揺れる水面に星1つ
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細く長い男の指がするりと淡い桃色の髪を救い取る。どうやら無自覚であるらしい、くるくるとその爪の先で私の髪を巻か取りながら、目の前の青年――ソーンズは利き手で持ったペンを口元に寄せ、小さく喉を震わせた。ん……と、唇から吐息のような唸り声が零れる。どうにもレポートが難航しているらしい。
――其処で座って、じっとしていろ――
碌に休憩もとっていないのだろう。研究室から丸一日、出てこなかった彼の様子を見にやってきた私を見て、ソーンズは眩しそうに目を細めた。疲れたように目頭を抑えた彼に、疲れているなら食堂で甘くて暖かいものでも貰ってこようか、そう尋ねた私に疲れた顔で首を振って、彼は自分の隣の知らない誰かのデスクの椅子をペンの先で指し示す。
――仕事の邪魔なら出ていくべきだろうか……
そう思って踵を返そうとした私の身体は、ソーンズの示したオフィスチェアに吸い込まれるように腰を下ろした。素直に自分の隣に腰を落ち着けた私を見て、彼が満足そうにひとつ、頷いたのが凡そ……1時間前。適当な時間を見て、強制休憩装置としてエリジウムくんを呼びに行くつもりだったのだけれど、デスクの端に垂れた私の髪をソーンズが指先で弄び始めてしまったものだから、なんとなく動けないまま今に至る。
「ソーンズ」
「…………」
「ソーンズくーん」
「…………」
それなりの声量で彼の名前を数度、呼んでみる。私の好きな、リビアングラスによく似た黄金の瞳は此方をちらりとも見はしない。目の前の書類に集中している横顔は酷く、整っていて、ただ其処に居るだけなのに、私の事なんてちらりとも見てやしないのに、そんなソーンズの横顔を見ているだけの、私の心臓の柔らかいところがきゅう、と押さえつけられて苦しかった。
「……私の髪で遊ぶのは楽しい?」
「…………」
手持ち無沙汰に膝の上に置いていた腕をデスクに置いて、両の手のひらで頬を支える。故郷の海の、潮の匂いが彼の指の先からふわ、と香ったような気がした。貴方と生きたくて、故郷を出ようと腕を伸ばしたこの男の手を取った事が昨日のように思い出される。きみが、何を思って私を一緒に連れ出したかなんて、私にはもうずっと分からないし、これからも屹度、知らないままなのだろう。
「あのね、ソーンズ」
「…………」
「わたしはね、ソーンズと一緒にいられるならあの、すえた潮の匂いが満ちた国で一緒に朽ちたって構わなかったって……そう、思ってるよ」
どうせ、聞こえない言葉だ。そう思ってこの数年間、胸の内に秘めていた想いをほろりと吐き出す。ペンが紙の上を滑る音がいつの間にか再び聞こえ始めていた。さりさりと紙を擦るペンの音が心地よく、私の意識がふわりと溶けそうになる。隣でソーンズが頑張っているのに私だけが気持ちよく眠る訳にはいかない、唇から溢れそうになる欠伸を噛み殺して、頬の裏を軽く噛んで眠気と戦っていると、机に垂れていた髪がくん、と引っ張られた。驚いて、悪いこともしていないのに背筋が伸びる。視線を重力がかかった方に向けると横目で此方を伺う、金の瞳と視線が絡んだ。
「……俺もだ」
「ふぇ……?」
突然、同意を示されて欠伸を噛み殺していた唇から間抜けな声が漏れる。私の方を見つめていた視線は再び机の上に注がれ、ソーンズの少しだけ癖のある筆跡が書類の黒く埋めていく。何についての同意なのか、検討がつかずに首を傾げる私のことなんてさして気にもしていない、いつも通りの読めない表情を張りつけたまま、ソーンズは心地の良いトーンの声で喉震わせ言葉を続けた。
「俺もそうだ」
「俺も……って」
「アヤナ」
コン。書面を黒く埋めたらしい、ソーンズがペンを置いて此方に身体を向ける。彼の持っていたペンの、値段の張りそうな重い音が静かな研究室にやけに響いて聞こえた。
「お前と一緒に生きて死ぬ」
「それだけの為に俺はお前の手を引いた」
静かだ。ソーンズの静かな声が部屋と私の身体にじわりと響く。
「……うん」
「あの国で、潮の匂いを纏ったまま生きて死んだ方が幸せだったとしても」
――それでも、俺は、俺が
「……俺が、アヤナと一緒に生きていたかった」
浅黒く長い指に絡んだ私の髪に、ソーンズの薄い唇が柔らかく触れた。愛おしい、そう言われているような気がして胸のずっと奥がつん、と痛い。私もそうだときちんと言葉にしたかったのに、震える唇は何も言葉を紡ぐことが出来なくて、空いたソーンズの片手を握ってただ、こくこくと首を上下に振ることしか出来なかった。
「すき」
「……あぁ」
「だいすきなの、ずっと、好き」
「…………理解ってる、ちゃんと」
熱い液体が頬を流れる。馬鹿みたいに好きを繰り返す私の髪を私のそれよりもずっと大きな手のひらが酷く優しく触れて、撫でた。金の瞳が近くなって、少しだけ冷たい口唇が私の唇に軽い力で擦り付けられる。知ってる、理解ってる、触れた唇を離す度、言い聞かせるような言葉がいつもよりもずっと優しくて、それが酷く、幸せだった。
――其処で座って、じっとしていろ――
碌に休憩もとっていないのだろう。研究室から丸一日、出てこなかった彼の様子を見にやってきた私を見て、ソーンズは眩しそうに目を細めた。疲れたように目頭を抑えた彼に、疲れているなら食堂で甘くて暖かいものでも貰ってこようか、そう尋ねた私に疲れた顔で首を振って、彼は自分の隣の知らない誰かのデスクの椅子をペンの先で指し示す。
――仕事の邪魔なら出ていくべきだろうか……
そう思って踵を返そうとした私の身体は、ソーンズの示したオフィスチェアに吸い込まれるように腰を下ろした。素直に自分の隣に腰を落ち着けた私を見て、彼が満足そうにひとつ、頷いたのが凡そ……1時間前。適当な時間を見て、強制休憩装置としてエリジウムくんを呼びに行くつもりだったのだけれど、デスクの端に垂れた私の髪をソーンズが指先で弄び始めてしまったものだから、なんとなく動けないまま今に至る。
「ソーンズ」
「…………」
「ソーンズくーん」
「…………」
それなりの声量で彼の名前を数度、呼んでみる。私の好きな、リビアングラスによく似た黄金の瞳は此方をちらりとも見はしない。目の前の書類に集中している横顔は酷く、整っていて、ただ其処に居るだけなのに、私の事なんてちらりとも見てやしないのに、そんなソーンズの横顔を見ているだけの、私の心臓の柔らかいところがきゅう、と押さえつけられて苦しかった。
「……私の髪で遊ぶのは楽しい?」
「…………」
手持ち無沙汰に膝の上に置いていた腕をデスクに置いて、両の手のひらで頬を支える。故郷の海の、潮の匂いが彼の指の先からふわ、と香ったような気がした。貴方と生きたくて、故郷を出ようと腕を伸ばしたこの男の手を取った事が昨日のように思い出される。きみが、何を思って私を一緒に連れ出したかなんて、私にはもうずっと分からないし、これからも屹度、知らないままなのだろう。
「あのね、ソーンズ」
「…………」
「わたしはね、ソーンズと一緒にいられるならあの、すえた潮の匂いが満ちた国で一緒に朽ちたって構わなかったって……そう、思ってるよ」
どうせ、聞こえない言葉だ。そう思ってこの数年間、胸の内に秘めていた想いをほろりと吐き出す。ペンが紙の上を滑る音がいつの間にか再び聞こえ始めていた。さりさりと紙を擦るペンの音が心地よく、私の意識がふわりと溶けそうになる。隣でソーンズが頑張っているのに私だけが気持ちよく眠る訳にはいかない、唇から溢れそうになる欠伸を噛み殺して、頬の裏を軽く噛んで眠気と戦っていると、机に垂れていた髪がくん、と引っ張られた。驚いて、悪いこともしていないのに背筋が伸びる。視線を重力がかかった方に向けると横目で此方を伺う、金の瞳と視線が絡んだ。
「……俺もだ」
「ふぇ……?」
突然、同意を示されて欠伸を噛み殺していた唇から間抜けな声が漏れる。私の方を見つめていた視線は再び机の上に注がれ、ソーンズの少しだけ癖のある筆跡が書類の黒く埋めていく。何についての同意なのか、検討がつかずに首を傾げる私のことなんてさして気にもしていない、いつも通りの読めない表情を張りつけたまま、ソーンズは心地の良いトーンの声で喉震わせ言葉を続けた。
「俺もそうだ」
「俺も……って」
「アヤナ」
コン。書面を黒く埋めたらしい、ソーンズがペンを置いて此方に身体を向ける。彼の持っていたペンの、値段の張りそうな重い音が静かな研究室にやけに響いて聞こえた。
「お前と一緒に生きて死ぬ」
「それだけの為に俺はお前の手を引いた」
静かだ。ソーンズの静かな声が部屋と私の身体にじわりと響く。
「……うん」
「あの国で、潮の匂いを纏ったまま生きて死んだ方が幸せだったとしても」
――それでも、俺は、俺が
「……俺が、アヤナと一緒に生きていたかった」
浅黒く長い指に絡んだ私の髪に、ソーンズの薄い唇が柔らかく触れた。愛おしい、そう言われているような気がして胸のずっと奥がつん、と痛い。私もそうだときちんと言葉にしたかったのに、震える唇は何も言葉を紡ぐことが出来なくて、空いたソーンズの片手を握ってただ、こくこくと首を上下に振ることしか出来なかった。
「すき」
「……あぁ」
「だいすきなの、ずっと、好き」
「…………理解ってる、ちゃんと」
熱い液体が頬を流れる。馬鹿みたいに好きを繰り返す私の髪を私のそれよりもずっと大きな手のひらが酷く優しく触れて、撫でた。金の瞳が近くなって、少しだけ冷たい口唇が私の唇に軽い力で擦り付けられる。知ってる、理解ってる、触れた唇を離す度、言い聞かせるような言葉がいつもよりもずっと優しくて、それが酷く、幸せだった。
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