山崎さんにおにぎりを届けてから、数日後のこと。
彼と約束した通り、土方さんにお弁当を持たせて見送り、洗濯を終えて休憩していたのだけど。
「咲さん……ッ、山崎さんが!」
突然目の前に飛び込んできた隊員から告げられたのは、山崎さんが潜入先の部屋で倒れていたという知らせ。
どうやら既に土方さんが救急車を手配してくれて今は病院に運ばれたところだという。
不安ではち切れそうになる心臓に鞭を打ち、上着も着ずに搬送先の病院へと駆け出した。
◆ ◇ ◆ ◇
目を覚ますと、見知らぬ天井が目の前に広がっていた。
部屋のドアの前にあった、楢崎幸からのであろう肉じゃがを食べてから3日。
何があったのか状況が理解できずにいると、ベッド脇に苦い顔で座り込んでいる副長と目が合った。
「副長? なんで……ここは……?」
一体自分はどうなってしまったんだろう。
その答えを知るべく副長の次の言葉を待ったのだが……。
「山崎さんっ!!」
副長の言葉を遮るようにして飛び込んできたのは、咲さんの声。
彼女はそのままベッド脇まで駆け寄ってきたかと思ったら、瞳いっぱいに涙を溜めながらへなへなと座り込んでしまう。
「よか……ったぁ……生きてたぁ……っ」
えっと……。
「あの、ここは一体……?」
「病院だ」
病院?
どうして自分はこんなところに?
いや、それよりも……。
「幸さんは? 幸さんの弟はどうなったんです?」
「逃げた」
狼狽える俺を見て、表情一つ変えず煙草を咥えたまま副長は応える。
「姉弟揃って金持ってね。山崎、俺たちはあの女に嵌められたんだよ」
組織からの資金強奪は姉弟共謀だった。
いち早く俺の存在に気づいていた姉、楢崎幸は俺を欺くために一か月もの芝居を打った。
そして、俺が憔悴しきったところで手を差し伸べ、毒を盛った。
「良かった……良かったよぉ……っ」
シーツを握りしめ、ぼろぼろと涙を零す咲さんの様子に俺はどうしたらいいかあたふたとした後、そっと彼女の髪を撫でる。
「咲さん……すみません、心配かけましたね」
小さく嗚咽を漏らす彼女。
ここまで心配されると不謹慎だけど何だか嬉しくなってしまう。
「そら恐ろしいもんだな、女ってのは。どこまで剥いていっても化粧、化粧。すっぴんなんて拝める日が来るのかねえ」
咲さんの手前、随分なことを言うと思ったけれど今回に関しては俺も同意見だ。
そんなことを思いながら恐る恐る彼女の顔を覗き込むと、彼女はぐいと目元を少し乱暴に拭い、ぷっくりと頬を膨らませた。
「そんな人、どうせすっぴんは大したことないに決まってますっ」
驚いた。
彼女でも他人に悪態を吐くことがあるのかと。
だけど、それほど彼女は……あの女に対して怒ってくれている。
「咲、なかなか言うじゃねえか」
どこか楽しそうに笑った副長を咲さんはきりっと睨みつけた。
「当たり前ですっ! 今回は大事に至らなかったから良かったものの、もしも山崎さんが目を覚まさなかったら……! 私、私……っ」
そこまで言って彼女の瞳からは、また涙が溢れ、流れ落ちていく。
「あああ、咲さん、泣かないで! 俺、全然大丈夫! 平気ですから! ほら、生きてるから!」
再び静かに泣き出してしまった彼女を宥めていると
「…まあ、十分に餌の役目は果たしてもらったさ。女の周りをうろついてた連中は全部俺たちがしょっぴいた。チンピラ二人を逃がしたところで釣りが来る」
彼は煙草に火をつけなおして、こちらに視線を寄越した。
俺は思わず手元に視線を落とす。
「俺たちが自由に動けたのはお前が居たからだ」
副長は珍しく元気づけるようなことを言ってくれているが、俺は今回あまり役に立てたとは思えない。
自分の勝手な願掛けで自ら衰弱し、気付いていなかったとはいえ敵の術中に嵌ってしまった。
その時どこかで聞いたような、お待たせしやしたー、という元気な声と、病室のドアを開ける音がその場に響く。
「山崎、お前はよくやった」
そう言い、彼はマヨネーズがこれでもかと蜷局を巻いている丼を俺に差し出した。
「土方さん、それは身体に悪いんじゃ……」
マヨネーズがラーメンを埋め尽くしていくのを涙目のまま表現し難い表情で見つめていた咲さんが恐る恐るそう口を開く。
「あ?マヨネーズは万能食だぞ。これ食ってれば死なねえよ」
「どう考えても死期が近付くだけですよそれ……」
「俺が死んでねえから大丈夫だ。お前も食うか?」
咲さんは、結構です、と顔を顰めた。
差し出されたラーメンからは(マヨネーズの匂いさえなければ)美味しそうな湯気が立ち上がっている。
彼の気持ちが嬉しくないといえば嘘だ。
だけど……今、俺がほしいのはそんなものじゃない。
「副長、柄にもねぇことやめてくれませんか? もしかして、俺を慰めてるんですか」
そう言うと咲さんと副長の視線がこちらに集中する。
「落ち込んじゃいませんよ。女に騙されんのも、任務失敗すんのも慣れっこなんで」
「山崎さん……」
「ただ、どうせ負けるんなら自分のルールで負けたかったな」
なにか言いかけた咲さんに笑みを向けると、彼女はぐ、と口を噤んだ。
「どうやら今食いてえのはラーメンなんぞじゃないようだな」
副長は何か勘づいたようにそう言う。
そんな彼に振り向いて、三白眼をまっすぐ見つめた。
「いいですか、おねだりしても」
◆ ◇ ◆ ◇
そんなことがあった数日後、山崎さんの活躍で結局、楢崎幸と鈍兵衛はお縄に付くことになる。
本当は自分も一緒についていって手当たり次第あんぱんを顔面に叩きつけてやりたかったが山崎さんの迷惑になっても嫌なのでそこはなんとか自分を制した。
「……私も、行きたかったなあ」
帰還後、残しておいた夕食にがっつく彼を見ながらそう呟くと彼は食事の手を止めてふいとこちらを向いた。
「え?」
「標的の確保……私も一緒に行って、せめてあなたに毒を持ったあの女に一矢報いてやりたかったなって」
そう言うと山崎さんはぽかんとした後、肩を震わせる。
「ふ、ふふっ……咲さんって思ってたより感情豊かだね」
彼のその言葉に今度はこちらがぽかんとしてしまう。
「最初に会ったときはお淑やかで静かで……虫も殺さないような人だと思ってたから……って……」
笑いながら楽しそうにそう言った彼は、言い切った後にはっとしたように顔を上げた。
「ご、ごめん、俺今すっごい失礼なこと言ったね……! えっと、その、バカにしてるわけじゃなくって……!」
あたふたしだした彼。
一体、彼には私の姿がどう映っていたんだろう。
彼が思っているほど私は出来た人間じゃない。
「ふふっ。山崎さん、もしかして私のこと、聖人君子かなにかだと思ってたんですか?」
「あ、えと……ご、ごめん……」
「謝らないで下さい。怒ってるわけじゃないんです」
そう言うと彼はまたぽかんと不思議そうな顔をする。
「実際には私、結構執念深いですよ。もし山崎さんが目を覚まさなかったら……犯人が地の果てにいようと追いかけて、報復していたと思います」
「そ、そうなんだ……目が覚めてよかった……」
「まあそれは冗談として、藁人形に五寸釘打つくらいはやってたかもしれませんね」
「ひぇ……」
小さく悲鳴を上げた彼に微笑む。
実際それをするかどうかは別として、私はそれだけ、彼を苦しめたあの女に対して怒ってる、ということだ。
「とはいえ、もう過ぎたことですし。事件の話はこのくらいにしましょうか」
「そ、そうだね」
ずず、と味噌汁を啜る彼。
「あ、そういえばまだ言っていませんでした」
手を止めて首を傾げる山崎さんに改めて姿勢を正し、少しだけ頭を下げる。
「おかえりなさいませ、山崎さん」
「……うん。ただいま、咲さん」
彼は少し驚いた後、味噌汁の茶碗を置いてにっこりと微笑んだ。