一周年企画小説
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すっかり暗くなってしまった空から大粒の雨が落ちてくる。
予報はたしかに雨だったけどどしゃ降りとは言っていなかったのに。
「止まないなぁ‥」
こうなってしまえば走って帰るしかない。
「‥藤崎さん?」
振り返るとラック先生が驚いたように目を丸くしていた。
「もう生徒は全員帰ったかと‥」
「委員会で‥任された仕事が終わらなくて」
気付けば外は真っ暗だし、大雨だし。
「もしかして傘がないんですか?」
「えと、持ってきたんですけど‥」
傘立てを見る。空になったそれを見て、私と並ぶように玄関口まで来たラック先生は眉を寄せた。
「盗まれたんですか?」
柄付きだったから盗まれないと思ってたんだけど‥この雨の中を傘無しで帰るのが嫌だったのだろう。
「少し待ってみたんですけど止みそうもないので、走って帰ります」
頭を下げようとすると、再び廊下から声がかかった。
「何だまだいたのか?」
担任の先生が下駄箱までやってきて、外を覗いて顔をしかめる。
「どうやら傘が盗まれてしまったようで‥」
「盗まれたぁ?ったく‥きっと傘戻って来ねぇだろうな。ごめんな藤崎」
「いえ、先生のせいじゃ‥」
ぱたぱたと手を振る。結構気に入ってる傘だったから、戻って来ないと思うとショックだけど‥
「私も今日は帰るところなので‥藤崎さんは私が送っていきましょう。夜も遅いですし、こんな雨の中傘も無しで帰らせるのは‥」
「ああ‥そうですね。すみませんラック先生、俺はまだ仕事があるんで‥藤崎お願いできますか」
二人を交互に見つめる。先生はそんな私に気づくと腰を屈め、にかっと笑った。
「他の生徒には内緒な!車で送ってもらえるなんてラッキーだな藤崎!」
「あのっ、でも、先生迷惑じゃ‥」
「大丈夫ですよ。こんな遅くに雨の中一人で返す方がよっぽど気になります」
「そういうことだ、大人しく送られろ。それじゃあ、ラック先生お願いします」
「はい。藤崎さんは靴を持ってついてきてください。教員玄関の方から出ますから」
先生の姿が見えなくなるとラック先生が振り返って手招きする。
慌てて靴を持ってラック先生に追い付き、鞄を肩にかけ直した。
「ラック先生、あの、ありがとうございます」
返ってきた笑顔に胸が高鳴る。
嬉しい。でも、緊張する。だけど嬉しい。そんな感情が入り交じって心が騒がしい。
傘を開くと私を入れて車まで歩く。地面に跳ねた雨が足を濡らして冷たかったけど、密着した体にもうそれどころではなくて。
「どうぞ」
ドアを開けてくれるその仕草も、車内に漂うラック先生の香りも‥意識してしまうには充分すぎるもので。
どうしよう、心臓がうるさい。顔が赤いのが自分でも分かる。
バンッとドアが閉まる音と共に、更に加わった重みに車が沈んだ。
「すごい雨ですね‥」
傘を畳んで後ろに入れる間に濡れてしまったのか、シャツの肩部分がすでに色を変えている。
髪を掻き上げた先生はこっちを見ると気付いたように声を上げた。
「すみません、座席直しますね」
突然体ごとこちらを向いたかと思うと足下に右手を入れて、突然前に動いた座席に私はビクッと肩を上げた。
そんな様子に先生はクスクスと笑いながら、シートベルトしてくださいねと付け加える。
シートベルトをつけると首にかかってしまって、こんなものなのかと首を傾げていれば。
「直してって言ったのに‥」
小さな独り言だったけれど、密閉された車内でははっきり聞き取ることができた。
先生今敬語じゃなかった‥
ギッと座席の軋む音に顔を上げれば、助手席の背もたれに左手を置いて身を乗り出す先生の顔がすぐ近くにあって。
「昨日兄を乗せたのですが‥兄は体の大きい人で」
シートベルトが下げられ首に当たらなくなった。
「苦しくありませんか?」
「は、い‥」
な‥なんとか声が出せた‥!
シートベルトって高さ調節出来たんだとか、先生お兄さんいたんだとか、敬語じゃない先生初めてきいたとか、思うことは色々あるのに顔が熱くて逆上せた気分だ。
「藤崎さんの家はどの辺りですか?」
「ぁ‥はいっ」
目印になるようなものをいくつか告げると先生は頷いてエンジンをかけた。
車内には雨と布ずれの音、そしてカチカチとウィンカーの音が響く。
「生徒を助手席に乗せるのは‥藤崎さんが初めてですね」
その中に低く落ち着いた声が響く。
先生を見ると、運転するその姿は様になっていてとてもかっこいい。
「え‥?そう、なんですか?」
「私は担任を持っているわけではないので、他の先生方のように文化祭でも買い出しを頼まれたことがないんですよ」
‥嬉しい。弛む頬を誤魔化すように髪を梳いていると、どこからか聞こえるバイブ音に耳を済ませる。
‥これは私じゃない。そう思って隣を見れば、先生は鏡越しに後ろに置いた鞄を見やっただけで再び視線を戻した。
「それにしても‥こんな中傘無しで帰ろうとしたんですか?」
「え、あ‥走って帰れば大丈夫かなって思って」
「‥車で15分はかかるのに?」
「近道すれば走って30分で帰れます!」
ぐっと握りこぶしを作ってみせれば、呆れたような視線を向けられた。
「慣れてるので大丈夫です。雨は‥嫌いですけど」
いつだって、私はそうしてやり過ごして来た。こうして車の助手席に乗ることすら久しぶりで、シートに凭れるようにして流れていく景色を追った。
「‥‥先生」
「はい」
「携帯、ずっと鳴ってますよね‥?」
始めこそメールだったのかと思ったんだけど‥一向に鳴り止まない。一度切れたけど、また鳴り始めてからまだ止まらない。
深いため息をついた先生は私に謝ってから車を路肩に止め、後ろの座席から鞄を取ると携帯を耳に当てた。
「He――」
「――!―――!!」
私にまで聞こえてきた怒鳴り声にビクリと肩を上げる。恐る恐る先生を見れば、ハンドルに突っ伏すようにしていて。
「Please‥ please tone down your voice.」
多分、先生の言いたいことは分かった。携帯を耳に当てていた先生はさぞかしこたえただろう。
「What can I say‥ ok, I hear you, and?」
あ、呆れたような声。私は先生の声がとても好きだ。英語も日本語も、先生の話し方はとても穏やかだから。
「‥‥Pardon?」
聞いたことのある単語についそちらを見てしまった。ラック先生は困惑したような様子で相槌を打っていたけれど、そのうち慌てたように捲し立てて。
「I don't‥ wait!hey!」
先生は眉を寄せたまま携帯を見つめ、何か言いたげにそのまま電源を切った。
こんな慌てた先生は初めて見た‥新鮮な姿についじっと見ていれば、そんな私に気付いて苦笑を浮かべる。
「すみません、お待たせして」
車を出してしばらくすると、先生が再びため息をついた。
「私には兄が二人いて、その次兄が昨日仕事で日本に来たんです」
「もしかしてさっきの電話‥」
「兄からです。ホテルが嫌だから今日はお前の部屋に泊まると言い出して‥」
‥‥ものすごく嫌そう。仲悪いのかな?お兄さんすごく怒鳴ってたし‥
「兄はうるさいんですよ。‥イビキが」
「‥‥ぷっ‥」
「笑い事じゃありませんよ‥」
今日は眠れないかもしれないと不服そうな先生が可愛く思えて更に肩を揺らした。
知らない先生をたくさん知れて、薄情だけれど傘のことなんて忘れてしまいそうだ。
あっという間に時間は過ぎてしまって、車はアパートの前に停止する。
「ラック先生、ありがとうございました」
「You are welcome」
もう一度頭を下げてドアに手をかけたところで、名前を呼ばれ振り返れば。
「慣れなくていいんですよ」
「え‥?」
「貴女は充分頑張っています。もし‥もしも耐えられなくなったら、私を頼ってください」
紙が差し出されて何か分からずに受けとると、ゆるりと頭が撫でられる。
「‥また明日、学校で」
ガチッと鍵の開く音に慌てて車を降りると、濡れるから走りなさいと言われてアパートの屋根があるところまで走った。
それを確認してか走り去った車を見送り、私は自分の家に入るとその場に崩れ落ちる。
‥ダメなのに。相手は先生で、こんな恋は叶うはずがないのに。
カサリと手に握りしめた紙を開けば、並んだ数字。
「っ‥せんせ‥」
ああ、やっぱり。
私はこの気持ちを止められない。
貴方にだけ恋がしたい
「やっと来たかラック!」
「僕だって色々忙しいんだよ」
「何が忙しい‥ん?何だ?甘ったるい匂いすんな。ったく‥またシート戻ってるしよォ」
「‥‥本当に、どうしようかと思った」
「あ?何か言ったか?」
「‥何でもない」
彼女からする甘い香りに、酔わされそうになったのは私の方だ
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