第二章
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「……遠路はるばるようこそいらっしゃいました、黎明卿」
緊張で喉を引き攣らせながらもルトは黎明卿――新しきボンドルドへと恭しく挨拶の言葉を述べた。
元より初対面の人間は苦手だが、畏怖にも似た強ばりがルトの身体を支配するのはボンドルドの見た目が何処か異質な所為もあるのだろう。頭の先から足の先まで黒ずくめの卿の姿はアビスの闇のように濃く昏く。更には頭部に被っている無機質な仮面の所為で表情は伺えず、凡そヒトらしさを感じられない。
ボンドルドはゆったりとした歩みでルトへと近づき「これはこれはご丁寧にどうも」と挨拶を返す。仮面の内側でくぐもる声は紳士的であり穏やかであったが、その声音が皮膚をぞわぞわと波立たせるのは何故だろう。
「…………、」
ボンドルドを客間へ案内しようとしたルトは、不意に黒の中で燦然と輝く白に目を奪われた。
卿の胸元に飾られている探窟家最高峰の笛――白笛。師であるオーゼンの首元にも下がる笛であるが、ボンドルドのそれはオーゼンの持つ笛とまた別の形をしていた。
(そういえば、お師さまがこの笛は特別製だって言ってたっけ)
自身の首元に下がる笛は何の変哲もない既製品の蒼笛だが、白笛はそれら一つ一つが決して複製できない特注の品であり、遺物の力を引き出す鍵であると聞いている。
師の首元に下がるのは何らかの生物の頭骨を模した意匠に見えるが、黎明卿のそれは――、
「……おや。何か気になりますか?」
「!!」
ボンドルドから声をかけられ、ルトはあまりにも不躾な視線を卿に送っていたのだとそこで漸く気がついた。
「あ、あの……いえ。……すいません、黎明卿の笛の形は人のようだと思いまして」
率直な感想を述べてからこれもまた無礼だっただろうか……とは思いつつ、しかしその笛の形状がルトは気になって仕方がなかった。
卿の笛は両手を組んだ人骨のように見え――それはまるで卿に捧げる祈りの形にも思えた。
ボンドルドは尚も笛を凝視するルトに「ほう、」とただ一言感嘆の声を漏らし、小さな頭を優しく撫でる。
「素晴らしい。流石は不動卿のお弟子さんといったところでしょうか、君は随分と鋭い観察眼をお持ちですね」
「……え、」
「その通りです。この笛はヒトそのものから作られているのですよ」
「ヒト、そのもの……?」
思わぬボンドルドの言葉にルトの心臓がドクリと鳴った。
白笛がヒトそのものから作られるとはどういう――いや、言葉通りの意味なのか。卿の口振りは冗談めかしたものではなかった。
だとしたら、師の笛も、母の笛も……誰かの命を砕いて作られたというのだろうか。
頭の中がざわめいてルトはすっかり混乱しきっていた。早く卿を師の元へと案内せねばならないとわかっているのに渦巻く思考に囚われて足がどうにも動かない。
「――――ルト」
一言。名を呼ばれて意識は一気に現実へと引き上げられた。それと同時に背後から怒気に満ちた影が射し込んで。ルトが「ひっ、」と息を飲めば身体がぶらりと宙に浮いた。
「何を下らん立ち話をしてるんだい?この馬鹿弟子が」
「お……お師さま…………すいません……」
「おやおや。下らないだなんて事はございませんよ、不動卿。このお弟子さんは随分と聡明でいらっしゃる」
「…………黙りな、このろくでなし」
響いた師の声はいつになく低く。
怒りの矛先が自分に向けられていない事を察したルトは先程知ってしまった事実は知ってはいけない事だったのだろうか、と身を竦ませた。
だが、覆水盆に返らずだ。記憶に刻まれた真実はもう消す事など叶わない。
とはいえ、何故オーゼンはこの事実を自分にひた隠しにしていたのだろうか。確かに衝撃は受けた。受けたのだがそれはそんなに知っては不味い事だったのだろうか。子ども騙しを嫌うこの師匠は、知っている事を全て教えてくれると信じていたのに。
(…………あ、)
思考を巡りに巡らせた次の瞬間――閃光のような閃きがルトの脳内を貫いた。
それは、決して気づいてはならない希望だっただろう。
(そうか……私がジルオさんの白笛になれば……私でもジルオさんの傍にずっといられる……?)
そんな事を思った自分に戸惑いつつも、高鳴る鼓動はおさまらなかった。身勝手で愚かな願いだという自覚はある。それでも、芽生えた希望はしっかと根を張り、ルトの心を掴んで離さない。
「…………。」
ルトはオーゼンに吊るされたまま今一度冷静に黎明卿の笛を観察する。
生々しい白ではあった。だが、笛はあくまでただの笛に見えた。
以前ルトはジルオから『笛は探窟家の命でありたましいである』と聞いた事がある。しかしそれはものの例えというものだろう。あの白い笛になる――それは恐らく命を捨てる事と同意だ。
祈り。願い。笛になるべく生を捨て――命を砕く覚悟とは一体如何ほどのものだったのか。
(私は……私を捨ててでもジルオさんの傍にいたい……?)
ルトは自身に問いかける。
答えは――自分でもまだよくわからない。
「全く……野暮用を済ませるだけならわざわざお前さん自身がここまで出向く必要はなかったろうによ、ボンドルド」
客間にて。弟子を自室へと追い払い、招かざる客人を招き入れ、実に忌々しげにオーゼンは言い放った。
ボンドルドは深界五層――イドフロントに棲う探窟家だ。今回二層にあるシーカーキャンプへと訪れたのは、地上にて研究資材の補給に赴いたついでに……という事らしい。
普段ならボンドルドは資材の補給を行ってもシーカーキャンプへは立ち寄らない。そもそも資材の補給はボンドルドの部下である〝祈手〟達の主な仕事であり、ボンドルド自身が補給へ出向く事自体が珍しくあるのだが。
「そうつれない事を仰らないで下さい不動卿」
不機嫌を貫くオーゼンとは裏腹にボンドルドはご満悦といった様子で言葉を紡ぐ。
「噂にはかねがね聞いておりましたが……実に素晴らしいお弟子さんで。彼女を一目見られただけでもこちらに伺った甲斐がありました」
「へぇ、そうかい。一目見て満足ならもうこれ以上ここに長居する必要は無いんじゃないかねェ」
言外に『帰れ』という意味を含ませるオーゼンの目は笑っていなかった。
しかしボンドルドはオーゼンの言葉の裏側など露ほども気にせず悠々と椅子に腰掛けたまますっかり寛いでいる。
オーゼンは深く息を吐くと自身の手元にのみある紅茶を静かに啜った。何があろうと人前では仮面を外さぬボンドルドには仮面越しに紅茶を飲む手立てがないのだから必要なかろうと敢えて紅茶は出さなかった。
「それにしても本当に興味深い」
「何がさね」
「あのお弟子さんです。彼女が受けたという呪いと祝福。是非とも詳しく調べてみたいものです」
やはりそういう事か……という心持ちでオーゼンはティーカップをソーサーに置いた。
ボンドルドがイドフロントにて行っている実験が倫理に反した人体実験である事はオーゼンも知りうる所だった。そして、彼の扱う研究資材――それ即ち『人の子供』である。
(このろくでなしは何処で何を知ったんだかねぇ……)
別に、あの弟子を手放す分には惜しくないのだ。
だが、それは〝今〟ではないし、人の真似事をした人非人に手渡すつもりも更々ない。
それに、オーゼンには約束がある。アビスに呪われ、アビスに愛された娘を『アビスの中の暗がりで生かしてやりたい』と願ったライザとの約束が――
(全く……本当に面倒くさい)
苛立ちを隠す事もせずオーゼンがチッと舌打ちを放てどボンドルドは意に介さずゆるりとした姿勢を崩さぬまま、オーゼンへと尚も語りかける。
「不動卿。あのお弟子さんは双子だと伺っているのですが」
「それが何だっていうんだい?」
「双子であるのなら、予備があるという事ではないのですか?」
「……だから、片方を寄越せと?」
「えぇ。もう片方は呪いは兎も角として祝福は受けていないと聞いていますので私には価値を見いだせませんが、貴方になら価値を見いだせるのではないのですかね」
どちらも殲滅卿の娘であることには変わりないでしょう?と続けられた言葉は卿の本心から来るものだろう。
オーゼンはそんなボンドルドへとハンっと鼻を鳴らし嘲笑をぶつけた。
「アレが双子であろうとなかろうと、アレはアレで唯一無二の存在さね」
一口。冷めかけた紅茶を啜りオーゼンは一計を案じる。このままでは堂々巡りも明らかだった。きっと、この男は弟子を手に入れるまでは頑なにここを動かないだろう。
先ずは――卿をここから帰らせる。その為にオーゼンが投げたのは一つの予感だった。
「……まぁ、それはそれとして。焦らずともアレは何れそちらへ向かうんじゃないかねぇ?」
「ほう……それは何故です?」
首を傾げるボンドルドへとオーゼンはニタリと口を歪め、更に言葉を続ける。
「そりゃぁ……お前さんが余計な事を漏らしてくれたお陰さね」
馬鹿な弟子が考えそうな馬鹿げた考えが現実になるかはまだ未知数ではあるが、あの弟子の想いが本物である事だけはオーゼンにはわかりきっていた。だからこそ、思考が未熟である幼いうちにはこの真実をはぐらかすと密かに決めていたというのに、この男は。
ボンドルドはというと皮肉めいたオーゼンの言葉に何か感ずる所があったようで「成程、」と一言述べて漸く席から立ち上がった。
「……では私は機が熟すのを待つとしましょうか。急いては事を仕損じるとも言いますしね」
願わくば、彼女の中に宿るぼやけた白が明白なものとして実るよう、ボンドルドはささやかながらに祈りを捧ぐ。
彼女が闇すら及ばぬ深淵にいつかその身の全てを捧げ、呪いと祝福のその全てを受け止められるように、と。
緊張で喉を引き攣らせながらもルトは黎明卿――新しきボンドルドへと恭しく挨拶の言葉を述べた。
元より初対面の人間は苦手だが、畏怖にも似た強ばりがルトの身体を支配するのはボンドルドの見た目が何処か異質な所為もあるのだろう。頭の先から足の先まで黒ずくめの卿の姿はアビスの闇のように濃く昏く。更には頭部に被っている無機質な仮面の所為で表情は伺えず、凡そヒトらしさを感じられない。
ボンドルドはゆったりとした歩みでルトへと近づき「これはこれはご丁寧にどうも」と挨拶を返す。仮面の内側でくぐもる声は紳士的であり穏やかであったが、その声音が皮膚をぞわぞわと波立たせるのは何故だろう。
「…………、」
ボンドルドを客間へ案内しようとしたルトは、不意に黒の中で燦然と輝く白に目を奪われた。
卿の胸元に飾られている探窟家最高峰の笛――白笛。師であるオーゼンの首元にも下がる笛であるが、ボンドルドのそれはオーゼンの持つ笛とまた別の形をしていた。
(そういえば、お師さまがこの笛は特別製だって言ってたっけ)
自身の首元に下がる笛は何の変哲もない既製品の蒼笛だが、白笛はそれら一つ一つが決して複製できない特注の品であり、遺物の力を引き出す鍵であると聞いている。
師の首元に下がるのは何らかの生物の頭骨を模した意匠に見えるが、黎明卿のそれは――、
「……おや。何か気になりますか?」
「!!」
ボンドルドから声をかけられ、ルトはあまりにも不躾な視線を卿に送っていたのだとそこで漸く気がついた。
「あ、あの……いえ。……すいません、黎明卿の笛の形は人のようだと思いまして」
率直な感想を述べてからこれもまた無礼だっただろうか……とは思いつつ、しかしその笛の形状がルトは気になって仕方がなかった。
卿の笛は両手を組んだ人骨のように見え――それはまるで卿に捧げる祈りの形にも思えた。
ボンドルドは尚も笛を凝視するルトに「ほう、」とただ一言感嘆の声を漏らし、小さな頭を優しく撫でる。
「素晴らしい。流石は不動卿のお弟子さんといったところでしょうか、君は随分と鋭い観察眼をお持ちですね」
「……え、」
「その通りです。この笛はヒトそのものから作られているのですよ」
「ヒト、そのもの……?」
思わぬボンドルドの言葉にルトの心臓がドクリと鳴った。
白笛がヒトそのものから作られるとはどういう――いや、言葉通りの意味なのか。卿の口振りは冗談めかしたものではなかった。
だとしたら、師の笛も、母の笛も……誰かの命を砕いて作られたというのだろうか。
頭の中がざわめいてルトはすっかり混乱しきっていた。早く卿を師の元へと案内せねばならないとわかっているのに渦巻く思考に囚われて足がどうにも動かない。
「――――ルト」
一言。名を呼ばれて意識は一気に現実へと引き上げられた。それと同時に背後から怒気に満ちた影が射し込んで。ルトが「ひっ、」と息を飲めば身体がぶらりと宙に浮いた。
「何を下らん立ち話をしてるんだい?この馬鹿弟子が」
「お……お師さま…………すいません……」
「おやおや。下らないだなんて事はございませんよ、不動卿。このお弟子さんは随分と聡明でいらっしゃる」
「…………黙りな、このろくでなし」
響いた師の声はいつになく低く。
怒りの矛先が自分に向けられていない事を察したルトは先程知ってしまった事実は知ってはいけない事だったのだろうか、と身を竦ませた。
だが、覆水盆に返らずだ。記憶に刻まれた真実はもう消す事など叶わない。
とはいえ、何故オーゼンはこの事実を自分にひた隠しにしていたのだろうか。確かに衝撃は受けた。受けたのだがそれはそんなに知っては不味い事だったのだろうか。子ども騙しを嫌うこの師匠は、知っている事を全て教えてくれると信じていたのに。
(…………あ、)
思考を巡りに巡らせた次の瞬間――閃光のような閃きがルトの脳内を貫いた。
それは、決して気づいてはならない希望だっただろう。
(そうか……私がジルオさんの白笛になれば……私でもジルオさんの傍にずっといられる……?)
そんな事を思った自分に戸惑いつつも、高鳴る鼓動はおさまらなかった。身勝手で愚かな願いだという自覚はある。それでも、芽生えた希望はしっかと根を張り、ルトの心を掴んで離さない。
「…………。」
ルトはオーゼンに吊るされたまま今一度冷静に黎明卿の笛を観察する。
生々しい白ではあった。だが、笛はあくまでただの笛に見えた。
以前ルトはジルオから『笛は探窟家の命でありたましいである』と聞いた事がある。しかしそれはものの例えというものだろう。あの白い笛になる――それは恐らく命を捨てる事と同意だ。
祈り。願い。笛になるべく生を捨て――命を砕く覚悟とは一体如何ほどのものだったのか。
(私は……私を捨ててでもジルオさんの傍にいたい……?)
ルトは自身に問いかける。
答えは――自分でもまだよくわからない。
「全く……野暮用を済ませるだけならわざわざお前さん自身がここまで出向く必要はなかったろうによ、ボンドルド」
客間にて。弟子を自室へと追い払い、招かざる客人を招き入れ、実に忌々しげにオーゼンは言い放った。
ボンドルドは深界五層――イドフロントに棲う探窟家だ。今回二層にあるシーカーキャンプへと訪れたのは、地上にて研究資材の補給に赴いたついでに……という事らしい。
普段ならボンドルドは資材の補給を行ってもシーカーキャンプへは立ち寄らない。そもそも資材の補給はボンドルドの部下である〝祈手〟達の主な仕事であり、ボンドルド自身が補給へ出向く事自体が珍しくあるのだが。
「そうつれない事を仰らないで下さい不動卿」
不機嫌を貫くオーゼンとは裏腹にボンドルドはご満悦といった様子で言葉を紡ぐ。
「噂にはかねがね聞いておりましたが……実に素晴らしいお弟子さんで。彼女を一目見られただけでもこちらに伺った甲斐がありました」
「へぇ、そうかい。一目見て満足ならもうこれ以上ここに長居する必要は無いんじゃないかねェ」
言外に『帰れ』という意味を含ませるオーゼンの目は笑っていなかった。
しかしボンドルドはオーゼンの言葉の裏側など露ほども気にせず悠々と椅子に腰掛けたまますっかり寛いでいる。
オーゼンは深く息を吐くと自身の手元にのみある紅茶を静かに啜った。何があろうと人前では仮面を外さぬボンドルドには仮面越しに紅茶を飲む手立てがないのだから必要なかろうと敢えて紅茶は出さなかった。
「それにしても本当に興味深い」
「何がさね」
「あのお弟子さんです。彼女が受けたという呪いと祝福。是非とも詳しく調べてみたいものです」
やはりそういう事か……という心持ちでオーゼンはティーカップをソーサーに置いた。
ボンドルドがイドフロントにて行っている実験が倫理に反した人体実験である事はオーゼンも知りうる所だった。そして、彼の扱う研究資材――それ即ち『人の子供』である。
(このろくでなしは何処で何を知ったんだかねぇ……)
別に、あの弟子を手放す分には惜しくないのだ。
だが、それは〝今〟ではないし、人の真似事をした人非人に手渡すつもりも更々ない。
それに、オーゼンには約束がある。アビスに呪われ、アビスに愛された娘を『アビスの中の暗がりで生かしてやりたい』と願ったライザとの約束が――
(全く……本当に面倒くさい)
苛立ちを隠す事もせずオーゼンがチッと舌打ちを放てどボンドルドは意に介さずゆるりとした姿勢を崩さぬまま、オーゼンへと尚も語りかける。
「不動卿。あのお弟子さんは双子だと伺っているのですが」
「それが何だっていうんだい?」
「双子であるのなら、予備があるという事ではないのですか?」
「……だから、片方を寄越せと?」
「えぇ。もう片方は呪いは兎も角として祝福は受けていないと聞いていますので私には価値を見いだせませんが、貴方になら価値を見いだせるのではないのですかね」
どちらも殲滅卿の娘であることには変わりないでしょう?と続けられた言葉は卿の本心から来るものだろう。
オーゼンはそんなボンドルドへとハンっと鼻を鳴らし嘲笑をぶつけた。
「アレが双子であろうとなかろうと、アレはアレで唯一無二の存在さね」
一口。冷めかけた紅茶を啜りオーゼンは一計を案じる。このままでは堂々巡りも明らかだった。きっと、この男は弟子を手に入れるまでは頑なにここを動かないだろう。
先ずは――卿をここから帰らせる。その為にオーゼンが投げたのは一つの予感だった。
「……まぁ、それはそれとして。焦らずともアレは何れそちらへ向かうんじゃないかねぇ?」
「ほう……それは何故です?」
首を傾げるボンドルドへとオーゼンはニタリと口を歪め、更に言葉を続ける。
「そりゃぁ……お前さんが余計な事を漏らしてくれたお陰さね」
馬鹿な弟子が考えそうな馬鹿げた考えが現実になるかはまだ未知数ではあるが、あの弟子の想いが本物である事だけはオーゼンにはわかりきっていた。だからこそ、思考が未熟である幼いうちにはこの真実をはぐらかすと密かに決めていたというのに、この男は。
ボンドルドはというと皮肉めいたオーゼンの言葉に何か感ずる所があったようで「成程、」と一言述べて漸く席から立ち上がった。
「……では私は機が熟すのを待つとしましょうか。急いては事を仕損じるとも言いますしね」
願わくば、彼女の中に宿るぼやけた白が明白なものとして実るよう、ボンドルドはささやかながらに祈りを捧ぐ。
彼女が闇すら及ばぬ深淵にいつかその身の全てを捧げ、呪いと祝福のその全てを受け止められるように、と。