それから数時間後の事だった。
朝食の片づけを終え、洗濯をしようと庭先に出た私が土方さんに声を掛けられたのは。
どこか不満そうな彼についてこいと言われるまま付いて行った先にあったのは、江戸にある公園。
ぴしりと整列する隊士たち、そして可愛らしく装飾された車……。
「今回の特別警戒の目的は、江戸市民に犯罪への警戒を呼び掛けるとともに最近急落してきた我ら真選組の信用を回復することにある!」
近藤さんの声が広々とした公園に響いた。
彼の隣には真選組の制服に身を包んだ女性、寺門通さん……通称"お通ちゃん"がいる。
「こうしてアイドルのお通ちゃんに一日局長をやってもらうことになったのも一重にイメージアップのためだ! いいか、お前ら! くれぐれも今日は暴れるなよ! そしてお通ちゃん、いや、局長を敬い、自身を捉える術を習え!」
彼女は小さく瞬きをすると、にこり、と微笑んだ。
心なしか彼女の周囲にピンク色のハートが飛んだような気がする。
それを見た途端、暴れるなと言われたばかりの隊士たちはペンと色紙を持って駆け出した。
「やっほーう! 本物のお通ちゃんだ!」
「サイン! サインくれー!」
駆け出した彼らを、近藤さんが一喝する。
「馬鹿野郎ー! これから市民に浮かれんなと言うときにテメェ等が浮かれてどうすんだ!」
そういい隊士たちを睨みつけた近藤さんはお通ちゃんに振り向き、ぺこぺこと頭を下げた。
「すみません、局長。俺の教育が行き届かないばかりに」
何度も頭を下げる彼の真っ黒い背中には桃色のペンで描かれたお通ちゃんのサイン。
「テメェもサイン貰ってんじゃねえか!」
「どーすんだその制服!」
「一生背負っていくさ! この命続く限り!」
隊士たちにボコボコに蹴られながら、近藤さんは桃色のサインを守るように手を後ろに持っていって抵抗していた。
その様子を、隣に居る沖田さんと土方さんは冷めた目で見つめる。
「いやあ、すっかり士気が上がっちまって」
「士気が上がったんじゃねえよ。舞い上がってんだよ」
そう言う彼らに私は視線を送った。
「あの……なんで私、呼ばれたんですか…?」
恐る恐るそう尋ねるが、彼らも不思議そうな顔をしながら首を振る。
「一日局長の希望だ。咲を連れてこいって条件だったんだよ。まさかお前、知り合いとかじゃねェよな?」
「お会いするのは初めてですね。私自身彼女を知ったのはこの数か月の間なんですから」
「……だよな」
わけがわからねェ、と呟きながら彼は煙草の煙を吐く。
「咲、スケジュール表を渡しに行くついでに挨拶いきますぜィ。ほら、こっち」
懐から出した紙をぴらぴらと動かした沖田さんの背を追いかけた。
お通ちゃんは相変わらずぎゃいぎゃいと騒がしい隊士たちを見て楽しそうに微笑んでいる。
……十七歳、だったけ、彼女。
「かわいい子ですよね、お通ちゃん」
「……? 咲もファンなんですかィ?」
「ファンというか、若いのに頑張ってるなあって思って。応援したくなります」
「はあ……まあその意見にゃ概ね賛成ですが」
ぴたりと沖田さんが足を止めた。
その背を追いかけていたものだから、私は勿論彼の背に顔面から突っ込む。
何をするんですかと抗議しようと顔を上げたところで、にやりと笑みを浮かべている彼と目が合った。
「俺はアンタの方が好みですがねィ」
そう言い、彼は再び歩みを始める。
……なんだか怒る気にもなれなくて赤くなった顔を悟られないよう下を向きながらその背中を追いかけた。
「寺門さん、こいつが今日のスケジュールでさァ」
「あ、はい」
寺門さんはそれを受け取り、まじまじと見つめる。
その紙には江戸の主要地を巡るタイムスケジュールが記載されていた。
伏せられた睫毛が時々動く。
そういえば特集で、彼女は一度スキャンダルが報道されて芸能界から干されたことがあると言っていた。
そんな過去を持ちながらここまで這いあがってきたのだ。
十七歳という若さで大人に揉まれながら激動の日々を過ごしたのだろう。
力強く芯の通った立ち姿に思わず感嘆の息が漏れる。
その時、ふいと視線を持ち上げた彼女と目が合った。
「あら、あなた……」
集中していたようなので邪魔しないようにと黙り込んでいたのだけど、目が合ってしまったのでひとまず自己紹介をしようと笑みを浮かべたその時。
「貴方が真選組の女中さん!」
ぎゅう、と手を握られて思わず身体が強張った。
そういえば今回、私がここにいるのは彼女の希望だと聞いた。
一体何が目的で…?
「噂には聞いていたけれど、とっても綺麗な人! あなたがいればイメージアップ間違いなしだよ! 私、寺門通! あなたは?」
「え、えっと……咲、と申します……」
「咲さんね! よろしく!」
そう言い、彼女はにこりと微笑む。
噂かあ……また弱点だとか呼ばれてるんだろうなあ。
「あの、私がここにいるのは寺門さんの希望だと聞きました。一体なぜ私を?」
「ふふ。それはね、」
言いかけた寺門さんの言葉を遮り、土方さんが口を開いた。
「おい。アンタは何もしないで笑って立っててくれりゃあいいから気楽に……」
「あの」
殆ど投げやるようにそう言う彼の言葉を寺門さんはお返しとばかりに遮る。
「私、やるからには半端な仕事は嫌なの。どんな仕事でも全力で取り組めって父ちゃんに言われてるんだ」
「いや、しかし……」
「たとえ一日でも局長の務めを立派に果たそうと思って、真選組のイメージ改善のために何が出来るか色々考えてきたんだ」
そう言い切った彼女は再び私の手を握った。
「そこで考えついたのが、あなた!」
「………私?」
未だ状況がつかめない私に、寺門さんはこくこくと頷く。
そして私の手を握ったまま近くにあった車の扉を開き、中を少しの間漁ると、なにやら布をもって出てきた。
彼女はそれをぴらりと広げ、可愛らしく微笑む。
「まずはこれを着て?」
楽しそうな彼女が持っているのは、フリルが付いた真っ白いエプロンと、シンプルに百合の花が描かれた鮮やかな紺色の着物。
幾分フリフリし過ぎなのが気になるがエプロンに関してはまあ給仕や女中が着てもそんなに違和感はないだろう。
問題は着物だ。
短い。
異様なほど丈が短い。
いや、もしかしたら最近の江戸の若い子たちの間では普通の丈なのだろうけれど(町を歩いているとあのくらいの丈の若い子がたまにいる)如何せん普通の着物しか着用したことのない成人済みの女にあの丈はキツすぎる。
それに、私の脚は人前に晒せるほど綺麗じゃない……消えない傷がいくつもある。
「え、えっと、それは……?」
「あなたみたいな綺麗な人がこの男所帯で住み込みで働いてるってだけでそれはもうイメージアップするに決まってるよ! だから、咲さんを全面的に前に押し出すの! 咲さん細身だし、絶対この着物似合うと思う!!」
「いや……あの、私、ちょっとそういうのは、」
そう言うと彼女はしゅんと下を向いてしまった。
「だめ……?」
駄目というか、それ以前の問題というか。
つい先日私が攘夷浪士に狙われたあの事件は公にはなっていない。
つまり、知らないのだ。
私という存在が外を出歩くことが今どれほど危険で、真選組と敵対する存在にとってどれだけ甘美なものなのかを。
落ち込んでしまった彼女にどうしたらいいかとあたふたしていると様子を見ていた土方さんが新しい煙草に火を点ける。
「……咲はこの間、人質として攫われたばかりだ」
すると寺門さんは、えっ、と声を上げた。
「攫われたって……? そんな話、どこからも……」
「そりゃ公表してないからな。兎も角、こいつはついこの間攘夷浪士に狙われて死にかけた身なんだよ。そんな事件の後に堂々と人前に出るのは無防備にも程がある。却下だ」
煙を吐いた彼はそう言い首を振った。
沖田さんもあまりいい顔はしていない。
「そ……そう、なんだ。そんなことがあったのに、私……」
見るからにしょぼんと落ち込んでしまった寺門さん。
うう、心が痛い……。
「ごめんね、咲さん」
「う、ううん。いいんだよ、こちらこそごめんね」
「ううぅ~! 咲さん、良い人ぉ~! じゃあ、あの、えっと……私とお友達になってくれない?!」
「お……お友だち……?」
十七歳の子とお友達かあ……。
確かに女の子の知り合いなんて万事屋さんとこの神楽ちゃんくらいしかいない。
……五つ以上も年齢が違うから、話が合うか不安だけど。
「わかった。いいよ、よろしくね、寺門さん」
「名前で呼んでっ」
「えっ? えと……お通ちゃん?」
「うんっ!」
たったらー。
お友達ができました。
「……おい、もういいか?」
話が終わるのを待っててくれたらしい土方さんが少し疲れたような様子でそう言う。
その言葉に頷きながら、寺門さん……えと、お通ちゃんはまたしょんぼりと眉を下げた。
「でも咲さんのことをアピールできないなら、もっと他のこと考えないとなあ……」
うーん、と考え込む彼女。
その様子に私はおずおずと声をかける。
「ねえ、お通ちゃん。私、あのお着物は着られないけど……キャンペーンカーと一緒に歩くくらいはできるよ」
そう言うとお通ちゃんは顔を上げ、きらきらと目を輝かせた。
一方、土方さんと沖田さんは身を乗り出してこちらに詰め寄る。
「な、なに言ってんだお前?!」
「そうでさァ。ついこの間連れ去られたばっかだっつーのに、アホなんですかィ?」
アホって。
ひどい言い草だ。
「でも、今日はこのイベントのために隊士の皆さんは出払ってしまいますよね。そんな中、私が一人だけ屯所に残って、狙われないと断言できますか? というか、相手からすれば絶好のタイミングだと思いますけど」
私の言葉に二人は、ぐ、と口を噤む。
「私、もうあなたたちの傍を離れませんので。……一緒に居ても、いいですか?」
複雑そうな表情を浮かべる彼らに、私は申し訳なく思いながらもそう強請るのだった。