本編
名前変換
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湊川麻子。
その名前は、これから先も僕の心の深いところに染み付いて、きっと消えることはないのだろう。いつもうわべだけで生きている僕が、唯一心を乱される存在。他にもっと可愛い女の子なんてたくさんいるし、選び放題なのに、やっぱり僕の一番は彼女なのだ。困ったように笑うその顔が、遠慮がちに言葉を発するその唇が、今でも欲しくて堪らない。
彼女との出会いは、今から十数年も前。僕の身長が、まだ今の三分の二にも満たなかった頃だ。その頃から僕は、大人から好かれ可愛がられる術を、自然に身につけてしまっていた。もちろん、同い年の子供たちを手なずけるのなんて容易で、保育園でも組を問わず一番の人気者。そんな僕とは対照的に、彼女はまるで影のような存在だった。他の子供たちと戯れることもなく、彼女はいつも1人で、ひたすらに空を眺めながら絵を描いていた。たまに保育士に連れられて、他の子供と遊んでいることもあるけれど、うまく馴染めないみたいで、気がつくといつもぽつんと窓際で1人でいた。僕は外で子供たちと遊びながら、絵を描いている彼女のことが、妙に目に入って仕方なかった。僕が助けてあげる義理もないと放っておいたけれど、どうにも気になって、ついに声をかけてしまった。
「なーにかいてるの?麻子ちゃん。ぼくと一緒にあそぼうよ!」
横からしゃがみこんで絵を覗き込んでみると、見事に晴れ渡った空と子供たちの絵が目に入る。自分と同い年にしては、かなりの腕前だ。僕は少し驚いて、その絵を褒めてあげようとしたけれど、彼女はわっと声を上げて絵を胸に抱えてしまった。顔が耳まで赤くなって、ぱくぱくと口を動かしながら、何かを訴えようとしている。
「……こっ、これっ、まだ、とちゅうだから……っ、みないで……」
か細い声で、目に少し涙を滲ませながら、途切れ途切れに口を開く彼女。頭のよかった僕は、嫌われるのも分かるなあ、と子供ながらに察することができた。おそらく他の子供にこんな対応をしたら、泣かせてしまったと気まずくなって、もう友達になりたいとは思わないだろう。もしくは、強気な女子や男子に泣いたことをからかわれて、塞ぎ込んでいるのかもしれない。もしそうだとしたら、本当は彼女も1人でいるのは本意ではないはず。きっと誰かに、友達になってほしいと思っているはずだ。今日は珍しく、僕は人助けでもしたい気分だった。まあ、それは新しく入ってきた美人の保育士さんに褒めてもらいたかったからなのだけれど。理由なんてどうでもいい。とにかく、僕は彼女に手を差し伸べてあげようと思った。
「ごめんね、ちょっと絵見ちゃったんだけど、麻子ちゃんってすっごい絵がうまいんだね!こんなにうまい子はじめて見た!」
喜ぶと思ってそう言ったのだけれど、意外にも、彼女は哀しげに首を横に振った。そして、俯きながら「……ぜんぜんうまくない」と呟いた。
彼女の素っ気ない対応に、これはちょっと手強そうだと内心舌打ちしながらも、僕は根気よく彼女に語り続けた。
「なんで?本当にうまいのに。先生にもそう言われなかった?」
「……いわれた。でも、ぜんぜんだめなの。だって、せんせいはわたしにきをつかって、うそをついてるから」
彼女は悲しみを瞳に滲ませながら、ぽつりと言った。僕は、頭にたくさんのハテナマークが浮かぶのを感じた。なんで、彼女はそんなにも人の賞賛を疑うのだろう。
「……おかあさんが、おまえのえはへたくそだって、いつもいうから」
ぼそっと呟いたその言葉に、僕は何となく合点がいった。なるほど彼女は、親に否定されて育ってきたのだ。僕たちにとって、親の価値観は自分の全てだから、そうなるのも無理はない。
僕は、彼女をなんとなく可哀想だと思った。もちろん、ただの同情で。だけど同時に、強い興味も沸いた。彼女が自分を卑下することをやめるのには、どんな言葉をかければいいだろう。僕の言葉で、どれだけ彼女の心を掴めるだろう。僕にとって、誰かの心を捉えるというのはゲームのようなものだ。難しければ難しいほど、同時に面白い。特にこういう、思い込みが激しいタイプは、攻略のしがいがある。
「……ねえ、夕方のおむかえの時間までのあいださ、ちょっとお外に遊びに行かない?僕とふたりで」
「……え?でも、おむかえのときは、おへやの中であそんでなさいって、先生が……」
「いーのいーの!たまにはおもしろいことしてみたいと思わない?ね?」
じっと目を見つめて、ダメかな?とちょっと眉を下げて微笑んでみる。すると彼女は少しばつの悪そうにして、迷った後、何かを決意したようにうんと頷いた。
いっちょあがり。僕は心の中でガッツポーズをする。これで、彼女も僕に従ってくれるようになる。そうすれば、また僕は一歩この世界を掌握することができる。そんなことを思いながら、僕はわざとらしくはしゃいで「やったー!ありがと!麻子ちゃん!」と両方の手を繋いで上下にぶんぶんと振り回した。彼女は顔を赤らめていたものの、先ほどのような悲しげな表情は見られなかった。人間って、ちょろい。幼かった僕は、心の中でそうほくそ笑むのだった。
その名前は、これから先も僕の心の深いところに染み付いて、きっと消えることはないのだろう。いつもうわべだけで生きている僕が、唯一心を乱される存在。他にもっと可愛い女の子なんてたくさんいるし、選び放題なのに、やっぱり僕の一番は彼女なのだ。困ったように笑うその顔が、遠慮がちに言葉を発するその唇が、今でも欲しくて堪らない。
彼女との出会いは、今から十数年も前。僕の身長が、まだ今の三分の二にも満たなかった頃だ。その頃から僕は、大人から好かれ可愛がられる術を、自然に身につけてしまっていた。もちろん、同い年の子供たちを手なずけるのなんて容易で、保育園でも組を問わず一番の人気者。そんな僕とは対照的に、彼女はまるで影のような存在だった。他の子供たちと戯れることもなく、彼女はいつも1人で、ひたすらに空を眺めながら絵を描いていた。たまに保育士に連れられて、他の子供と遊んでいることもあるけれど、うまく馴染めないみたいで、気がつくといつもぽつんと窓際で1人でいた。僕は外で子供たちと遊びながら、絵を描いている彼女のことが、妙に目に入って仕方なかった。僕が助けてあげる義理もないと放っておいたけれど、どうにも気になって、ついに声をかけてしまった。
「なーにかいてるの?麻子ちゃん。ぼくと一緒にあそぼうよ!」
横からしゃがみこんで絵を覗き込んでみると、見事に晴れ渡った空と子供たちの絵が目に入る。自分と同い年にしては、かなりの腕前だ。僕は少し驚いて、その絵を褒めてあげようとしたけれど、彼女はわっと声を上げて絵を胸に抱えてしまった。顔が耳まで赤くなって、ぱくぱくと口を動かしながら、何かを訴えようとしている。
「……こっ、これっ、まだ、とちゅうだから……っ、みないで……」
か細い声で、目に少し涙を滲ませながら、途切れ途切れに口を開く彼女。頭のよかった僕は、嫌われるのも分かるなあ、と子供ながらに察することができた。おそらく他の子供にこんな対応をしたら、泣かせてしまったと気まずくなって、もう友達になりたいとは思わないだろう。もしくは、強気な女子や男子に泣いたことをからかわれて、塞ぎ込んでいるのかもしれない。もしそうだとしたら、本当は彼女も1人でいるのは本意ではないはず。きっと誰かに、友達になってほしいと思っているはずだ。今日は珍しく、僕は人助けでもしたい気分だった。まあ、それは新しく入ってきた美人の保育士さんに褒めてもらいたかったからなのだけれど。理由なんてどうでもいい。とにかく、僕は彼女に手を差し伸べてあげようと思った。
「ごめんね、ちょっと絵見ちゃったんだけど、麻子ちゃんってすっごい絵がうまいんだね!こんなにうまい子はじめて見た!」
喜ぶと思ってそう言ったのだけれど、意外にも、彼女は哀しげに首を横に振った。そして、俯きながら「……ぜんぜんうまくない」と呟いた。
彼女の素っ気ない対応に、これはちょっと手強そうだと内心舌打ちしながらも、僕は根気よく彼女に語り続けた。
「なんで?本当にうまいのに。先生にもそう言われなかった?」
「……いわれた。でも、ぜんぜんだめなの。だって、せんせいはわたしにきをつかって、うそをついてるから」
彼女は悲しみを瞳に滲ませながら、ぽつりと言った。僕は、頭にたくさんのハテナマークが浮かぶのを感じた。なんで、彼女はそんなにも人の賞賛を疑うのだろう。
「……おかあさんが、おまえのえはへたくそだって、いつもいうから」
ぼそっと呟いたその言葉に、僕は何となく合点がいった。なるほど彼女は、親に否定されて育ってきたのだ。僕たちにとって、親の価値観は自分の全てだから、そうなるのも無理はない。
僕は、彼女をなんとなく可哀想だと思った。もちろん、ただの同情で。だけど同時に、強い興味も沸いた。彼女が自分を卑下することをやめるのには、どんな言葉をかければいいだろう。僕の言葉で、どれだけ彼女の心を掴めるだろう。僕にとって、誰かの心を捉えるというのはゲームのようなものだ。難しければ難しいほど、同時に面白い。特にこういう、思い込みが激しいタイプは、攻略のしがいがある。
「……ねえ、夕方のおむかえの時間までのあいださ、ちょっとお外に遊びに行かない?僕とふたりで」
「……え?でも、おむかえのときは、おへやの中であそんでなさいって、先生が……」
「いーのいーの!たまにはおもしろいことしてみたいと思わない?ね?」
じっと目を見つめて、ダメかな?とちょっと眉を下げて微笑んでみる。すると彼女は少しばつの悪そうにして、迷った後、何かを決意したようにうんと頷いた。
いっちょあがり。僕は心の中でガッツポーズをする。これで、彼女も僕に従ってくれるようになる。そうすれば、また僕は一歩この世界を掌握することができる。そんなことを思いながら、僕はわざとらしくはしゃいで「やったー!ありがと!麻子ちゃん!」と両方の手を繋いで上下にぶんぶんと振り回した。彼女は顔を赤らめていたものの、先ほどのような悲しげな表情は見られなかった。人間って、ちょろい。幼かった僕は、心の中でそうほくそ笑むのだった。
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