第一章
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――翌朝。
シーカーキャンプで簡単な朝食――昨夜の夕食の残り物であるツチバシのシチューを食べ、ジルオとルトの二人は出発の準備に勤しんでいた。
……間違ってもルトを危険な目に合わせる訳にはいかないと思い、ジルオはいつもよりも念入りに黙々と荷物の最終確認をしていたのだが、そんなジルオの耳に不意に届いた軽やかなハミング。
鈴を転がしたような可愛らしい歌声にジルオはちらり、とルトを見やった。
「…………君は随分と上機嫌だな」
「えへへ。今日から一週間もジルオさんを独り占めできるのかなーって思うと、すごく嬉しくて。……それに、」
「それに?」
「二人っきりってことは……これってある意味デートみたいだなーって、少し思いまして」
「………………。」
ふふー、と笑うルトの発言に気張っていたジルオの肩の力ががくっと抜けた。
これには流石に呆れたのか「デートって……、ルト……君なぁ……」とジルオは深い深いため息を吐く。
(初探窟が楽しみなのは良しとしても……流石にこれは少々浮かれすぎか……)
そう、これは勿論デートなどではない。
二人が共に向かうのはアビスの深層であり、そこでは気を抜けば瞬く間に窮地に立たされる。
ルトに危機感が伴っていないのは如何なモノか、そう思ったジルオは僅かに眉を寄せると些か真面目な口調でルトの事を窘めた。
「……ルト。俺たちが向かうのは危険が伴うアビスの奥地だ。あんまり浮かれすぎるモノではないぞ」
月笛を所持する師範代としての厳しさを垣間見せるジルオの姿。
だが……ルトも幼いながらに本当の所は理解している。此処、アビスが安全では無い事を。
「……わかっています〝リーダー〟」
故に、ルトはジルオの目を真っ直ぐに見据え、真剣な口調でその言葉に応じた。
ルトからキリッとした表情でしっかりとした言葉を返され、それはジルオにとって望ましい筈の返答だったのだが……ジルオはその呼び方に違和感を強く覚えてしまった。
……確かに、いつもなら引率者として、師範代の月笛として、孤児院の子どもらには『リーダー』とそう呼ばれている。ルトもそれを踏まえて敢えてそう呼んできたのだろう。しかし…………。
「リーダー、か…………」
「……あれ?ジルオさん、孤児院ではリーダーって呼ばれてますよね?」
微妙に困惑したような声音で呟いたジルオの姿に、さっきまでの真剣な顔は何処へやら、ルトはきょとんとした顔で不思議そうに首を傾げた。
「いや……確かにそうなんだが…………君にそう呼ばれるのは逆にこそばゆいな。頼む、普段通りに名前で呼んでくれ」
ジルオがそう伝えれば「わかりました、ジルオさん」といつも通りの呼び方で柔らかく呼ばれた己の名前。
……やはりその呼ばれ方の方が俺は落ち着くな、とジルオは僅かに目を細めた。
出発の準備を終え、玄関口へと二人は向かう。
地臥せりの皆からは口々に「気をつけるんじゃぞ」「頑張れよ、ルト」「ジルオ、俺の大事な妹分をしっかり守ってやってくれよ?」と声を掛けられたものの、オーゼンはその間終始無言のままで。
出発の直前にジルオとルトが「では、行ってまいります」「行ってきます、お師さま」と挨拶をしても返ってきたのは「あぁ、さっさと行ってきな」という憮然としたモノだった。
ゴンドラに乗り込みながら「不動卿の対応は随分と素っ気ないモノだな……」とジルオが零せばルトにあっさりとした口調で諭された。
「お師さまはいつもあんな感じですよ。ていうか、ちやほや優しく甘やかしてくれるお師さまとか、逆に怖くないですか?」
……言われてみれば。それはそれで想像がつかない、というよりもある種の恐怖を覚えそうではある。
にんまりとした笑みを浮かべながら甲斐甲斐しく俺の世話を焼いてくる不動卿……とジルオが密かに身震いすればルトは更に言葉を続けた。
「それに。お師さまはジルオさんの事を信頼してるんだと思います」
「俺の事を?」
「はい。――ジルオさんなら、一週間後ちゃんと私の事を無事に此処へ送り届けてくれるって」
淡々と告げるルトの声にジルオの胸にピリッとした緊張感が走り抜ける。
そして――オーゼンの事を深く理解しているルトの姿に、ジルオは二人の間にある師弟としての強い絆を強く感じ取った。
それに呼応するかのようにして、自身の師匠であるライザとの様々な思い出がジルオの胸中を駆け巡ってゆく。
「…………ルト。君は不動卿の事を随分と好いているのだな」
ジルオの口からポロッと零れ落ちた呟き。その言葉にルトは僅かに目を丸くする。
そして「むゅ……」と小さく戸惑いの声を漏らすと、もにょもにょとした歯切れの悪い口調で「好き、ですか……」と言ったっきりルトは下を向いてしまった。
「??」
俯いて何かを考え込むような仕草を見せるルトに、俺はルトに何か変な事を言ってしまっただろうか……とジルオは首を捻る。
暫しの間、ゴゥンゴゥンとゴンドラが降りてゆく音だけが辺りに響いて。
何かを言いたげにしているのに中々それを口にしないルトを不思議そうに眺めてジルオは「……ルト??」と名を呼んでみる。
すると、名を呼ばれて顔を上げたルトの真剣な眼差しが、ジルオの晴天を映したような透き通った蒼い目を真っ直ぐに捕らえてきた。
「ジルオさん。私、確かにお師さまの事も好きなんですけど…………でも、」
一呼吸置かれ、一度区切られたルトの言葉。
ルトはスゥッと息を吸うと、素直な気持ちを一気にジルオへと吐き出した。
「…………私はお師さまよりも、ジルオさんの事の方が、もっと、ずっと、大好きですよ?」
思いも寄らぬルトの言葉にジルオは思わず目を見開き、息を飲んだ。
……いや。『大好き』という言葉自体は良く言われているし、言われ慣れている。
リコを含めた孤児院の子どもらから親愛を込めて良く伝えられている言葉だ。
そして。それはルトからだって、過去に何度も言われてきたはずの言葉だ。
「~~っ、~~っ、」
それなのに……何故だろう。どうにも今は照れ臭くて仕方がない。
気恥ずかしさから、ルトの目から視線を逸らしたいとさえ思うのに、澄んだ新緑の瞳から目を離せなくて。
凛とした眼差しで、しっかりと此方を見つめてくる瞳を前にして何か気の利いた事を言うべきなのか、とジルオは思考を巡らせるも言うべき言葉が何一つ浮かんでこない。
普段なら、いつもなら、照れながらでも『ありがとう』くらいは言えていたはずなのに。それすらもまるで喉につかえてしまったようで声にならない。
「ジルオさん、私……、」
ゴンドラは尚も唸りを上げて下へ下へと下りてゆく。
そんな中、陸に上がった魚のように口をぱくぱくとさせているジルオへと、ルトは更に言葉を紡ごうとしたのだが。
「っ!!」
……次の瞬間、ゴンドラがゴォンと低音を轟かせて地面へと降り立った。
「つ……着いたな」
「着きました、ね」
二人の間に漂う気まずさを覆い隠すかのように舞い上がる土埃。
ジルオはそれに何とも言えぬ安堵感を覚えた。
……未だ跳ね上がったままの心音はゴンドラが着地した際に身体に伝わった強い衝撃の所為だろう、ジルオは自分へとそう言い聞かせながら呼吸を整えて気持ちを落ち着かせる。
そして「……よし。では行くぞ。ルト」とジルオはルトへと手を差し伸べた。
(ジルオさんの事……お師さまへの〝好き〟とは違った意味で〝大好き〟です、ってジルオさんに言えなかったな)
伝えそびれてしまった思いにルトは小さく息を吐く。
……それでも。ルトはしょんぼりとした気持ちを振り払うかのように元気良く「……はい!」と返事をし、差し出されたジルオの手を握りしめた。
二人が歩むのは、力場からの光が殆ど届かず、常に薄暗い深界二層――逆さ森。
その所為か……お互いの顔がほんのりと赤く染まっていた事には二人とも気付かぬままだった。
シーカーキャンプで簡単な朝食――昨夜の夕食の残り物であるツチバシのシチューを食べ、ジルオとルトの二人は出発の準備に勤しんでいた。
……間違ってもルトを危険な目に合わせる訳にはいかないと思い、ジルオはいつもよりも念入りに黙々と荷物の最終確認をしていたのだが、そんなジルオの耳に不意に届いた軽やかなハミング。
鈴を転がしたような可愛らしい歌声にジルオはちらり、とルトを見やった。
「…………君は随分と上機嫌だな」
「えへへ。今日から一週間もジルオさんを独り占めできるのかなーって思うと、すごく嬉しくて。……それに、」
「それに?」
「二人っきりってことは……これってある意味デートみたいだなーって、少し思いまして」
「………………。」
ふふー、と笑うルトの発言に気張っていたジルオの肩の力ががくっと抜けた。
これには流石に呆れたのか「デートって……、ルト……君なぁ……」とジルオは深い深いため息を吐く。
(初探窟が楽しみなのは良しとしても……流石にこれは少々浮かれすぎか……)
そう、これは勿論デートなどではない。
二人が共に向かうのはアビスの深層であり、そこでは気を抜けば瞬く間に窮地に立たされる。
ルトに危機感が伴っていないのは如何なモノか、そう思ったジルオは僅かに眉を寄せると些か真面目な口調でルトの事を窘めた。
「……ルト。俺たちが向かうのは危険が伴うアビスの奥地だ。あんまり浮かれすぎるモノではないぞ」
月笛を所持する師範代としての厳しさを垣間見せるジルオの姿。
だが……ルトも幼いながらに本当の所は理解している。此処、アビスが安全では無い事を。
「……わかっています〝リーダー〟」
故に、ルトはジルオの目を真っ直ぐに見据え、真剣な口調でその言葉に応じた。
ルトからキリッとした表情でしっかりとした言葉を返され、それはジルオにとって望ましい筈の返答だったのだが……ジルオはその呼び方に違和感を強く覚えてしまった。
……確かに、いつもなら引率者として、師範代の月笛として、孤児院の子どもらには『リーダー』とそう呼ばれている。ルトもそれを踏まえて敢えてそう呼んできたのだろう。しかし…………。
「リーダー、か…………」
「……あれ?ジルオさん、孤児院ではリーダーって呼ばれてますよね?」
微妙に困惑したような声音で呟いたジルオの姿に、さっきまでの真剣な顔は何処へやら、ルトはきょとんとした顔で不思議そうに首を傾げた。
「いや……確かにそうなんだが…………君にそう呼ばれるのは逆にこそばゆいな。頼む、普段通りに名前で呼んでくれ」
ジルオがそう伝えれば「わかりました、ジルオさん」といつも通りの呼び方で柔らかく呼ばれた己の名前。
……やはりその呼ばれ方の方が俺は落ち着くな、とジルオは僅かに目を細めた。
出発の準備を終え、玄関口へと二人は向かう。
地臥せりの皆からは口々に「気をつけるんじゃぞ」「頑張れよ、ルト」「ジルオ、俺の大事な妹分をしっかり守ってやってくれよ?」と声を掛けられたものの、オーゼンはその間終始無言のままで。
出発の直前にジルオとルトが「では、行ってまいります」「行ってきます、お師さま」と挨拶をしても返ってきたのは「あぁ、さっさと行ってきな」という憮然としたモノだった。
ゴンドラに乗り込みながら「不動卿の対応は随分と素っ気ないモノだな……」とジルオが零せばルトにあっさりとした口調で諭された。
「お師さまはいつもあんな感じですよ。ていうか、ちやほや優しく甘やかしてくれるお師さまとか、逆に怖くないですか?」
……言われてみれば。それはそれで想像がつかない、というよりもある種の恐怖を覚えそうではある。
にんまりとした笑みを浮かべながら甲斐甲斐しく俺の世話を焼いてくる不動卿……とジルオが密かに身震いすればルトは更に言葉を続けた。
「それに。お師さまはジルオさんの事を信頼してるんだと思います」
「俺の事を?」
「はい。――ジルオさんなら、一週間後ちゃんと私の事を無事に此処へ送り届けてくれるって」
淡々と告げるルトの声にジルオの胸にピリッとした緊張感が走り抜ける。
そして――オーゼンの事を深く理解しているルトの姿に、ジルオは二人の間にある師弟としての強い絆を強く感じ取った。
それに呼応するかのようにして、自身の師匠であるライザとの様々な思い出がジルオの胸中を駆け巡ってゆく。
「…………ルト。君は不動卿の事を随分と好いているのだな」
ジルオの口からポロッと零れ落ちた呟き。その言葉にルトは僅かに目を丸くする。
そして「むゅ……」と小さく戸惑いの声を漏らすと、もにょもにょとした歯切れの悪い口調で「好き、ですか……」と言ったっきりルトは下を向いてしまった。
「??」
俯いて何かを考え込むような仕草を見せるルトに、俺はルトに何か変な事を言ってしまっただろうか……とジルオは首を捻る。
暫しの間、ゴゥンゴゥンとゴンドラが降りてゆく音だけが辺りに響いて。
何かを言いたげにしているのに中々それを口にしないルトを不思議そうに眺めてジルオは「……ルト??」と名を呼んでみる。
すると、名を呼ばれて顔を上げたルトの真剣な眼差しが、ジルオの晴天を映したような透き通った蒼い目を真っ直ぐに捕らえてきた。
「ジルオさん。私、確かにお師さまの事も好きなんですけど…………でも、」
一呼吸置かれ、一度区切られたルトの言葉。
ルトはスゥッと息を吸うと、素直な気持ちを一気にジルオへと吐き出した。
「…………私はお師さまよりも、ジルオさんの事の方が、もっと、ずっと、大好きですよ?」
思いも寄らぬルトの言葉にジルオは思わず目を見開き、息を飲んだ。
……いや。『大好き』という言葉自体は良く言われているし、言われ慣れている。
リコを含めた孤児院の子どもらから親愛を込めて良く伝えられている言葉だ。
そして。それはルトからだって、過去に何度も言われてきたはずの言葉だ。
「~~っ、~~っ、」
それなのに……何故だろう。どうにも今は照れ臭くて仕方がない。
気恥ずかしさから、ルトの目から視線を逸らしたいとさえ思うのに、澄んだ新緑の瞳から目を離せなくて。
凛とした眼差しで、しっかりと此方を見つめてくる瞳を前にして何か気の利いた事を言うべきなのか、とジルオは思考を巡らせるも言うべき言葉が何一つ浮かんでこない。
普段なら、いつもなら、照れながらでも『ありがとう』くらいは言えていたはずなのに。それすらもまるで喉につかえてしまったようで声にならない。
「ジルオさん、私……、」
ゴンドラは尚も唸りを上げて下へ下へと下りてゆく。
そんな中、陸に上がった魚のように口をぱくぱくとさせているジルオへと、ルトは更に言葉を紡ごうとしたのだが。
「っ!!」
……次の瞬間、ゴンドラがゴォンと低音を轟かせて地面へと降り立った。
「つ……着いたな」
「着きました、ね」
二人の間に漂う気まずさを覆い隠すかのように舞い上がる土埃。
ジルオはそれに何とも言えぬ安堵感を覚えた。
……未だ跳ね上がったままの心音はゴンドラが着地した際に身体に伝わった強い衝撃の所為だろう、ジルオは自分へとそう言い聞かせながら呼吸を整えて気持ちを落ち着かせる。
そして「……よし。では行くぞ。ルト」とジルオはルトへと手を差し伸べた。
(ジルオさんの事……お師さまへの〝好き〟とは違った意味で〝大好き〟です、ってジルオさんに言えなかったな)
伝えそびれてしまった思いにルトは小さく息を吐く。
……それでも。ルトはしょんぼりとした気持ちを振り払うかのように元気良く「……はい!」と返事をし、差し出されたジルオの手を握りしめた。
二人が歩むのは、力場からの光が殆ど届かず、常に薄暗い深界二層――逆さ森。
その所為か……お互いの顔がほんのりと赤く染まっていた事には二人とも気付かぬままだった。