01.迷い込んだ少女は雨を嫌う
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***
ザァァァ‥
「わあ、すごい雨ー」
視線を移すと、ハサミを動かしながら窓にはりついているチックさん。
「もう2時間程前から降り続いてますよ」
広げた資料を閉じながら、椅子に寄りかかり脚を組んだ。
外は闇に包まれ、明るい室内からでは窓に移っているチックさんしか見えない。
「あれー?」
「どうしました?」
「珍しいー、お客さんー」
客?こんな時間に?
時計を見ると、9時を回っている。客が来るには遅い時間だ。
開いたドアに視線を移すと、肩で息をしているエニスさん。
傘はさしてきたようだが、走ってきたせいかずぶ濡れだ。
「エニスさん?どうしたんです、こんな場所に‥」
「ラックさん、帰ったらユウさんが‥」
大事そうに取り出したのは、雨に湿った1枚のメモ。
私はそれを受け取り、光にかざした。
「‥あの人はまた‥っ」
「ラックさん、どこか行くのー?」
コートを羽織りながら、私はメモをポケットに放り込む。
「すみませんが今日は帰ります。チックさん、エニスさんにタオルを用意してあげてください」
「ラックさ‥」
「傘お借りします。エニスさんはここにいてください、後でフィーロをよこします」
それだけ言い残し、私は雨の降りしきる外へ出た。
メモには辿々しい文体で用件だけが記されている。
まだ慣れていない英語。何度も消された跡と、涙を拭ったような跡が紙に残っていた。
私はなぜ、こんなに焦っているのだろう
私はなぜ、こんなにも腹がたっているのだろう
畳んだ傘を手に走る私に、すれ違う人々が振り返る。
私を知る人が今の私を見たら、何というだろう。
信じられないと、柄じゃないと、笑われるだろうか。
「っ‥あれは‥」
裏通りの階段下、そこに膝を抱え小さくうずくまる彼女がいた。
「‥‥また、風邪をひく気ですか?」
防ぎ切れていない雨に傘を傾ければ。
「――!」
勢いよく上げた顔が、驚きに染まる。
「‥ど‥して‥」
上着を被せ、私は水滴を落とすように髪を掻き上げた。
「‥どうして、ですか。それは私が聞きたいですね」
声に怒りを含ませると、彼女はびくりと肩を竦める。
「ずっとこうしてうずくまっているつもりですか?戸籍もないあなたが、こんな危険な街でどうするんです」
「、だって‥」
「言い訳は家に帰ってから聞きます。‥行きますよ」
手を差し出すと、ユウさんは泣きそうな顔をして首を振った。
「‥言い訳は家でと言ったはずです。私まで風邪をひくのは嫌ですからね」
失礼します、一言声をかけて、私は彼女を抱き上げる。
「! やっ‥ラックさ‥」
「‥‥‥」
じたばたと暴れる様子は、まるで猫のようだ。
私はそのまま彼女を抱え、家へ向かった。
***
「やだっ‥ラックさん、やだぁ‥っ」
いくら暴れても、ラックさんは離してはくれなかった。
髪から落ちる水なのか涙なのか分からない滴が、顎を伝い落ちる。
冷えていた体はラックさんの体温で少し暖かくなって、私は暫くして暴れるのを止めた。
終始無言のラックさんが怖くて、込められた力に適わないと悟ったから。
器用にドアを開けたラックさんはそのままシャワールームに直行。
私をタイルに下ろすと上着だけを放って、シャワーの蛇口を引いた。
「ひゃっ‥」
熱いシャワーが頭から降りかかる。
ドンッという音に身を竦めると、
ラックさんが私の顔の横に手をついていた。
シャァァ‥
冷たい雨を含んだ服が、熱いお湯を取り込んでいく。
「‥さあ、言い訳を聞きましょう」
私がふるふると首を振ると、ラックさんはしばらくの後ため息を零した。
「‥あなたも強情な人ですね」
では‥と数秒考えるように視線を外すと再び私に向けられる。
「質問を3つに絞ります。答えなければ、ずっとこのままですから」
言うと、ラックさんは空いた方の手で髪を掻き上げた。
「一つ目。‥‥なぜ、出て行ったんですか?」
いきなり確信を突かれて、私は思わず身を固める。
さっきの“答えなければずっとこのまま”というのは嘘ではないらしく、ラックさんはじっとその答えを待っている。
「‥‥こわかった、から‥」
予想にしてなかったのか、ラックさんは不思議そうに眉を寄せた。
「‥一緒にいるのが当たり前になることが‥‥裏切られるのが‥怖いから‥っ‥」
ラックさんはしばらく間を置いて、では二つ目、と続ける。
「‥あなたをそう思わせるのは何です?」
反射的に見上げると、射抜くような目で見ているラックさん。
嫌だと首を振っても、ラックさんは無反応で。
「‥‥っ‥両親が、」
ぎゅっと服を握り締めて、私は目を伏せた。
「‥両親が死んで‥3年間、親戚の家にいたんです‥‥だけどずっと、受け入れてもらえなくて‥」
《“家族水入らず”で過ごしたいんだ、大人しく留守番しててくれよ》
《あの子だけ生き残って、これからどうするんだ》
それでも、私の居場所はあそこしかなかったから
一生懸命馴染む努力をした
子供に持たせておくのは心配だと、遺産の権利について何度も言われたけど
両親が残してくれたものだったから、私は手放したくないとそれを拒んだ
‥だけどあの日、気がついたら遺産は叔母さんたちのものになっていて、手続きを終えた途端。
「‥‥もう帰ってくるなって‥言われちゃいました‥」
手の甲を目に押し当てて、必死に声を押し殺した。
帰る場所も、大切なものも、すべて失ってしまった私は。
「っ、‥私、事故に遭ったんじゃない‥っ」
避けられると思ったのに、私は――
「私は、避けなかった‥!」
今頃になって、体が震えた
あの瞬間、私は両親にもらった命を捨てた
“お前だけでも生きていてよかった”と言ってくれた父を
私は、裏切ったんだ―――
「‥やっと、言いましたね」
ふわりと、体を包む暖かな腕。
「すみません、こうでもしないと言わないと思ったので‥あなたには酷なことをしました」
頭を撫でてくれる大きな手が、心に渦巻く蟠りを徐々に溶かしていく。
私はラックさんの服を握って、すがりつくように泣いた。
「‥私があなたのそばにいます。あなたが私を信じてくれるなら、私があなたを信じます」
昨日と同じ言葉。
ラックさんの声は反響して、私の心に染み込んで行く。
「ですから、ユウ」
見上げると指が涙を拭って、
「三つ目。‥ここにいてくれますか?」
泣きながら大きく頷いた私に、ラックさんが笑いながら頭を撫でた。
***
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