桂さんと遭遇して以降、隊員の方々は私を一人残して屯所を空けないようにしてくれた。
買い出しや用事も代わりにいってくれて、傍から見れば、まるでお姫様扱い。
いよいよ私は屯所で家事をするだけの存在になってしまって……自ら"弱点"を体現しているようであまりにも悔しい。
「すみません……お手を煩わせてしまって」
一緒に屯所の掃除をしてくれている山崎さんにそう声をかける。
すると彼は振り向いて、いいんだよ、と笑ってくれた。
「それよりも咲さん、最近謝ってばっかりだね」
「だって、私の所為で巡回に回る人数が減っちゃって……任務にも遅れが出てるんじゃ」
窓を拭いていた手を止めて、彼は眉を下げる。
隊員の皆さんは私のことを気遣って大丈夫だといつも言ってくれるけど、大丈夫なわけがない。
現に、最近この江戸では爆破テロやら誘拐事件やら暗殺事件やら事件が頻発しているのだ。
人員は一人でも惜しい状況だろう。
「確かにちょっと人手は足りなくて辛いけど」
彼はそう言って、空いた方の手で私の髪を撫でる。
「でも咲さんが悪いわけじゃない。気に病む必要はないよ」
にこりと微笑んでくれるその頬は幾分か痩せていて……目の下に隈も薄っすらとできていた。
もちろん疲れているのは彼だけじゃない。
桂さんに忠告を受けてから、隊員たちはみんな忙しなく動き回っていて、疲れからか食事前に寝てしまう人や入浴中に寝てしまって溺れかけたりする人がいたりと生活リズムが崩れてきている。
私の所為じゃないと彼は言うけれど、実際問題、私が居なければ彼らはここまで動きにくくなかっただろう。
こうなってるのは、私が、弱いから。
私が、ここに居るから。
「……咲さん、なんか変なこと考えてない?」
ぷに、と。
左頬に山崎さんの人差し指が食い込んだ。
彼は顔を覗き込むようにして腰を曲げ、こちらを真っ直ぐと見つめている。
「難しい顔してた。まさか、自分が居なくなれば、とか考えてないよね?」
「そ、んなことは」
見透かすような視線に射抜かれ、ふいと目を逸らす。
すると彼は困ったように笑った。
「咲さん。俺が、俺たちが君を守ってるのは決して損得勘定からじゃない。君がいないと嫌だからだ。……だからこうして君を守っているのは俺たちのエゴでもある」
左手に彼の手が滑りこんできて、そのまま指に絡みつく。
指先を流れる鼓動が心臓の動きを速めた。
「それに俺、潜入任務の時も幽霊騒動の時もあんまり格好いいところ見せられてないし、少しくらい恰好付けさせてよ。ね?」
まだあの時の返事も聞いてないし、と彼は呟く。
……あの時……?
「……あ」
ぼう、と顔に熱が集中する。
それに釣られてか、ふいと顔を逸らした山崎さんの耳も少しだけ赤くなっていた。
「一回忘れちゃってたけど、あれ、本気だからね。考えといて」
◆ ◇ ◆ ◇
この屯所に温かく迎え入れられてからの数か月もの間、彼らは私にこれ以上ないほどの温もりをくれた。
世間知らずで何も持っていない私を認めてくれた。
私が居なくなってしまえば解決するなんて一瞬でも思った自分を恥じる。
私が居なくなってしまっても、彼らは大丈夫だなんて、泣きそうになりながら考えた自分を恥じる。
そんな風に思われているなら私はとっくに見放されているだろう。
それなら、それだけ私のことを大切にしてくれる皆さんに私は何で応えるべきなのか……答えは簡単。
彼らの帰って来る場所を守り抜くこと、それが近藤さんから課せられた、私の仕事だ。
「あら、大変」
食事の用意をしようと冷蔵庫を覗き込み、私は思わず声を上げた。
台所の入り口近くに居た隊士の方が不安そうに駆け寄ってくる。
「ど、どうしました?」
「お醤油切らしちゃってました。買いに行かないと」
そう言うと隊士の方は、じゃあ一緒に行きましょう、と言ってくれた。
今日は特に忙しく、屯所に残っているのは彼一人。
私が一人にならないためには二人で買い物に行くしかない。
「そうですね、行きましょうか」
そうして二人で屯所を出て、買い物に向かった。
……はず、なのだけれど。
「……どうしよう」
気がつけば私は一人になっていた。
お醤油を買ってお店を出た後、平日にしてはやたら人通りの多い通りを隊士の方と二人並んで歩いていたのだけど……少し前を歩く彼の背中は、気がつけば人混みの中に消えていて。
しかも何故か人に流され、知らない道に出てしまっていた。
下手に動いて更に屯所から離れるのも危険だが、ここにぽつんと立っていたところで誰かが見つけてくれるとも限らない。
どうしよう……どうしたら……っ!
どくどくと鳴る心臓を抑え込みながら、何か見慣れたものはないかと周囲を見渡す。
すると。
「……あれ? ここって」
すぐ後ろ、厳かな門があると思ったらそこに掲げられている看板に"志村道場"と書かれていた。
もしかしてここ、志村くんの経営している道場?
中からは特に物音もしないけど……でも、もしかしたら誰か居るかもしれない。
そう思い、藁にもすがる思いで道場の戸を叩こうとした、その時。
「何やってんですかィ、こんなところで」
握った拳は、門を叩くことなく自分より何倍も大きな手のひらに包み込まれていた。
ちょっと意地悪なその声。
恐る恐る振り向くと思った通りのまん丸い目がそこにあった。
じんわりと額に汗が浮かんでいる。
「お、沖田さんっ」
「ったく。護衛がアンタを見失ったって騒いでましたぜ。あんまり心配かけさせないで下せェ。山崎なんか血相変えて出ていっちまったんですから」
見知った顔と聞き慣れた声に安堵のあまり腰を抜かしてしまいそうになった。
「よ、良かったぁ……」
「なんでィ。いい年こいて迷子かい?」
「う……だ、だって……」
沖田さんに今までの出来事を話すと、彼は小さく溜息を零す。
「はあ。アンタ、よく今まで生きてこれましたねェ」
「ど、どういう意味ですかそれ」
「目ぇ離すとすぐなんかに巻き込まれてる。放っといたら勝手に死んじまいそうだ」
「むう……」
正直、あんまり否定もできない。
「ま、こうしとけば安心だろィ」
そう言って彼は握っていた手を一度離して……もう一度私の手を取る。
彼の体温が緊張で冷たくなっていた指先にじんわりと流れ込んできて思わず息を吐いた。
「さ、帰りやしょう。皆心配してるんですぜ」
そう言って笑った沖田さんの後ろに、ゆらりと揺れる影が見えた。