大きなあなたと
あなたの名前は?
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漫画を机に戻して、キッチンで昼食の準備をする権兵衛さんに目を向ける。
キッチンに行く前までは可笑しいくらいに動揺していたようだが、だんだんと落ち着いてきたのがわかる。
本人はきっと気付いていないと思うが、鼻歌を歌っている。
権兵衛さんが料理をしている様子をリビングから眺める。
残りの時間をどんな風に過ごすべきかと考えていたが、きっとこのままでいいのかもしれない。
何か特別なことをしなくても、権兵衛さんと過ごす普通の日常が僕にとっては特別なものだ。
しばらくすると権兵衛さんが冷蔵庫からあれを出した。
そう、ケチャップだ。
それと同時に僕はソファから立ち上がり、権兵衛さんの元へ向かう。
漫画を見つける前にキッチンを覗いた時に、用意されている材料で今日の昼食のメニューがオムライスであることは分かっていた。
前のお弁当作りでの赤いウインナーのこともあり、何の対策もしなければケチャップをオムライスにかけるつもりだろう。
僕としてはそれだけは阻止したい。
しかし、頭ごなしに拒否したら、ウインナーの時の二の舞になるような気もする。
権兵衛さんは、変なところで頑固な部分がある。
ケチャップの代わりになるものがあれば、権兵衛さんも納得するはずだ。
そんなことを考え、あらかじめ簡単に作れるデミグラスソースを用意しておいた。
まぁ、正確にはデミグラスソースっぽいソースだが。
権兵衛さんの側まで行くが、権兵衛さんは何かを考えているようで僕には気付いていない。
そんな権兵衛さんの手からひょいっとケチャップを抜き取る。
「!?」
ケチャップを取られた権兵衛さんは驚いたように振り返った。
大きな目をさらに大きく開いて、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。
何故ケチャップを持っていかれたのかわからない、と顔に書いてある。
僕とケチャップを交互に見ている権兵衛さんに、にっこりと笑みを作り声をかける。
「仕上げは僕がしてもいいですか?」
少しわざとらしいとは思ったが、首を傾げながら権兵衛さんにお伺いを立てる。
大人の男が首を傾げた所で可愛くもなんともないが、権兵衛さんには効果があるのは今までの経験上わかっている。
権兵衛さんの反応としては、目をキラキラさせて、少し…いや、だいぶ興奮した様子で母親モードのスイッチが入る。
理由を直接聞いたことはないが、多分、子どもだの弟だのに好意的で可愛く見えるのだろう。
……本来の僕だったら、まずやらないだろうな。
しかし、僕が思ったものとは違う反応が返ってきた。
ぽかんとしたまま僕を見つめていた権兵衛さんは、途中で何かに気付いたようにキリっとした顔をして一度深く頷いた。
顔をあげると、親指を立てて、ぱちんとウインクしてきた。
なんっ……可愛すぎるだろ…!
思いもしなかった反応に膝から崩れ落ちそうになるのを脳内だけに留め、表情は不自然にならないようにポーカーフェイスを駆使する。
権兵衛さんは何か満足気ににこにことした顔で僕を見ていた。
そんな権兵衛さんの視線を受けながら、ケチャップを冷蔵庫へ戻した。
なんであんな可愛いことしてきたかわからないが、僕がケチャップをしまうと同時に権兵衛さんは首を傾げ、困惑していた。
「え、ケチャップは?」
頭の中で思ったことが口に出ている権兵衛さんを見て、ふっと思うことがある。
今の権兵衛さんの反応は、素の状態なのではないだろうか?
母親や姉のように振舞うことが多い権兵衛さんだが、先ほどのウインクや質問は素の状態のような気がする。
僕が最初に子どもの姿で出会ってしまったがために、大人の姿になった今でも権兵衛さんは子どもに接するような振る舞いが抜けなかった。
しかし、今の僕と一緒に過ごすことに慣れてきたことで本来の姿が出てきたのだろう。
さっきまで友人と電話をしていたことや僕に見られたくないものを見られ動揺したことも一因かもしれない。
そんな姿を見せられると、もっといろいろ見たくなってしまうな。
首を傾げたままの権兵衛さんの目の前で電子レンジから先ほど作っておいたソースを取り出す。
僕が声をかける前に権兵衛さんがソースの入った入れ物を覗き込むために、僕の側に寄ってきた。
クンクンっと匂いを嗅いで、ぱっと顔をあげるとキラキラした瞳で僕を見て、嬉しそうに声をあげた。
「デミグラスソース!」
「正解です、よくわかりましたね」
「お店みたい…!」
「そんな本格的なものじゃないですけどね」
ソースに興味津々な権兵衛さんは、見るからにわくわくした様子で僕がオムライスにソースをかけるところを見つめていた。
そんな権兵衛さんに内心ドギマギしていた。
ソースに気を取られている権兵衛さんは無意識だと思うが、僕の左腕にぴったりと引っ付いている。
より近くで見るためだとは思うが、ちょっと……距離が近い…。
「おおー…」
「……はい、できました」
「すごーい!」
ぱちぱちと小さく拍手をした権兵衛さんは、ソースのかかったオムライスを両手で自分の目線まで持ち上げた。
本当に嬉しいようで、オムライスを見つめる瞳がわかりやすいほど輝いている。
あまりにも熱い視線をオムライスに向けているものだから、なんだか可愛すぎて、笑いが込み上げてきた。
「……ふはっ……!」
慌てて口を押えるが、脳内で先ほどの権兵衛さんの様子を思い出してしまい、なかなか笑いが治まらない。
権兵衛さんも僕の声に反応して、こっちを凝視してきた。
流石に今のは僕が悪かったと思い、謝ろうと権兵衛さんの顔を見ると……眉を下げ、頬を赤く染め、恥ずかしそうにしていた。
文句の一つでも飛んでくるかと思ったが…ぱたぱたとそのままキッチンから出て行ってしまった。
「…………っ」
思わず壁に手をついて、体を支える。
今のは……なんだ。
権兵衛さんは、これまで普通の人だったら照れるような場面で照れなかったり、照れたとしてもちょっと興奮まじりだったりすることが多かった。
だから今回も、照れたとして堂々としているものだと思っていたのだが…違った。
普通に恥ずかしがった、あの権兵衛さんが。
しかも、恥ずかしそうにしてる顔がすごく可愛いんだが。
心臓がうるさいくらいに音を立てている。
抱きしめたりキスしたりする時に、あんな顔されたら我慢できそうにないな……なんてことを考えて、ハッとして頭を振る。
新しい彼女の一面を知れたことが嬉しくもあるが、同時に苦しくもある。
僕が元の世界に戻ったら、あの顔を別の誰かに見せるのだろうか。
世界が違う、手に入れられないと思えば思うほど、手放したくなくなってしまう。
堂々巡りの思考にため息が零れる。
こればっかりは自分が努力をしたところでどうにもならない。
僕にできることは、一つ残らず覚えておくことだけだ。
自嘲気味の笑いが漏れたが、いつまでもこうしている訳にもいかない。
先ほどまでパタパタと動き回っていた権兵衛さんの足音も今はしていないことから、全部運び終えてしまったのだろう。
なんでもない顔を作り、リビングへと足を運ぶ。
権兵衛さんはすでに自分の場所に座っており、こちらを半眼になって見つめていた。
先ほどまで赤くなっていた頬はすっかりと落ち着いたようで、少し残念な気持ちになってしまった。
僕が定位置に座ると、二人で手を合わせて食前の挨拶をする。
オムライスを口に運ぶ権兵衛さんは実に幸せそうな顔をしている。
「んー………おいひい……」
思わず零れた感想も、本当に美味しいと感じているのがわかるくらい気持ちが入っている。
口の大きさの違いもあり、僕が食べ終わっても権兵衛さんはまだ口をもごもごさせている。
思わずじっと権兵衛さんの食べている様子を眺める。
元の世界へ戻っても、食事の度に美味しそうに食べる権兵衛さんの顔を思い出しそうだな、なんてことを思う。
そんなことを考えていたら、流石に視線に耐えられなくなったのか、権兵衛さんが困った顔をした。
「何か変?」
「はい?」
「だから……穴が開きそうなほど見てくるから何か変なところあったかなって」
「ああ……相変わらず美味しそうに食べるな、と思っただけですよ」
「そりゃ、れい君に作ったデミグラスソース、美味しいもん」
「はは、それはありがとうございます」
残りのオムライスを食べ始めた権兵衛さんを再び見つめる。
その姿を目に焼き付けながら。
これ以上は、望まない。
望んではいけないんだ。
望んだところで、手には入らないのだから。
ちくりと胸を刺す痛みには気付かないフリをした。