彼らが強いのだろうということは勿論、想像には難くなかった。
江戸の平和を守る武装集団。
日夜テロや犯罪と戦っている彼らが弱いはずなどないだろうと。
けれど、そんな私の想像を遥かに超えるほど彼らは勇ましく、そして力強かった。
人数差的にも一人当たり二人以上の攘夷浪士を相手にしなければいけないというのに、殆ど引けを取らず順調に浪士たちを切り捨てていっている。
私が見ているのを気にしてか、全員を峰打ちで叩き伏せているのが尚更彼らの強さを際立たせていた。
側にいて守ってくれているこの丸い…ペンギン……?(名前はエリザベスというらしい)も、丸腰にも関わらず時折こちらを狙ってくる攘夷浪士を楽々撃退している。
だが、いくら倒してもビルから溢れてくる攘夷浪士に、彼らが苛立ってきているのは目に見えていた。
勿論、疲れも蓄積しているだろう。
「クソッ…キリがねェ」
少し遠くで土方さんがそう零した次の瞬間、背後で砂煙が舞い上がる。
真っ白い身体がぐちゃぐちゃに汚れ、力なく倒れるのが分かった。
「あ、」
先ほどまで私を守ってくれていた白い身体を蹴飛ばし、その男は私の眼前に切っ先を置く。
この男、一体どこから。
彼らが戦っている隙を見てこちらまで回り込んできたというのか。
「ダメだろう、お姫様。城を抜け出しちゃ」
一度私の血を吸った切っ先は妖しくぎらりと光った。
身体は強張り、膝が震える。
つう、と切っ先が首筋をなぞると、ひんやりとした液体が首筋を伝った。
「全く、爆弾魔と友達だなんて、お転婆なんだな。こうなるのが分かっていたら、さっさと君の四肢を切り落としていたというのに……失敗してしまった」
背後で戦っている皆が私の名前を叫んでいるのが聞こえる。
「君の近衛兵たちは自分の身を守るので精いっぱいのようだ」
幾人もの攘夷浪士に道を遮られながら、四方から浴びせられる攻撃をいなす……それだけで、彼らは十分すごい。
それどころか、つい数か月前に知り合った女一人のために全力で戦ってくれている。
傷だらけになりながら、それでもこちらを気にして、助けに入る機会を伺ってくれている。
「君を殺せば、彼らの士気は下がるだろうか」
抜けそうになる腰を必死で支えて目の前の男を睨んだ。
ゆらりと刀身が持ち上がり、今にも私の身を切り裂かんと光っている。
「いい悲鳴を聞かせておくれよ」
後ずさると、棒のようなものを踏み、バランスを崩して座り込んだ。
先ほどエリザベスが蹴り倒した浪士が持っていた刀が足元に転がっている。
どうやらこれに躓いたらしい。
かちゃりと刃先が砂利に擦れて音が鳴った。
「それじゃあ、おやすみ。お姫様」
真っ直ぐ振り下ろされる切っ先。
ああ、これで終わりか。
結局……私は弱いままだった。
弱いまま生きて、弱いまま死んでいく。
出来ることなら……もう少し、彼らと一緒に居たかったけれど。
死期を悟ったからか、脳裏にぼんやりと生前の父と母の姿が浮かぶ。
彼らは、泣いていた。
「ッ!!」
一か八かだった。
手元にあった刀の柄を握り、振り下ろされる刀をでたらめながらも力の限り受け止める。
いや……まさか、受け止めきれるとは思っていない。
素人が普段から帯刀している人間の一撃を受け止めようなんて土台無理な話。
ただ明確な殺意を持って振り下ろされる刀筋を少しでも外して生存率を上げたかったのだ。
「……!」
ぱきん、と音がして、私が持っていた刀は真っ二つに折れ、手のひらから零れ落ちていった。
だが狙い通り、私に振り下ろされた切っ先は着物を裂いただけで固い地面に突き刺さる。
男はと言うと目を丸くして固まっていた。
まさか抵抗されるとは思っていなかったんだろう。
でも、好都合だ。
男が驚いている隙を突いて慌てて立ち上がり、その男から距離を取る。
心臓がばくばくと音を立て、手が震えた。
きっと二度目はない。
事態が解決したわけじゃない。
でも……でも……っ!
「私は……まだ死にたくない。それに、あなたなんかに、殺されてやらないッ!!」
男の切っ先が再びこちらを向く。
ゆっくりと近づいてくるその鎬を、力を振り絞って睨みつけた、その時。
「待たせてごめん、咲さん」
ふんわりと肩を抱かれ、優しい声が鼓膜を揺らす。
殆ど同時に、金属同士が擦れ合う音が聞こえた。
「怖かったでしょ。もう大丈夫だよ」
見上げると優しく微笑んだ山崎さんと目が合う。
そして、男の刀を弾いたらしい沖田さんが顔だけ振り向き、にい、と口角を上げた。
「咲、やるじゃねェかィ。アンタが時間稼いでくれたおかげで全員ぶっ飛ばせましたぜ」
後ろを見ると、確かに、あれだけいた攘夷浪士は全員重なって地面に倒れている。
それを取り囲んでいる隊士たちはこちらをみて安堵したような表情を浮かべていた。
「全くだ。素人にしちゃ、上出来だった」
いつのまにか煙草を咥えた土方さんもすぐ隣に居る。
彼は刀を仕舞い、煙を吐き出すと沖田さんの背中に視線を投げた。
「総悟。手ェ貸すか」
「土方さん、俺がこんな雑魚一人相手に負けると思ってるんですかィ? ……咲に傷を負わせた落とし前、きっちり付けさせてやりまさァ」
その日、私は真選組一番隊隊長の鮮やかな舞いをその目に焼き付けたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
あの戦いの後、緊張の糸が解れたのか監禁中殆ど眠れなかったからか意識が途切れてしまって、次に目を開けたら屯所の自室に寝かされていた。
まだ誰も起きていないような朝方だったが、どうやら山崎さんはずっと傍についていてくれたらしく目を覚ました私の顔を覗き込んで安心したように息を吐く。
「目が覚めたみたいで良かった。具合はどう?」
そう言う彼に、大丈夫です、と返事をしようと上半身を持ち上げ、寝かされていた布団に手を置いた。
途端、ぬるり、と指先に生ぬるい温度が走り、自分が寝かされていた布団を見下げる。
布団はぐっしょりと血で汚れていた。
どうやら肩の傷が開いてしまったようだ。
「うわっ…! え、ちょ、待って!! 大丈夫?! えっと、医者! …は、まだやってないし……!! えっと、えーっと…!!」
山崎さんは血にまみれた布団を見て焦ったように立ち上がると、周りをあっちへ行ったりこっちへ行ったりおろおろと慌てふためく。
その様子が何だかおかしくて、思わず笑みがこぼれた。
「わ、笑ってる場合じゃないでしょ?! ちょっと待ってて、とりあえず応急処置するから!!」
そう言うと彼はバタバタと部屋を出ていって、救急箱を抱えて戻ってくる。
そうして私の右側に座ると、こちらをじいと見つめ、
「……ぬ、脱がせて大丈夫?」
不安そうに首を傾げた。
こくりと頷くと、彼は意を決したように着物の衿に手をかけ、着物が傷口を擦らないよう慎重に降ろしていく。
ぱさりと音を立てて着物が布団の上に落ちた。
「うわあ……」
傷口を見た彼はくしゃりと顔を歪ませる。
もう血は止まっているようなのだが、傷口はぱっくりと怪物のようにその口を開けていて、酷くグロテスクだった。
彼は顔を顰めながらも手際よく包帯を巻き終えると着物を慣れない手つきで元に戻す。
「また、消えない傷がついてしまいそうです」
思わずそう零すと、救急箱を片付けていた彼はこちらをゆっくりと見た。
悲し気に眉が顰められている。
「……でもこれは名誉の傷でもあるんです。沖田さんを、守ることが出来た」
ぱたん、と救急箱の蓋が閉まる音がした。
「咲さん、傷、痛む?」
「え?」
突然の問いに戸惑ったが、首を振る。
「痛みはあまり。でもどうして?」
そう云うが早いか、彼に優しく抱き込められる。
血を失って冷え切った体に、温かい体温が流れ込んできた。
「無事でよかった……本当に……」
「……ご迷惑をおかけしました」
彼の背に手を回してそう言うと彼は首を横に振る。
「迷惑だなんて思ってないよ。こっちこそすぐに助けに行けなくてごめんね。桂の力を借りなきゃ君を助けられないなんて、情けない」
「……あ、そういえば桂さんは?」
「ああ、なんか気付いたらいなくなってたよ」
「そうなんですか……」
ちゃんとお礼を言いたかったのだけど、と零すと山崎さんは微妙な表情を浮かべる。
「咲さん、ほんの少しだけでも桂と二人きりになったんでしょ? 何か変なことされてない? 大丈夫?」
「…………な、なにも」
「待って。今の間なに?」
変なこと……されてない、というと、嘘になってしまう、のかな……。
実際、彼の前で着物を脱いだわけだし。
詰め寄ってくる山崎さんにあの牢の中で何があったかを話すと彼はぽかんとした後、なにやら必死の形相でずいと距離を詰めてきた。
「ねえ、咲さん」
「な……なんでしょう?」
「まだ返事聞いてないんだけど」
彼のごつごつとした指が絡まる。
ぎゅうと手を握られて、心臓が跳ねた。
「俺、咲さんのこと好きだよ。初めて話した時からずっと。だから今回きみを人質に取られてすごく不安だった。怖かった。きみを失ってしまうんじゃないかって。……咲さん、返事聞かせて」
「えっと……、その」
真剣な、熱を孕んだ視線にくらくらする。
「こんな事件の直後にいうの、がっついてるって思われるかもしれないけど……。そりゃがっつくよ、だって、誰にも取られたくないから」
彼に真っ直ぐ見つめられて、顔に熱が集中するのが分かる。
「……その表情、期待していい?」
頬を包み込まれて、彼の顔がゆっくりと近づいてきた。
思わずぎゅうと目を瞑る。
もうすぐ触れてしまう、そう思った時だった。
「あっさでっすよっと」
すぱぁん、と小気味良い音と共に襖が開き、アイマスクを首にかけた沖田さんがにい、と笑う。
「そう簡単にゃ許しませんぜ、ジミー」
「~~ッ、鬼!!!!」
山崎さんの悲鳴にも似たその怒号は屯所内に大きく響いた。