09.少女は自ら情報屋に足を踏み入れる
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***
「――ゃん、ユウちゃん!」
肩を揺すられて顔を上げると、私を覗き込んでいる複数の瞳と目が合った。
「ニコラスさんに、エレアンさん‥?」
ぱちぱちと瞬きをすれば、ほっとしたように息をつく二人に首を傾げる。
同時に突然込み上げて来た吐き気に口を押さえ、驚いている二人を置いて部屋を飛び出した。
来る時に通った洗面所のドアを押し開け胃の中のものをすべて吐き出す。
終わったのだと、途切れた緊張と共にいろんな感情が感覚を取り戻す。
“好きな人が死ぬ瞬間”というものは、私の精神を大きく引き裂いた
あの瞬間、私はラックさんが不死者だということを忘れていた
忘れてしまうくらい、ショックな場面だった
今更になって身体が震える。震える手を重ねるようにして、私はネックレスを握りしめた。
口をゆすいで部屋に戻ればラックさんが上半身を起こしていて。
「ユウちゃん大丈夫かい?」
「具合が悪いなら隣の部屋で‥」
視線が絡まる。エレアンさんたちの声は聞こえているのに、今は言葉を返すことができなかった。
「‥っ‥ラックさ‥」
ボロボロと涙が次々と頬を流れていく。
目を見開いたラックさんの胸に、私は崩れるようにして飛び込んだ。
「し‥死んじゃったかと、思っ‥」
「ユウ‥」
困ったようなラックさんの声。私はそれまでの感情が爆発したように人目も気にせず声を上げて泣いた。
怖かった
あの時、血が床に広がっていくのを見て“死んだ”と思った
彼は死んだ――ラックさんが死なないと分かっていたはずなのに、私の脳はそう判断したのだ
赤黒い血は列車での惨劇を思い起こさせ、衝撃に合わせ小さく跳ねる生気のない腕が父の死に際を彷彿とさせて
“また私は大切な人を失うの――?”そう‥思ったら、とてつもない恐怖に襲われた
「‥ユウ」
「や‥っ‥置いていっちゃやあっ‥!」
「っ‥ユウ!」
両頬が温かさに包まれ顔を上げさせられる。
「しっかりしてください、ユウ」
そこには辛そうに表情を歪めたラックさんの顔があった。
額がこつりとぶつかり、私を落ち着かせるように何度も名前が紡がれる。
「目を開けて‥私を見てください。私は生きています。貴女を置いてはいかないと約束したでしょう」
こくりと、小さく頷きを返す。親指が涙を拭うものの止まる気配はなく、ラックさんは苦笑すると目尻に優しく唇を押し当てた。
「ほら‥目の前にいるのは誰です?」
「‥ラックさん‥」
「正解。泣くことはありません」
包み込むように抱き締められる。
落ち着かせるように優しくゆっくりと頭が撫でられて、私はしゃくり上げながらその温かさに目を閉じた。
「‥貴女はどうして、他人ばかり気にかけるんでしょうね」
優しく、けれど少し呆れたような口調。
「私の身にも‥なってください」
腕の力が強まって視線だけを上げれば、少し崩れた髪が私の頬にかかる。
「‥グスターヴォに捕らえられたユウの姿を見た時は‥頭に血が上って怒りでどうにかなりそうだった」
それ以降ラックさんは黙ってしまって、絞り出されたようなその言葉に胸が締め付けられた。
私がこれだけ不安なのに、ラックさんが不安じゃないわけがない。私は不死者じゃない。今回だって、私なんかいつ死んでもおかしくなかった。
私はだれも失いたくなくて、私にできるなら守りたくて、だけどそんなものはただの独りよがりで。
自分勝手な我が儘で私は彼を傷付けた。
「ごめんなさい、」
背中に回した手を伸ばしてそっと頭を撫でる。いつもラックさんがしてくれるように。
小さく反応を見せたものの抵抗はなく、どんな顔をしているかは見えなかったけれど‥まるで縋るように抱き締めてくるラックさんに収まりかけた涙が再び視界を濁した。
「ごめんなさい‥ラックさん、ごめんなさい」
「‥失いたくないのは私も同じです。私の前から‥消えないでください」
“――もう‥消えたりしませんよね”
不意に思い出した。私が向こうの世界に戻りかけた後にラックさんが私に言った言葉。
もしかしたら‥ラックさんは私よりもずっと不安だったのかもしれない。‥それなのに、私は。
「‥うん」
もう一度。頷いて、私は体温を感じるように目を閉じた。
トクントクンと。静かに聞こえるその心音に耳を傾ける。心地いい、生きている音。
それからしばらくしてゆっくり体を離すと、頭を撫でた後に短くなった髪を梳いた。
「無理をして‥」
「で、でも髪はまた伸びるよ」
「そうですけど‥‥帰ったらチックさんに綺麗に切ってもらいましょう」
首を傾げると、彼は器用ですよとラックさんが苦笑した。
「本当に怪我はないんですね?」
「うん。多分痣になるくらいで、イブちゃんも‥‥イブちゃんは!?」
はっとして部屋を見回せば、いつのまにかイブちゃんもエレアンさんたちもいなくなっている。
「ユウの様子がおかしいと気付いて外してくれましたよ。後始末もありますし、呼んで来ましょう」
立ち上がったラックさんの手を取って後ろに続く。
部屋を出る直前に振り向いたラックさんは私をじっと見て、視線を合わせるように腰を曲げた。
「気分は‥もう大丈夫なんですか?」
「ん‥もう平気」
納得していないように眉を寄せたものの、ラックさんは小さくため息をついて。
「無理はしないように」
額に唇が触れ、私は笑顔で頷いた。
この時私は顔色が悪かったそうなのだけど、休まない理由があるのだと悟ってくれたらしいラックさんはただ黙って私の手を引いた。
「あ‥イブちゃん!」
‥後で聞いた話によれば、ニコラスさんたちが部屋に入ると放心状態の私とイブちゃんがいて、倒れている二人は血だらけだしで大騒ぎだったらしい。
ニコラスさんとエレアンさんは私、執事さんたちはイブちゃんに必死に呼び掛けていた‥と。
自分のことに精一杯でイブちゃんを気にかけられなかった。
そのことを詫びるとイブちゃんはこれでもかと首を振って、きつく、私の手を握りしめた。
「本当にありがとう‥ユウちゃん」
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