「居ませんよ」
「え?」
そう言い、彼女はにこりと微笑んだ。
「相手、居ません」
念を押すように、自分に言い聞かせるように、咲さんはそう繰り返す。
ふうん、と相変わらず俺の肩を肘置きにしたまま沖田さんが呟いた。
「じゃあなんで産婦人科から出てきたんですかィ?」
「避妊薬には生理不順を治したりホルモンバランスを保つ作用があります。だから、最近は健康のために服用されるんですよ」
そう言って、彼女はふわりと微笑む。
それから少しそっぽを向いた。
「ダメですよ。女性にそういうプライベートなこと聞いたら。あまり言いたくない人だっているんですから。ね」
「そうなんですかィ。そりゃ失礼しやした」
その後、二言三言交わした後、彼女はぺこりと頭を下げ去って行った。
彼女の背が角を曲がっていくのを見送った後、俺は思わず隣にいた男に掴みかかる。
「隊長ォオオオ!!! なんてことしてくれたんですか! 変な奴だと思われたらどうしてくれるんですかァァ??!!」
「思われろ。…っつーかあの女、嘘ついてるぜ」
「へ?」
「あの女は一言も、"自分が"病院に来た理由を言わなかった。……女ってのは怖えなァ」
そう言い、よいしょ、とバズーカを背負い直す沖田さんを見る。
「…沖田さん」
「なんだィ?」
「先程の女性、腕に大きな痣があるんです。ほかにも、この間は出来たばっかりっぽい傷が首に。……どうしたらいいですかね」
「男とシた時の痕じゃねえのかィ?」
「っそ、んな…」
ピンク色のガム風船を膨らましながら彼は興味なさそうに言った。
だがその目は遥か遠くに消えた彼女の背中をまだ見つめている。
「山崎、勘違いすんじゃねェぞ」
ふわりと、煙草の匂いが鼻孔をくすぐった。
聞き覚えのある声に振り向くと上司その二…もとい副長が腕を組み、眉間にしわを寄せ、こちらを睨みつけている。
「俺たちの仕事は江戸の平和を守ることだ。女のケツ追っかけることじゃねェ。テメェだって分かってんだろ」
言われずともそんなことはわかっている。
が、口答えしようものならぶん殴られそうなので口を噤んだ。
「今のご時世、救われねェ女なんて山ほどいる。不幸なのはあの女だけじゃねェ。そうだろ?」
「……はい」
帰るぞ、と言いながら逆方向に歩き出す上司二人の背を追い、俺はもう見えなくなった彼女の背中から目を逸らす。
まだ彼女の香りが喉の奥に残っているような気がして鼻を擦った。
◆ ◇ ◆ ◇
結局あれから、また彼女との関係は"たまにすれ違う人"に戻った。
本当は声を掛けたい。
彼女のあまり色の籠っていないその瞳の奥の闇を知りたい。
闇を払ってやりたい。
だが、副長に言われた通り、真選組の仕事は江戸の平和を守ること。
あまり治安の宜しくないこの江戸で、今まで呑気にパトロールをやっていられたことの方が不思議だったんだ。
「行ってくれるか、山崎」
長期の潜入任務が入った。
局長が神妙な面持ちで言うその言葉に俺が首を振る理由はどこにも無い。
これが俺の仕事だ。
「それと、山崎」
「…? なんですか、局長?」
仕事の話は終わりとばかりに両腿を豪快に手のひらで叩いて立ち上がった局長が、首だけ振り向く。
その目は先程までの仕事モードのそれとは違い、優しく細められていた。
「言ったろう。人が恋をするのは普通の事だ、と。確かにトシが言う通りこの江戸では救いを求めている人は沢山いるだろう。それら全てを俺たちだけの手で救うのはちと難しい」
副長から聞いたのだろうか。
あの人……興味なさそうな振りをしていたが、多少は気に掛けてくれているらしい。
だがな、と角ばった彼の顔に張り付いている口角がぐいと上がる。
「好きになった女を救えないのは真選組以前に男として失格だ」