01.迷い込んだ少女は雨を嫌う
名前の設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
***
「ラック!」
振り向けばフィーロが手を上げ走ってくる。
「フィーロも今帰りですか」
「ああ」
軽い挨拶も早々に、フィーロは楽しそうに私の顔を覗き込む。
「で?どうなんだよあの子。一回目覚ましたんだろ?」
「‥どうも何も、野良猫を相手にしているみたいですよ」
ため息をつくと、フィーロが笑う。
体を竦ませる彼女は、少しでも大きな音を立てれば逃げてしまいそうだ。
今日帰ったらいなくなっているのではないか、とも思う。
「ま、帰って様子見てみようぜ」
フィーロの視線を追い顔を上げると、フィーロの部屋だけに明かりが灯っている。
「ただいまー」
「あ、お帰りなさい。こんばんは、ラックさん」
挨拶を返し部屋に上がると、ソファーに両脚を折り曲げ座っている彼女。
ぶかぶかの服に隠れて、手足の先が見えていない。
「! は、わっ」
びくりと震えた振動で、両手で持っていたコップが手から落ち地面に転がる。
ほとんど空だったそれはカーペットに小さなシミを作っただけで割れはしなかった。
「あ‥ごめんなさ‥」
ソファーから降りようとする彼女を手で制し、コップを拾う。
「すみません、驚かせてしまいましたね」
目を丸くして見上げる彼女に苦笑すれば、私からコップを受け取ったエニスさんがそっと彼女の肩に触れる。
この1日で、エニスさんへの警戒は完璧にとは言えないが解けたらしい。
「あ、あのっ‥」
どうやら彼女は、私に話したいことがあるようだ。
怖ず怖ずと袖を掴まれ、私が言葉を待っていると。
「‥私、ユウって言います。 本当に、助けてくれて、ありがとうございました」
こうして純粋に頭を下げられるのはいつぶりだろう。
職業上、乞いや謝罪などでしか頭を下げられない私は、変に感心してしまった。
「私はラックです。彼はフィーロ」
「よろしくな!」
笑顔を向けるフィーロに、ユウさんは小さく頭を下げる。
後ろでフィーロが「ほんと猫みてぇ」と小さく呟いたのが聞こえた。
「‥ユウさん、さっそくで申し訳ないのですが‥あなたのことを教えていただけますか?」
こちらのガンドールという名前も伏せているのだから、そちらの情報を教えろというのはフェアではないが‥
今日1日、私なりに彼女を調べてみたが、彼女の情報は戸籍に始まり生活状況、存在すらつかめなかった。
‥彼女は謎が多すぎる。
「わた、し‥」
途端、表情を暗くしユウさんは目を伏せた。
「‥分からない、です」
彼女の消えてしまいそうな声に、私とフィーロは顔を見合わせる。
言いたくないのだろうか‥
フィーロが間を繋ぐように先ほど取った夕刊をテーブルに置くと、ユウさんはそれを見つめたまま動きを止めた。
「? ユウさん、どうしたんですか?」
私たちも向かいのソファーに腰を下ろし、ユウさんの隣に座ったエニスさんが首を傾げる。
「‥1931年‥‥」
ぽつりと、彼女が呟く。
ユウさんは唇を噛み服を握りしめると、震える声で言った。
「‥事故に、遭ったんです」
事故‥?
続きを待つ間が、やけに長く感じる。彼女の声は、今にも消え入りそうだ。
「‥2008年の、日本、で‥」
時が止まったように、部屋には静寂が訪れる。
2008年‥というのは‥‥?
私自身、頭がついていかない。
「‥跳ねられて‥目が覚めたら目の前に大きな川と倉庫があって、私っ意味が分からなくて‥っ」
耐えていた不安を吐き出すように、彼女の瞳から涙が溢れ線を作った。
「怖くて、走ってたら出た大通りであの人たちに声かけられて‥っ、日本じゃないし、時代も違うし、もう訳わかんないっ‥!」
最後は悲鳴のようだった。自分でも不確かなことを、会ったばかりの人間に言うのはどれほど勇気がいったろう。
“有り得ない”と思いながらも、納得している自分もいた。
自慢じゃないが私たちの情報収集は並大抵のものじゃない。
それが彼女の情報はひとつも掴めなかったのだ。彼女がここに“来た”と言うなら、それもおかしくはなかった。
‥それに。それが本当なら、彼女が何に怯えているのかも分かる気がした。
一番理解できていないのも彼女で、何を信じればいいのかも分からない。
あの服で大通りを通ったというなら、好奇の目が向いたに違いない。
視線が‥人からの視線が、怖くなったのだ。
だから彼女は、私たちの視線に怯えている。
「‥私は、信じます」
静寂を破ったのは、エニスさんの声だった。
「エニス!?」
「私もそんな非現実的なこと、理解した訳じゃありません。でも‥ユウさんが嘘をついてるようには見えないんです」
「‥‥‥、」
涙を溜めたまま、ユウさんは瞬きもせずにエニスさんを見上げている。
「‥そうですね」
「ラック!?」
フィーロが驚くのも無理はない。
“私”を知っているのなら尚更。
「私は人を見る目はあるつもりです。彼女が嘘をついているとは私も思えません。フィーロもそうでしょう?」
「まあ‥っでもなぁー」
髪をかき回すフィーロに苦笑して、私は動かなくなったユウさんの頭に手を置いた。
「私たちがあなたを信じます。あなたも、私たちを信じてくれますか?」
彼女は再び泣き始めてしまった。安心したのか、全身を震わせて。
エニスさんが抱き寄せながら背中をさする中、部屋には彼女のしゃくりあげる声だけが響いていた。
***
.