ゆるやかに消えていくブルー【水戸】
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同窓会が催されたホテルを出て、街を歩く。
わたしよりすこしだけ背の高い水戸くんは、気がつくと車道側を歩いていた。
こうやっていつも周りを気にしているところ、変わらないなあと思う。
そういえば水戸くんが今何の仕事をしているのか気になって、歩きつつ尋ねてみた。
すると実家の建築会社を継ぐために、今はそこの社員として働いているとのことだった。
「水戸くんって御曹司だったんだ…。」
と言うと、
「マジでやめてよ、ただの田舎のちっせー会社だから。」
とはにかんだ。
それでも親の仕事を継ぐことが決まっているなんて、なんだかすごい。
いつまでもフラフラとフリーターをしているわたしとは、考えるまでもなく真逆の生き方だった。
話を聞く限り結婚している雰囲気ではなかったので、それにはすこしホッとする。
もしそれがわかってしまったら、わたしは本当に、今日同窓会に参加した自分を呪ってしまいそうだ。
「高橋さんの絵は、どこかで買えんの?」
ふとしたような質問に、わたしはうなずく。
「一応、大学時代の先輩のギャラリーでスペース借りて、そこで売ってもらってるんだ。」
「やっぱ高いの?」
「そんな事無いと思うよ、たぶん…。だけど1ヶ月に1枚売れればいいところで、生活費の足しにはならないかな。」
「大変なのな、画家って。」
自分の中で確かめるように、何度かうんうんと頷いた。
わざとらしく同情されるよりずっとマシで、ヘンに気を使わないでいられる水戸くんとの会話に心地のよさを感じる。
「よかったら高橋さんの絵さ、見せてくれない?」
思いもよらない提案に、わたしは慣れないヒールのかかとをタイルにひっかけてしまいそうになった。
水戸くんがわたしの絵を見たい…?それってなんて夢みたいなんだろうか。
「あ、えと…先輩のギャラリーって、実は県外にあるんだ。」
「そっか、じゃあすぐには見れねぇな。」
「うん。ごめんね。ウチにだったら描きかけのヤツが、いくつかあるんだけど…。」
「本当?それ、見に行ってもいい?」
へ?と呆けた声が出てしまう。
だけど目の前の水戸くんは全く下心もなさそうな、純真なままの瞳でわたしを見つめている。
「いい、けど。」
「やった。絵ってたまに見たくなんだよな、俺。」
聞けばたまに、美術館に足を伸ばすこともあるらしい。
そんな彼はやはり意外で、わたしのなかの水戸くんにはないイメージだ。
「さっき高橋さんの言ったとおりさ、絵って見る人の感情がすげー反映されるなって思うのよ。」
「わかる、明るいときに見るのと落ち込んだときに見るので、同じ絵でもまったく違って見えるんだよね。」
「そうそう。…まあそれって、描き手からすればどうなの?って話かもしれないんだけどさ。」
「そんなことないよ。わたしは逆に、そんな絵が描きたいのかもしれない。」
見る人のどんな心情にもより添える絵…。
そんな絵が、わたし自身も好きだった。
どんな絵を描いてんの?と問われ、油絵だよと答えた。
今時油絵なんて流行らないよ、と周囲には言われるが、わたしは油絵のもつ性質や雰囲気が好きなのだ。
水戸くんを案内したわたしの部屋は、おおよそ年相応の女の住む家とはかけ離れていただろう。
油絵の具の独特な匂いと、壁が汚れないように天井からつるされた白布が部屋中を覆っている。
二部屋あるうちのひとつは作業場で、その手前がなんとか居住スペースなっている。
作業場は片付いていなくとも、なんとかそれっぽい部屋に見えるので安心だ。
しかし問題は、居住スペースだ。
部屋に入り、少し時間をもらって素早く片付けたのだが、こんなことならもっとちゃんと掃除しておけばよかった。
「すげー。絵を描く人の部屋って感じだ。」
そう言いながら、壁に立てかけられた数枚のキャンバスをじっくりと見ている。
どんなに画廊でお客さんに見られても緊張しないのに、水戸くんに見られていると思うと、途端に胸が高鳴った。
高校時代のわたしを知っている人。
その人に、今のわたしの中にある全てを見透かされているようで、気恥ずかしくも怖くなる。
「やっぱり俺、高橋さんの絵好きだわ。」
しみじみ言って微笑む彼に、ほっと胸をなで下ろす。
好きか嫌いか、というのは絵のデッザンや技法にかかわらず、見る側に大きく左右される部分でもある。
単純に絵を売ろうとするならば、万人に受けるものを描くのが手っ取り早いだろう。
だけどわたしは、その逆を描いているのではないかと不安になることが多かった。
だから、上手い下手ではなく、無条件にわたしの絵を好きだと言ってくれる、その言葉がなにより嬉しかった。
「こういう白んでる青?淡い色っつーのかな。そんな色味の絵が好きなんだよ、俺。」
「わかる、わたしもそうなの。この微妙な色合いがいいよね。」
「高橋さんの絵は、やっぱりなんか哀愁があるよな。」
絵自体には暗い色を使っていないのに、水戸くんにはやっぱり悲しい絵に映るのかな。
それがどういうことなのか、わたしは無性に詮索したくなる。
だけどその理由を知ってしまうことが怖くて、好奇心にそっとふたをする。
「あ、そうだ。よかったら水戸くんを、描かせてくれない?」
会話が途切れたら、二人きりの時間が明るみになってしまいそうで、とっさに出た言葉はそれだった。
水戸くんもいきなりの提案に、驚いているみたいだ。
「え、俺?」
「うん、出来れば、横顔で。」
「横顔?ほんとに?なんかすげー恥ずかしいんだけど…。」
作業場の椅子に座ってもらい、わたしはスケッチブックを片手に、少し離れた場所に座る。
「でも、正面向いてるよりは照れくさくないかも。」
「あはは、水戸くんでも照れくさいとかあるんだ。」
「あるよ。俺の事、なんだと思ってんのさ。」
そして笑っていた顔が、急に真面目になる。
その横顔は、学生時代こっそり見つめていた彼そのもので。
輪郭線を一本一本たどる度に、当時の気持ちが思い出されるようで、少し切ない気持ちになる。
「なんかタイタニックって映画に、こんなシーン無かったっけ。」
シーンとした空気の中、いきなり吹き出した水戸くんが、唐突に言う。
「水戸くん、タイタニック観たんだ。」
「いや観るでしょ、あれは。」
「わたしも観た!号泣しちゃった。」
「高橋さんいかにも泣きそうだよな。俺も、最後はヤバかったけど。」
「じゃあ今の水戸くんは、あの女の人ってわけね。」
「はは、逆だけどな。…けど絵のモデルって、こんな緊張すんのな。」
緊張しているようには全く見えなくて、わたしは小さく笑った。
鉛筆の先から視線を移して水戸くんをみると、さきほどまで横顔だった顔が、少しだけこちらを向いていて、目線が合う。
「なんか、俺だけ見られてるのって不公平じゃん?俺も高橋さんのこと、見たいし。」
そう言って、座っている椅子を軽く手前に押して、彼が近づいてくる。
その距離はもう、絵を描く対象としての距離ではなくて…。
わたしはただ、戸惑う。
「どんな風に描けたか、見せて。」
ひょいと横からスケッチブックをのぞき込まれる。
左を向いてしまえばすぐそこに、水戸くんの顔がある。
それがわかっているから、わたしは正面のスケッチブックから目が離せない。
「まだ描きかけだったのに…。」
「そんなことねーよ。うん、よく描けてる。男前。」
うんうんと冗談めいて笑う水戸くんに、笑い事じゃないよ、キミは正真正銘の男前だよ、と心の中で突っ込みを入れる。
だから今こんなにも戸惑っているのに、それを知ってか知らずか、あいかわらずゆらゆらと全てをかわすような笑顔のままだ。
「これ、あげるよ。」
台紙から切り離そうと、スケッチブックに手をかけたところを、水戸くんの手によってそっと制される。
「いや、完成したらちょうだい。」
「じゃあ…。」
さっきの場所に戻って、と言いかけたときだった。
つづきの言葉を塞いでしまうかのように、水戸くんの唇が軽くわたしのものと合わさった。
一瞬何が起こったのか分からず、思わず呼吸を止める。
その唇がそっと離れると、椅子から乗り出してはにかんだ水戸くんが言う。
「また会ってくれる?」
少し低めの声が、何の音もない部屋にぽつり響いた。
わたしはその唇が動くのをじっとみつめたまま、数秒考え込んだ後に、こくりと一度、頷いた。