「マヨネーズ、これで足りるかなあ。やっぱりどのくらい足りないか聞いてから出ればよかった」
手提げ袋の中に詰まっているマヨネーズを見下げて、ほう、と息を吐く。
それにしても今日も暑い。
マヨネーズが悪くなってしまわないよう足早に屯所に戻り、手早く冷蔵庫にしまった後、お茶を淹れて再度客間へと足を運んだ。
すると話はもう終わったのか、縁側に腰掛けている土方さんと目が合った。
隣には近藤さんもいる。
なんだ、拝み屋さんはもう帰ったのか。
そう思いながら二人に近付こうとした視界の端に変なものが映り込んで立ち止まる。
侵入者かと思ったが、違った。
縁側に植えられた立派な木……そこに人が吊るされている。
それも三人。
男性と、男の子と女の子が。
そしてなぜかその目の前に座り込み、コーラを飲んでいる沖田さん。
「これは一体」
現実とは思えない光景に危うくお盆を落としかけた。
すると私に気がついたのか近藤さんがこちらを見やって、目を細める。
「お、咲、お帰り」
「只今戻りました……。えっと、一体何が……?」
困惑しながらも二人にお茶が入った湯呑を渡すと土方さんが、そういえばお前は初対面だな、と零した。
「あいつらは万事屋っつってな。まあ、色々あったんだ」
「……確かに、本当に色々あったみたいですね」
一体どのくらいあの状態なんだろう。
女の子なんて顔が真っ青になってしまっているけれど……大丈夫かな……。
お茶を渡しに行こうか迷っていると、メガネをかけた男の子が恐る恐る口を開いた。
「悪気はなかったんです。仕事もなかったんです……。夏だからお化け退治なんて儲かるんじゃねえのって町触れ回ってたら……ねえ、銀さん?」
「そうだよ。俺、昔から霊とか見えるからさ。それを人の役に立てたくて」
銀髪の男性がそう言う。
声は震えて、酷く苦しそうだ。
それを聞いた沖田さんが立ち上がったタイミングを見計らって声をかける。
「沖田さん」
「おう、おかえりなせェ、咲」
「ただいま戻りました。お茶いりますか?」
「ん。いる」
そっと差し出すと彼はそれを受け取り、吊るされている三人に近づく。
沖田さん、一体なにするつもりなんだろう。
「あ、君の後ろにめちゃめちゃ怒ってるババァが見えるね」
銀髪の男性が逆さのまま沖田さんにそういう。
くるりと背後を振り向いた彼と目が合った。
すっごい楽しそうな顔してる……。
「マジですかィ? きっと駄菓子屋のババァだ。アイスの当たりくじ何回も偽装して騙したから怒ってんだ。どーしよ」
「心配いらねえよ。俺たちを解放して水を与えれば全部水に流すってよ」
「そうか。わかりやした。じゃあこれ、鼻から飲んでくだせぇ」
止めようとしたがもう遅い。
コーラは無情にも傾けられた缶からこぼれ出て、銀髪の彼の鼻に流れていった。
「あーいででででッ!! 何これっ、なんだか懐かしい感覚ぅ! 昔プールで溺れた時の感覚ぅ!」
結局半分以上残っていたそれを沖田さんは何の躊躇もなく銀髪の彼に注ぎ切る。
そしてこちらに振り向いて、先ほど渡した湯飲みを持ち上げ、こちらを見つめた。
「咲もやるかィ?」
「え、遠慮しときます……」
「そうかィ。じゃあ俺が代わりにやっときますぜィ」
そう言って楽しそうに湯飲みを傾け始めた彼に背を向けて縁側に戻り、自分もお茶を啜った。
「おいトシ。そろそろ降ろしてやれよ。このままだと総悟がSに目覚めるぞ」
「なァに言ってんだ。あいつはサディスティック星からきた皇子だぞ。もう手遅れだ」
隣に居る近藤さんと土方さんとの会話を聞きながらお茶を喉の奥に流し込んで、空を見上げる。
いい天気だなあ。
……あれ?
「そういえば山崎さんは?」
隣で同じようにお茶を啜っていた土方さんにそう問いかけると、彼は言葉に詰まった後、視線をずらす。
「あーえっと……寝込んでる」
「え? もしかして山崎さんも被害に?!」
「まあ、そんなとこだ」
「そ、そんな……。早く原因を突き止めなきゃですね……」
そういえば、と彼に向き直った。
「倒れた方々、みんな虫刺されのような傷があったんです。これってなにか関係してたりしませんかね?」
土方さんは少し考えたようだったがすぐに首を振る。
「ただの偶然だろう」
「……そうですよね」
彼の言葉に頷きながら、私は再び晴れ渡った青空を見上げた。
結局、吊るされていた三人が解放されたのはそれから暫く経ってから。
じりじりと太陽が照り付ける庭に、やっとこさ解放された三人はその身を放り出していた。
「あー……気持ち悪いヨ……」
「うえぇ……」
力なく倒れる三人に恐る恐るお茶を差し出す。
「良かったらどうぞ」
「ありがとうございます……」
眼鏡をかけた男の子がそう言い、起き上がってお茶を啜った。
目尻には涙が薄っすらと浮かんでいる。
「私、咲っていいます。えっと、あなた方は……?」
「僕は志村新八です。そこにいる銀髪の人が坂田銀時、で、そっちの女の子が神楽ちゃん。あの、咲さん、さっきはすみませんでした……」
「? 何がです?」
「え……銀髪のオッサンがセクハラしたじゃないですか」
「え? あれって除霊じゃなかったんですか?」
「マジかこの人」
ぽかんとしているメガネの男の子、もとい志村くん。
「あの……今日会ったばっかりであれなんですけど、詐欺とかには気をつけてくださいね」
「? は、はい……お気遣いありがとう……?」
年下の男の子にえらい心配されてしまった。
なんで心配されたのかはわからないけれど、とりあえずお礼を言っておく。
それから未だ倒れたままの二人にもお茶を渡すためしゃがもうとしたのだが、それは叶わなかった。
「土方さん?」
いつのまにか後ろに居た彼はしゃがもうとした私の腕を持ち、更に湯飲みを奪い取ると一気に中身を飲み干した。
そのまま前に出て、声を荒げる。
「本来ならテメェら叩き切ってるところだが生憎テメェらみたいなのに構っているほど今は俺たち暇じゃねェんだ。消えろや」
その言葉に、いつの間にか体を起こしていた銀髪の彼と女の子……えっと、坂田さんと神楽ちゃんとがぱちくりと瞬きをして、にんまりと笑った。
「ああ、幽霊怖くて何にも手につかねえってか」
「可哀想アルなあ。トイレ一緒について行ってあげようかぁ?」
馬鹿にしたような白い視線に思わず苦笑いが零れる。
その時、背後に居た近藤さんが勢いよく立ち上がった。
「武士を愚弄するかァ! トイレの前までお願いします!」
「お願いすんのかい!」
ば、と姿勢よく頭を下げた近藤さんの勇ましい背中に土方さんがツッコむ。
「いやあ、さっきから我慢してたんだ。でも怖くてなあ」
ふいと振り向き、そういう彼の顔は言葉とは裏腹に勇ましく目は細められていた。
それだけ言い残して神楽ちゃんと一緒に厠へと向かう近藤さんの背中を土方さんは目と口とを開いて呆然と見送っている。
「おぉい! アンタそれでいいのか?! アンタの人生それでいいのか?! オイ?!」
最後の一押しとばかりにその背中に土方さんが叫んだけれど、近藤さんは振り向くことなく行ってしまった。
その背が見えなくなった頃、土方さんはため息と共に肩を落とす。
そして坂田さんと志村くんとに振り返りじいと見つめた。
「テメェら、頼むからこのことは他言しないでくれ。頭下げっから」
「なんか相当大変みたいですね。大丈夫なんですか?」
心配そうな志村くんの声色に思わず溜息が漏れる。
「正直……大丈夫ではないですね。原因もわからないし、どう対処したら良いのかさっぱりわからなくて……」
すると土方さんは腕を組み、足元を見つめた。
「咲の言う通り、巡回に人数も割けねェぐらいの状況だ。情けねェよ。まさか幽霊騒ぎ如きで隊がここまで乱れちまうたあ……。相手に実体があるなら刀で何とでもするが、無しときちゃあこっちもどう出ればいいか皆目見当もつかねえ」
「えっ、なに? おたく、幽霊なんて信じてるの?」
土方さんの言葉に坂田さんは若干声を潜めてそう言い、左腕を庇うような仕草をする。
「いたたたたた! 痛いよう! お母さァん! ここに頭怪我した人がいるよぅ!」
「お前いつか殺してやるからな……」
彼の渾身の煽りは土方さんにはクリティカルヒットだったようで、彼のこめかみには青筋が浮かんだ。
とはいえ実際に抜刀しなかったのは恐らく多少なりとも図星だったからだろう。
「まさか土方さんも見たんですかィ? 赤い着物の女」
沖田さんが土方さんに目線を送った。
坂田さんに向けていた視線を、沖田さんに倣って土方さんに戻す。
「何か見たんですか?」
「……わからねえ。だが妙なもんの気配は感じた。ありゃ多分人間じゃねェ」
そういう彼の目は真剣そのもので決して嘘ではないのだろう。
たとえそれが見間違いや勘違いだとしても。
「いたたたたた! 痛い! 痛いよう! お父さァん!」
「絆創膏持ってきてぇ! できるだけ大きな、人ひとり包み込めるくらいのォ!」
そんな彼に、沖田さんと坂田さんとは先ほど坂田さんがやったのと同じポーズで同じような表情を浮かべ、仲良く土方さんを煽った。
仲良しだなあ、思ったより。
「オメェら打ち合わせでもしたのか」
今にも飛び掛かりそうな土方さんの裾を引っ張って止める。
「幽霊云々はともかく、実害が出ているのは事実なんです。これがなんの仕業だったにせよ、早めにどうにかしなければこのままじゃ全滅しちゃいますよ」
事実、薬を飲んでもらったり冷やしてみたり温めてみたりと色々試してみたけれど効果は無く、ただ苦しそうにうめく彼らの肌に滲む汗を拭くことしかできていないのだ。
無力な自分に腹が立つ。
その時背後に居た志村くんが、赤い着物の女か、と呟いた。
視線が一気に彼に集中する。
「確かそんな怪談ありましたね。僕が通ってた寺子屋でね、一時そんな怪談が流行ってたんですよ。えーっと、なんだっけな…夕暮れ時にね、授業終わった生徒が寺子屋で遊んでるとね」
彼は無駄に臨場感を持たせるためにそこで一呼吸置く。
……え、なんか怪談話始まった?
「もう誰もいないはずの校舎に赤い着物を着た女が居るんだって。それで何してんだって訊くとね、」
彼がオチを言いかけた次の瞬間だった。
まさしく悲鳴と称するに相応しい、妙に甲高い悲鳴が響き渡る。
肩が震え、思わずそれが聞こえた方角へと振り向いた。
「今のって、近藤さん……?」
駆けだした土方さんに続き、草履が縺れそうになりながらも悲鳴が聞こえてきたであろう厠に駆け込んだ。
そこには個室のドアをどんどんと叩く神楽ちゃんの姿が。
「神楽! どうした!」
「チャックに皮が挟まったアル」
神楽ちゃんに駆け寄った坂田さんを押しのけ、続いて厠に飛び込んだ土方さんが錠が落とされた個室のドアを蹴破る。
そうして広がった目の前の景色に思わず呼吸が止まりそうになった。
「こ、近藤さん……!」
近藤さんは厠の便器に頭を突っ込み、足を全開にしてひっくり返っている。
……ふんどしを履いているのがせめてもの救いだろうか。
坂田さんの、なんでそうなるの、という小さなツッコミを聞きながら、昔見たスプラッタ映画でこんなワンシーンあったな、なんて現実逃避をするのだった。