本編
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
side湊川麻子
不意に、白い光が目に入って、私は目をしばたたかせた。周りを見渡せば、壁紙も一面白色で、ここが病院であることが判断できる。ああ、そういえば、私は電車でこの駅に来て、そのまま路地裏で倒れたんだっけ……と痛む頭でようやく思い出した。誰か親切な人が私を見つけて、救急車を呼んでくれたのだろうか。のろのろと上半身だけ起き上がると、窓の外に綺麗な三日月が浮かんでいるのが見えた。ということは、私が倒れたのは朝だから、かれこれ何時間も眠っていたことになる。
学校や乱数のことを思い出すとサーッと血の気が引いて、とにかく早く帰ろうと思った。しかし、横に置いてある鞄の中の財布には、家に帰れるだけの電車賃すら残っていない。私はさらに焦って、必死に考えを巡らせようとするもうまくいかず、ついにパニックを起こしてしまった。心臓がバクバクと鳴って、息ができなくて、荒く呼吸を繰り返す。すると、ちょうどそのタイミングで入ってきた看護師の女性が、目の色を変えて駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!?湊川さん!?」
「はぁ、はぁ、どう、しよ……っ、かえ、れな、ぅぁっ……」
「息を吐くことに集中して。大丈夫ですから」
背中を摩る看護師さんの合図に合わせて息を吐くと、だんだんと落ち着いてきて、思ったよりもすぐにちゃんと息ができるようになった。私が正常な呼吸になったのを確認した看護師さんは、「少し、待っててくださいね」と残して、病室を急いで出ていく。呼吸を整えながらしばらく待っていると、病室の扉がガラガラと開いて、そこからすらりとした大きな人影が現れた。後ろで結んだグレーの長髪に、涼し気な目元。顔立ちから察する年齢はまだ十分に若いのに、まるで全てを達観したようなその目は、それよりも幾分か歳を重ねたような雰囲気を醸し出していた。
私は、その人が目に入った瞬間、思わず圧倒されてしまった。そして、すぐに分かった。この人は、普通のお医者さんではない。他人よりもはるかに卓越した、『何か』を持っている人だ──と。なぜなら、その人を見た時に感じた、ゾクリとした恐怖に似た感覚。それが、乱数を見たときに感じるものと根本が似ていたからだ。
彼は私のベッドの横にある丸椅子に腰掛けると、優しげに微笑みながら口を開く。
「とりあえず、過呼吸は収まったみたいだね。よかった」
私はその人の言葉に、俯きながらも小さくはい、と答える。そんな素っ気ない私の反応にも、その人は全く気を悪くする素振りも見せず、穏やかな顔で続けた。
「突然、知らない病院に連れてきてしまってすまない。あまり長い話はしないつもりだから、肩の力を抜いて聞いてほしいな」
彼はそう言ったけれども、きっと何も聞かれないはずはないだろう、と思った。だって私はまだ中学生で、普通の子供は学校に行っている時間帯に、あんな場所で倒れていたのだから。本当は、あまり話したくはない。私は、正直大人のことをあまり信用できない。
「ここは新宿中央病院という病院で、私は医師の神宮寺寂雷です。君が病院の前で倒れていたから、思わず病室に連れてきてしまってね。そこで、君に一つ聞きたいんだけれど……」
そう言うと彼は、切れ長の瞳をすっと細める。まるで全てを見透かすかのような瞳に、私は思わず緊張で体を縮こまらせた。
「今、自分の胸に手を当てて問いかけてみてほしい。君は──今すぐここから帰ることを望んでいるかい?」
核心をついた質問に、私はハッとして答えに詰まった。私は、乱数にも親にも先生にも何も言わず、このシンジュクというらしい街に逃げてきた。常識的に考えて、今すぐに帰らなければならない。でなければ、乱数から後でどんな仕打ちが待っているか分からない。だけど──。
私は、再び葛城先輩のあの言葉を思い出した。
『君は、君の人生を生きなきゃ。後で後悔するよ』
苦しげに発せられた彼の言葉が胸に刺さって、うまく言葉が出てこない。帰らなきゃ。帰らなきゃいけない。だけど、だけど──。
なかなか答えを言い出せない私に、その人──神宮寺先生は、何かを察したように目を伏せて、少し考えた後口を開いた。
「……いや、今すぐに答えが分からなくてもいいんだ。どちらにせよ、君は今酷い貧血に陥っている。点滴を打たなければ、きっと帰ることもままならないだろう。ゆっくり考えるといい」
先ほどの見定めるような空気はどこへ行ったのか、先生の雰囲気は見違えるほど柔らかかった。そのまま何も聞かず病室を出ていこうとするので、私は混乱して思わず先生の白衣の裾を片手で掴んでしまう。目を丸くさせてこちらを振り向く先生に我に返って、「ご、ごめんなさっ、」と言って手を離すと、「ううん、大丈夫だよ。何か、言いたいことがあるのかい?」と優しく諭すように尋ねられる。
これを言ったらきっと、仏のような先生の態度も変わるんだろうな、と思うと少し悲しかったが、こんなに大事なことを言わないわけにもいかない。私はちょっとだけ気分が重たくなりながらも、恐る恐る口を開いて彼に話した。
「……あの、私……家に帰るためのお金も、持って、なくて……」
かなり思い切って伝えたのだが、彼は特に気にするような素振りも見せず、「ああ、成程。それなら心配する必要はないよ。電車賃くらいならこちらで負担できる」とあっけらかんとして言った。今度は私が驚く番だった。この人、こんなにあっさりと、私の交通費を出すって。確かに、お医者さんであれば電車賃くらい安いものではあるだろうけど、それなら、どこから来たの、くらい聞いてもいいはずではないだろうか。彼は、まるで私の事情を全て察しているみたいに、びっくりするほど何も聞いてこない。
「……どうして、そこまで、してくれるんですか……?私みたいな子供に……」
思わず、素直な疑問を口にしてしまうと、先生は眉を八の字に下げて、少し困ったような顔で笑った。
「……理由なんて、必要ないよ。ただ、こんなにも助けを求めている君のことを、放っておけないだけなんだ。偽善だと言われるかもしれないけれど、これが私の性分でね」
そう語る彼の表情を見ていれば、その言葉が嘘ではないことは十分に分かった。だけど、それをすぐに飲み込んで咀嚼する、ということはできなかった。だって私の周りには、何の利害関係もなしに、私を助けてくれる人なんていなかったから。私が何も言えないでいると、彼は再び椅子に座り直して私に目線を合わせ、そして真剣な表情でこう言った。
「……君が言いたいことは、何となく分かる。私が君に何も聞かないのを、気にしているんだろう?」
私は彼の言葉に、びっくりして体を硬直させてしまう。全て、図星だったからだ。あの見透かすような視線は、乱数と同じ「普通の人ではない」オーラは、私の考えすぎではないらしい。思わず顔を真っ赤にして黙り込んでしまうと、「分かりやすいね」と小さく笑われてしまった。恥ずかしい。
「それは、まだ君自身が、ここに逃げてきた理由を整理しきれていないと判断したからだ。先程君は、私の質問に『帰る』とも『帰らない』とも言わずに、何かを迷っていたね。それを見て確信したんだ。君は、一時の気の迷いでここに来たんじゃない。きっと、やんごとなき事情を抱えて、ここまで逃げてきたんだろう、ってね」
彼の言葉ひとつひとつを耳に入れるたびに、私の気持ち全てに溜飲が下がっていくようだった。確かに、そうだ。ただ乱数から逃げようと思って、家から逃げて電車に乗って、気がついたら倒れていて。何もかもが、まだ自分の中で追いついていない。自分でも分からないのなら、他人に説明できるはずもない。
私は、パズルのピースがカチッとはまるような感覚とともに、体の内側から熱いものが込み上げてくるのを感じた。それは、先生への深い感謝からくるものなのか、張り詰めていた糸が解けて込み上げてしたものなのかは、よく分からない。さまざまな感情がない混ぜになって、いつの間にか私の目からは涙がこぼれ落ちていた。いくら先生でも、突然泣かれたら困るだろう、止めなきゃ、と思うのに、そのしょっぱい液体は頬を流れ落ちて止まらない。まるで子供のように嗚咽を漏らしながら、両手で涙を拭っていると、先生はまたさっきと同じように眉を下げて微笑んだ。困ったような、それでいて慈愛に満ちた、とっても優しい顔。
先生は私の頭をぽんぽんと軽く叩いて、子供にするように背中をさすってくれる。落ち着けようとしてくれているのは分かるのに、ますます涙が溢れてきて、そのまま私はしばらく泣き続けた。先生は、少し困ったような顔をしながらも、次の回診の時間までずっと私の背中をさすってくれていた。
「……すまない。そろそろ回診の時間だ。席を外してもいいかい?」
「う゛っ、はい、ずびばぜん、せんせいのおじかんがっ、ずびっ、」
「あはは、いいんだよ。思いのほか、私もいい時間を過ごせたと思っているから」
私の嗚咽まみれの言い訳に、先生はなんだか可笑しそうに笑っていて、情けないと思いつつも何だか心がほっこりとしてしまう。先生は最後にひとつ私の頭を撫でて、「困ったことがあったら、私や看護師に遠慮なく言うんだよ」と残してから私の病室を後にしていった。
神宮寺寂雷先生。私の中でその名前が、温かい響きをもって胸に染み込んでいくのを感じた。同時に、唯一の信頼できる大人として。
窓の外に浮かぶ三日月が、今は陽だまりのように柔らかく光っているように感じた。
(文中に出せませんでしたが、看護師さんが麻子ちゃんの名前を知っていたのは、寂雷さんが麻子ちゃんの財布の中に入っていた学生証を見たからです)
不意に、白い光が目に入って、私は目をしばたたかせた。周りを見渡せば、壁紙も一面白色で、ここが病院であることが判断できる。ああ、そういえば、私は電車でこの駅に来て、そのまま路地裏で倒れたんだっけ……と痛む頭でようやく思い出した。誰か親切な人が私を見つけて、救急車を呼んでくれたのだろうか。のろのろと上半身だけ起き上がると、窓の外に綺麗な三日月が浮かんでいるのが見えた。ということは、私が倒れたのは朝だから、かれこれ何時間も眠っていたことになる。
学校や乱数のことを思い出すとサーッと血の気が引いて、とにかく早く帰ろうと思った。しかし、横に置いてある鞄の中の財布には、家に帰れるだけの電車賃すら残っていない。私はさらに焦って、必死に考えを巡らせようとするもうまくいかず、ついにパニックを起こしてしまった。心臓がバクバクと鳴って、息ができなくて、荒く呼吸を繰り返す。すると、ちょうどそのタイミングで入ってきた看護師の女性が、目の色を変えて駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!?湊川さん!?」
「はぁ、はぁ、どう、しよ……っ、かえ、れな、ぅぁっ……」
「息を吐くことに集中して。大丈夫ですから」
背中を摩る看護師さんの合図に合わせて息を吐くと、だんだんと落ち着いてきて、思ったよりもすぐにちゃんと息ができるようになった。私が正常な呼吸になったのを確認した看護師さんは、「少し、待っててくださいね」と残して、病室を急いで出ていく。呼吸を整えながらしばらく待っていると、病室の扉がガラガラと開いて、そこからすらりとした大きな人影が現れた。後ろで結んだグレーの長髪に、涼し気な目元。顔立ちから察する年齢はまだ十分に若いのに、まるで全てを達観したようなその目は、それよりも幾分か歳を重ねたような雰囲気を醸し出していた。
私は、その人が目に入った瞬間、思わず圧倒されてしまった。そして、すぐに分かった。この人は、普通のお医者さんではない。他人よりもはるかに卓越した、『何か』を持っている人だ──と。なぜなら、その人を見た時に感じた、ゾクリとした恐怖に似た感覚。それが、乱数を見たときに感じるものと根本が似ていたからだ。
彼は私のベッドの横にある丸椅子に腰掛けると、優しげに微笑みながら口を開く。
「とりあえず、過呼吸は収まったみたいだね。よかった」
私はその人の言葉に、俯きながらも小さくはい、と答える。そんな素っ気ない私の反応にも、その人は全く気を悪くする素振りも見せず、穏やかな顔で続けた。
「突然、知らない病院に連れてきてしまってすまない。あまり長い話はしないつもりだから、肩の力を抜いて聞いてほしいな」
彼はそう言ったけれども、きっと何も聞かれないはずはないだろう、と思った。だって私はまだ中学生で、普通の子供は学校に行っている時間帯に、あんな場所で倒れていたのだから。本当は、あまり話したくはない。私は、正直大人のことをあまり信用できない。
「ここは新宿中央病院という病院で、私は医師の神宮寺寂雷です。君が病院の前で倒れていたから、思わず病室に連れてきてしまってね。そこで、君に一つ聞きたいんだけれど……」
そう言うと彼は、切れ長の瞳をすっと細める。まるで全てを見透かすかのような瞳に、私は思わず緊張で体を縮こまらせた。
「今、自分の胸に手を当てて問いかけてみてほしい。君は──今すぐここから帰ることを望んでいるかい?」
核心をついた質問に、私はハッとして答えに詰まった。私は、乱数にも親にも先生にも何も言わず、このシンジュクというらしい街に逃げてきた。常識的に考えて、今すぐに帰らなければならない。でなければ、乱数から後でどんな仕打ちが待っているか分からない。だけど──。
私は、再び葛城先輩のあの言葉を思い出した。
『君は、君の人生を生きなきゃ。後で後悔するよ』
苦しげに発せられた彼の言葉が胸に刺さって、うまく言葉が出てこない。帰らなきゃ。帰らなきゃいけない。だけど、だけど──。
なかなか答えを言い出せない私に、その人──神宮寺先生は、何かを察したように目を伏せて、少し考えた後口を開いた。
「……いや、今すぐに答えが分からなくてもいいんだ。どちらにせよ、君は今酷い貧血に陥っている。点滴を打たなければ、きっと帰ることもままならないだろう。ゆっくり考えるといい」
先ほどの見定めるような空気はどこへ行ったのか、先生の雰囲気は見違えるほど柔らかかった。そのまま何も聞かず病室を出ていこうとするので、私は混乱して思わず先生の白衣の裾を片手で掴んでしまう。目を丸くさせてこちらを振り向く先生に我に返って、「ご、ごめんなさっ、」と言って手を離すと、「ううん、大丈夫だよ。何か、言いたいことがあるのかい?」と優しく諭すように尋ねられる。
これを言ったらきっと、仏のような先生の態度も変わるんだろうな、と思うと少し悲しかったが、こんなに大事なことを言わないわけにもいかない。私はちょっとだけ気分が重たくなりながらも、恐る恐る口を開いて彼に話した。
「……あの、私……家に帰るためのお金も、持って、なくて……」
かなり思い切って伝えたのだが、彼は特に気にするような素振りも見せず、「ああ、成程。それなら心配する必要はないよ。電車賃くらいならこちらで負担できる」とあっけらかんとして言った。今度は私が驚く番だった。この人、こんなにあっさりと、私の交通費を出すって。確かに、お医者さんであれば電車賃くらい安いものではあるだろうけど、それなら、どこから来たの、くらい聞いてもいいはずではないだろうか。彼は、まるで私の事情を全て察しているみたいに、びっくりするほど何も聞いてこない。
「……どうして、そこまで、してくれるんですか……?私みたいな子供に……」
思わず、素直な疑問を口にしてしまうと、先生は眉を八の字に下げて、少し困ったような顔で笑った。
「……理由なんて、必要ないよ。ただ、こんなにも助けを求めている君のことを、放っておけないだけなんだ。偽善だと言われるかもしれないけれど、これが私の性分でね」
そう語る彼の表情を見ていれば、その言葉が嘘ではないことは十分に分かった。だけど、それをすぐに飲み込んで咀嚼する、ということはできなかった。だって私の周りには、何の利害関係もなしに、私を助けてくれる人なんていなかったから。私が何も言えないでいると、彼は再び椅子に座り直して私に目線を合わせ、そして真剣な表情でこう言った。
「……君が言いたいことは、何となく分かる。私が君に何も聞かないのを、気にしているんだろう?」
私は彼の言葉に、びっくりして体を硬直させてしまう。全て、図星だったからだ。あの見透かすような視線は、乱数と同じ「普通の人ではない」オーラは、私の考えすぎではないらしい。思わず顔を真っ赤にして黙り込んでしまうと、「分かりやすいね」と小さく笑われてしまった。恥ずかしい。
「それは、まだ君自身が、ここに逃げてきた理由を整理しきれていないと判断したからだ。先程君は、私の質問に『帰る』とも『帰らない』とも言わずに、何かを迷っていたね。それを見て確信したんだ。君は、一時の気の迷いでここに来たんじゃない。きっと、やんごとなき事情を抱えて、ここまで逃げてきたんだろう、ってね」
彼の言葉ひとつひとつを耳に入れるたびに、私の気持ち全てに溜飲が下がっていくようだった。確かに、そうだ。ただ乱数から逃げようと思って、家から逃げて電車に乗って、気がついたら倒れていて。何もかもが、まだ自分の中で追いついていない。自分でも分からないのなら、他人に説明できるはずもない。
私は、パズルのピースがカチッとはまるような感覚とともに、体の内側から熱いものが込み上げてくるのを感じた。それは、先生への深い感謝からくるものなのか、張り詰めていた糸が解けて込み上げてしたものなのかは、よく分からない。さまざまな感情がない混ぜになって、いつの間にか私の目からは涙がこぼれ落ちていた。いくら先生でも、突然泣かれたら困るだろう、止めなきゃ、と思うのに、そのしょっぱい液体は頬を流れ落ちて止まらない。まるで子供のように嗚咽を漏らしながら、両手で涙を拭っていると、先生はまたさっきと同じように眉を下げて微笑んだ。困ったような、それでいて慈愛に満ちた、とっても優しい顔。
先生は私の頭をぽんぽんと軽く叩いて、子供にするように背中をさすってくれる。落ち着けようとしてくれているのは分かるのに、ますます涙が溢れてきて、そのまま私はしばらく泣き続けた。先生は、少し困ったような顔をしながらも、次の回診の時間までずっと私の背中をさすってくれていた。
「……すまない。そろそろ回診の時間だ。席を外してもいいかい?」
「う゛っ、はい、ずびばぜん、せんせいのおじかんがっ、ずびっ、」
「あはは、いいんだよ。思いのほか、私もいい時間を過ごせたと思っているから」
私の嗚咽まみれの言い訳に、先生はなんだか可笑しそうに笑っていて、情けないと思いつつも何だか心がほっこりとしてしまう。先生は最後にひとつ私の頭を撫でて、「困ったことがあったら、私や看護師に遠慮なく言うんだよ」と残してから私の病室を後にしていった。
神宮寺寂雷先生。私の中でその名前が、温かい響きをもって胸に染み込んでいくのを感じた。同時に、唯一の信頼できる大人として。
窓の外に浮かぶ三日月が、今は陽だまりのように柔らかく光っているように感じた。
(文中に出せませんでしたが、看護師さんが麻子ちゃんの名前を知っていたのは、寂雷さんが麻子ちゃんの財布の中に入っていた学生証を見たからです)