一周年企画小説
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放課後の教室。机に本を広げたまま、私は頬杖をついて一枚のメモを見つめていた。
電話番号が記された、先生にもらったメモ。勇気がなくてまだ一度も連絡したことはないけど。
先生は‥きっと私の家庭事情を知ってる。だから、あんなに優しくしてくれるのかな‥?私が‥可哀想だから‥?
あの時、抱き締めてくれたのも‥
「藤崎?」
ガタッと音を立てながら肩を上げてしまい、床に落ちたメモを慌てて拾い上げる。
「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど‥」
「う、ううん、私こそぼーっとしてて‥藤原くん部活は?」
「今日はミーティングだけだったんだ。終わったあと少ししゃべって戻ってきたとこ」
外こんなだし、とつられて視線をやれば、空は厚い雲に覆われ今にも降り出しそうだ。
「降るのかな‥雨」
窓にぺたりと貼り付いて空を見上げる。
一応折り畳み傘は持ってきたけど、降らないならその方がいいに決まってる。
じっと雲を見ていたら、後ろに気配を感じたと同時に顔の横に手が置かれた。
「? 藤原く‥、」
振り返ればすぐ後ろに立っていて。驚いて目を丸くすると、藤原くんは懐かしそうに言った。
「‥初めて話した時も、こうだった」
そういえば‥そうかも。こんなに近くはなかったけど、あの時もびっくりした覚えがある。
「俺、さ。すげー嬉しかったんだ。週番とか、初めて楽しみだと思った」
「‥?」
「最初は一目惚れで、だけどどんどん惹かれてって。俺‥もうこのままでいんの無理だわ」
そこで初めて、私は何を言われてるのか理解した。
「俺と‥付き合ってほしい」
射ぬかれて反らすことができない。私はスカートをキュッと掴んで一呼吸置いてから、やっと俯くことができた。
「‥ごめんなさい」
「‥‥付き合ってる奴いるのか?」
首を振る。
「好きな奴‥いるとか?」
「っ‥うん」
「俺じゃ、だめか‥?」
絞り出されたような声に更に力を強めながらも小さく頷く。重い沈黙が支配し、私はごめんなさいともう一度謝った。
するとガラスについた手が指を握り込んだのが見え、次の瞬間には。
「ひゃ‥っ、藤原くん、」
抱き締められている。そう自覚して羞恥心が沸くと同時に、その強さに恐怖感を覚えた。
「や、離して‥お願い、」
「何でだよ‥っ、どうせ叶わねぇじゃん!」
先生なんて、と。掠れるような声で彼は言った。
思わず目を見開いて彼を見上げると、その顔の近さに背ける。
「ずっと見てたんだ、分かるっつーの。なあ、何で先生なんだよ‥どうせすぐ捨てられんだぞ」
「どうして、そんなこと言うの‥?先生はそんな人じゃないっ‥私が勝手に好きなだけで――あ‥やだあっ」
左腕を拘束されたまま首筋に顔が埋められ、私は必死に彼の体を押した。怖い、嫌だ。どうして、こんな。
「‥どうせ、同情してるだけだろ。俺がラック先生なんて忘れさせてやる。俺は、本気でお前が‥っ」
“同情してるだけだ”グサリと、その言葉が胸に突き刺さった。
涙が頬を流れ、ふっと視線を移すとその体越しに見えたその姿に私は息を飲んだ。
「せん、せ‥」
偶然通りかかったのは、幸か不幸か。私の呟きに藤原くんの力が弱まった隙に拘束から抜け、鞄を引っ付かんで教室を出たところで先生に腕を掴まれた。
「藤崎さ‥」
「っ‥離して、ください‥!」
離して、と。そう告げるのが精一杯で、するりと抜けた腕を鞄と一緒に抱き締めるようにして私は走った。
あんなところ先生にだけは見られたくなかった。あんな形で聞かれたくはなかった。同情してるだけだ――その言葉と先生の顔が重なって‥酷く胸が痛んだ。
途中で降り始めた雨は私の気持ちを表しているようで尚更悲しくて‥
全身を濡らした雨が涙と共に顎を伝い、息を切らし駆け込んだ玄関で踞って肩を揺らした。
どれほどそうしていたのか、ふらふらとシャワーだけ浴びろくに髪も拭わなかったせいか、自業自得にも風邪を引いて二日間寝込み。
その間、負の感情ばかりが渦巻いては風邪特有の寂しさに襲われ、泣き腫らした目は自分で目を塞ぎたくなるくらい真っ赤だった。
濡らしたタオルを目に乗せぼうっとしていれば、カタン、と小さな音がして。
郵便屋さんにしては優しすぎるその音が気になって、よろよろと起き上がって郵便受けを覗いた。
「あ‥‥っ」
あの日机の上に置いてきてしまった本。表紙を開くと紙が挟まっていて、そこには‥
“Take care of yourself”
たった一文。名前も書かれていない。だけど、それが誰からのものかなんてすぐに分かった。
種を返し携帯を取るともう紙を見なくても覚えてしまった番号を押す。
涙を我慢しながら耳に押しあて、震える手を携帯に重ねた。
『――はい、』
向こうは私の番号だけが表示されているはずで、私だとは知らない。
ラック先生の声は浸透するように脳まで響き、私は再び滲む涙に息を止めた。
『‥? Hello?』
「っ‥‥どうして‥優しくしてくれるんですか‥?」
ダメだ。声が震えて、涙が溢れだす。
「わ‥私が、可哀想だから‥?」
『‥‥、藤崎さん‥?』
「っひ‥‥先生‥ラック、せんせ‥っ」
苦しい。恋がこんなに苦しいものだなんて思ってなかった。
辛くて、こんなにも苦しいのに。名前を呼ぶだけで心が温かくなるのはどうしてなんだろう。
ピンポーン。来訪を告げる音に肩を弾ませる。私は一度転びそうになりながら、確かめもしないで勢い良くドアを開けた。
「‥知らない人間だったらどうするんです」
携帯を手に若干息を切らしたままそこに立つ先生は、目が合うと僅に顔を歪める。
分からない。でも、本を置いて行ったのは先生で、だからまだ近くにいるような気がして。
先生は何も言わず、私をフローリング部分に戻すと静かにドアを閉めた。
先生のひんやりとした手が額に触れる。
「‥まだありますね」
眉を寄せ、私が恐る恐る先生を見上げるとその手は頬に滑り、そして目蓋をなぞる。まるで、壊れ物にでも触れるように。
「こんなに泣かせてしまったのは‥私ですね」
ふるりと首を振る。勝手に泣いたのは私で、先生は悪くない。
「私は‥貴女を可哀想だと、そう思ったことはない」
吸い込まれそうな程まっすぐな瞳。
「力になりたいと思ったのは確かで、それは‥貴女の笑顔が見たかったからです」
言葉が紡がれるのは、私が好きになった低くて穏やかな声。
「私は狡いですね。貴女の気持ちを知っていて‥この気持ちを告げるのですから」
「せん、せ‥?」
「‥私は貴女が好きです。教師という立場が疎ましく思えるほどに」
苦笑混じりに瞳が細められる。私は何を言われているのか頭が追い付かなくて、ぽかんと先生を見つめていたのだけど。
ふわりと、先生の香りに包まれる。背中に回された腕が私を抱き締め、私は恐る恐る、先生のスーツの袖を掴んだ。
「‥わ、私‥先生を好きでいて、いいんですか‥?」
「私としては好きでいてもらわないと困ります。それとも‥もう好きじゃありませんか?」
何度も首を振る。そんなはずない。そんな、数日で嫌いになれるはずがない。
再び浮かんだ涙が先生のスーツに落ちてしまって慌てて俯く。あんなに泣いたのに、どうやら涙腺は壊れてしまっているようで。
「‥ユウ」
ぴくりと、体が反応する。先生に名前で呼ばれるのは初めてで、それはじんわりと耳に残った。
腕の中でそっと先生を見上げれば、再び頬に手が添えられ。
「‥もう泣かないでください」
見ていられない、と。先生は悲しそうに眉を下げる。
抱き締められたままこんな至近距離で見つめられて、平気なはずがない。
泣くなと言われても制御できず必死に我慢していると、それでも止まらない涙に先生が苦笑して目尻にキスを落とした。
突然のことにぱちりと目を瞬くと瞳に溜まった涙が落ち、そして。
「止まりましたね」
クスクスと先生が肩を揺らす。
私は何だか恥ずかしくなって、顔を隠すように先生の胸に顔を埋めた。
「‥貴女が卒業するまでは常に人目を気にしなければなりません。デートもろくに出来ず窮屈な思いをさせてしまう。それでも‥私でいいんですね?」
私は生徒で相手は先生。私でいいのかなんて、私が聞きたいくらいだ。
「、ラック先生じゃないと嫌です‥」
おずおずと背に手を回してスーツを握ると、先生が抱き締めたまま頭を撫でてくれる。
そうしていたら安心したのか、熱で力の入らない体がくたっと先生に寄りかかってしまった。
「! 大丈夫ですか?」
「う~‥ごめんなさい‥」
離れようにも気が抜けてしまったら力も抜けてしまったらしい。
先生は少し思案して、失礼しますと私を抱き上げ靴を脱いで部屋へと進んだ。
そこで初めて私はずっと先生を玄関に立たせたままだったのだと気付いて慌てたのだけど、先生は元々上がるつもりはなかったと私を静かにベッドに下ろしてくれる。
布団をかけてタオルを額に乗せると立ち上がろうとした先生に、私は咄嗟に手を伸ばして袖を掴んだ。
先生は困ったように眉を下げ、眠るまでいてくれると私の手を取って床に腰を下ろした。
熱が上がってしまったのか下りてくる目蓋に、私は指先に力を込めて手を握り返す。
「‥先生の手、好き‥」
「‥?」
声も、陽に当たるとキラキラする髪も、少し意地悪な一面があるところも。
「ぜんぶ、好きです‥」
「っ‥」
朦朧としてくる意識の中で、頬に触れられた感覚にうっすら目を開けると優しく唇が重なった。
「‥‥無自覚なんですよね」
「‥?」
「‥おやすみ」
移っちゃう、と。思ったものの言葉にはならず、私の意識はゆっくりと落ちていく。
今までに感じたことのない幸福感。次に目を覚ました時には熱は下がっていて、机の上に置かれたメモに書かれたメールアドレスとメッセージに夢ではなかったのだと頬が緩んだ。
そして大好きが続く
「ラック先生って全然自分のこと話さないよねぇ」
「先生って結婚はまだだよね?恋人はいるんですか?」
「それ俺も気になる!先生謎すぎんだよな。まさかブロンド美女とか?」
授業終わり、質問攻めにあう先生が笑いながら人差し指を唇に当てるとブーイングが飛んだ。内心どぎまぎしながら回収したプリントを先生に差し出すと、受け取った先生の手がプリントの下で絡まり。
「皆さん明後日は忘れずに予習してくるように。藤崎さん、ありがとうございます」
手が離れていく。‥心臓、止まるかと思った。
「‥彼女はブロンド美女ではありませんが、可愛いですよ。猫みたいで」
クスクスと肩を揺らし楽しげに教室を出て行ったラック先生を唖然と見送ったクラスメイトたち。もちろん私は違う意味で。
彼女がいるらしいと学校中に広まるまではそう時間はかからなかった。
こんな風に公言して、まさかその彼女が私だなんて‥誰も思わないんだろうな。もしかして‥これも先生の作戦なのかな?
end