大きなあなたと
あなたの名前は?
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こんなに笑うつもりではなかったが、つい気が緩んでしまっていた。
それも仕方がない。
ここでは、取り繕う必要がない。
僕の事を知っている人間は、ここにはいない。
ずっと張り詰めていた緊張の糸が緩むのも必然と言えるだろう。
別の世界に来てしまう原理はわからないが、再び元の世界へ戻る時まで頭の中を整理する時間だと思えばいい。
様々なことを考える必要があるが……その中でも一番、僕の頭の中を占めているのは隣にいる彼女のことだ。
出逢ったのが権兵衛さんではなかったら、きっとこんな気持ちにもならなかっただろう。
隣で眉を下げながら、苦笑している権兵衛さんをちらりと盗み見る。
仕方ないなぁ、という顔をしている。
権兵衛さんが怒ることなんてあるのだろうか。
…ああ、いや、怒らせたこともあるが、あれは本気で怒っているわけじゃなかったからな。
ただ、本気で怒ったとしてもきっと可愛いだろうな、なんて考えてしまう。
…こんな自分は知り合いには見せられないな。
そんなことを思っていると、権兵衛さんは恋バナがどうのこうのと言い始めていた。
違うことを考えていたのと話がだいぶ逸れてしまったことを思い出し、再び話を戻すことにした。
「子どもの相手をする仕事をしていたことですし、手を繋ぐのは職業病みたいなものですか?」
権兵衛さんが僕と手を繋ぐ理由として考えられるものをあげてみる。
先程の「デートくらいはある」という発言から以前の恋人とよく繋いでいたというわけではないだろう。
最初に出逢った時に僕が子どもの姿だったことが原因ではないかとも考えられる。
子どもだった僕のイメージが抜けていないから、つい癖で手を繋いでしまうのかもしれない。
権兵衛さんと過ごした日々の中で、普段からスキンシップが多いというわけでもないため、誰とでも手を繋ぐタイプと言うわけでもなさそうだ。
子どもだった時でも、手を繋いだのは外出する時だけだった。
権兵衛さんを見れば、眉間に皺を寄せて、少し考え込んでいる。
「……うーん、ちょっと違うかも」
「権兵衛さん?」
権兵衛さんの反応から、権兵衛さん自身も理由はいまいちわかっていないような印象を受けた。
そうなると、本当に「子どもと手を繋ぐ」ぐらいの意識しかないのかもしれないとも思う。
まぁ、良くても弟くらいにしか思ってもらえていないため、その可能性もなくはない。
複雑な気分になるが、別の見方をすると僕から手を繋いでも権兵衛さんは違和感を感じないということでもある。
理由を作らなくても触れられるわけだ。
しかし、手を繋ぐという行為だけに止めておけるだろうか、と考えていると、権兵衛さんの雰囲気が変わった。
すっきりとした様子で、前をまっすぐ見据えて、彼女は言った。
「れい君だからだよ」
その言葉に、ドキリと心臓が鳴る。
権兵衛さんがどんな意味を込めてそう言ったのか、彼女の真意が知りたくて思わず見つめてしまった。
権兵衛さんは嬉しそうに微笑んでいる。
僕の視線に気づき、こちらを向いた権兵衛さんは、ゆるゆると目尻を下げ、口元を緩ませる。
勘違いしてしまいそうなほど甘い表情と、先程の言葉に心臓がうるさく感じる。
先程の言葉は、僕でなかったら手は繋いでいない、と受け取ってもいいのだろうか。
都合のいいように考えてしまっていないか?と自問自答したくなる。
「なんて言ったって私はれい君の魔法使いだからね。
れい君がしたいことはちゃんとわかるのです。
言ったでしょう?
れい君が望むのならば何にだってなれるんだよーって」
得意げに権兵衛さんは言った。
本当に僕の気持ちが読めたのかはわからないが、権兵衛さんはいつだって僕が欲しい言葉をくれる。
その言葉が僕にとってどれほど甘美で中毒性があるということに彼女は気付いているのだろうか。
いや、きっと権兵衛さんは気付いていない。
無意識でやっているのだから、性質が悪い。
「……あなたって人は…………………僕をどうしたいんだか…」
権兵衛さんは自分を魔法使いだと言うが、無意識に甘美な言葉で僕を惑わせるようすはどちらかと言えば魔女なのではないだろうか。
ぽつりと呟いた言葉は、春風に消されてしまったらしい。
何か言いかけた権兵衛さんだったが、春風と共に運ばれてきた桜の花弁に視線を奪われているようだった。
いつの間にか目的地に着いていたようで、ライトアップされた桜と風が吹くたびに花弁が舞い散る様子が見えた。
目の前の美しい光景を嬉しそうに見つめる権兵衛さんは、少し足を速めた。
僕の手を引いて桜並木を軽やかに歩いて行く。
時折、ライトアップされた桜を見上げ、「わぁ」と感嘆の声が漏れている。
しばらく行くと、視線の先には休憩所のような場所があった。
詳しい場所までは聞いていなかったが、どうやらここが目的地だったらしい。
平日だからなのか、僕たち以外に人は居なかった。
桜並木沿いの道路は川の向かい側のため、こちら側はあまり人通りもないようだ。
権兵衛さんがテーブルに飲み物の袋を置くのを見ながら、僕も持っていたお弁当の袋を置いた。
休憩所に着いた時に離れた権兵衛さんの手を名残惜しく思う。
テーブルに背を向け、桜が見えるベンチに横並びで座る。
少し風が吹くだけでひらりひらりと花弁が舞い散っている。
舞い散る花弁にライトの光があたり、さらに幻想的な風景を作り上げていた。
権兵衛さんが見たいと言っていた理由が分かる。
この光景を見ていると少しだけ昔のことを思い出す。
そして大切な………。
「……綺麗だね」
「そうですね…」
権兵衛さんの呟きに、思考が現実へと引き戻される。
咄嗟に返事を返したが、何処か心あらずな返事になってしまったような気がする。
一生この時間が続けばいいのに、と思いながらも、もしそれが叶ったとしても留まっていることはないだろう。
やらなければならないことが、僕にはある。
隣で動く気配がし、権兵衛さんを見ようとすると慌てた声が上がる。
「あ、待って、動かないで」
「…どうかしましたか?」
「花びらついてる」
権兵衛さんの制止の声を聞き、動きを止める。
少し近付いた権兵衛さんが僕の頭に手を伸ばし、花弁を取っている。
どうやら乗っていたのは一枚だけではないようで、数回、同じ動きを繰り返していた。
乗っていた花弁は、権兵衛さんが自分の左手に乗せて並べている。
座っている僕の位置から権兵衛さんの手のひらの中は見えないが、権兵衛さんの表情ははっきりと見ることができた。
手のひらに乗っているであろう桜の花びらを愛おしそうに見つめ、くすりと微笑んでいた。
一体何が可笑しかったのだろうか、そんな僕の表情を見て権兵衛さんは一度考えるように視線を上に向けた。
「ふふ…いや、れい君は桜の精にでも愛されてるのかなって」
「どうしてですか?」
「ほら、4枚も頭に花びら乗せてたよ?」
再び僕の隣に座った権兵衛さんは左手に乗せた花弁を僕に見えるように差し出した。
花弁は全部で4枚。
桜の花弁は5枚で1つ…1枚足りない、か……今は亡き友人たちを思い出す。
せめて見守ってくれているとでも思っておこう。
あいつらを桜の精と呼ぶには………メルヘンが過ぎるだろう。
思わず想像しそうになった思考を遮るように、風が吹き、権兵衛さんの頭に桜が乗っていることに気付き、思わず笑う。
「僕よりも、権兵衛さんの方がよっぽど愛されていると思いますよ」
「え?何で?」
「ほら、ここに」
少し体を近づけ、権兵衛さんの頭に手を伸ばす。
権兵衛さんは自分の頭にも花びらが乗っていると思ったのか、避けることなく大人しくしている。
少しは警戒してほしいところだな…と思いつつも、避けられたら避けられたで複雑な気持ちになる事は間違いないとも思う。
「花びらどころか、花ごと頭に乗ってますよ。
まるで髪飾りみたいですね…。
……権兵衛さん自身が桜の精みたいですね」
桜の花柄をつまんで、権兵衛さんの方へ差し出す。
良く落ちずに乗っていたものだな、と少し感心する。
権兵衛さんの為にとでも言いたげに彼女の頭に留まっていた桜を見て、彼女自身が桜の精のように思えた。
権兵衛さんの発言がなければ、口説き文句としても桜の精だなんてものは出ては来なかっただろう。
彼女が桜の精だったら、桜の精に愛されているという言葉も満更ではないんだが。
そんな馬鹿なことを考えていたら、権兵衛さんの様子が可笑しいことに気付く。
顔は僕の方を向いているが、視線は泳いでいる。
それに、間接的なライトの明かりだが、権兵衛さんの頬が色付いていることが見て取れる。
風で揺れた髪の間から見えた耳も赤みを帯びている。
桜の精に例えられたことが恥ずかしかったのだろうか…もともと権兵衛さんが言い出したことだったのだが。
多少、口説いているつもりではあったが、権兵衛さんのことだから気付かないと思った。
ある意味、僕の想像と反対を行く権兵衛さんだが…今回の傾向はかなり嬉しいかもしれない。
「もしかして、照れてます?」
「えっ!?て、照れてないよっ!?」
「耳まで真っ赤ですよ?」
「……っ!!」
僕の指摘に権兵衛さんは大袈裟に否定をしてきた。
しかし、顔を真っ赤にしながらの否定は何の説得力もない。
それに僕から顔を背け、両手で自分の顔を覆ってしまった。
言葉では否定しているが、行動では肯定しているようなものだ。
あまりに可愛らしい反応で笑ってしまった。
しばらくすると、勢いよく立ち上がった権兵衛さんはテーブルにペットボトルとお弁当を並べ始めた。
もう顔を手で覆ってはいなかったが、頬はまだ色付いている。
「ささ、れい君!
お弁当食べましょ、食べましょ」
「照れ隠しですか?」
「あーお腹減ったなー」
「棒読みですよ、権兵衛さん」
お弁当を広げて「いただきます」と食べ始めた権兵衛さんの完全に食べることに集中しているようだ。
目をキラキラさせながら「美味しい!」と喜んでいる姿は、先程とはまた雰囲気が変わる。
ころころ変わる表情は、どれだけ見ていても飽きることがない。
どんな表情だって、見逃したくないと思ってしまうくらい君に夢中だ。