですか?少し、暑いだけだと…」
わざとらしく自らの首元に触れると、さらりとした感触がしてどこか決まりが悪い。
彼は訝しげな表情で私に何か話しかけようとしていたが、後ろからチームメイトの呼ぶ声がして名残惜しそうに此処を離れた。
大丈夫。
私が不安に思っていると彼に迷惑をかけてしまうだろうし、何も、気にしないようにしないと。
それでも、心残りからちらりと夏未さんの姿を見やる。
選手の動きを確認しながらメモを取り、タイムを計
測し、時折キャプテンに次のメニューを伝え、転がってきたボールを素早く拾って返すとすぐに別の仕事へと移っていく。
そんな一連の動作が、既にもう身についているよう。
それはこのサッカー部に対して、熱を持って接していることを物語っていた。
…見ない間に随分と彼女は変わったみたい。
こんな1つの部活に肩入れするなんて、ましてやマネージャーにまでなっている。
そう考えて、ふと自分を省みた。
私が有人さんに出会って変わってきているように、彼女にも信条を動かすような出会いがあったのかもしれない。
しばらくしてタイムが取られ、部員たちが水分補給や休憩に戻る中、夏未さんがこちらに 歩み寄ってきた。
じっとこちらを見つめるその瞳には、一片の笑みもない。
「少し、いいかしら」
その声は硬く、周囲のざわめきとは隔絶していて脳内に冷たく響いた。
彼女は周りを見回し近くに誰もいないことを確認するとまた私に向き直る。
「大事な話よ。理事長室で話しましょう」
拒む理由も無く、ただ暖味に微笑んで領いた。
「ええ…」
彼女の背を追って雷門の校舎に入ると、暑さが無くなり、外の喧騒も嘘のように静まり返った。
昔に「学校を案内してあげる!」って手を引かれて校内を駆け回った記憶が呼び起こされる。
今はそんな手のひらがとても遠く感じた。
「入って」
大きな扉を開いた夏未さんはそう短く告げる。
部屋に入り、扉が閉まるのと同時に彼女は振り返って、その目にははっきりとした敵意が宿っていた。
「鬼道くんに近づいて、何を企んでるの?」
企み……確かに、最初は両親に言われた通り、取り入ろうとはしていたけれど、それは婚約を破談しないようにする為だけではないのか?
何かがあるのだとしても、事実、私はそれを知らない。
「…ごめんなさい…見に覚えがありませんわ」
「嘘」
首を傾げる私に対して彼女は鋭い言葉を私に向ける。
「影山という男、もちろん知っているわよね?」
影山。
その名を聞いた瞬間、ぴくりと体が強ばる。
有人さんはその男に対して酷く嫌悪感を持っていた。
けれど、それを私に問うことがどういう意味を持つのか分からない。
「たしか、帝国学園の元総帥のお方でしたね」
「……白々しいわね。そういうの辞めたらどうなの?」
「…どういうことですの?」
「少し調べているの。証拠不十分とはいえ、影山がどうしてあんなに早く釈放されたのか…って」
確かにあの鉄骨事件をはじめ、ほかの事件も目撃証言や状況証拠も揃っていたはず。
しばらく私が考え込んでいるのを見て夏未さんはそのまま話を続ける。
「裏から誰かが手を引いていると思うの。そう……」
彼女がこちらに歩み寄って来て、近づくにつれて自分の息が浅くなっていくのを感じる。
そして彼女は、何のためらいもなく人差し指を伸ばし、私の胸元を突き刺すように押した。
「姫野家、とかね」
そのまま軽く押し当てられているその指先は、まるで鼓動の速さを探るかのよう。
彼女の威圧感に押されるようにして一歩、後退りをする。
「姫野製薬は以前、帝国学園へ養護教諭として人材派遣を行っていたようね。それにこのタイミングで縁談なんて…本当は何か知っているんじゃないの?」
「…っ…知りません。私は、何も………」
「だったらどうして鬼道くんに近づくの?偶然だと言い張る訳?」
「違いますわ…」
「それならやっぱり探る為なのね?」
「違う…」
「何が違うの!?」
「全部、全部違いますわ!!!」
「……っ!」
堪え切れず、叫んでいた。
涙が滲んで視界が歪み、頬を伝ってぽたりと制服のリボンを濡らす。
「ええ、作られた邂逅だったかもしれませんわ…
けれど、有人さんのことをお慕いしていることに相違はありません!!
もし姫野の名を捨てて誓えと言うのなら、今すぐ、…っ!…ぅ……こほっ」
感情的に胸の内を吐き出したから途中で息が苦しくなる。
はぁ、はぁ、と肺が必死に空気を取り込もうとして息が自然と荒くなっていく。
「…っ、そんなこと」
その震えた声は夏未さんのものだった。
彼女の頬を涙が一筋通って、静かに落ちていく。
それは怒りでも憎しみでもなく、募っていた感情がどうしようもなく溶け出したもののように見えた。
「私だって…信じていたい。ずっと杞憂であれって思ってる」
夏未さんは唇を噛みしめ、嗚咽をこらえるように言葉を紡ぐ。
「あなたと出会って、妹が出来たみたいですごく嬉しかった。だから……信じたいの…けど……!」
彼女の言葉を聞いて考えるより先に体が動いた。
「夏未さん…っ」
涙でにじむ視界のまま彼女に駆け寄り、強く抱きしめる。
夏未さんは驚いたようで身体が小さく揺れた。
けれど、すぐに私の背に腕が回される。
「ごめんなさい、なまえ」
やっと昔のように名前を呼ばれて、全てが元通りになっていく感覚が明確にあった。