ゆるやかに消えていくブルー【水戸】
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いつものアルバイト帰りだった。
帰宅したところ、アパートの前に大きな影が見える。そこには見覚えのあるセダンが一台、停まっていた。
車体に寄りかかって煙草を吸っていたのは、紛れもなくホンモノの水戸くんだった。
あれから加々美さんとは一度会って、食事をした。
沈黙を埋めるほど、楽しませてくれようとする彼の態度には、とても好感が持てた。
だから別れ際にまた会いたいと言われても、断る理由がみつからなかった。
それとは裏腹に、心の中はまだ、本当にこれでいいのかと揺れていて…。
その矢先に水戸くんが、現れたのだ。
顔が見れて嬉しいと思ってしまったのは、素直すぎる感想だった。
「水戸くん…?」
声を発する方に視線を向ける。
目が合った瞬間、彼が一瞬安堵したような表情を浮かべたので、ドキリとした。
「よお、結婚式ぶり。」
「…だね。どうしたの?」
煙草を車内の灰皿で消し、再び扉を閉める。
狭い路地には似つかわしい、よく磨かれた車体は、街灯をぼんやりと黒く映している。
「この前描いてくれた絵、まだ受け取ってなかったろ?」
「覚えて、たの?」
「言ったじゃん。俺、重要なことはよく覚えてるって。」
水戸くんの気持ちは、いつも読めない。
だけど絵の事なんて、口実だと思いこみたかった。
もしかしたらわたしに会いに来たのかも、なんて、今更期待している自分がいる。
同時にそんな自分がバカみたいに思えて、淡く抱いた感情を消し去ろうと、ぎゅっと拳を握る。
「入って。続き、描くよ。」
「うん。」
短い返事を聞いて、部屋へと招き入れる。
そこは半年前と全く変わっていなくて、変わったのは置いてある絵と、少し掃除を怠っていることくらいだろうか。
水戸くんは何も言わずに、以前座った椅子をひっぱってきて、部屋の真ん中へと置いた。
「その絵もらったら、会いに来るのはやめるよ。今度こそ、本当に。」
スケッチブックを片手に、わたしは思わず目を見開いた。
座ろうとしていた対面の椅子が、今はとても遠くに感じる。
「え?」
「驚くことないだろ、美奈子が言ったんだぜ。それに…。」
言いかけて一瞬、目線を下に落としたが、やはり決意したように口を開く。
「今、いい感じの人いるんだろ?紗希ちゃんに聞いたんだ。」
それが加々美さんのことを指しているということは、瞬時に理解できてしまった。
携帯の中にある彼の名前を思い出して、なぜだかひどい罪悪感にみまわれる。
「実は二次会の後、美奈子のこと探したんだよ。そしたら紗希ちゃんが知り合いを紹介して、一緒に帰ったって聞いたから。」
あの日、もしも加々美さんの申し出を、無理にでも断っていたら…。
ここ最近、加々美さんと会っていても感じていたモヤモヤが、形になって現れたような気がした。
「そう、だったんだ。」
「うん。だからさ、ケジメつけたいんだよ。美奈子への気持ち。」
やっと腰を下ろした丸椅子の、着地面が冷たい。
わたしはあの日ほど軽快ではない鉛筆の先を、紙の上で滑らせる。ざらざらという音が、耳に響く。
「絵、やめなかったんだ。」
あたりに何枚も置かれたキャンバスを眺めながら、水戸くんが言う。
「うん。前に水戸くんが、絵を諦めないで欲しいって、言ってくれたから。」
「それでほんとにやめちまったの?実家に帰るの。」
「水戸くんの言ったとおり、電車で数駅だしね。それに、嬉しかったから。水戸くんがわたしの絵を好きって言ってくれて。」
本音を言えば、絵を描いていればいつか、水戸くんにも届くかもしれないと思ったからだ。
いつかの絵のように、彼の寂しさに寄り添える絵が…。
それを水戸くんが見つけてくれたら、それだけで価値のある生き方になる気がしたから。
だからあの時、わたしは絵を続ける道を選んだ。
いつか絵を描くことを辞めてしまうとしても、今この瞬間だけは全力で、自分がどこまでいけるか試したかったのだ。
水戸くんと最後に会って以降、絵を置いてくれる場所が増えたことや、作品作りに忙しくなったことなんかを話すと、まるで自分のことのように喜んでくれているのがわかった。
その分、わたしの感情はどんどん置いてきぼりになる。
この絵を描き終わってしまったら、二度と彼と会うことはないだろう。
10年間一度も偶然会うことがなかったのだから、その未来は容易に想像できてしまう。
鉛筆を持つ手が、止まる。
この絵を完成させたくない。永遠に未完のままでいい。
そう思ったらもうダメで、わたしは無言でスケッチブックを閉じていた。
水戸くんもそれに気づいて、驚いたようにこちらをみた。
「かかねーの?」
「かくの、やめる。」
「なんで。」
「…かく気になれないから。」
ふてくされたように言うと、
「こりゃ気難しい先生だこと。」
と困ったように笑った。
「そんな事されたら俺、また勘違いしちゃうけど?」
足を組んだまま、前のめりに尋ねる。
その表情は、いたずらっ子のような、いつもの水戸くんそのものだった。
「勘違い、してもいいよ。」
うつむいたまま発した言葉に返事が来るまでには、数秒かかった。
その数秒が、わたしにはとてつもなく長いものに感じられた。
「…本当は勘違いしに来たのかもしれねーな。」
「だとしたら、ずるいよ。」
「うん、ずるいんだ、俺。」
よく言われる、とても言わんばかりの満悦の表情で、いつの間にか距離をつめてわたしを見下ろしている。
黙って見上げたわたしのおでこに、水戸くんの唇が軽く触れる。
「俺らまだ、そんなに結論焦んなくてもいい年齢だと思わない?」
「かなあ。」
「少なくとも、俺はね。美奈子が嫌んなったら、いつでも捨てていーよ。だから…それまで一緒にいるっていうのはどう?」
その提案は、どんなに誰かと楽しく過ごしたとしても、感じることの出来ないくらい、強く甘い響きを持っていた。
男の人なら他にもいるし、こと恋愛をするという観点においていえば、別の誰にも成り代われるというのに、なぜこんなにも彼がいいと、彼でなければダメだと思ってしまうのだろう。
その答えを水戸くんと会えなくなった半年間、ずっと探していた。
高校生のとき、伝えられなかった感情が上乗せされているのかもしれない、とも思った。
だけど水戸くんといる時に感じる、パズルのピースが合わさったときのような感覚は、一体なんなのだろう。
それをうまく説明するすべもなくて、わたしはただ水戸くんの腕の中に収まる。
水戸くんも同じように思ってくれているのだろうか。
だとしたら、素直に嬉しい。
その嬉しさの先につづくものを今は考えまいと、必死に彼をぬくもりを感じた。
帰宅したところ、アパートの前に大きな影が見える。そこには見覚えのあるセダンが一台、停まっていた。
車体に寄りかかって煙草を吸っていたのは、紛れもなくホンモノの水戸くんだった。
あれから加々美さんとは一度会って、食事をした。
沈黙を埋めるほど、楽しませてくれようとする彼の態度には、とても好感が持てた。
だから別れ際にまた会いたいと言われても、断る理由がみつからなかった。
それとは裏腹に、心の中はまだ、本当にこれでいいのかと揺れていて…。
その矢先に水戸くんが、現れたのだ。
顔が見れて嬉しいと思ってしまったのは、素直すぎる感想だった。
「水戸くん…?」
声を発する方に視線を向ける。
目が合った瞬間、彼が一瞬安堵したような表情を浮かべたので、ドキリとした。
「よお、結婚式ぶり。」
「…だね。どうしたの?」
煙草を車内の灰皿で消し、再び扉を閉める。
狭い路地には似つかわしい、よく磨かれた車体は、街灯をぼんやりと黒く映している。
「この前描いてくれた絵、まだ受け取ってなかったろ?」
「覚えて、たの?」
「言ったじゃん。俺、重要なことはよく覚えてるって。」
水戸くんの気持ちは、いつも読めない。
だけど絵の事なんて、口実だと思いこみたかった。
もしかしたらわたしに会いに来たのかも、なんて、今更期待している自分がいる。
同時にそんな自分がバカみたいに思えて、淡く抱いた感情を消し去ろうと、ぎゅっと拳を握る。
「入って。続き、描くよ。」
「うん。」
短い返事を聞いて、部屋へと招き入れる。
そこは半年前と全く変わっていなくて、変わったのは置いてある絵と、少し掃除を怠っていることくらいだろうか。
水戸くんは何も言わずに、以前座った椅子をひっぱってきて、部屋の真ん中へと置いた。
「その絵もらったら、会いに来るのはやめるよ。今度こそ、本当に。」
スケッチブックを片手に、わたしは思わず目を見開いた。
座ろうとしていた対面の椅子が、今はとても遠くに感じる。
「え?」
「驚くことないだろ、美奈子が言ったんだぜ。それに…。」
言いかけて一瞬、目線を下に落としたが、やはり決意したように口を開く。
「今、いい感じの人いるんだろ?紗希ちゃんに聞いたんだ。」
それが加々美さんのことを指しているということは、瞬時に理解できてしまった。
携帯の中にある彼の名前を思い出して、なぜだかひどい罪悪感にみまわれる。
「実は二次会の後、美奈子のこと探したんだよ。そしたら紗希ちゃんが知り合いを紹介して、一緒に帰ったって聞いたから。」
あの日、もしも加々美さんの申し出を、無理にでも断っていたら…。
ここ最近、加々美さんと会っていても感じていたモヤモヤが、形になって現れたような気がした。
「そう、だったんだ。」
「うん。だからさ、ケジメつけたいんだよ。美奈子への気持ち。」
やっと腰を下ろした丸椅子の、着地面が冷たい。
わたしはあの日ほど軽快ではない鉛筆の先を、紙の上で滑らせる。ざらざらという音が、耳に響く。
「絵、やめなかったんだ。」
あたりに何枚も置かれたキャンバスを眺めながら、水戸くんが言う。
「うん。前に水戸くんが、絵を諦めないで欲しいって、言ってくれたから。」
「それでほんとにやめちまったの?実家に帰るの。」
「水戸くんの言ったとおり、電車で数駅だしね。それに、嬉しかったから。水戸くんがわたしの絵を好きって言ってくれて。」
本音を言えば、絵を描いていればいつか、水戸くんにも届くかもしれないと思ったからだ。
いつかの絵のように、彼の寂しさに寄り添える絵が…。
それを水戸くんが見つけてくれたら、それだけで価値のある生き方になる気がしたから。
だからあの時、わたしは絵を続ける道を選んだ。
いつか絵を描くことを辞めてしまうとしても、今この瞬間だけは全力で、自分がどこまでいけるか試したかったのだ。
水戸くんと最後に会って以降、絵を置いてくれる場所が増えたことや、作品作りに忙しくなったことなんかを話すと、まるで自分のことのように喜んでくれているのがわかった。
その分、わたしの感情はどんどん置いてきぼりになる。
この絵を描き終わってしまったら、二度と彼と会うことはないだろう。
10年間一度も偶然会うことがなかったのだから、その未来は容易に想像できてしまう。
鉛筆を持つ手が、止まる。
この絵を完成させたくない。永遠に未完のままでいい。
そう思ったらもうダメで、わたしは無言でスケッチブックを閉じていた。
水戸くんもそれに気づいて、驚いたようにこちらをみた。
「かかねーの?」
「かくの、やめる。」
「なんで。」
「…かく気になれないから。」
ふてくされたように言うと、
「こりゃ気難しい先生だこと。」
と困ったように笑った。
「そんな事されたら俺、また勘違いしちゃうけど?」
足を組んだまま、前のめりに尋ねる。
その表情は、いたずらっ子のような、いつもの水戸くんそのものだった。
「勘違い、してもいいよ。」
うつむいたまま発した言葉に返事が来るまでには、数秒かかった。
その数秒が、わたしにはとてつもなく長いものに感じられた。
「…本当は勘違いしに来たのかもしれねーな。」
「だとしたら、ずるいよ。」
「うん、ずるいんだ、俺。」
よく言われる、とても言わんばかりの満悦の表情で、いつの間にか距離をつめてわたしを見下ろしている。
黙って見上げたわたしのおでこに、水戸くんの唇が軽く触れる。
「俺らまだ、そんなに結論焦んなくてもいい年齢だと思わない?」
「かなあ。」
「少なくとも、俺はね。美奈子が嫌んなったら、いつでも捨てていーよ。だから…それまで一緒にいるっていうのはどう?」
その提案は、どんなに誰かと楽しく過ごしたとしても、感じることの出来ないくらい、強く甘い響きを持っていた。
男の人なら他にもいるし、こと恋愛をするという観点においていえば、別の誰にも成り代われるというのに、なぜこんなにも彼がいいと、彼でなければダメだと思ってしまうのだろう。
その答えを水戸くんと会えなくなった半年間、ずっと探していた。
高校生のとき、伝えられなかった感情が上乗せされているのかもしれない、とも思った。
だけど水戸くんといる時に感じる、パズルのピースが合わさったときのような感覚は、一体なんなのだろう。
それをうまく説明するすべもなくて、わたしはただ水戸くんの腕の中に収まる。
水戸くんも同じように思ってくれているのだろうか。
だとしたら、素直に嬉しい。
その嬉しさの先につづくものを今は考えまいと、必死に彼をぬくもりを感じた。