大きなあなたと
あなたの名前は?
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朝食の準備が済み、あとは盛り付けをしてテーブルに運ぶだけとなった。
それと同時に権兵衛さんが部屋から顔を覗かせ、こちらに向かってきた。
戸棚からお盆を取り出す権兵衛さんの横顔にちらりと目を向ける。
いたって、通常通りというか…何かやる気が満ちているように見えるのは気のせいだろうか。
寝室でのキス未遂に関して、彼女がどう思っているのかわからない。
通常通りなところをみれば、なんとも思っていないのかもしれないと思うが……それはそれで面白くない。
そんなことを考えているとお盆を用意した権兵衛さんが隣に立ち、声をかけてきた。
「れい君、ありがとう。運ぶね」
「ありがとうございます、お味噌汁、熱いから気を付けてくださいね」
「はーい」
味噌汁を権兵衛さんが持っているお盆に乗せると、権兵衛さんはそれをテーブルへ運んでいった。
その後姿を見ながら、ある程度、洗い物を済ませる。
おにぎり用の海苔を渡すのを忘れていたことを思い出し、それを持ち、テーブルへと向かうと、何故かおにぎりをじっと真剣に見つめる権兵衛さんが目に入る。
そんなにおにぎりを見つめてどうしたんだろうか。
相変わらず、権兵衛さんの行動はわからないことが多い。
「どうかしましたか、権兵衛さん」
「……いや、なんでもないよ」
「ならいいんですが……ああ、それとこれも」
「ん?海苔?」
「おにぎりに」
海苔を受け取ると権兵衛さんの表情は一気に明るく柔らかいものになった。
本当に、表情の豊かな人だと思う。
お互い定位置に落ち着くと、手を合わせて挨拶をした。
味噌汁のお椀をそっと持ち、唇を尖らせながら息を吹きかけている。
一口飲んだ後に、ゆるゆると口元と目元が緩み、幸せそうな顔をする。
僕が作ったものでそんな顔をしてくれる権兵衛さんから目が離せなくなる。
ああ、本当に…どうかしてる。
すでに目の前の食事に意識が向いている権兵衛さんは、僕が見ていることに気付いていない。
「……………ふっ」
「…ん?何か言った?」
「いえ、なんでもありませんよ」
思わず笑うと、流石にそれには気付いたようで不思議そうに僕を見てきた。
しかし、お腹が空いているのか、食べる口と手は止まらなかった。
昨日は片手に一つずつおにぎりを持っていたが、今は一つのおにぎりを両手で持っている。
やっぱりあれは酔っぱらってたんだな…。
ただやはり一口は自分のものと比べれば小さく、可愛らしい。
小動物の食事シーンと似ている気がする。
そんなことを思いながら見ていると、流石に見過ぎたようで権兵衛さんが僕を見てきた。
しばらくすると、何かに気付いたようで口周りを手で触り始めた。
一瞬、なんだろうと思ったが、すぐに理由が分かった。
「すみません、視線気になりましたか?」
「米粒ついてたわけじゃなさそうだけど」
「ええ、権兵衛さんの一口が小さいな、って思っただけですよ」
「………そう?」
権兵衛さんは僕が見ていたのは米粒が口元についているからだと思ったようだ。
隠すようなことではなかったため、正直に見ていた理由を答えた。
特に疑問を持ったわけでもなかったようで、権兵衛さんは視線の理由に関しては興味をなくしたようだった。
ただ、その後の権兵衛さんの行動に再び僕は彼女を見つめることになった。
おにぎりをぺろりと食べ終わった権兵衛さんが、自分の指を舐めた。
指を軽く吸うように舐めているため、軽いリップ音が聞こえる。
きっと海苔を巻いていなかったために手についた塩を舐めとったのだと思うが…ちょっと、扇情的過ぎやしないだろうか。
昨日の夜、僕がキスを落とした指を彼女が舐めているのだ。
小さな指も柔らかかったが、彼女の唇もきっと柔らかいのだろう。
思わずごくりと喉がなる。
ああ、本当に…権兵衛さんは僕の理性をぐらつかせるのが上手い。
ただ、それは顔に出さないように努める。
彼女にしてみれば、そんなつもりは全くないのだから。
無意識ほど質の悪いものはないが。
すると権兵衛さんが、唐突に話し始めた。
「そういえば、昨日、れい君は酔ってた?」
「酔ってはないですけど…」
「私は酔ってたけどさ、質問の答え、もらってなかったなって思って」
「………というと」
「れい君は、降谷零なのかっていう質問」
邪念を消すにはちょうどいい話題だった。
昨日、話が出た時点でいつかは切り出されるのではないかと思っていた。
さて、どうするべきか。
何処までを権兵衛さんに伝えるべきか。
まずは権兵衛さんがどこまで覚えているかを把握しておく必要がある。
「ちなみに……権兵衛さんは昨日のこと、どこまで覚えてます?」
「えーっと最後まで」
「最後、とは?」
「んっと……クッション抱えて床を転がったところまで全部」
「……ほぼ全部ですね…」
「うん」
思わずため息がこぼれる。
覚えていなかったらキスの件もなかったことにできそうだったが、どうやらそう上手くはいかないらしい。
淡々と事実を述べる権兵衛さんは、昨日の出来事に関して特別な感情を持っているわけではなさそうだった。
あんなに破廉恥だの言っていたのに、今日は酷く冷静なことに違和感を覚える。
その違和感の正体はまだ掴めていないが、何も言わない僕に少し戸惑った権兵衛さんが言葉を続けた。
「えっと、本物でもそうじゃなくても別に、れい君はれい君だからどっちでもいいし…私の態度が変わることはないと思うのよね。
あー…まぁ、言いたくないのなら、別に言わなくてもいいし……ただ、少し確かめたいことがあって…」
「確かめたいこと…僕が降谷零か否か以外にですか?」
「まぁ、そうね……むしろ、こっちの方が大事かも…」
「……何を確かめたいんです?」
権兵衛さんの話を聞いて、少し考える。
僕が降谷零か否かという点よりも確かめなければならないこととは…何かあっただろうか。
普段からよくわからない言動をする権兵衛さんではあるが、これに関しても今の段階では何を言いたいのかわからない。
じっと権兵衛さんを見ていると、何かを決意したように背筋を正した。
「ズバリ……私たちの常識は同じなのかということです」
「どういう…」
「れい君が降谷零だったとしたら、この世界とそっちの世界の常識ってあまり変わらないと思うのよね。
日常生活をしていく中で、れい君がそういうところで戸惑う姿もなかったし…対して変わらないと思うんだけど…」
「けど?」
権兵衛さんの話を聞いて、何故そんな風に思ったのかと一瞬思ってしまったが…権兵衛さんにしたらそう思えても仕方がなかっただろう。
僕は実際にこの世界のことを見聞きすることができ、自分のいた世界との比較をすることが出来たし、そもそもあまり変わりがなかったため、生活に困るようなことはなかった。
しかし、権兵衛さんには僕のいた世界の情報が全くと言っていいほどない。
食べ物や身の回りの物に関してはあまり違いがないことを話したことがあったが……価値観という部分の話はしたことがなかった。
もちろん、僕としてはこの世界と大差ないため、あえて説明する必要もなかったわけだが……権兵衛さんにしてみれば、僕は未知の世界からきた人間だ。
…そういえば、職業は忍者かって聞かれたこともあったな…。
降谷零だと伝えていれば、そうではなかったかもしれないが……しかし、今になってどうしてそれを気にし始めたのか。
権兵衛さんのことだからすぐに気付きそうな気も…。
「酔ってないのにやたらキスしたり抱きしめたり、同じベッドで一晩あかしたり……まぁ、大抵の場合は相手のことが好きだからすることなんじゃないかなーって思うんだけど」
「…………………」
「でも、れい君が別の世界の人で、貞操観念についてはこの世界とは違う価値観だったとしたら…なんか…破廉恥とか言って申し訳なかったな…って思って」
なるほど、昨日の僕が原因か。
さっきは淡々と話していた権兵衛さんも、昨日のことを思い出したのか少し照れたように話している。
参ったな……なんて答えるのが正解だろうか。
そんなことを思いながらも実際はどうこたえるかは決まっていた。
正直なところ、適当なことを言って誤魔化すこともできたのだが…こうなった以上は…。
あとどのくらい一緒に居られるのかわからない。
だからこそ、君の特別になりたい。
「……権兵衛さんのいうところと相違はないですよ…」
「……ということは……!」
ぽつりと呟けば、権兵衛さんは自分の口を両手で押さえていた。
大きな目をぱちぱちさせて、先ほどより頬が紅潮しているのをみると、抱きしめたい衝動に駆られ、思わず目を逸らした。
まだ肝心なことは何も言ってないのにいきなり抱きしめるのはダメだろ。
きっと目敏い権兵衛さんのことだから僕が何を言わんとしているのか分かったのだろう。
こんな告白になるとは思わなかったが…言うなら今しかない。
あなたのことが好きだ、と。
意を決して権兵衛さんを見つめる。
権兵衛さんも僕を見つめ返してくれる。
「……権兵衛さん…実は僕…あ「れい君はやっぱりプレイボーイだったってことね!?」…………は?」
僕の言葉を途中で遮った権兵衛さんは、身を乗り出しながらテーブルに両手を叩きつけていた。
見てわかるほど興奮状態である。
あまりの迫力に思わず仰け反ったのは仕方ないと思う。
ちょっと待て。
さっき、頬紅潮させてたのは、僕が自分のことを好きかもしれないって思ってたからじゃないのか?
さっきの貞操観念についての話からしたら、好きな相手だからキスしたいし抱きしめたいってことじゃなかったのか?
再び浮上したプレイボーイ説に頭を抱えたくなった。
ジトッと権兵衛さんをみれば、実にすっきりした顔で味噌汁を飲み干していた。
まさかとは思うが、これで話し終わらせる気じゃないだろうな?
嫌な汗が背中を流れた所で、僕の勘が正しかったようで権兵衛さんが食器を片付け始めた。
慌てて権兵衛さんの手を捕まえる。
権兵衛さんは掴まれた手を見て、きょとんとした顔をしている。
「権兵衛さん!ちょっと待ってください、僕がなんでプレイボーイなんですか…!」
「え、だってあんなナチュラルにキスしたりハグしたりしてたのに?」
「………誰でもいいわけじゃないですよ…」
「……それって………」
権兵衛さんだから、そうしたい。
下手だと思われるよりは良い気もするが、遊んでると思われるのは心外だ。
流石にここまで言ったら、意味をちゃんと理解するだろう。
しかし、権兵衛さんの口から出たのは、少し方向性が違う内容だった。
「つまり……酔っぱらった私は、思わず手を出したくなっちゃうほどかわいかったってことね…!」
「え?」
「OK、分かった。
今度からはお酒の席では、男に気を付けるようにするね~」
「…………そういうことじゃ……」
「え、じゃあ、気を付けなくていい?」
「いえ、気を付けてください」
「はーい」
酔っぱらった権兵衛さんが可愛かったのは認める。
実際に手を出したのだから、異論はない。
酒の席で気を付けてほしいのも確かだが………。
釈然としない気持ちのまま残っていた朝食を食べ、お皿を権兵衛さんのいるキッチンへと運ぶ。
権兵衛さんはお皿を受け取るとそのまま洗い物をし始めた。
特に変わった様子はない……と思ったが、ぶつぶつと何か呟いている。
口の動きと僅かに聞こえる声から考えると「心を……無に……私は…母……」と繰り返し呟いている。
はたから見たら非常に怪しい光景だし、心配になる感じではあるが…こんな風にしなければ落ち着いていられない、ということの表れともとれる。
最初からなんとも思っていなければ、きっと自分の中で疑問に思っていたことが解決し、鼻歌でも歌って…いや、もしかしたら踊ってたかもしれない。
しかし、そうではないとしたら。
そこまで考えた所でスマホから着信音が流れた。
この世界に来てから権兵衛さん以外に僕に連絡をする人はいないが、権兵衛さんは今、洗い物をしている。
では誰から?
ハッとしてスマホを手に取ると、いつの間にか表示されている日付と時間が変わっていた。
僕が再びこの世界に来ることになる前の日付に変わっている。
もし、依然と同じようにこの日のやり取りが再現されるとしたら。
ちらりと黙々と皿洗いをする権兵衛さんを確認し、外へ出るためにジャージを手に脱衣場へ行く。
着替え終わり、権兵衛さんに外へ出ることを伝えると、パタパタと玄関先まで一緒に来てくれた。
「いってらっしゃい」と笑顔で送り出してくれた権兵衛さんに、同じように笑顔を返す。
扉が閉まると同時に、スマホが再び鳴り、僕が何もしなくても勝手にスマホが操作され、電話相手に繋がった。
自然と気持ちが引き締まった。