ゆるやかに消えていくブルー【水戸】
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加々美さんに電話をかけるのは、とても勇気がいることだった。
他に好きな人がいるのでもう会えない、という、最初からわかっていたのではないかと責められてもおかしくない様なことを告げる。
耳元のノイズがやけに大きく聞こえるほど、静かな夜だった。
きっと、怒号が飛んできてもおかしくないと覚悟していたのだけれど、彼から返ってきたのは意外にも穏やかな反応だった。
「なんとなく、そんな気がした。」
そう言って笑う声を聞いていると、彼に対して失礼なことをしてしまったということを、改めて強く感じた。
また会いたいと言ってくれたのに、その気持ちをむげにした自分。
けれども、水戸くんへの気持ちを隠したまま、これ以上加々美さんと会うことは出来なかった。
「紗希に言っとくよ、美奈子ちゃんにフラれたってね。」
「…ごめんなさい。」
「いいよ、お互いの道で、それぞれがんばろう。」
明るく励まされることで、彼がどんなにいい人だったのかいう事を思い知らされる。
だけど、世間でいうところの“いい人”と、好きになってしまう人というのは、すれ違ってしまうもののようだ。
それを長いようで短い人生のうちに、わたしは知ってしまった。
水戸くんと一緒にいることを決めてからの日々は、想像していたよりもずっと幸せだった。
まだちゃんとしたデートをしていない、と不満を漏らすと、じゃあベタに映画でも見ようかと言って笑った。
金曜日の浮き足だった夜の街。
映画館の前で待ち合わせる。
人波のなかに彼の姿を見つけると、本当に来てくれたんだ、なんて呆けたことを思ってしまった。
こうして再会するまでは、考えたこともなかった。水戸くんと恋人になるなんて。
その事実はまだ自分のなかでふわふわしていて、実態がない。
2時間と少しのレイトショーを見終えても、映画館前の人通りは減っておらず、まだまだ活気があった。
映画と現実との差を感じて、頭の中を戻すまでにもう少し時間が掛かりそうだ。
「なんか飯でも食う?」
「うん、じゃあそうしようかな。」
言われて、空腹であることに気づく。
シフト終わりにバタバタと準備をしてきたために、まともな夕食を食べていない。
映画館のポップコーンでおなかを満たしたつもりだったけれど、その提案は魅力的で、今のわたしにはあらがえなかった。
適当に歩いて、すいているお店に入る。
その間もずっと、手を握っていてくれることがただ嬉しかった。
「この映画、観たかったの?」
わたしはつい買ってしまったパンフレットを取り出して、尋ねる。
海が舞台のこの映画を観たのは、水戸くんがすでにチケットを買っておいてくれたからだ。
なんのあらすじも知らずに観たクセに、初デートの記念にしたくてパンフレットまで買ったことは、内緒にしている。
「イヤ、実は俺もよく知らなかった。ただ、美奈子がこの俳優好きだと思ったから。」
「もしかして、タイタニックの…?」
「そう。…アレ、別に好きなわけじゃないのか。」
「あはは、俳優さんが好きって訳じゃないけど、この映画はおもしろかったよ。」
チケットを買うとき、わたしのことを考えて買ってくれたということが、素直に嬉しい。
口元がゆるむのを誤魔化したくて、手元のジンジャエールに口を付けた。
水戸くんはそのパンフレットをめくりながら、
「最後がよくわかんなかったんだよなあ…。」
と呟いている。
映画の感想を共有できることも、二人でいることの特権な気がする。
こうやって少しずつ、共有できる話題が増えていくんだろうなあと思う。
友達よりも踏み込んだ、少しは未来の確約された関係。
そう思うと、どんなに小さな出来事も特別に感じられたし、映画のワンシーンのように思えてくるから不思議だ。
「でもさ、ホントにあんな島あんのかな。」
…島。
唐突に水戸くんが口にしたそれは、きっと映画の中に出てきた、まぼろしの島のことだ。
その島では、社会から逸脱した若者達が、まったく独自のコミュニティを形成していて、映画はそこで巻き起こる人間模様をシュールに描いていた。
「なんか滑稽だよな。」
「え?」
ぽつりと溢した言葉に、つい反応する。
「いや…、最初は同じ目的を持って集まったメンツだったのに、少し歯車が狂うと、もう歯止めがきかなくなる。」
「うん、そんな内容だったね。人間って怖いなって思ったよ。」
声色が変わったので驚いたが、やはり映画の話だったようでホッとした。
映画では、最初は円滑だったコミュニティにほころびが生まれ、言い争いや派閥の形成、殺人未遂などの事件が起こった。
なごやかだったムードとは一転、終盤は人間の恐ろしさをみた気がしてぞっとしたのを思い出す。
わたしも感じたことを口にしてみるけれど、水戸くんは何か思うところがあったのか、考え込んでいるようだった。
その表情は、いつもの薄く浮かべた笑顔とは違って、なんとなく冷たい感じがした。
まるで高校時代、喧嘩をしている彼をみてしまったときのように、冷ややかな感覚が身体中を襲う。
「人間って集団になると、ロクなことになんねーよな。」
「水戸くん…何かあった?」
触れない方がいいかと思ったけれど、そう尋ねずにはいられなかった。
水戸くんはハッとしたように目を見開くと、またいつもの軽い調子になる。
「悪い、ちょっと考え事してた。」
そういって微笑むと、手つかずになっていた串焼きをひとつ手に取り、わたしの口元へと運ぶ。
「ほれ、もっと食えって。美奈子細すぎだから。」
「ふぉふぉふひゃい。」
「はは、何言ってるかわかんねーよ。」
細くない、と反論したつもりだったけれど、口いっぱいにほおばる羽目になった串焼きのせいで、うまくしゃべれない。
そんなわたしをみて、目を細める水戸くんは、もういつもの水戸くんだった。
「なあ、夏になったら海いこーぜ。」
「あの映画を観たから?」
「うん。泳ぎたくなった。」
蒸し暑い日もあるけれど、まだまだ春の気候が続いているし、これからあの憂鬱な梅雨だって控えている。
それなのに先走って泳ぎたいなんて言うもんだから、おかしくなってわたしも笑った。
高校時代、海の家でアルバイトをしていたという水戸くんは、たしかに夏が似合う。
まだみぬ夏のビーチを想像しつつ、もう一度飴色の炭酸を口に含むと、頬の内側でパチパチはじけた。