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01

「温かいうちにどうぞ」


目の前にいる彼はマイザー・アヴァーロと名乗った。私を連れてきた人はロニー・スキアート。彼は私をこの部屋に置いて何の説明もなしにどこかへ行ってしまった。


恐る恐るカップを手に取り口に含むと甘い蜂蜜の香りがして少しだけ緊張が和む。

ちらりと目の前に座る彼に視線をやると、穏やかに微笑んで自身も紅茶に手をつけた。


「あの‥あなたたちは何‥?」


「そうですね‥表向きは蜂蜜店などの経営をしています」


「表向き、は」


繰り返せば彼は申し訳なさそうに眉を下げてカップをソーサーに戻す。


「マルティージョファミリーという名前をご存知で?」


「いえ、ごめんなさい」


「構いません、小さな組織ですから。私はここで出納係をしています。ロニーは秘書を」


「秘書?」


‥イメージが合わなすぎる。私がよほど怪奇そうな顔をしていたのか彼は笑って膝の上で指を組んだ。


「マルティージョファミリーはこの一帯を仕切るカモッラ‥分かりやすく言えばマフィアです。普通の役職とは少々違うでしょうね」


‥‥今、彼は何て言ったの?マフィア?この温厚そうな人が?マフィア?


「‥‥私‥殺されるの‥?」


彼は初めてきょとんとした表情を見せて、クスクスと笑った。申し訳なさそうに手で謝罪しながら。


「失礼。確かにマフィアは‥世間から悪印象しか持たれていませんが、我々はいつだって誠実であるつもりです。我々にもマナーが存在する。まあそんなことは‥カタギの方には理解出来ないでしょうが」


私にはマフィアのことなど何も分からないけれど、“マイザー・アヴァーロ”と名乗った彼だけの印象を言えば誠実という言葉はぴったりだと思う。

きっと誰もが彼と話していてもマフィアだとは思わないだろう。


「なら‥私はどうして連れて来られたの?」


「それは‥」


彼は少し間を置くと、一瞬哀れむような表情を浮かべ私を見た。


「一つ言えるとすれば‥ロニーの我が儘でしょうか。すみません」


「いえ、あの、意味が‥」


「一応証人ということにはなっていますが実のところ我々にもよく‥」


「‥帰ってもいいかしら」


「それはやめた方がいい」


声と同時に部屋へと入ってきたその人に身を強張らせる。


「ロニー、きちんと説明してあげてください」


「お前は既に無関係ではない。従業員の名簿がなくなっていたことを考えれば、今頃お前の家にも奴らが侵入しているだろうな」


「侵入、って‥そんな大事なこと淡々と‥わ、私帰らないと!早く警察に行って――」


「それもやめた方がいい。今回の件は警察も関わっている。奴らに見付かれば殺されるぞ」


何、一体何なの?警察が関わってるってどういう意味?殺されるってどうして私が‥?


「何が、どうなってるのか‥‥全然‥」


混乱している頭を抱える。まさか朝起きた時はこんなことになるなんて夢にも思っていなかった。

仕事だってやっと慣れてきたところだったのに‥滅茶苦茶だ。築き上げた日常がたった一日、たった数分で無くなってしまった。


「働き口ならある」


思わず彼を見上げてしまってから、私は畏縮する気持ちを奮い立たせて首を振った。


「マフィアのお世話にはなりません」


「ほう、ならば何かアテはあるのか?」


「それは‥しばらくは友人の家にお邪魔して住み込みのできるアルバイトを‥」


「言ったはずだ。奴らはお前が生きていると知れば必ず追うぞ。友人を巻き込むつもりか?」


そんなこと‥言われても。どうしたらいいのか、すぐになんか思い付かない。


「‥質問があるの」


「何だ?」


「ロニーは‥私をどうしたいの?」


それが分からない。少なくとも彼は今、私の安全を確保してくれている。何の役にも立たないただのウェイトレスを。


「陥れようとしてるの?それとも‥助けてくれようとしてるの?私が可哀想だから?不憫だから?」


「俺はそんな理由で助ける程他人に優しくもなければお前を陥れて遊ぶ程暇ではない」


「ええ、それは保証します。例え借金で夫に捨てられ家・財産・職その全てを失い泣き縋って来てもその存在を眼中にも入れない男ですよ彼は」


「自業自得だろうそれは」


「‥‥後で恩を返せって高額な請求してきたりとか」


「俺はそこまでセコくない」


「なら‥」


何なの?と、再び問いかけると口元に笑みを浮かべた彼にぞわりと鳥肌が立つ。彼の獲物を目の前にしたようなこの目が私は苦手だ。


「俺が拾ったのだから好きにして構わないだろう」


ぽかんと楽しげに笑う彼を見上げる。何その自分ルール。捨て犬じゃないんだから。


「‥私は人間よ?」


「知っているが」


「‥‥‥」


きょとんとした顔をされた。この人‥本気なの?


「心配しなくとも理由はまだある」


「話が長くなるようなら夕飯をとりながらにしては?」


「ああ‥そうだな」


時計を見て部屋を出ていくロニーからマイザーさんを振り返ると、彼は微笑んでからドアへと促す。

夕飯なんて気分ではないけれど拒否することもできずついていけば、明るいレストランでは多くの人が楽しげにグラスを煽っていた。ある集団は銃をテーブルに上げたまま。


「ここ‥大衆向けのレストランよね?」


「まあ、表向きは」


「またその言葉‥」


「俺たちが何であるか知っている一般人は来ない。それでも最近は売上げが低迷していることもあって注意はしているがな」


マイザーさんが手で何かを合図すると、気付いたようにテーブルから胸ポケットに銃が仕舞われる。


「失礼。なかなか習慣が抜けないようで」


「‥‥‥‥」


店内を見回すとテーブルを縫って歩き出したロニーに慌てて続く。


「そしたら目の前に指が飛んできてよォ、踏み潰してやったんだよ」


「ギャハハ!それまさか‥」


「俺の指だった」


ギャハハハ!と再び笑い声が上がる。わ、笑い事なの!?えっ、冗談?マフィアジョーク?


「死ねェ!」


「ひいっ‥!?」


「‥とか抜かしやがったからよ、死なねェ!って言い返してやったぜ。あん時の呆けたような顔‥んあ?嬢ちゃんすまなかったな。つい話に熱が入っちまって」


「いい怯えっぷりだったぜ!」


「ヒューヒュー!」


「ぁ‥あは、ははは‥」


全然褒め言葉じゃないです、それ。第一突然腕を掴まれて首に本物のナイフ突き付けられたら怯えるに決まってる。


「すみません、陽気な者ばかりでうるさいでしょう」


そういう問題じゃない気が‥。何ここ怖すぎ‥話してる内容が外とはかけ離れすぎている。

再び上がった笑い声に肩を上げたながらも、マイザーさんに椅子を引いてもらいテーブルについた。


「‥リズ・オルティス、だったな」


「どうして名前‥」


「何も従業員名簿だけが全てではないだろう。調べれば簡単に分かることだ」


「‥そう、ね」


敏感になってしまっている自分を落ち着かせる。マイザーさんが手渡してくれた水を飲んでいた私に、ロニーは再び、今度こそ私を混乱させる爆弾を落とした。


「お前の祖父は泥棒だろう」


「っ――ごほっ、ごほっ」


「大丈夫ですか?」


背中に手が添えられて頷きながら涙目でロニーを見上げる。どうしてそんなことまで‥


「オルドとは知り合いでな」


オルド‥祖父が泥棒をしていた時に名乗っていた名前。


「孫には自分の技術を教え込んだと言っていた。趣味であるマジックもな。どちらも才能があると聞いた」


「子供の頃の話よ」


「‥まあいい。俺はお前に興味がある。だから連れてきた」


‥結局それってロニーの一存ってことじゃない。運ばれてきたパスタを食べ始めたロニーの様子を窺いながら、マイザーさんに促されて私もフォークを持った。

持った‥ものの。いざ向き合えばトマトの赤が‥あのレストランでの光景を思い出させて。気分が悪くなった私は謝罪を入れて足早に席を立った。


「っ‥」


裏口に出たところで壁に背を付けて大きく息を吸い込む。

ゆっくり吐き出した息は震えていて、胸元の服をきつく握りしめたまま浮かんでくる涙を目を閉じて耐えた。


数ヶ月一緒に働いた仲間が全員死んだ。赤黒い液体にまみれ投げ出された手足が目に焼き付いて離れない。

何度も何度も深呼吸をして、どうにか気分を落ち着かせる。


「‥しっかりしないと」


浮かんだ涙が治まったのを確認してから、一度大きく息を吸って中に戻った。


「大丈夫ですか?すみません、配慮が足りませんでしたね」


「ごめんなさい‥せっかく用意してくれたのに」


席に戻るともう食べ終えたのか紅茶が湯気を立てていて、そこにロニーの姿はない。


「ロニーは仕事の関係で。すぐに戻りますから」


‥出来ればゆっくり戻ってきてほしい。内心そう思いながら紅茶を口にすると、甘い蜂蜜の風味が口に広がってほっと息をついた。


「ここの紅茶‥落ち着く。蜂蜜を入れるだけでこんなに美味しくなるのね」


「気に入っていただけて光栄です。うちでは酒にも蜂蜜を入れているのですが‥飲むと癖になりますよ」


「たまには甘くない酒も飲みたくなるがな」


すぐ後ろからの声に驚いて振り返ると壁のように立つロニーに思わず息を飲む。


「リズ、選択肢をやろう」


また‥あの笑み。選択肢を与えると言っておきながら、獲物を追い詰めたような。

彼の威圧感に耐えられず、私はマイザーさんの背に逃げ込みながらなけなしの意地で「何ですか」と強がってみせた。


「‥‥‥何故逃げる」


「貴方が怖いんですよ。いい加減自覚してください」


自覚ないの‥!?

不機嫌そうに細められた目から逃れるように顔を伏せていれば、再び「まあいい」と落ちてきたため息。


「游がすのは嫌いじゃない」


「ひっ‥!?」


恐る恐る見上げたら真顔でそんなことを言われた。‥自慢じゃないけど、私はすごく気が小さいのよ!




とにかくそんなに睨まないで!


(睨んでいるつもりはないのだがな‥まあいい)
(こ、こっち来ないでぇぇ)

((すっかり気に入られて‥可哀想に))


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