ゆるやかに消えていくブルー【水戸】
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目を覚ますとまだ、夜中の1時だった。
その思考があまりにもクリアだったので、正直自分でも驚いた。
あの、路肩に止めた車内で水戸くんと目が合った瞬間、わたしは何もかも捨ててしまいたくなって、自分から彼に唇を重ねた。
水戸くんが驚くのも見て見ぬふりをして、わたしからホテルへと誘ったのだ。
こんなことは生まれて初めてだった。
半分は、自暴自棄だったのかもしれない。だけど、本能的に彼を求めたのはまぎれもなく事実だった。
「美奈子がほんとに行きたいところは、ここだったわけね。」
と、いじわるっぽく微笑んだ水戸くんに、部屋の扉が閉まるのと同時に激しく唇を奪われた。
彼に見てほしくて着てきたタイトなワンピースは、会って早々に床の上で形を変えてしまった。
行為の後、気づけばそのまま眠ってしまったらしい。
慣れないベッドの上だから、こんな中途半端な時間に目を覚ましてしまったのだろうか。
「オハヨ。」
その声はベッドのすぐ隣からではなく、ベッドサイドの方から聞こえてきた。
シャワーを浴びたのか、少し髪型を崩した姿の水戸くんが、椅子に腰掛けていた。
そばの窓から、外の景色を眺めていたらしい。
「起きてたんだ。」
「うん。…なんか飲む?」
頷くと、備え付けの冷蔵庫からペットボトルを手渡される。
乾燥してしまった室内では、喉を下っていく水の冷たさが心地いい。
「正直、高橋さん…、美奈子から誘われるとは思わなかったよ。」
「…それは、わたしも思わなかった。」
「まだ口説いてる最中だったんだけどな。」
そう言って、くくっと喉の奥で笑う。
だけど本当にその通りだと思う。
つい先ほどまで名字で呼ばれていたのに、すでに二人こんなところにいるなんて、思考と現実が付いていかない感じだ。
だけど今のわたしは、ここに着いたときのような熱に浮かされた感情ではなく、案外冷静だった。
一時の情欲に身を任せたとしても、現実は何ひとつ変わっていない。
わたしはもういい加減、真剣に、今後の身の置き方を考えなければならないのだ。
「わたし水戸くんに、言っておかないといけないことがある。」
「何?」
水戸くんのすべて見透かしてしまうような瞳に、胸がきゅっとする。
「わたし、もう画家は諦めて、実家に帰ろうかと思ってる。」
「えっ」
「親からは、さっさと結婚して身を固めろって言われてるし、それができないならちゃんと就職するとか…。とにかく、今のままではいられそうにないの。
…だから、水戸くんがわたしのこと遊びだとしたら、もう会えない。」
会えない、と言い切ってしまうと、自分の口から出た言葉なのにひどく冷たいもののように感じた。
水戸くんは傷ついたようでも、驚いたようでもなく、とても落ち着いて見えた。
わたしは今、どんな顔を彼に向けているのだろう。本心ではない言葉を吐いたことに、あいかわらず胸は痛む。
「俺も言っとかなきゃいけないことがある。」
同じような事を、今度は水戸くんが言う。
「俺には、今後結婚ってやつを、するつもりがない。」
そう強い口調で言われたので、なぜだかとても傷ついてしまった。
まだ付き合ってもいないし、告白してもいない。
何よりもう会えないと、自分が言ったばかりなのに、可笑しな話だが…。
そんなわたしに気づいてか、取り繕うように彼は続ける。
「あ、それは美奈子が相手だからとかじゃなくて…。結婚願望っていうの?それをこれまで生きてきて、持ったことがない。
結婚したいって、思ったことがねえんだよ。」
「…それは、今まで付き合った人にも、一度も思わなかったの?この人と結婚したいな、とか。」
それは単純に疑問として、わたしの胸の中に残った。
なぜ彼がそう思うのか。
水戸くんは正直、家庭的なイメージがあった。
子どもも好きそうだし、家族を築くのに向いている気がしていたから、とても意外だったのだ。
「付き合う相手は全員本気で好きだったよ。…まあ、この話したら大抵は、向こうから離れてくけどな。
…でも俺には、引き留める権利ないだろ?」
たしかに、と心の中で頷く。
男女で結婚したい時期が違う、というのはよく聞く話だけれど、この先結婚はしないとハッキリ公言している人と付き合うというのは、女にとっては時間の浪費ととられても仕方ない。
わたしも周囲が結婚出産と変わっていく中で、その気持ちは理解できる。
「美奈子は、ちゃんと結婚したい人だろ?」
「え、」
いきなり意見を求められたので、戸惑った。
改めて問われると、答えに自信が持てない。
わたしは、本当に結婚したいのだろうか。
親や友達から、はやく結婚して身を固めろ、と口酸っぱく言われてきて、わたし自身もそうしたほうがいいんだろうなあと漠然と考えてきたけれど、果たしてわたしは結婚を望んでいるのだろうか。
「わたしは…うん、したい。」
迷ったが一応、そう答えておく。
今の今まで、将来は結婚するものだと思って生きてきたのだから、きっと間違えではないだろう。
だけど歯切れのわるい回答に、彼は何を思うだろうか。
「…しかし困ったことに、俺は美奈子のことを好きになっちまったんだよなあ。」
水戸くんはそう言うと、まるで他人事のように目尻を下げて笑った。
「え…今なんて。」
「だーかーら、美奈子のこと好きなんだって。…どうするべき?この状況。」
本当に困っているようなそぶりは微塵も感じさせず、ラフな口調で問う。
「どうしようって…さっき言ったとおりだよ。遊びなら…会えない。」
「遊びじゃなくて、本気なんだとしたら?」
「遊びとどう違うのか、わからないよ。」
「最終的に結婚しないなら、遊びになっちまうわけ?俺の美奈子を好きって気持ちは?」
いつのまにか椅子を前に出し、距離を詰められる。
わたしは曖昧な答えしかできずに、そのぶん後ろに下がるしかできない。
「美奈子はどうなの?俺の事。」
「どうって…。」
「身体の相性は悪くなかったと思うけど?嫌い?」
言いながら、学生のように椅子の脚を浮かせ、カタカタとならす。
その音にせかされるように、わたしはつい本音を漏らしてしまう。
「…好き。」
短くそう自白する。
嫌いかどうかと問われて、嫌いだと答えることはできなかった。
…さすがに高校生のころから好きだった、とは言えなかったけど。
腑に落ちないような表情のわたしを見つめながら、水戸くんは満足そうに微笑む。
「じゃあ、いいじゃん。」
「いいじゃんって…よくないよ。わたし実家帰るし。」
「実家って言っても、電車で数駅じゃん。ちけーよ。」
「フリーターだし。」
「俺は夢を追ってる姿が、なんかいいなって思ったよ。」
「だけどもう、絵を置いてもらえるツテもなくなるし。…知り合いの画廊、別の人に貸されちゃうから。」
「え、そうなの?それは初めて聞いた。」
驚いたように目を丸くした水戸くんは、今日みた表情の中で一番悲しそうだった。
わたしの絵を好きだと言ったのは、どうやらウソではなかったようで、こんな状況なのに口元がほころんでしまう。
だけどそれが、水戸くんと今後お付き合いするという理由にはなるはずもなくて。
彼は結婚しないと言っている。
そんな彼との交際を始めるほどの勇気も時間も、30歳を目前に控えているわたしにはもう、ない。
「そもそも、この年齢になったらもう、ゴールがどこか分からない恋愛を始める勇気ないよ。
結末が分からないのに進んでいけるほど、若くないよ、わたしたち。」
若い頃は、結末なんて分からなくても、好奇心だけでどんどん進んでいけた。
画家になれる確信なんてなくても、美大に行こうと思ったし、就職できなくても、いつかきっと絵で生計を立ててやるんだという意気込みだけでフリーターにだってなれた。
だけど、周りを見ればどうだろうか。
同窓会では、ほとんどの子が結婚して子どもがいた。
そのほかの人も、きちんと就職して仕事を頑張っていたり、起業したりなんかで、みんなきちんとしたレールに乗っていたではないか。
わたしだけがつまはじきにされて、この先も自らすすんでその道を行く事なんてできない。家族の期待や安心のためにも。
「俺はさ、美奈子みたいな生き方がいいなあって思ったんだよ。だから、好きになったんだと思う。」
「わたしみたいな生き方の、どこが?」
薄暗い部屋で尋ねる。
窓からは月の光が、街灯のように差し込んでくる。
「俺、オヤジが会社やってたからさ。ちっせえときから、後継げよって言われてきたし。」
そう話し始めた水戸くんの表情は、ちょっと寂しそうにも見えた。
はじめて彼の本音を垣間見ているようで、息を呑む。
「俺がどんな夢を持ったとしても、どうせその道に進むことは出来ない。そう思ったらさ、人生つまんねーなって思ったんだよ。」
なんとなくヘタに相づちをうつのも悪い気がして、黙りこんで聞く。
目が合っているので、わたしが真剣に聞いていることが伝わったのだろう、水戸くんは話を続けてくれた。
「桜木っていたじゃん?」
さすがに覚えている。水戸くんの友達。この前教えてもらった、バスケットボール選手になったという同級生のことだ。
「あいつが高校入ってからバスケに夢中になって、そっちでプロになって…そういうの見てたらうらやましくてさ。俺がどんなに何かの才能があったとしても、その道に進むことは絶対にできない。
チャレンジすることも出来ねーって、結構しんどかったよ。」
彼がそんなふうに思って学生時代を過ごしてきたなんて、想像もしなかった。
明るくて、強くて、クラスの人にも頼られてて…
わたしにとっての水戸くんは、ほしいものをすべてもっているような気がしていたから。
わたしが水戸くんに対して感じていた違和感。なぜ、喧嘩をするのか、なぜ不良と呼ばれるようなことをするのか…。
それが少しだけわかったような気がした。
きっとそれは、自分の決められたレールに対するせめてもの反抗だったのではないだろうか?
そう思うことで腑に墜ちた気がして、今まで何を考えているのかわからなかった水戸くんが、とても近づいたような気さえした。
「それに同族経営ってさ…いろいろあんだよな。
これが、俺が結婚したくない理由かもな。子どもを自分の家族のゴタゴタに巻き込むのってイヤじゃん?
俺が今までそう思って生きてきたから、子どもには同じ道歩ませたくない。俺の奥さんになる人にもそう。だから、結婚したくないってわけ。」
ここまで言うと、話の流れを打ち消すようにパンと大きく手を叩いた。
「ここまで本音打ち明けたの、美奈子が初めてだよ。」
「…そっか…。それで、わたしの絵をみて、寂しいって思ったんだね。高3の時。」
「ああ…かもな。ちょうど進路決定の時期だったし。今考えれば、そうだったんだろうな。」
誰にも内緒で煙草を吸っていたのは、もしかしたら誰かに気づいて欲しかったのだろうか。
彼の内に秘めた、孤独や寂しさを…。
だけどそれをストレートに聞いてしまうのは不躾な気がして、きゅっと口をつぐんだ。
「前にさ、タイタニックを観たって話、したじゃん?」
わたしがいきなり映画の話なんてし始めるので、水戸くんは少し驚いたようだった。
「あの映画観た後はさ、主演の男の子、なんで死んじゃったの!って思ったんだよね。
…だけどよくよく考えてみたら、あの二人は無事にアメリカに行き着いたとしても、幸せになれたのかな?」
幸せ、なんて曖昧なものを例にあげる自分を滑稽に感じたが、わたしは思ったことを話す。
水戸くんも、これがわたしの返答だと気づいてくれたのか、神妙な面持ちで聞いてくれる。
「んー、まあそれは、駆け落ちだしね。そう上手くはいかねーだろうな。」
「わたしも、そう思う。きっと最初はよくても、段々お互いにしんどくなる。どちらかが我慢する関係は、続かないんじゃないかなって思うんだよね。…水戸くんと付き合うって事は、そういうことかなって思う。」
すごく冷たいことを言っている。
だけど、水戸くんも話の筋に納得はしてくれたのか、何も言わずに黙っていた。
結婚しないと決めている彼と、漠然とだけれど、いずれは結婚するだろうと思っているわたし。
その二人が行き着く先は…。その結末が見えてしまっているから、もう、その一歩を踏み出すことはできない。
「…始まる前からフラれちまったか。」
「ごめん。でも、わたしも本気で好きだったよ。」
「もう過去形かよ!はは、キッツ。」
困ったように、けれどもその結末をよく分かっていたとでも言うように、彼は笑った。
その笑顔を見て、即座に後悔と罪悪感が襲ってくる。
好き“だった”なんてウソだ。
今でも現在進行形で好きだし、これからも好きになっていく可能性しかない。
…だけど、また会ってしまえば、きっと欲が出てしまうから。
「今日で会うのは、最後だな。」
そう微笑む水戸くんの横顔は、本当に綺麗にわたしの目に焼き付いた。
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※タイタニック…
1997年公開の映画。
アメリカ行きの豪華客船の中で、画家志望の青年と、婚約者のいる上流階級の女性が恋に落ちる物語。