02
「うわ、これはひどいな」
「‥‥‥‥」
呆然と立ち竦む。昨日の朝まで過ごしていた部屋は見るも無惨に荒らされ、覚悟していた以上に重い現実が私にのしかかった。
「あー‥大丈夫か?」
帰る場所がない私は昨日マイザーさんに用意してもらった部屋に泊まった。どちらにせよ一度部屋には戻らなければならないだろうと、こうして最年少幹部だという彼‥フィーロが付き添ってくれている。
部屋の中はごちゃごちゃ。引き出しも何もかもひっかき回され、ついでとばかりに通帳もなくなっている。
私は返事を返せないまま旅行用バックに数日分の衣類と大切なものだけを詰め込んで部屋を出た。
「もういいのか?」
「‥うん、いい」
何か言いたげに、それでも何も言わず中折れ帽を被り直すと歩き出した彼に続く。
歳も私とそう変わりなく見えるフィーロも彼らと同じようにマフィアなのだと、彼を見ていると思う。
部屋を見てひどいと漏らした感想はあくまで他人事で、当然だけれどそこに怒りは存在しない。まだ出会ったばかりでフィーロがどんな人かなんて分からないけど‥簡単に踏み込んで来ないところを見ると私の知っている同年代の青年とはやはり違うのだろうと思った。
「‥あれ‥?」
不意に人混みの中でその姿を見たような気がした。
「どうかしたか?」
「‥マイクさん‥」
「は?――おい!待てよ!」
フィーロに鞄を押し付けて、人混みを掻き分けやってきた交差点。再び見つけたその姿はやはり私の知る人で間違いなく、私は嬉しさでいっぱいになった。
「マイクさん!」
「!? なっ‥リズ!?」
「よかった‥生きてたんですね」
店長であるマイクさんは目を見開いたまま私をまじまじと見て、驚いたと小さく呟いた。
「君も生きていたのか」
「はい‥ちょうど着替えに向かうところで事務室に隠れたんです。レストランが血の海で‥だから私皆死んでしまったのかと‥」
「事務室に‥‥辛かっただろう。私もちょうどゴミを捨てに裏へ回っていてね。君もてっきり‥‥よかったよ」
店長は気遣うように私の肩を叩き、少し移動しようと腕を掴んだ。
「あ‥すみませんマイクさん。私向こうに人を待たせていて‥あの‥?」
ぐいぐいと引かれる腕が少し痛い。見上げれば彼はまっすぐ前を見たままで、その様子に言い知れぬ恐怖を覚えた。
「マイクさん‥?」
「事務室で‥何を見た?」
突然の質問に頭の中が疑問で埋めつくされる。
「何も‥それどころではなくて」
「ジェーンには?」
「え?」
「ジェーンには何か聞いていたかと聞いているんだ!」
「痛っ‥!」
突然の怒鳴り声と共に睨み付けられる。汗が浮かび瞳孔の開いた瞳、強まった拘束。明らかに変わった彼の態度と口調に身を竦めた。
「チクショウ‥!」
「っ‥マイクさん!どうしちゃったんですか?離して痛い‥!」
どうして今ジェーンの名前が出てくるのかが分からない。ジェーンはもう1ヶ月も前に辞めたのに。
腕は掴まれたまま肩ごと抱き込まれるようにして裏路地へと入り込む。
いくら抵抗しても力には敵わず、どこか焦ったような様子で右へ左へと私を引き回した。
「くそっ‥こんなことなら殺すんじゃなかったぜ‥お前本当にジェーンから何も聞いてないのか!?」
「っ‥殺し、た‥?ジェーンを‥?‥どういう‥ジェーンは行方不明になったって‥マイクさん!」
「うるせぇ!お前は黙ってついてくれば――あ?」
突然引っ張られる力が無くなったために脚が縺れて盛大に転んだ。
「いっ‥」
顔を上げれば彼は唖然と私を見下ろしている。彼に掴まれている感覚はあるのに、彼は見下ろしているのだ。到底高さの合わない位置から。
「ぁ‥ぎぁあァア゙あ゙ぁあ」
「耳障りだ、塞げ」
現れた複数の足音が歪んで聞こえた。気持ち悪い。息が苦しい。私の腕を掴んでいるそれは、辿ると先に身体がついていない。あるはずのものは離れた場所にある。
「この女の身元を調べろ」
「こいつはどうします?」
「吐かせてから始末する」
「了解」
おかしい。離れているのに、なら私の腕を掴んでいるのは何。おかしい。オカシイ。イヤダ。キモチワルイ――
色を失う。グラリと揺れた景色を最後に、私は意識を失った。
**
「‥‥拐われた」
「はい?」
トン、と人差し指でこめかみを叩いたロニーがため息をついた。
「出掛けて来る。フィーロは適当に仕事でも与えておいてくれ」
マイザーがロニーを見送って数分後、入れ代わるように鞄を手に駆け込んで来たフィーロにマイザーが苦笑をもらした。
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