狂気の海に溺れる
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「皇がご帰還なられたぞ!」
兵士の力強い声が、港から城内まで響き渡る。思考より先に目をやれば、窓枠から見えるのは数多の軍艦。どの船にも赤地の、白い髑髏が描かれた帆が張られている。そしてその中でも一際大きな船から降りる人物こそ、この国の皇たる者だ。
「!!」
だが、その時の皇を見て、私は絶句した。いつもならどんな戦争でも傷一つ付かずに帰ってくるのに。その日の彼は満身創痍そのものだった。返り血だけではない血が、彼の身体を染め上げている。足もふらつき限界といった感じだ。今すぐ降りて駆け寄りたくなるが、そんな事をすれば彼は不機嫌になるだろう。彼は私がこの部屋から出て、他の人間の目に触れるのを嫌がるのだ。なので私は彼がこの部屋へと帰ってくるまでおとなしく待つことにした。
彼が自室に辿り着いたのは、それから10分以上あとのことだった。プライドの高い彼のことだ、どんなに足が動かなくとも部下に支えてもらうなんてことをせず、一人で歩いてきたのだろう。
「おかえりなさ、……!」
扉のすぐ前で待ち構えていた私に、ボロボロの彼が倒れこむ。その肉体には、予想よりももっと切り傷が刻まれていた。
「今日はずいぶんと、大変だったみたいね」
「……あァ、敵国に相当な手練がいやがった。辛勝だった」
抱きかかえた耳元から聞こえる聴き慣れた声。それはいつもより弱々しく、自信がなさそうに聞こえた。もしかしたら、負けかけたことで落ち込んでいるのかもしれない。一先ずは治療のため、彼をベッドに寝かせる。
「……………」
闇に満ちた深い紫の瞳は、どこか遠くを見つめている。不機嫌というより煮え切らない様子だ。
「外すよー」
彼の体に大量に引っさげられた装飾具。彼はあまり外したがらないのだが、手当の時ぐらい外してもらわないと困る。
冷水に浸した布で、彼の体の血と汚れを拭き取る。いっそ風呂にでも入ってもらえれば助かるのだが、彼はそんな体力すらありそうにない。
「ちょっとしみるよ」
棚から取り出した瓶に入っているのは、緑色の液体。ふたを開ければ、つんと薬草の匂いがする。殺菌効果のあるそれに、丸めた綿を浸し、患部へと運んでいく。
「っ…………」
「よく耐えました、えらいえらい」
「………」
不満そうな視線を向けられるが、いつものことだ、気にも留めない。
「本当はお妃様がやることじゃないのにね」
「……お前のことを、気に入っているからに決まっているだろう」
それは分かっている。そうでもないと貴方が、『女』だっていくつも奪ってきた貴方が、私を正妻にする筈無いもの。でも、
「やっぱり私の仕事じゃないわ」
肉の色を覗かせる傷口を包帯で覆っていく。
「旦那をいたわるのは嫁の役目だろう。いたわれ」
「調子出てきたじゃない」
腕の包帯巻きまで終えると、私は道具一式を棚に戻し、寝具の傍の椅子に座る。
「疲れてるでしょうし、まずはゆっくり休んで。…私ならここにいるから」
「ああ……」
私を見上げる彼の表情は、さっきより幾分か楽そうに見える。
「…………」
「………?」
何か言いたげな視線を寄越されるが、口を開こうとしてやめている。言いたいけど、言いにくいことなのだろう。もしかして、辛勝した相手の事とか…? 彼はいつも戦果を話しているから、今回も話すべきか、それとも人生初であろう不名誉な戦いを話さずにいるか、逡巡しているに違いない。彼をここまで追い詰めた人物のことは気になるが、それを話せば彼はきっと傷付く。なら私は、知らないままでも、良い。
「…ベクターと互角に戦える人物が存在してたなんてね」
「…!」
「でもそれを下すなんて、やっぱり私の旦那様は格が違うわ。」
「……ヒヒヒッ、いきなりなんだ? 世辞のつもりかァ?」
「世辞なんかじゃない、本心よ」
「………」
「よく、頑張ったね。」
「あァ。」
優しく頭を撫でれば、ベクターは少々驚くが、やがて心地よさそうに目を閉じる。
「ベクター…」
貴方が私の国を滅ぼしたあの日から、私の世界の全てが変わった。それが例え周りから見れば、不幸なことだとしても、
「貴方に『奪われて』、私は本当に幸せ。」
おだやかな波の音が、いつまでも鳴り続けた。
兵士の力強い声が、港から城内まで響き渡る。思考より先に目をやれば、窓枠から見えるのは数多の軍艦。どの船にも赤地の、白い髑髏が描かれた帆が張られている。そしてその中でも一際大きな船から降りる人物こそ、この国の皇たる者だ。
「!!」
だが、その時の皇を見て、私は絶句した。いつもならどんな戦争でも傷一つ付かずに帰ってくるのに。その日の彼は満身創痍そのものだった。返り血だけではない血が、彼の身体を染め上げている。足もふらつき限界といった感じだ。今すぐ降りて駆け寄りたくなるが、そんな事をすれば彼は不機嫌になるだろう。彼は私がこの部屋から出て、他の人間の目に触れるのを嫌がるのだ。なので私は彼がこの部屋へと帰ってくるまでおとなしく待つことにした。
彼が自室に辿り着いたのは、それから10分以上あとのことだった。プライドの高い彼のことだ、どんなに足が動かなくとも部下に支えてもらうなんてことをせず、一人で歩いてきたのだろう。
「おかえりなさ、……!」
扉のすぐ前で待ち構えていた私に、ボロボロの彼が倒れこむ。その肉体には、予想よりももっと切り傷が刻まれていた。
「今日はずいぶんと、大変だったみたいね」
「……あァ、敵国に相当な手練がいやがった。辛勝だった」
抱きかかえた耳元から聞こえる聴き慣れた声。それはいつもより弱々しく、自信がなさそうに聞こえた。もしかしたら、負けかけたことで落ち込んでいるのかもしれない。一先ずは治療のため、彼をベッドに寝かせる。
「……………」
闇に満ちた深い紫の瞳は、どこか遠くを見つめている。不機嫌というより煮え切らない様子だ。
「外すよー」
彼の体に大量に引っさげられた装飾具。彼はあまり外したがらないのだが、手当の時ぐらい外してもらわないと困る。
冷水に浸した布で、彼の体の血と汚れを拭き取る。いっそ風呂にでも入ってもらえれば助かるのだが、彼はそんな体力すらありそうにない。
「ちょっとしみるよ」
棚から取り出した瓶に入っているのは、緑色の液体。ふたを開ければ、つんと薬草の匂いがする。殺菌効果のあるそれに、丸めた綿を浸し、患部へと運んでいく。
「っ…………」
「よく耐えました、えらいえらい」
「………」
不満そうな視線を向けられるが、いつものことだ、気にも留めない。
「本当はお妃様がやることじゃないのにね」
「……お前のことを、気に入っているからに決まっているだろう」
それは分かっている。そうでもないと貴方が、『女』だっていくつも奪ってきた貴方が、私を正妻にする筈無いもの。でも、
「やっぱり私の仕事じゃないわ」
肉の色を覗かせる傷口を包帯で覆っていく。
「旦那をいたわるのは嫁の役目だろう。いたわれ」
「調子出てきたじゃない」
腕の包帯巻きまで終えると、私は道具一式を棚に戻し、寝具の傍の椅子に座る。
「疲れてるでしょうし、まずはゆっくり休んで。…私ならここにいるから」
「ああ……」
私を見上げる彼の表情は、さっきより幾分か楽そうに見える。
「…………」
「………?」
何か言いたげな視線を寄越されるが、口を開こうとしてやめている。言いたいけど、言いにくいことなのだろう。もしかして、辛勝した相手の事とか…? 彼はいつも戦果を話しているから、今回も話すべきか、それとも人生初であろう不名誉な戦いを話さずにいるか、逡巡しているに違いない。彼をここまで追い詰めた人物のことは気になるが、それを話せば彼はきっと傷付く。なら私は、知らないままでも、良い。
「…ベクターと互角に戦える人物が存在してたなんてね」
「…!」
「でもそれを下すなんて、やっぱり私の旦那様は格が違うわ。」
「……ヒヒヒッ、いきなりなんだ? 世辞のつもりかァ?」
「世辞なんかじゃない、本心よ」
「………」
「よく、頑張ったね。」
「あァ。」
優しく頭を撫でれば、ベクターは少々驚くが、やがて心地よさそうに目を閉じる。
「ベクター…」
貴方が私の国を滅ぼしたあの日から、私の世界の全てが変わった。それが例え周りから見れば、不幸なことだとしても、
「貴方に『奪われて』、私は本当に幸せ。」
おだやかな波の音が、いつまでも鳴り続けた。