降り注ぐ陽の光にじんわりと汗が滲む、午前。
屯所の庭でお布団を干しながら、爽やかな青空を見上げる。
「今日はお洗濯日和だなあ」
せっかく天気がいいし山崎さんの分もお布団干しちゃおっと。
そう呟き、ここ暫くずっと押入れに仕舞われたままの彼のお布団を取り出す。
「山崎さん、大丈夫かな……」
彼が任務に出てから、一か月近くが経った。
様子を時折見に行っている土方さんが言うには標的に動きがなく任務が長引いているのだという。
早く仕事を終えて帰ってきて欲しい。
そう思うくらいはきっと許されるはずだ。
「おい、咲」
名前を呼ばれて振り向くと、私服姿の土方さんがいた。
なにやら苦々しい表情をしている。
「土方さん。どうしました?」
すると彼は少し悩むように視線を泳がせて……やがて、こちらをまっすぐと見据えた。
「これから山崎の様子を見に行く」
彼の言葉に少し固まる。
その苦々しい表情は一体何を示唆しているのか。
「いってらっしゃいませ。じゃあ、いつも通り伝言を……」
「今日は一緒に行くぞ」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
すると土方さんはがしがしと頭を掻いて、煙草を咥える。
ふう、と白い煙を吐いた彼は呆れたような声色で続けた。
「心配するだろうと思って言わなかったが、山崎は潜入任務中あんぱんと牛乳しか腹に入れねェんだ。俺がなに言っても聞きやしねェ。だから、お前から言ってやってくれねえか? お前の言葉ならあいつは従うかもしれねぇからな」
もう行けるか、と彼は煙草を咥えながら呟く。
「あんぱんと牛乳だけって……まさか、そんな食生活を一ヶ月も?!」
思わずそう声を荒げると土方さんは眉間にシワを寄せながら小さく頷いた。
「ど、どうして……せめて、お弁当とか」
「なにやら願掛けらしい。張り込むときは一ヶ月だろうが半年だろうがいっつもそれだ」
そんな食生活をこれ以上続けられたら、次会うまでに彼が倒れてしまうかもしれない。
それだけはなんとか防がなければ。
私は真選組の女中なんだから。
「土方さん、少しだけ待っててもらえますか?」
「? おう」
逸る気持ちを抱えたまま慌てて台所へ駆け込み、飯盒に残ったご飯を確認する。
朝食の後だからあんまり残ってないけど、これだけあれば三つは作れるはず。
「具は……鮭とおかかと、あと昆布の佃煮が残ってるから……」
冷蔵庫の中身も確認しつつ残ったご飯に鮭、おかか、昆布を詰め込んでふんわりと握る。
するといつの間に来ていたのか、土方さんが私の手元を覗き込んだ。
「何してんだ」
「おにぎりを作ってます。急拵えなのでこんなものしかできませんが、あんぱんよりはマシなはずですから」
「……そうか」
昨日仕込んでおいた香の物もタッパーに入れて……。
「なあ」
「はい?」
「俺にも一つ握ってくれ」
「え? いいですけど……さっき朝ごはん食べてましたよね……?」
「作ってんの見たら腹減ってきた」
随分と強靭な胃袋だ。
流石毎日あれだけのマヨネーズを摂取してるだけある。
「じゃあ、鮭マヨにしましょうか」
そういうと彼は一瞬だけ子供のように目を輝かせた。
その様子に笑いを堪えながら鮭の身をほぐし、マヨネーズと和える。
「おい、これじゃマヨネーズ足りねえぞ。もっとガッと入れろ、ガッと」
「これ以上入れたらおにぎりじゃなくなりますよ……」
土方さんの無理難題はとりあえず突っぱね、鮭マヨをご飯で包み海苔を巻いた。
それを食べやすいようラップで包み土方さんに差し出す。
「はい、どうぞ。足りないマヨは自分で上からかけてくださいね」
山崎さんの分は風呂敷に包んで、と。
よし、準備完了。
「お待たせしました。行きましょう」
◆ ◇ ◆ ◇
前を歩く土方さんの背を夢中で追いかけているうちに、景色は住宅街、繁華街を抜け、いつの間にか少し寂れた町外れのものに変わっていた。
舗装されていない道は草履では少し歩きにくく、時折躓いてしまいそうになる。
「……なんか、治安が悪そうなところですね」
「良くはねえな」
山崎さんはこんなところに一ヶ月も……。
いや、こんなところというとこの辺に住んでいる人たちには失礼かもしれないけれど。
でも道端にはゴミがそこかしこに落ちていて、町の手入れが行き届いてるとは到底言えない。
思わず震える指先をぎゅうと握りしめると、道端にしゃがみこんでいる目付きの悪い男性と目が合ってしまい、慌てて視線を逸らす。
ダメだ、できるだけ足元を見て歩こう……なんて思っていると。
「咲」
「なんですか……って、わっ?!」
突然土方さんに声を掛けられた。
と思ったら、なにやら布のようなものを頭から被せられる。
「それ被って顔隠してろ。あと俺から離れるんじゃねェ」
どうやら先程まで肩にかけていた羽織を貸してくれたらしい。
煙草の匂いが染み付いたそれを握りしめるとなんだか妙に安心する。
「ありがとうございます」
それからどのくらい歩いただろうか。
ずっと歩きっぱなしだった土方さんがやっと足を止めたのは、お世辞にも綺麗とはいえない小ぢんまりとしたボロアパートの前だった。
「ええと……ここ、ですか……?」
「ここだな」
確認した後、改めて目の前の建物を見上げる。
なんというか、一週間くらいかけてお掃除してあげたいぐらい汚れている。
日当たりも良くなさそう……。
そんなことを考えながら土方さんの後に続いて、そのアパートの一室にそっと足を踏み入れた。
「山崎、いるか」
土方さんが室内に声を掛けた、その瞬間。
前方から、ぱぁん、と発砲音のようなものが聞こえてきて思わず肩が震え小さく悲鳴が溢れる。
前に居る土方さんの足元にどろりとした茶色い何かが零れ落ちた。
「ひ、土方さん…?!」
思わず身体を乗り出すと、何かを投げた後のようなポーズの山崎さんと目が合った。
◆ ◇ ◆ ◇
もう嫌だった。
一向に娘に動きがない。
ここにきてからもう二十五日も経っている。
あんぱんはもう食いたくない。
牛乳も飲みたくない。
折角咲さんが屯所にいるっていうのに全ッ然会えてない!!!
てか咲さんを屯所に誘うとき、俺が守るとか格好つけて言ったくせにほったらかしにしちゃってるし嫌われてたらどうしよう。
あんな男ばっかりの空間で怖い思いしてないかな。
既に誰かの毒牙にかかったりしてないかな。
もうさっさと屯所に帰って咲さんに会いたい。
咲さんのご飯食べたい。
副長も局長も隊長も咲さんのご飯食べれて羨ましい、ずるい。
もうあんぱんは嫌だあんぱんは嫌だあんぱんは嫌だあんぱんは嫌だあんぱんは嫌だ。
「山崎、いるか?」
玄関が開く音がした。
のうのうと足音が入ってくる。
俺は苛立ちを抑えないまま部屋に入ってきた副長に向けてスパーキーングッ!!!!
ここ数日、壁、天空、スーパーのバイトに向けて幾度となくあんぱんをスパーキングしてきた俺は最早スパーキングのプロだ。
あんぱんは寸分の狂いもなく副長の顔面に当たり、中身もろとも四散する。
ぼとりと音を立てて餡子が彼の顔から床に落ちた、その時だった。
「ひ、土方さん…?!」
べたべたになった彼の後ろから、愛おしい声が聞こえてきた。
ひょいと顔を覗かせた彼女と目が合う。
え、待って?
これ夢?
だってこんなところに咲さんがいるわけないよね?
「山崎ィ……テメェ……」
「土方さん! 抑えて! 抜刀しないでください!」
「安心しろ。一撃で終わらせる」
「終わらせちゃダメですよ?!」
刀を抜きかけた副長の腕を咲さんが掴む。
大人しく柄から手を離した副長を見て安堵したらしい彼女は改めてこちらへ向き直った。
途端、彼女の視線は六畳一間の薄汚い空間をあちこち泳ぐ。
「え、えっと……咲、さん? お、お久しぶりです……?」
なんと声をかけていいかわからず目を逸らしながらそう言うと、彼女は俺の前に歩み出てきて……。
「山崎さん」
明らかに怒っているとわかる声色が聞こえたと思ったら、突然両頬を包み込まれ、少し強引に正面へと視線を戻された。
自分よりも背の低い彼女と視線がかち合う。
彼女の手のひらは柔らかくて温かくてすべすべで、自分の肌がどれだけ荒れているのかが触れずともわかった。
「こんなに痩せて……! あんぱんしか食べないって本当なんですね」
彼女の頬はぷっくりと膨らんでいる。
怒ってるのかな。
可愛いな。
「ダメですよ、こんな生活じゃ。隈も酷いですし、寝てないでしょう」
桃色の唇が動く。
その奥にある真っ赤な舌すら美味しそうだ。
「山崎さん? 私の話、聞いてますか?」
ずいと彼女の顔が近付いてきて、驚きでぼうっとしていた頭が冴え渡るのが分かった。
と同時に、これが夢じゃないと自覚する。
「あ、えっと」
「聞いてなかったんですね」
「……ごめんなさい」
小さく謝ると彼女は溜息を零して、俺の目の前に風呂敷を差し出した。
とりあえず受け取って、開く。
そこにはまだ温かさが残ったおにぎりが三つ並んでいた。
「急だったのでそれしか作れなくて。でも、あんぱんよりは身体にいいはずです。絶対食べてくださいね。次来るときはちゃんとお弁当作ってくるので。それからお野菜をちゃんと食べること。毎食ちゃんと主食とおかず、あとはお味噌汁も……」
彼女がそう言い終わる前に辛抱堪らなくなって、気が付いたら彼女を思い切り抱きしめていた。
柔らかい感触が、心地よい温度が全身を巡る。
「や、山崎さん……?」
石鹸のいい匂いが鼻孔を撫でて思わず涙が出そうになりながら、彼女の髪に顔を埋めて何度も呼吸を繰り返した。
この一ヶ月、彼女のことを考えない日はなかった。
彼女に触れたくて触れたくて、どうにかなりそうだったんだ。
「……イチャつくんなら俺ァ帰るぞ」
「ちょ、ちょっと待ってください土方さん! 山崎さんどうしちゃったんですか?!」
「いっつもこんなんだ。あんぱんと牛乳しか食わねえから壊れちまう」
「わかってるなら無理やり止めてください!」
「言っても聞かねえんだ。しょうがねえだろ」
……なんか二人、仲良さそう。
俺が居ない間に何かあったのかなあ。
ずるいなあ、副長。
頬を染めて身を捩る彼女を逃がさないようきつく抱きしめ首筋に顔を埋める。
もうやだ。
このままでいたい。
任務とか知ったことか。
「咲さん……っ」
鼻水を啜りながら縋る。
情けない。
好意を寄せている女性に本来見せるべき姿ではないのだろうけれど、そんなことにまで考えが及ばないほど俺はおかしくなってしまっていた。
だけど。
「山崎さん。今回の任務、詳しくは分からないけど、正面のお店にいる女性を守るのがお仕事なんですよね?」
すっかり力なくへたってしまっている俺の髪をそっと撫でて、言い聞かせるような声色で彼女は続ける。
「私、山崎さんに助けてもらって、すごく嬉しかった。それはきっとあの人もそうだと思うんです」
咲さんは少しだけ開いた隙間から窓の外を見つめている。
きっとその先には、彼女といるより長い期間ずっと監視を続けてきた楢崎幸がいるのだろう。
「私は幾らでも待っています。毎日は来られないかもしれないけど……お弁当を作って、土方さんに届けてもらいます。だから、だから」
顔を上げると、ずっと焦がれていた彼女の笑顔がそこにあった。
「あの人、守ってあげてください」