また夜が明けて、今日。
蝉がその生命を賭けて番を探す音が、空高く舞い上がった入道雲まで届きそうな程に響いている。
清々しい夏空から照り付けるような陽射しが降ってきて、じんわりと汗が浮き上がった。
今日も良い日和だ。
そんな中。
赤い着物を纏った彼女は、真選組屯所の庭に逆さまに吊るされていた。
丁度、昨日の坂田さんや志村くん、神楽ちゃんのように。
暫し沈黙を続けていた彼女だったが、やがて意を決したように痩せこけた頬を動かす。
「あのう、どうもすいませんでした……私、地球でいう、いわゆる蚊みたいな天人で、最近会社の上司との間に子供が出来ちゃって……この子生むためにエネルギーが必要だったんです」
そういう彼女を、近藤さん筆頭の数人の隊員たちが囲んでいた。
「あの人には家庭があるから私ひとりでこの子育てようって。それで血を求めて彷徨ってたら男だらけでムンムンしてる絶好の餌場を見つけて、つい……本当すいませんでした……。でも私、強くなりたかったの! この子育てるために強くなりたかったの!」
言い訳のようにそこまで言い切って、彼女はぐ、と顔に力を籠める。
これだけ明るいお天道様の下にいるにも関わらず彼女の顔にはホラー映画さながらの影が落ちる。
「すいません、その顔の影強くするのやめてくれませんか?」
近藤さんのそんな声を聞きながら、私は一歩前に出た。
びくり、と吊るされている彼女は肩を揺らす。
「……あの、一言宜しいですか」
つい冷たい口調になってしまって、彼女が顔を強張らせた。
いけない、いけない。
「えっと……その、大変、でしたね」
「え?」
きっと予想外だっただろう、女性はぱちくりと瞬きをする。
「自分一人でお子さんを育てていこうなんて、並大抵の覚悟じゃできないことだと思います。強くなろうと必死だったんですよね」
「……は、はい……」
彼女にも彼女なりの信念があった。
守りたいものがあった。
「でも、あなたに大切なものがあるように、あなたに襲われた人たちのことを大切に思う人間が居ること……どうか、忘れないで下さい。あなたにとってはただの養分でしかなかったかもしれませんが、私にとっては、大切な人たちなので」
そうとだけ言って、私は縁側に戻る。
言いたいことは言った。
捕獲直後は頬をひっぱたいてやろうと思ったけど、彼女も必死だったのだ。
ただでさえ宙ぶらりんで男性に取り囲まれていて既に罰ゲームの様相を呈しているのにこれ以上責めることはできない。
なんだか不完全燃焼気味で小さく溜息を零すと、山崎さんが顔を覗き込んできた。
「咲さん、どうしたの? 具合でも悪い?」
「いえ、大丈夫ですよ」
そう首を振ると、縁側に寝転がっている坂田さんが投げやるように零す。
「ったくよお、幽霊にしろ蚊にしろはた迷惑だってのに変わりはねえな。それにしても咲ちゃん、いい啖呵切るじゃねえの」
「はた迷惑なのはテメェだ。報酬なんぞやらんと言っているだろう。いつまで居んだ。消えろ」
黙って話を聞いていた土方さんが足を組んだまま不満そうにそう割り込んできた。
一方、坂田さんも反論する。
「オメー、俺の一撃がすべてを解決したこと忘れたか?」
「なァに言ってんだ。テメェの前に俺の一撃ですべて決着ついてたんだよ。テメェなんぞいなくても俺だけでどうにかなったんだ」
そういえば彼女を捕獲できるよう弱らせてくれたのはこの二人だ。
昨日あの後、志村くんと共に庭に向かったら既に今回の原因である天人は地面で伸びていたので一体何があったのかはわからない。
あれだけ怖がってたのに……一体どうやったんだろう。
「ビビりまくってたくせに良く言うぜ。まさか鬼の副長と恐れられる男がお化けを恐れてるとは。お天道様でも思うめえ」
「あれはオメー、ビビってたんじゃねえ。ビックリしてただけだ。大きな間違いだぞ、これは。お前は明らかにビビってたけどな」
「あれはお前、乗ってやっただけだ。寧ろ俺はこういうの好きだぜ。これから毎回やろうか」
坂田さんがそう言うと殆ど同時。
彼らの背後にある襖が開き、神楽ちゃんが姿を現した。
「銀ちゃーん、そろそろ帰……あれ?」
そして縁側の下に坂田さんと土方さんが飛び込むのも殆ど同時だった。
「なあ咲、銀ちゃんは?」
「あー……えっと、」
どういうべきか迷っていると彼女は縁側の縁まで歩いてきて、地べたに這っている二人を見下げる。
「何やってるアルか、二人とも」
「いや、コンタクト……落としちゃって……」
神楽ちゃんの問いにハモる二人に、仲良いなあ、なんて思いながら眩しい空を見上げた。
今日は溜まっちゃってる家事纏めてやらないと。
暫くみんな寝たきりだったからお布団干してお洗濯してそれから……。
「あ」
そこまで考えて、思わず声を出す。
隣で不思議そうな表情を浮かべている山崎さんに視線を映した。
「? どうしたの?」
昨日のこと、彼は覚えているのだろうか。
触れられた耳朶が記憶と共にじんわりと熱くなっていくのが分かる。
「山崎さん……昨日、その」
「昨日?」
首を傾げる彼。
ああ、やっぱり寝ぼけてたんだ。
そう思うと同時に、顔に熱が集中する。
「い、いえ、なんでもないです。私、お洗濯しなきゃ! それじゃあ!」
熱くなった顔を見られないよう急いで立ち上がり、そそくさとその場を立ち去った。
「え、咲さん?! ……行っちゃった。昨日っていったい何の……」
彼が私の背を見送って放った言葉も、その言葉の後に昨日の夜を思い出して彼が真っ赤になっていたことも、私には知る由もない。