大きなあなたと
あなたの名前は?
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権兵衛さんからのリクエストに応えるために、ピアノの鍵盤を触りながら考える。
いくつか和音を弾きながら、どう弾こうかと思いながら、隣に座る権兵衛さんをちらりと見る。
まだ曲を弾いているわけではないのに、熱心にこちらを見ている。
正確には僕の指を見ているようだが。
先程までは僕がそうしていたのに、あまりに熱心な視線に思わず苦笑してしまった。
「権兵衛さん、そんなに見つめられると照れますね」
「いや、焼き付けておこうかと思って」
「ははっ、それじゃあ、しっかり見ててくださいね」
「ん?もう弾けるってこと?」
「ええ、まぁ、権兵衛さんほどはではありませんが」
期待の眼差しに、出来る限りのことはしてみようか、と思いながら、一つ深呼吸をする。
少しだけ、柄にもなく緊張している。
ピアノを弾くことにではなく、今から弾こうとしている曲を聞いて、権兵衛さんが何を思うのか、というところにだ。
僕がギターで最初に覚えた曲。
弾いている間は権兵衛さんは無言だった。
旋律に簡単な和音の伴奏をつけただけだったが、それなりにはなっていただろう。
それと同時に、やはりヒロの事を思い出してしまう。
今は亡き、友人たちを……もう、彼らの事を話せる相手はいなくなってしまった。
僕の記憶の中だけになってしまったな…。
自分でこの曲を選んで感傷に浸るなんて何をしているだか、と思っていたら、権兵衛さんから声がかかった。
「れい君、今の前奏はなしで、あと3回繰り返して」
「権兵衛さん?」
思ってもいない言葉に、権兵衛さんの名前を呼べば、彼女はふわりと優しく笑った。
「知ってる曲だったから、私、歌う。
セッションしよう」
「わかりました」
やはり知っている曲だったようで、権兵衛さんは歌うと言い出した。
しかし、その知っているというのは、歌自体の事を指しているのか、それとも僕がこれを弾く理由を知っているのか、どちらなのかはわからなかった。
権兵衛さんのリクエスト通りにすると、彼女の優しい歌声が聞こえてくる。
優しい歌声なのに、何処か切なさを感じさせるのは、僕の考え過ぎなのだろうか。
ヒロたちのことを思い出してしまったからなのだろうか。
曲が終わると、余韻に浸っているのか、権兵衛さんは何も言わなかった。
「……調べものをしていた時に、同じ曲があることを知ったので…きっと権兵衛さんも知っているだろうと思いましたよ」
「……うん。
そして、れい君、ピアノ上手」
「ありがとうございます」
いつまでこんなことを繰り返すのだろう。
いい加減に、本当の事を話してしまった方がいいのではないかと思う。
揺れ動く己の心に、不甲斐なさすら感じる。
僕は権兵衛さんにどう思われたいんだろうか。
情けない姿は見せたくないと思いつつも、自分の弱い部分もすべて曝け出してしまいたい気持ちにもなる。
こんなに心がぐらついているなんて、自分らしくない。
理由はわかっている。
自分で思っている以上に、受け止め切れていないのだろう。
ぐっと唇を噛み締めそうになったが、不意に頭に触れる温もりに力が抜ける。
頭には権兵衛さんの手が乗り、撫でている。
権兵衛さんは少し困ったような顔をしていた。
突然、頭を撫でられたことで僕の頭の中は疑問符が浮かぶ。
権兵衛さんを見ていると、権兵衛さん自身も無意識だったのか、ハッとしたように手を止めた。
「えっと……よしよし?」
「いえ、それは言わなくても分かりますけど……何故?」
視線を彷徨わせながら、権兵衛さんは小さな声で呟いた。
「……えっと、れい君、ホームシックなのかなって」
「………曲がふるさとだったからですか?」
「……ハイ。
ここでは私の事を母だと思って…」
相変わらず、権兵衛さんは僕を子どもにしたいらしい。
権兵衛さんの言葉を聞いたら、思わず笑ってしまった。
僕にこんな風に接するのは、権兵衛さんしかいない。
「……ふはっ!」
「え、れい君?」
「くっ……ははっ、すみません。
権兵衛さんは権兵衛さんだな、と思って」
「……どういう意味でしょうね?」
笑いだした僕を見ながら権兵衛さんは少し眉間に皺をよせ、難しそうな顔をしている。
何故、僕が笑うのか理解できないと言った様子だ。
子ども扱いというと聞こえが悪いかもしれないが、権兵衛さんはきっとただ単に慰めたいのだろう。
ただ、権兵衛さんにそう思われてしまうような自分の態度にも呆れを通り越して笑ってしまう。
それと同時に、権兵衛さんの言動にも矛盾を感じる。
僕が子どもの姿だったら、きっとここは抱きしめていただろう。
まぁ、抱きしめられたら抱きしめられたで小言の一つでも言ってしまったかもしれないが。
涙まで流して笑う僕に、権兵衛さんはポカンとしている。
「はぁ…すみません。
でも、権兵衛さん、ちょっと間違ってますよ」
「え?何が?」
「頭を撫でられるのもいいかもしれませんが…僕が親だったら別の方法にしますよ」
「別の方法?」
「こんな風に」
権兵衛さんがきょとんとしながら、首を傾げるのを見て、ちょっとした欲が首をもたげた。
警戒心なんてものは皆無の権兵衛さんの手を軽く引っ張ると「おわっ」という悲鳴と共に簡単に僕の胸に飛び込んできた。
権兵衛さんの腰に手をまわし身体を固定し、後頭部にも手をまわし引き寄せる。
ちょっとした悪戯のつもりだったが、僕が思っていた反応は返ってこなかった。
良い夢を見られるおまじないの時のように、慌てふためくのではないかと思ったが……権兵衛さんはされるがままだった。
突然のことに驚いているのだろうか?
そう思い、しばらく様子を見ていたが、暴れることもないし、文句の一つも飛んでこなかった。
すぐに離れてしまうだろうと思っていたが、抵抗されないために思った以上に権兵衛さんを感じる羽目になった。
軽く腕をまわしているだけだが、自分とは違う髪の手触りだったり、腰の細さと柔らかさ、それに同じシャンプーやソープを使っているのに香りも違う。
もっと触れたい、彼女に近づきたいと思ってしまった自分に、これ以上はまずいと理性が叫ぶ。
名残惜しく思いながら、手を緩めると、権兵衛さんが顔をあげ、僕をまっすぐ見つめてきた。
その視線は酷くまっすぐで純粋に見えて、自分の欲を知られたくなくてつい視線を逸らしてしまった。
「……なんて、ね?
まぁ、人それぞれだと思いますけど」
今考えてしまった欲を知られないように、人当たりの良い安室の面を被って笑う。
権兵衛さんはそんな僕を見て何か考えるように少し視線を下げたため、彼女の気を逸らすように時計に視線を向け言葉を紡ぐ。
「さて、そろそろ昼食の準備でもしましょうか……権兵衛さん?」
時計から視線を権兵衛さんへ戻すと、少し場所を移動し、何故か僕の正面に回り込む権兵衛さん。
僕は座ったままの為、少しだけ視線を上にあげることになる。
権兵衛さんは、ゆるゆると微笑んだ。
甘く蕩けるような視線に思わず、彼女を見つめてしまった。
気付いた時には権兵衛さんに抱きしめられていた。
先程とは立場が逆だ。
僕が子どもの姿だったらこれくらいしっかり抱きしめていただろうな、と思うくらいしっかりと抱きしめられている。
言葉はないが、ぎゅっと抱きしめる腕の強さが「大丈夫」と言ってくれているような感覚になる。
自分より小さな彼女の包容力の高さに思わず感心してしまったが、ふっと我に返るといろいろと意識してしまう。
例えば、抱きしめる彼女の体温だとか、匂いとか、柔らかさとか……。
そんなことを考えたら、これ以上、体を動かすことが出来なくなった。
下手に動いたら、ちょっと…なんかしでかしそう…。
………余裕なさすぎやしないか?
抱きしめられているだけなのに、こんなに動揺させられることになるとは思わなかった。
いや、普段だったら他の女性だったらこんなに動揺しない。
やっぱり、彼女だから、権兵衛さんだからなのだろう。
そんなことを思っていたら、権兵衛さんの優しい声が降ってきた。
「ふふ……れい君もぎゅーってしていいよー?」
…なん………なんだその可愛いの…!
僕がどれだけ頭の中で葛藤しているのか知らない権兵衛さんは、のんびりとした口調で言う。
ただ、そんな誘いを受けたからには、断るなんてことは出来ず。
そっと権兵衛さんの腰に腕をまわすと、さらに距離が近付き、彼女の心音が聞こえる。
……ああ、生きてるんだな。
当たり前のことだが、それに酷く安心した。
権兵衛さんは僕を甘やかすのが上手いらしい。
背中を優しく撫でられると、先程までの欲はなりを潜めていた。
数年しか違わないが、余裕な様子の権兵衛さんはやはり年上なんだな、と改めて思う。
それと同時に、何となく照れ臭さと悔しさを感じる。
「……僕は子どもじゃない…」
「知ってますよ」
「………こういうことは」
「うん、他の人にはしないから」
「……いや、そうじゃなくて…」
「れい君……もしかして照れてるの?」
「…照れてない」
「あはは、れい君、可愛いー」
照れ臭さを隠すために出た言葉はまるで子どもが拗ねるような言い方になってしまい、逆に揶揄われてしまった。
どう考えても自分の行動が幼稚過ぎるとは思うが、余裕過ぎる権兵衛さんに少しだけ拗ねてしまう。
思わず腕に力が入ってしまうと、権兵衛さんから「ぐえっ」と可愛くない悲鳴が聞こえた。
その声は無視して抱きしめていると、抗議の声があがった。
「れい君、苦しいー…」
「……離さない、と言ったら?」
「どっちでもいいよ。
れい君の気が済むまで。
なんなら、れい君がしたい時にはいつだって」
「………」
権兵衛さんは、本当に僕がホームシックだと思っているんだろうか。
僕がどれだけ触れたいと思っているのか、きっと知らない。
甘やかすのもほどほどにしないと勘違いするぞ、と言う言葉をのみこむ。
顔をあげれば、だいぶ近い距離に権兵衛さんの顔がある。
相変わらず優しく微笑んでいる。
「……さっきの言葉、本気か」
「ん?」
「僕がしたい時はいつだって、ってヤツ」
権兵衛さんは一瞬、大きな目を瞬かせたが、すぐにゆるゆると笑みを作った。
「うん、私で良ければいつでも甘えてくれていいよ。
なんていっても私はれい君の魔法使いだからね。
知っての通り、大きな魔法は使えませんが」
そう言って権兵衛さんは、僕の頭を撫でてきた。
子ども扱いされたいわけではないが、彼女に触れて触れられることで満たされている自分が居ることに気付く。
権兵衛さんはそのままの僕を受け入れてくれている。
どうも今は、ポーカーフェイスが出来そうにない。
腰に回していた手を緩め、権兵衛さんの肩口に頭を寄せる。
権兵衛さんの甘やかな優しさに溺れてしまいそうだ。
いや、もう溺れてるのかもしれないな。
あとどれくらい一緒に居られるのだろう。
元の世界へは帰るつもりではあるが、権兵衛さんとは離れがたい。
元の世界へ戻る方法よりも悩ましい問題だな。
「………手放せそうにない……」
「……ん?れい君……?」
「………君が居てくれて本当に良かった」
思わず零れた言葉に権兵衛さんは何も言わなかった。
顔をあげると心配そうに何か尋ねようとする権兵衛さんと目が合う。
でも、尋ねるのを迷っているようだ。
本当に優しいな、君は。
「……そろそろお昼の準備をしましょうか、権兵衛さん」
「……そうだね、れい君」
薄々勘付いてはいるのだろうけれど、はっきりと言ってこないところを見ると僕が言うのを待っているのだろう。
もう少しだけ、待っていて欲しい。
あと、少しだけ。