なんて、そんなことがあったのがつい数時間前。
心地よいお天道様のもと、爽やかに駆け抜ける風を心地良く感じながら深い森へと足を踏み入れたのが数十分前。
いつも騒がしいパートナー達が眠ってしまったのが数分前。
「…暗い」
静かになった森の中、なんだか空気さえも冷たく感じて、両手をそっと擦る。
ハクタイの森、と看板には書かれていた。
舗装されているとまでは言わないがそれほど進むことに困難は要されないにも関わらず、頭上は一面緑色に染まっており、きっとその奥にあるであろう青空と目が合うことは今のところ一度もなく、またこれからも一度もなさそうだ。
くしゃり。
ざく。
枝に見放されて地面に落ちた葉を踏みしめる音だけが聞こえる。
太陽が当たらないせいか森の中は湿気に包まれており、踏みしめる地面はたまに柔らかく沈みこんだ。
自分以外に人間がいる気配も感じなくて、思わず身震いする。
パートナー達もいるし、決して一人ではないのだが如何せん静かすぎて、まるで世界に自分一人だけ取り残されたかのような錯覚に陥った。
「ハクタイ…ハクタイの森、か」
ぼそりと呟く。
そういえば昔に読んだ本でそんな名前を聞いたことがあった。
確か、生い茂る木々が天然の迷路になっている、とか。
手元にある地図には流石にハクタイの森の細かいところまでは載っていない。
入ってきた道もぼんやりとしか覚えていないし。
背中に悪寒を感じたその時。
丁度通り過ぎようとした右手にある草むらが何の前触れもなく音を立てて揺れた。
「ッ?!」
身の底から上がってきた寒気に、肩をびっくんと震わせる。
恐る恐る音のした方に目を向けるとそこにいたのは緑色の女性だった。
森と同化するような濃い緑色のワンピースに、葉と同じ色の髪、新緑を思わせる透き通った瞳。
女性は綺羅を数秒見つめた後、がさがさと豪快に音を鳴らしながら草をかき分け、木々の隙間からするりと抜け出してきた。
唖然としたままの綺羅にずんずんと近付いてきたと思うと、
「あぁ、良かった!私の他にも人が居たわ!」
がし、と力強く綺羅の手を掴んだ。
「きみ!きみはどっちに行きたいの?あっち?こっち?そっち?」
一息に畳みかけられ困惑する綺羅を余所に、女性は安心したような期待したような眼差しでこちらを見つめる。
「何処から来たの?住所は?ここはどこ?あたしは誰?」
「……お、落ち着いてください…」
若干引き気味にそう言うと彼女は両手を話し、深呼吸を一つして、ぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい。他にも人が居てテンションが上がっちゃって。あたし、モミっていうの!ハクタイシティに行きたくてこの森に入ったんだけど…」
そう言いながら、彼女の表情は少しずつ暗くなっていく。
「途中で道に迷っちゃうし、段々心細くなっちゃって。ここって空気だけじゃなくて雰囲気も何だか湿っているでしょう?」
「あぁ…それは、確かに」
「でしょう?なんだか、自分だけ取り残された気分になるっていうか…」
モミは湿った溜め息を零した。
ポケットを弄りモンスターボールを一つ取り出し、両手で大切そうに握る。
「この子を出すわけにもいかなくて…話し相手もいなくて寂しかったの。そんなときに君を見つけたのよ」
嬉しそうに、本当に嬉しそうに、モミは笑った。
取り出したモンスターボールを再びポケットにしまい、口元に笑みを刻んだまま綺羅へ視線を向ける。
「君と出会えて良かったぁ。このままだと私、寂し過ぎて死んじゃう所だったもの」
そう思っているのは綺羅も同じだった。
最初は驚いたが、一人で居るよりは寂しさも恐怖も大分和らぐ。
ただ、不安は残るが。
「あの…モミさん、は」
「ん?」
「道に迷ったんですよね。俺も別にこの森を知ってるわけではないので迷ったままであることには変わりないんじゃ…」
そう言うと、モミは一瞬だけ青い顔をしたが、すぐにぶんぶんと首を振り、無理やり笑みを作った。
怖がらせまいと気を遣われているのだろうか。
大丈夫、と彼女は自信ありげに言った。
「とりあえず、明るい方へ進んでみましょう。この森、確かに迷いやすいけれど、そんなに大きくはなかったはずだから」
相変わらず落ちている葉や枝を踏み折る音が響くが、今はそれだけではなかった。
誰かの声があるだけでこんなにも寂しさは紛れるものなのか。
「そういえば…綺羅ちゃんってトレーナー?何歳なの?」
「えーっと……15歳…です…多分…」
「多分?ふふ、変なの。それにしてもすごいなあ。その歳で一人旅かぁ」
彼女は思案するように薄暗い森の天井を見上げた。
「一人じゃないですよ。五人です」
「五人?…四人も仲間がいるってこと?」
果たして、"人"としてカウントしていいかどうかわからなかったが、特に突っ込まれなかった。
「へぇー。でもやっぱりすごいよ。私その年の頃何してたっけ…。よく覚えていないけれど、君みたいに旅に出ては居なかったと思うなぁ」
「そうなんですか…パートナーとはいつ出会ったんですか?」
「うぅーん。いつだったかぁ?気が付いたらいつも一緒だったから…」
そういってはにかむモミ。
こちらまで嬉しくなるような笑みだった。
「綺羅ちゃんは?ポケモンといつ出会ったの?」
「俺も、まぁ…気付いたら一緒にいたのであまり覚えていなくて」
思わず言葉を濁す。
そうしてモミの真似をするように、上を見上げた。