部屋と雷【三井】
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『うわ、すごい雨!!』
バケツをひっくり返したような雨の中、コートで身を隠しながら走る。
最後に時計をみたときは、たしか23時をまわっていたはずだ。
繁華街の明かりだけを頼りにするが、足下は水たまりを跳ねてしまってびしょ濡れになる。
じんわりパンプスとストッキングの間に浸食してきて、気持ちが悪い。
冬のゲリラ豪雨なんて珍しい、と黒い空を見上げる。
「誰かさんと出張にくると、いっつも雨だぜ」
『ちょっと、わたしが雨女だとでも?』
ビジネスホテルのロビーに入り、雨を払いながら悪態をつくのはわたしの同期だ。
三井寿。
なんでも大学までバスケをやっていたという彼は、長身で顔も良く、おまけに面倒見もいいので後輩達からは憧れの的らしい。
もっとも同期入社したわたしにとっては、仲間でもあり営業のライバルでもある。
そんな私達は、不本意にもこの春から同じ取引先の担当となったのだ。
後輩の女子社員からは、
「いいなあ、美奈子先輩。わたしと代わってくださいよぉ。」
なんて笑いながら言われたが、その口調はかなり本気であるように感じた。
しかしわたしは正直、仕事で同期と組むのにはやりにくさを感じている。
特にこの、三井くんとは…
もう忘れそうなほど昔の記憶だが、入社当初わたしは、この三井くんに少しの間片思いしていた。
同期のメンバーで一緒にセミナーを受けたり、仕事終わりに飲みに行ったりする内に、すこしぶっきらぼうだけど優しい三井くんのことをすぐに好きになった。
だけどそんな恋心もすぐに終わりを告げたのだ。
三井くんには、大学の頃からつきあっていた彼女がいたから。
同期だけの飲みの席で、それは明らかになった。
だけど彼女の存在を知ったのは好きになってすぐの事だったから、彼を諦めるまでにそう時間はかからなかった。
それから5年、わたしたちは本当にただの同僚だ。
「じゃ、もうお互い部屋で休もうぜ。」
二人とも頭から足の先までびしょ濡れだ。
傘代わりにしたコートはほとんど意味をなさなかった。
はやく部屋に入って、熱いシャワーに当たりたい。
いつものようにフロントで名前を書き、予約してあるはずの社名を告げる。
ここで2部屋分のカギをもらう予定だったのだが…。
わたしは思わず、声を荒げる。
『え、そんなはずないんですけど…。
もう一度見てもらえますか?』
「はい…。
やはり、○○社様のご予約は、明日のお日付になっておりまして…
ネットからのご予約ですので、おそらく間違えはないかと…。」
フロントの女性が申し訳なさそうな顔で頭を下げる。
彼女が言うには、うちの会社名義で予約できているのは、明日だというのだ。
そんなはずはない、と謎の根拠を持って再確認してもらったのだが、今日の予約がない事実は揺るがなかった。
「どうした?高橋。」
『あ、三井くん…。』
すこし離れて立っていた彼に事情を話すと、
「じゃあ急ですけど、2部屋空きはありますか?」
とすぐに聞き返した。
女性は少々お待ちください、と目を細めてパソコンを操作する。
なんだか嫌な予感がする。
「申し訳ありません、シングルで2部屋というのは空きがありませんでして…あ、ですが、ツインルームでしたら1部屋キャンセルが出てますね。」
『ええ…』
ツインルーム…。
1部屋で2つベッドがあるタイプの部屋だ。
よく友達と旅行に行くときに泊まる部屋が思い浮かんだ。
さすがに三井くんと同じ部屋に二人というのは、気まずすぎる。
別のホテルを探そうかと瞬時に考えている間、あたりを見回していた三井くんが思いついたように口を開く。
「今日、平日なのにいつもより混んでません?なにか特別なことでも?」
すると、女性は応え慣れた口調で、
「ええ、翌朝に近くのサッカースタジアムで試合があるので、遠方から来た方のご予約で埋まっているんです。」
と告げた。
なるほど…そういうパターンがあるのか。
地元のサッカースタジアムだし、このホテルからすればよくある話なのだろう。
もっとも、遠方から出張に来ているわたしたちには思ってもみない出来事だが。
現状に焦る反面、この雨じゃあ明日の試合はどうなるんだろう…といらぬ心配をしている自分がいる。
いや待て、思考を切り替えろ。
…とにかくそんなイベントが控えているのであれば、これから別のホテルに行っても断られることは、容易に想像できた。
自分たちの置かれた状況はどうだ。
濡れた服に、冬の雨で芯まで冷えた身体。
外はまだまだやみそうにない、雨。
わたしは三井くんとしばし顔を見合わせたが、ベッドは2つあるということを念入りに確認し、ツインルームに泊まることを受け入れた。
「ったく、総務のヤローミスしやがったな!」
部屋に入るなり、出張を手配した総務部を咎める。
ネクタイをゆるめ、ドカッと窓際のベッドに腰を下ろす。
『まさかのミスだよね。しかもこんな、満室の日に限ってだよ。』
わたしもつられて悪態をついた。
2人部屋といえども、駅近のビジネスホテルは想像以上に狭い。
何かしゃべっていないと間が持たず、この二人きりという状況に耐えられそうになかった。
「サッカーの試合とはついてないよな…」
『ほんとほんとー…』
「…」
『…』
しかし、わたしの願いもむなしく会話は途切れて、微妙な沈黙が作り出される。
緊張感から無意識に息を止めてしまい、苦しくなっていることに気づいた。こんな調子で一晩過ごせるのだろうかと不安になる。
いや、この2人での出張が決まったときから、ずっと不安はあったのだ。
「えっと、お前濡れてんだから、先にシャワー浴びてこいよ。俺はコンビニ行くけど、なんかほしいもんある?」
『え、いいよ!三井くんも濡れてるんだから先に…』
「俺は後でいいって。どうせまた濡れるしな。…缶ビールでいいか?」
『あ、えと、じゃあそれで…。』
「オッケー。」
『あ、あとお水も…』
「はいよ。んじゃーな。」
無表情のまま、後ろ手を振ってそのまま部屋を出て行く。
こうやってさりげなく優しくされる度に、一度なくした恋心が、うっかりよみがえりそうになる。
そんな邪念を打ち消すように、わたしは頭から熱いシャワーをかぶった。
15分ほど経っただろうか。
わたしがバスルームから出るのと同時に、三井くんが帰ってきた。
フロントで傘を借りたらしく、先ほど以上には濡れていなかった。
ドアのそばでジャケットを脱ぎ、ハンガーに掛ける仕草は手慣れている。
「お、ちょうどよかった。ほらよ。」
その1メートルほど離れた所から投げられたのは、冷えた缶ビールだった。
わたしはあわててキャッチする。
『わ、ありがとう。』
外はまだ雨のようで、気温が低いからか缶はまだ冷たい。
そのままプルタブを引くと、ぷしゅっと小気味いい音をたてて泡が立った。
コンビニに行く道中の雨風にさらされた三井くんは、「寒っ」とつぶやきながら、バスルームに向かう。
その姿を横目に感じ取っていたわたしは、なんとなく手持ち無沙汰になり缶から吹いている泡を一口すすった。
同じ部屋なのだから当然、パタパタとシャワーの水音が聞こえてくる。
外の雨音と、シャワーの音。
それらを頭の中で混同させようとしても、結局は三井くんのいるバスルームに意識を持っていってしまう。
(ダメだ、考えないようにしなきゃ…)
シャワーから上がったばかりの身体が熱い。寒いからとエアコンの温度を上げすぎたのかもしれない。
いつもの出張では、部屋に戻ったらすぐに寝てしまうところだが、とにかく気分を変えたくてノートパソコンの電源を付ける。
今日の商談内容をまとめて、明日のプレゼン内容も確認しておこう。
仕事をしていれば無理に三井くんと話さなくてもいいし、なにより無言でいてもごく自然だ。
そう思ったときだった。
窓の外がカッと白く光ったかと思うと、ゴロゴロとけたたましい音が響き渡り、真上を大型のトラックが走ったのかというくらい天井が震えた。
雷だ、と瞬時に理解する。
ホテル特有の重いカーテンを開けると、遠くの雲が光を帯びてうねるのが見える。
『嘘でしょ…?』
瞬間、カーテンをきつく閉じ薄い掛け布団のなかに潜り込んだ。
雷の時はパソコンなどの電気機器をつながない方がいいだとか、そんなことはもはや考える余裕もない。
わたしは雷が世界で一番嫌いなのだ。
雷に限らず大きい音が苦手で、電車の音や工事現場の音も怖い。
しかしそれらに比べても圧倒的に、この雷というヤツが嫌いなのだ。子どもの頃からずっと。
布団をかぶってもやはり突き抜けて音は聞こえてくる。
それどころか、先ほどよりもこちらに近づいている気さえする。
…怖い。怖い。
頭がパニック状態になり、心臓がバクバクと波打つ。
シャワーを浴びたばかりの身体が、面白いくらいにカタカタと震え出した。
このまま息を潜めて、音が聞こえなくなるのを待てば良い。
それなのに…今の自分はまったく冷静になれない。
暗闇の中で身を縮こまらせて居るときだった。
「おい、大丈夫か?高橋。」
三井くんの声だ。
シャワーから上がったらしい彼は、明らかに様子のおかしいわたしを見て近寄ってきたのだろう。
その優しさが、今のわたしをよけいに情けなくさせる。
いい年して雷が怖いなんて、言えるはずもない。
「どっか悪いのか?」
心配そうな声が、頭の上すぐそばで聞こえる。
『だ、大丈夫…なんでもないから…』
「いや何でもなくないだろ。震えてるし…風邪でも引いたんじゃ…」
『ほんと、眠いだけだから…』
そんな見え見えの言い訳をしかけたときだった。
またも大きな雷鳴が、部屋中にとどろく。
『きゃああ!!!』
どこから出しているんだと自分でも突っ込みたくなるような悲鳴だ。
きゃああって…女子高生か、わたしは。
自分でツッコミを入れるくらいの冷静さを持ち合わせていたことに安堵するも、こんな失態を三井くんの前でする羽目になるとは、本当についてない。
「…高橋、雷怖いのか?」
『…わたし、雷がすごく苦手で…』
観念して認め、布団から少しだけ顔を出す。
息苦しかったせいか、狭苦しい部屋の空気がおいしく感じる。
対面のベッドに腰掛けたまま、心配そうにこちらを見ている三井くんと目が合って、恥ずかしさに思わず視線を反らす。
『ごめん。まさか、ここでこんなことになるなんて…』
「お前の嫌いな俺の前で、こんな風に弱みをみせることになるなんて…ってことか?」
そう言って自嘲気味に笑う三井くんに驚いて、思わず上半身を起こした。
その目は思いのほか悲しみを帯びていて、わたしは一瞬だけ雷のことも忘れて、ただただ焦る。
『え、嫌いって…?』
「いや高橋、俺のこと苦手だろ。いつもあんまし目ぇ合わないし。
あんま俺と話さないようにしてるしな。」
…たしかに自覚はあった。
わたしは三井くんと話すと緊張するし、目もあまり長く合わせていられない。
それは、嫌いと言うよりも防衛本能だった。
また三井くんを好きになってしまわないように。
油断をしたら、きっとまた好きになってしまうほど、三井くんは今でも魅力的だ。
ぶっきらぼうな言い方の中にも優しさがあって、それでいて相手に気を遣わせないようにしてくれる。
さっきのシャワーの件だってそうだ。わたしに遠慮させないように、わざと外出したに違いない。
その魅力に気づいてしまったら終わりだと、いつも心の中で警告が鳴っている。
そのための防衛手段は、この5年間ですっかりわたしに染みついていたらしい。
だけど、それらの行動が彼を傷つけていたことに、今さらになって気がついた。
『えと、それは、嫌いっていうわけじゃなくて…緊張して。』
「緊張って… 同期のくせになんで緊張?俺のこと怖い?」
『ううん、怖いわけじゃなくて…ひゃあああ!!』
…雷の存在を忘れていた。
言葉の途中で邪魔されて、ぜんぜん思うように彼と話が出来ない。
身体も震えるし、馬鹿みたいに涙も出てきた。
ただでさえ三井くんにあらぬ誤解をされているというのに…。
自分がつくづく嫌になる。
『と、とにかく嫌いじゃないから!それは絶対にないから!むしろ逆だから!』
早口でまくしたてると、その言葉に三井くんは少し安心したような顔になって、ふっと肩を落とす。
嫌いではないと言うことは伝わったようで、わたしもほっとする。
「…嫌いじゃないんならさ、耳ふさいどいてやるよ。」
『え、耳…?』
聞き返す前に、自分のいるベッドのスプリングがもう一人分の体重でしずむのがわかった。
ギッと鈍い音を立てて三井くんがわたしの横に腰を下ろし、両耳を覆うようにぎゅっと抱きしめる。
小柄なわたしは、その中に完全に収まってしまう。
『え、えっ ちょ、三井くん…?』
「…黙って俺の心臓の音でも聞いてろ。」
言われたとおり黙ると、静かな部屋の中でドクドクと、心臓の音が鼓膜に響いてくる。
その音は心地よいリズムというよりも、荒々しく感じるほどに早かった。
「雷、まだきこえるか?」
『雷は…今は聞こえない…。三井くんの音が…うるさくて。』
「高橋…好きだ。ずっと前から。」
腕の中から思わず見上げると、三井くんは想像以上に赤い顔をしていた。
『うそ…。』
「うそじゃねーよ。お前と4月から組むことになって、すげー緊張してた。
嫌われてるかもって思ったから、あんまり話せなかったけど…。」
『き、嫌ってないよ、ただわたしは…三井くんには彼女がいるからって、意識して話せなかったの。
…好きになりそうだったから…。』
「彼女って…、入社してすぐ別れた、その時の彼女の事?」
『え、別れてたの?!』
お互い驚いたように顔を見合わせる。
まさかあの後すぐに別れていたなんて…。
なんで誰も教えてくれなかったんだろう。…いや、今問題はそこじゃない。
「さっき高橋、好きになりそうって…」
『っ、好きになりそうというか…好きだったよ、最初。でも彼女がいるってきいて諦めたの。
…目が合わせられなかったのは、また好きになっちゃいそうで、怖くて。』
「…まじか」
観念して、本心を吐露する。
こんなに恥ずかしい姿をさらしておいて、誤魔化すのも今更だと思ったからだ。
それに嫌いだと誤解されるよりは、マシだと思った。
タイミングが良いのか悪いのか、またも雷鳴がわたしを襲う。
今度は少し小さい音で、窓にビリビリと反響する。
『ひゃっ…』
びくりと身体がはねる。
こんなにも三井くんと触れた場所に神経を巡らせていても、恐怖反射にはあらがえないらしい。
「高橋、なんもしねーから、このまま一緒に寝るぞ。」
彼は真面目なトーンでそう言うと、わたしを抱きかかえたまま、ベッドに寝転がる。
エアコンの風でカラリと乾燥したシーツが、肌にこすれて心地よい。
しかしわたしは、三井くんに触れているところが熱くてじんわり汗をかいている。
『え、ちょ、三井くん…!』
「ほら、また雷鳴るぞー。あ、光った。」
『きゃああ!』
強く彼の背中を締め付ける。
しかし、しばらく身構えてみても雷は鳴らない。
『…ちょっと、わたしで遊んでない?』
「はは、バレたか。
っつーか、1回抱きしめたら、お前のこと離せなくなった。このまま寝たい。」
『っ…いいよ、耳を塞いでおいてくれるなら…』
三井くんの心地の良い体温と、すこしうるさい心臓の音を聞いていたら、不思議と眠気が襲ってきた。
このまま、朝まで寝てしまいたい。
そして、朝起きたら、言おうと思う。
5年前に胸にしまい込んだ、「好き」という言葉を…。
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