その日の夜、ちょうど時間は午前二時。
私は明かりを手にすっかり静まり返った屯所内を歩き回っていた。
理由は一つ。
隊員たちが次々倒れている原因を探るため。
正直なところ、幽霊を信じてはいない。
しかしこれが一体何の仕業だったにせよ、隊員たちを苦しめている犯人には何か一言言ってやらないと気がすまない。
そう思い、もうかれこれ屯所内を二回ほど周ったのだけど……。
「何も居ない、かぁ」
思わずため息を零す。
このままでは隊員が全員被害に遭ってしまうかもしれない。
そうなる前に原因をどうにか取り除かなければ……そう思っているのだけど、やっぱり犯人らしきものは影も形も見当たらなかった。
朝餉の用意もあるし、今日はこの辺にして寝ようと踵を返した、その瞬間。
ちょうど曲がり角の向こう、縁側をぎしぎしと踏み鳴らす音が聞こえてきた。
慌てて灯りを消し、曲がり角の影に身を潜める。
足音……ということはやっぱり犯人は生きた人間?
私一人で対処できるだろうか。
少し不安になりながら、護身用にと屯所の道場から借りてきた木刀を握りしめた。
足音はこちらに少しずつ近付いてきて……人の足が視界の端に滑り込むと同時に、木刀を構える。
足音の主の首筋めがけて木刀を宛てがおうと思ったのだが、どうやらちょっと計算に失敗してしまったらしい。
木刀の腹が足音の主の胸元に当たり、べちぃ、と痛そうな音がした。
「いたぁっ?!」
聞き慣れた声が聞こえ、足音の主を見上げると……。
「や、山崎さん?!」
震えながら胸元をさする山崎さんがいた。
目尻にはうっすらと涙が浮かんでいる。
驚いた私の手から木刀が零れ落ち、からころと音を立てて転がった。
「すっ、すみません! 私、すっかり侵入者だと思って……! 手当! 手当しないと!」
慌てて救急箱を取るため走り出そうとした私の腕を山崎さんがそっと掴む。
「ちょっと待って、咲さん! 落ち着いて、俺大丈夫だから!」
「で、でも……すっごい痛そうな音が……」
「確かに痛かったけど、でも大丈夫。これくらいで怪我するほどぬるい鍛え方してないよ」
「うう……すみません……」
改めて頭を下げると彼は小さく笑った。
「それにしても、こんな時間にどうしたの? そんな木刀なんて持って……」
「えと、犯人を見つけようと思って」
犯人?と首を傾げる彼に木刀を拾い上げながら続ける。
「私、毎日倒れてしまった皆さんの汗を拭くことしかできないので……せめて、犯人を見つけて何か一言でも言ってやろうと思って」
「そ、そうなんだ。でも、なんで木刀?」
「犯人が生身の人間だった場合の対処です」
そう言うと彼は、なるほど、と零しながら私の手から木刀をそっと奪い取った。
「それなら尚更、一人じゃ危ないでしょ。本当に犯人と遭遇したらどうするのさ」
確かに、剣の心得もない人間が、訓練された隊員たちを打ち負かすような相手に勝てるはずはない。
それでも、無力な自分が嫌で、居ても立っても居られなかったのだ。
「ご、ごめんなさい……何か、お役に立ちたくて……」
「もう咲さんは十分俺たちを助けてくれてるよ。だからこんな危ないことしないで。ね?」
優しくそう言われ、頷きながら自分の軽率な行動を反省する。
本当に犯人と遭遇して自分まで倒れてしまっていたら目も当てられなかっただろう。
「ところで、山崎さんはどうしてこんな時間に……?」
「実はちょっと寝付けなくて。しかも小腹空いちゃってさ。……つまりその、こっそり深夜のつまみ食いにきたんだけど……えーっと」
恥ずかしそうに頬を掻く彼。
ちらちらとこちらを見るその様子に一瞬戸惑ったものの、すぐに何を言いたいのか察した。
「それなら、お夜食作りましょうか。できるだけヘルシーなものを」
私の言葉に彼は目をきらきらさせて何度か頷く。
「良かった……つまみ食いはダメって怒られるかと思った」
安堵した様子の彼。
その様子に思わず笑いながら、二人で静かに台所へと向かうのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
日付が変わって、翌日。
結局犯人が見つかることもなく、魘される隊員たちの身の回りの世話に明け暮れていた、昼前の時間帯。
衣類やタオルの洗濯を終え、隊士たちの様子を見に行こうと廊下に出たところだった。
「あ、咲さん」
山崎さんが駆け寄ってくる。
その様子がなんだか少し可愛らしくて、思わず口元が緩んだ。
「山崎さん。どこか行ってらしたんですか?」
「局長の命令でね。拝み屋を探しに行っていたんだ」
拝み屋さん?
そっと彼の背後に視線を持っていくと、笠を被り、顔面に包帯を巻いた男性と目が合う。
両隣にまん丸いサングラスを身に着けた人と、尼のような恰好の人を従えている。
拝み屋さんってこんなんだったっけ?
見るからに怪しい風貌だけれど……。
「貴方が噂に聞く、真選組のお手伝いさんですか」
包帯を巻いた彼が包帯の奥でもごもごとそういう。
なんというか、とんでもなく喋りづらそうだ。
「"噂に聞く"……ですか」
その言葉がざわりと胸に引っかかる。
自分のことが最近噂になっているということには薄々気付いていた。
つい先日、買い物の途中で立ち寄った本屋さんに並んでいたゴシップ誌……そこに自分のことが取り上げられていたのだ。
見出しは、こう。
"天下の真選組に唯一の弱点!"。
記事をさらっと読んだ感じだと、私さえ篭絡してしまえば真選組は簡単に攻略できるといったような内容だった。
所詮はゴシップ誌の触れ込み、そこまで気にしなくて良いと思う反面、自分が真選組にとって重荷になっていることについ気落ちしてしまう。
「咲さん……?」
突然黙り込んでしまった私を心配してくれたのか、山崎さんが顔を覗き込んでくる。
いけない、いけない。
お客様の前で暗い顔なんてしちゃダメだ。
慌てて気持ちを切り替え、顔に笑顔を貼り付ける。
「わざわざご足労頂いてすみません。後程お飲み物をお持ちしますのでお待ちくださいね」
彼らにそう言い頭を下げ、台所へと向かう。
お湯を沸かしている間にお茶っ葉を用意して……お茶菓子は、とりあえずいいかな。
お茶の入ったポットと湯飲みを用意して客間を訪れると、近藤さんと土方さん、沖田さん、そして山崎さんが丁度拝み屋さんの話を聞いている途中らしかった。
「失礼します。お茶、お持ちしましたよ」
「おお、咲。すまんな」
お礼を言ってくれる近藤さんに笑みを返し、拝み屋さんの前にお茶を差し出す。
その時。
「そこのお嬢さん」
「……?」
真ん中に座っていた、先ほど目が合った包帯の男性に呼び止められた。
手招かれるまま彼の目の前に座る。
「貴方に強力な霊が憑りついていますねぇ」
「なにっ?! では今回の騒動は咲についている霊のせいだというんですか?!」
「まだ断定はできませんなあ。確かめてみましょう」
興奮気味の近藤さんを制すようにそういうと包帯の彼は私に背を向けるよう指示をした。
訳が分からないまま指示通り包帯の彼に背を向ける。
「失礼しますよっと」
声と同時に男性の手が背中に触れた。
そのまま手は背中を上下に行ったり来たりして……なんというか、体がむずむずする。
多分今、すごい真剣にやってくれてるんだろうけど……。
「っふ、ふふ……っ、んぅ、」
めっちゃくちゃ擽ったい!
どうしよう、つい声が出てしまう。
抑えなければと思えば思うほど感覚は鋭くなっていって、男性の手が背中を這うたびに肩がびくりと跳ねた。
「ひっ……あっ、あの……っ、これ、いつ終わる、んです……かっ……?!」
これ以上されたら、大声で笑ってしまいそう。
早く終わって……!
っていうかこれ、今なにしてるんだろ?
「や、待っ……だめぇっ……」
一旦休憩させてもらおう。
そう思い、思わず逃げ出そうとしたその時だった。
◆ ◇ ◆ ◇
思わず立ち上がった。
目の前には笠を被った包帯男、そしてその包帯男に触れられて体をびくびくと震わせている咲さん。
除霊とか何とか言ってるけど絶対嘘だ!
あいつ、咲さんに触りたいだけだろ!
思わず二人の間に割って入って、男から彼女を引きはがす。
咲さんはというと頬を赤く染めて浅い呼吸を繰り返していた。
「除霊の邪魔しないでもらえます?」
「こんな除霊法聞いたことねえわ!」
どうやらこの行動は真ん中の男の独断だったようで、両端にいる似非中国人みたいな人物と尼のような恰好をした人物は口を開けてぽかんとしている。
「大丈夫ですか、咲さん」
「あ、ありがとうございます……もう、くすぐったくて……おかしくなっちゃうところでした……」
彼女の言葉に思わず安堵からがっくりと肩を落とした。
良かった、くすぐったかっただけか。
顔赤くして震えてるもんだから、えげつないセクハラでも受けてるのかと思った。
それはそうと、このままでは何されるかわかったもんじゃない。
とにかく彼女をこの場から離れさせなければ。
「咲さん、お使いを頼んでいいですか? マヨネーズが少なくなってるので買い足してきてください」
「で……でも、お客様は? それに、除霊とかなんとか……」
「いいから! 大丈夫、もう除霊終わったから! お茶とかは俺がやっとくし! ね、ほら! 早く行ってきて!」
その後、俺は話の流れでなぜかボディーブローを決められることになるのだけれど、彼女を逃がしてあげた健闘は称えられて然るべきだと、自分を慰めるのであった。