10000打企画小説
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事務所の私が座る椅子が、机に背を向けている。
覗き込めば椅子に丸くなって寝ている彼女。
私の椅子はすっかり、不意に姿を見せる彼女の特等席だ。
寝息を立てる彼女を見ていると彼女が殺し屋であることを忘れてしまいそうになる。
しかし彼女は私以外が近づくと目を覚ましてしまうらしく、寝ていても気配を感じ取るそれは殺し屋の性というものなのだろう。
‥それでも、私という存在だけは許してくれているのだと思うと、彼女が愛おしくて仕方なかった。
――薄暗い裏路地。そこで私は初めて彼女を見た。
「‥‥‥忘れないよ」
すれ違う瞬間、聞こえた鈴を鳴らしたような声と鼻を掠めた血の臭い。
そして、頬を伝う一筋の涙。
忘れられなかった
やけに記憶に焼き付いて離れない
何故こんなにも彼女が気になるのか‥
何気ないベル兄たちとの会話で、私は気づいてしまった。
「殺し屋が俺らを狙ってるってよ」
「クレアさんからの電話の内容?」
「ああ。依頼が俺らの抹殺だったから断ったんだとさ」
「相変わらず守秘義務とかない人だよね‥」
「‥‥‥‥」
「殺し屋は多分最近名の上がり始めてる日本人の女らしい」
「女‥?」
「えらく小柄らしいが、何だったかあのこの間の潰れた組織!あれもそいつの仕業らしいぜ?」
―――――彼女だ
頭の中でピンと糸が張り詰めた。
あの道、血の臭い、小柄な日本人。
私の中でその殺し屋は彼女なのだと確信した。
私は思った。
また、彼女に会える―――と。
そして気がついた。
そんな些細な事に歓喜している自分がいることに。
「――‥ごめんね」
数日後、クレアさんの言う通り彼女は来た。
偶然兄たちはつい先刻帰宅し、一人準備をしている時。
耳元で鈴が鳴った――そう思った時にはもう、後ろから心臓にナイフが突き立てられていて。
抜かれた拍子に後ろへと体が崩れ落ちていく。
次に私が目を開けた時、彼女は表情を驚愕と恐怖の色に染めて私を見ていた。
首に当てられたナイフが微かに震え、拭っていない涙が顎から滴となって落ちる。
「‥‥なぜ、謝ったんです?」
彼女がびくりと体を竦めた。
死んだ人間が元に戻り話し始めたのだから、彼女の反応は正しいが。
「何を、忘れないんですか?」
あの時の彼女の呟きを思い出す。
じっと私を見ていた彼女は、辺りの気配を確かめてからナイフを突きつけたまま口を開いた。
「‥‥殺したひと」
「では‥泣いているのは?」
彼女の頬を包み親指を滑らせる。
表情にこそあまり出ないがよっぽど混乱しているのだろう。
こんなにも簡単に触れられるとは思わなかった。
「っ!」
彼女が飛び退く。
その拍子に触れたナイフが腕を切り、そして塞がる。
じっと目を見開いて傷痕を凝視している彼女に、私は上半身を起こした。
「こういう体質なんです。なので申し訳ありませんが‥私は死にませんよ」
「‥‥‥‥」
「‥貴女はもしかして、殺した者を想い泣いているんですか?」
「‥‥‥‥」
長い沈黙のあと、小さく頷く彼女。
殺した相手を想い、謝罪し、涙を流し、記憶に刻む。
なぜそんなことを繰り返すのか、私には分からない。
「‥‥私は、殺し屋としてしか‥生きられない」
生き方を知らない。だけど人が死ぬのは悲しい。だから記憶に刻む。
彼女は小さな声で、ゆっくりとそう続けた。
「‥‥私はラック・ガンドールといいます」
「‥‥‥?」
「私は死にません。ですから、貴女が泣く必要も謝罪する必要もない」
私は彼女を警戒させないように立ち上がって、彼女を通り過ぎ机に腰を預ける。
「ただ、覚えていてください。私の存在と名前を」
落ちていた帽子を拾い上げ、彼女に被せた。
「‥貴女に預けます。名前を教えてくれる気になったら‥返しに来てください」
驚愕に開かれた大きな瞳が私を見つめている。
不意に部屋の外から近づいてくる靴音に彼女がぴくりと反応を見せた。
「ラックさーん、まだいますかー?」
返事を返してドアまで移動する。
「‥‥来ます、早くここを離れた方がいい」
声を抑えて言えば彼女が窓枠へ足をかけて。
去り際、帽子を胸に抱いて私を一度振り返り小さく口を動かした。
彼女にとっては独り言のようだったが、私には分かる。
なぜならそれは、
『‥‥ラック・ガンドール‥』
聞き慣れた自分の名前だったから。
「すみません、聞きたいことがあってー‥‥あれ、窓開いてますよ?」
「ああ、空気を入れ換えてから帰ろうと思っていたので」
‥‥それから2ヵ月後、彼女は私の前に現れた。
何度も理由を付けて帽子を預けると彼女は後日それを返しに来る。
そしてある日彼女は私に言った。
もう帽子はいらない、と。
「またこんなところで寝て‥ユウ、風邪引きますよ」
「‥ん‥‥タオル‥」
どうやらまだ起きる気はないらしい。
私は苦笑して、近くに置いていた上着をかけてやった。
「おやすみ、ユウ」
近すぎず遠すぎず。彼女にはこの距離が丁度いいのだろう。
彼女が望むのなら、私もこのままでいようと思う。
―――‥今は、まだ。
It was love at first sight.
(‥‥私、ラックといるのは好き‥)
(!! ‥ありがとう、ございます)
(‥?ラック、顔赤い‥?)
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