一周年企画小説
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学校には、生徒にあまり人気のない静かな場所がいくつかある。
理由は様々で、教室から遠いとか日陰だから冬は寒いとか。
しかし静かな場所を好む彼女はよくその場所で本を読んでいた。特別教室の集まる西校舎の裏、木が生い茂りその真ん中にポツンと古いベンチが置いてある。
見つけたのは偶然で、私もこの場所が好きで来た当初から通っていたからだ。
「‥‥‥、無防備すぎますよ」
すうすうと寝息を立てる彼女。膝の上で本のページが風に捲れる。
隣に腰を下ろすとベンチが軋み音を立てたが彼女が目を覚ますことはなく、苦笑しながらも持ってきた本を広げた。
しばらくすると穏やかな寝息が聞こえないことに気づき、隣を見やれば彼女の閉じた目蓋の下から静かに涙が落ちて頬を伝った。
「、藤崎さん‥?」
目蓋が揺れている。再び流れた涙に私は彼女の頬に手をかけ、そっと親指で拭った。
「藤崎さん、どうしました?」
目が覚めるように問いかければ、彼女はぱっとその瞳を覗かせ。
放心したように停止して数秒、私を捉え、頬を染めた。
「えっ‥えと、あの‥っ?」
状況が分かっていないようで、視線を巡らせている彼女の目尻を指先でなぞり問いかける。
「怖い‥夢でも?」
「! あ‥私、泣いて‥?」
ぱっと袖で目元を覆う藤崎さんの頬から手を引く。彼女は少し間を置くと、もう大丈夫ですと笑って見せた。
その笑顔は小さな衝撃があればすぐに壊れてしまいそうで‥
ここは学校だ、これ以上はと思いながらも体は勝手に藤崎さんを抱き締めていた。
「ラック、先生‥?」
「貴女はもっと人に甘えていい」
彼女の家庭事情は知っている。生徒たちの情報というのは、どこからか入ってくるものだ。もちろん私も詳しく知っているわけではないが。
「一人で抱え込むことはないんですよ」
ぽんぽんと優しく頭を撫でれば、藤崎さんの手がスーツを掴んだ。
「っ‥‥同じ夢を‥見るんです」
俯いて胸に埋められたことで声が籠る。僅かに震える体は華奢で、すっぽりと包んでしまえるほどだった。
「途中で『ああ、これは夢だ』って気が付いて、そうすると私はただその空間に一人で佇んでいて‥っ」
とてつもない孤独感に支配されるのだ、と。
同じ夢、ということは。彼女がこうして夢を見ながら涙を流すのはこれが初めてではないということだ。
この小さな体で、彼女は一人でその孤独を耐えて来たのか。
「‥頑張りましたね」
きゅっと体に力が入った。‥そんな彼女が愛おしいと思う。
彼女を‥同じ制服を着た生徒の中から無意識に探すようになったのはいつ頃からだったか。
初めて彼女を見かけた受験日。見知らぬ制服姿で地図を手に泣きそうな表情を浮かべているのを見てすぐに受験生だと分かった。
入学式の後日、中庭からその姿を見つけ合格していたのかと安堵した覚えがある。もちろんその時はただ、一人の新入生として。
それが彼女と話す内に、自分の中に消火しきれない気持ちがあることに気が付いた。
人見知りで大人しいが芯はしっかりしている彼女は、しかし抜けているところもあって。更には警戒心がある割には無防備で‥いつしか放っておけない存在になっていた。
「‥そろそろ昼休みも終わります。戻りましょうか」
解放すると彼女は涙を拭いこくりと頷く。ありがとうございましたと小さなお礼に、私は彼女の手を引きゆっくり歩いた。
「先生‥?」
「校舎に入るまでです。‥この方が温かいでしょう?」
手と私を交互に見つめ僅かに握り返される。その様子に視線を落とせば、嬉しそうな横顔に柄にもなく胸がざわついた。
「ん、先生こんちは。藤崎も」
渡り廊下から東校舎へ入ったところでどちらともなく手を離せば、階段へと向かう藤原くんと鉢合わせた。
部活のミーティングだったらしい彼は、いくつか言葉を交わすと私と藤崎さんを交互に見やり。
「‥藤崎って、さ。先生といること多くねぇ?」
「えっ‥そ、そうかな?」
「なあ、先生」
‥挑戦的な目だ。彼の意図に気付いていないように、私は笑顔でとぼけて見せる。
「藤原くんもしますか?進路相談」
「うわ、その言葉聞きたくないんだよ今!」
耳を塞いだ彼は髪を掻き回し、大きなため息をついた。
「そろそろ行かないと間に合いませんよ」
「まじだ‥藤崎行こうぜ」
「わっ‥ま、待って、先生ありがとうございましたっ」
彼女の腕を掴み階段を上がって行くその姿に目を細める。
彼が彼女に想いを寄せているのは一目瞭然だ。そして彼も‥同じ匂いがするのか、もしかしたら私の想いに勘づいているのかもしれない。
「ラック先生こんにちはー!」
「こんにちは。もうチャイム鳴りますよ」
「はーい」
ぱたぱたと小走りで近くの教室に入った生徒を見送ってから、鳴ったチャイムに足を進めた。
授業が始まり静かになった廊下に各教室から先生方の声がもれてくる。
廊下を曲がったところで窓からの風に巻かれ、ふわりと鼻を掠めた彼女の香りに思わず足を止めた。
スーツに残る彼女の香り。この腕に抱き締めた小さな温もり。
教師という立場を忘れたことはない。‥けれど。
障害もなく簡単に手を取れる彼に苛立ちを覚えたのは確かで、彼女のことになると生徒以上の感情を向けてしまう自覚もある。
この想いが止められるのならば今すぐそうする。しかしそうしようと思う度に、私の口からは諦め悪く反対の言葉が出てくるのだ。
見送るつもりが彼女を呼び止め、意志を無視するように自身の手が彼女に触れたがる。
決して踏み込んではならない位置にいるはずの“教師”が、だ。笑わせる。
「(結局、私も男としては生徒と変わらないんですよね‥)」
大人という肩書き
生徒に妬いてどうすると自嘲したところで、彼女の無防備さにため息をつく。
何故あんなにも簡単に触れさせるのか、何故あんなにも危機感がないのか。
‥そう思いながらも。彼女の笑顔が自分に向けられればそんなことはどうでもよくなってしまうのだから‥男はつくづく単純な生き物だ。
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