小さなあなたと
あなたの名前は?
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権兵衛さんに連れられてやってきたのは、以前花見をしようと約束をした場所だった。
二分咲きの状態からでも、満開の時期の桜並木を容易に想像できた。
和カフェから出て少しすると、権兵衛さんがはたっと足を止めた。
どうしたのだろう、と思っていると鞄に手を突っ込み、ごそごそしている。
「……しまった、お店に忘れ物しちゃった」
「何を忘れたんですか?」
「手鏡……ちょっと戻ってもいい?」
「僕が貰ってきますよ、権兵衛さん、着物ですし」
「でも…」
「権兵衛さんは思ったより体力ないですし、僕が走っていった方が速いので」
「ぐっ……正論…!
……じゃあ、れい君、お願いします…」
「はい、行ってきます」
権兵衛さんは図星をつかれたようで眉間に皺を寄せ、胸を抑えて大袈裟にダメージを受けたポーズをしていたが、最後は苦笑しながら頭を下げていた。
そんな権兵衛さんを残し、先程のお店へと走っていく。
店員に声をかければ、すぐに忘れた手鏡を持ってきてくれた。
大した距離でもなかったので、すぐに権兵衛さんの背中が見えた。
上を向いて桜を眺めていた。
初めて見る権兵衛さんの着物姿に家では思わず魅入ってしまった。
久しぶりに着たと言っていた権兵衛さんは少し不安そうな顔をしていたのも僕には新鮮で。
新しい権兵衛さんの一面を知ってしまったな、と嬉しい気持ちになった。
着物を着ているからなのか、それっぽく振る舞う様子がまたなんと言えない気持ちにさせる。
普段はおろしている髪も、今日はアップにしており、見えるうなじが悩ましい。
これ以上、僕を惑わすのはやめてほしい…。
少し強い風が吹いて、権兵衛さんの着物の袖が揺れる。
それと同時に権兵衛さんが振り返った。
「れい君、おかえり」
ゆるゆると笑みを作る権兵衛さんに思わず見とれていた。
ふいに見せる表情が酷く僕の心を揺さぶる。
「ありがとう、じゃあ、帰ろっか」
「…………はい」
「どうしたの?
なんか急に元気ないけど」
「いえ……権兵衛さんはやっぱり魔女だなって」
「え…今のタイミングで何故!?
魔女を思わせるようなこと何もしてないよ!?」
「油断ならないなってことです」
「れい君の思考が読めないよ…!」
「読まなくていいですし、ずっとわからないままでいてください」
「えー…?」
全く分かっていない権兵衛さんは、喋ればいつもの調子で少しほっとする。
無意識だから余計にたちが悪いと思う。
僕の心にいつの間にか入り込んで、深いところまでじわじわ侵食していく。
一緒にいればいるほど、彼女と離れがたくなる。
まるで麻薬のようだな、なんて思う自分はどうかしている。
魔法使いに惚れてしまった王子はどうするのだろう。
魔法使いはきっと引き留める言葉を紡ぎはしないだろう。
離れがたく思いながらも王子は乗り越える試練とやらに立ち向かうのだろうか。
自分のやるべきことを投げ出すつもりはない。
ただ…あと少しで永遠に逢うことができなくなる彼女に、想いは募るばかりだ。
思わず再び繋いでいた権兵衛さんの手をぎゅっと握っていた。
少し様子が変わったことに気付いた権兵衛さんは、不思議そうに僕の顔を覗き込んだ。
「れい君?
どうしたの、疲れちゃった?」
「いえ、大丈夫ですよ」
「ならいいけど……あ、帰ったらお楽しみあるからね!」
「お楽しみ?」
「そうそう」
権兵衛さんは楽しそうに言う。
彼女のいうお楽しみが何なのかわからないが、少しだけ気が紛れたのは確かだった。
そのあとは再び他愛のない話をして帰路についた。
家についてリビングに行くと、早々に権兵衛さんは帯に手をかけ始めた。
相変わらずの突拍子もない行動にぎょっとする。
「何してるんですか…!」
「何って……お楽しみだけど…あ、お代官様ごっこでもする?」
「いえ、しませんって…」
「ついに照れを通り越して呆れるようになってしまったのね、れい君…!」
「………ふざけてます?」
「まぁまぁ、大丈夫!
全裸になるわけじゃないから!」
そういうが早いか、権兵衛さんは帯を解き始めた。
さすがに見るわけにはいかないと思い、自分が場所を変えようとすると権兵衛さんに引き留められた。
「え、れい君、見ててよ!?」
「そんな趣味はないです!」
「大丈夫!長襦袢見てほしいだけだから!」
「はい?」
「行くよー」
もはや何の言い合いだ、これは。
意味の分からないやり取りに頭を抱えたくなった。
しかし、長襦袢を見せたいだけのようだったので、仕方なくその場にとどまる。
僕が止まったことを確認した権兵衛さんは背中を向け、しゅるりと着物を床へ落としていた。
「………桜?」
権兵衛さんが見てほしいと言った長襦袢には、桜の模様があしらってあった。
なるほど、これを見せたかったのか。
「そうです、今日は私が満開の桜でーす」
「確かにこれは満開ですけど」
「本当は桜の色とか模様の着物があればよかったんだけど、桜は長襦袢しかなくって」
「……気持ちは嬉しいですけど……こういうのは控えてください…。
他の人にもしないでくださいね…」
「れい君、やっぱり疲れてる?
大丈夫、れい君にしかしないから」
「……それはそれで問題な気も…」
権兵衛さんはクスクス笑うと、先に脱いだ帯や着物を抱え、自室に入っていった。
しまる扉を恨めしく思いながら睨む。
長襦袢を見せられるのは何てことないが「れい君にしかしないから」なんて言われたら己惚れてしまう。
ただ、権兵衛さんは僕が思ってるような気持ちで言ってるわけじゃないことは明らかだ。
僕が子どもだからそう言っているだけだろう。
ただ単純に満開の桜を見せたかっただけ、それがたまたま長襦袢だっただけ。
…これが大人相手でもやるってなったらちょっと説教だな。
少しだけ笑ってしまった。