純真に戸惑い、迷え【桜木】
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話は数時間前にさかのぼる。
駅前の飲み屋に集まったのは、同じ大学のメンバーだ。
というのも、正確には男子バスケットボール部の集まりに、マネージャーである友人の麻衣に誘われて参加しているのだ。
なんでも男ばかりになるから、マネージャー権限で女の子を呼んでほしいと頼みこまれたのだとか。
実際行ってみると、わたし以外にも女の子がちらほらいて、なんというか合コン状態になっていた。
「麻衣…これって合コンじゃないよね?」
「まさか!みんな悪い人じゃないし大丈夫よ。わたしも近くにいるし」
そう言っていたのに、麻衣はマネージャーの仕事柄もあってか、先輩の空いたグラスを管理したり、空いたお皿のところに追加注文をしたりとあちこち奔走していた。
わたしも変に気を張るのをやめ、雰囲気に流される。
トイレに立って席に戻ると、そこには別の先輩が座り込んでしまっていた。
グラスを持って空いた席に移動すると、目の前にいたのは、バスケ部のムードメーカーと思われる男の子。
赤い髪の短髪で、1年生なのに先輩と友達のように打ち解けていたので、遠くの席からも気になっていた子だ。
その元気な彼が、3年生の先輩の横で、涙をうかべて落ち込んでいたので、心配になる。少し飲み過ぎたらしい。
「あ、美奈子ちゃん…だっけ?マネージャーの友達の。」
「そうです。あの、彼大丈夫ですか?」
「ああ、コイツ桜木っていうんだけど、美奈子ちゃん相談乗ってやってよ。」
「相談?」
まだ一度も話したことのない彼と目が合う。
切れ長の目が少し怖い、と思ったのもつかの間、彼は泣きつくように言う。
「俺、どうやったら彼女と手を繋げんのかわかんないんスよ…」
「え。手?ちょっとキミ、見た目とのギャップありすぎない?」
思わす吹き出しそうになるが、彼は酔っているせいもあってかえらく真剣に、そのくだらなすぎる質問の答えを待つ。
「桜木って意外に可愛いだろ?」
と隣の先輩が言う。
「ですね、めちゃくちゃ乙女じゃないですか。」
とわたし。
「美奈子さん…だっけ?美奈子さんまで馬鹿にしないでくださいよ…俺スゲー真剣なんだって。」
「ていうか彼女いるんだ?」
「へへ…。実は最近付き合うことになったんです!高1からの片思い。」
「ちょ、ちょっと、ピュアすぎるって桜木くん…!!」
ますます笑ってしまいそうになる。
バスケ部でも割と体格がいい方だと思われる桜木くんが、話してみるとこんなに純情ボーイだったとは。
色々聞いてみると、どうやらその彼女に一目惚れしたことがきっかけで、バスケを始めたらしい。
そんな彼女にずっと片思いしていたが、バスケの特待枠でこの大学に進学してから、ついに想いが実ったのだとか。
わたしも人並みに恋愛経験はあるけど、ここまでピュアな恋愛はしたことがない。
「手なんかフツーに繋げばいいじゃん。」
「イヤ無理っすよ…。俺にとってハルコさんは神聖な存在すぎて…。もっとこう、ムードとかシチュエーションとか…そういうのが揃った時じゃないと!」
「へえ…でもそんなこと言ってたら一生できないよ。いいの?大好きな彼女と色々できなくて。」
「いろいろ…。」
「そう、いろいろ…。」
色々の部分を強調されたので、言った自分が一番恥ずかしくなった。
「あんま奥手だと、そのハルコちゃんに逃げられるぞ。」
冗談めいた口調で、先輩が言う。
「うう、イヤなこと言うんじゃねーよ。」
先輩に対してため口なのは、わたしとしては違和感があるが、先輩は気にしていないようだった。
それが許されるのは、なぜか憎めないオーラを持つ、この桜木くんくらいのものだろう。
彼はちびちびと日本酒を口にしていたが、やがて机にうなだれたまま眠ってしまった。
「どうします?先輩。」
何度起こしても起きない桜木くんとおぶったまま、店を出た先輩に問いかける。
「コイツ抱えたまま移動するのはキツいわ。ビジホかどっかに寝かせるか…。」
わたしはこの2人の荷物を持って、後を歩く。
繁華街をふらふらと歩く途中で、新しくも古くもないラブホテルをみつけた。
先輩がしんどそうにしていたのもあって、とにかくそこに入ることにした。
週末と言うこともあって、空いているのは高い部屋ばかりだったが、再び街に出て探すのも骨が折れる。
そうして妥協して入った部屋の、妙にグレードの高いベッドに桜木くんを寝かせると、先輩は大きなため息をつきながら肩をぐるぐると回した。
「ああ、疲れたー!ホントに重かった!」
「ありがとうございました、ずっとおぶってくださってて…。」
「いや、それは美奈子ちゃんのほうでしょ!バスケ部の部員が迷惑かけちゃってごめんね。」
そう言いながら、彼はスマートフォンで時間を確認する。
頻繁に時間を気にしていることは、ホテルを探す道中でも気づいていた。
「先輩もしかして、なにか予定があるんじゃないですか?」
「あ、いやゴメン。実は今日、このあと彼女の家に寄る約束になってたんだけど…。桜木がこれじゃ、キャンセルだな。」
あははと困ったように笑う先輩に、わたしは試しにひとつ提案してみる。
「もしよかったらですけど、わたし朝までここに居ましょうか?」
「え?」
驚くのと同時に、その瞳には期待が混ざって見えたような気がした。
「桜木くん、たぶんこのまま起きなさそうですし…。わたしは特に予定もないですしね。」
「いや、でも…さすがに女の子を一人で残すわけにはいかないでしょ…。」
「大丈夫ですよ、桜木くんがわたしに何かできるとは思えませんし。」
冗談っぽく言ってみたものの、本当にその通りだとわたしは思う。
彼女と手も繋げない人に警戒するなんておかしな話だ。
相当説得力があったようで、先輩も
「たしかにそうだよな。」
と同意する。
「わたし実は家遠いんで、ここで寝て帰れるなら嬉しいです。」
「本当に?いいの?じゃあ…。」
お言葉に甘えて、と荷物を持ちあっさり出口に立つ。
別れ際にホテル代を渡されたので、悪いと思ったがそこは甘んじて受け取った。
さて、と部屋を見回す。
こんなにグレードのいい部屋に入ったのは初めてだ。
ホテルというよりマンションの一室にも思える、ブラウンを基調とした内装。
ベッドのそばにあるソファーは革張りで、ベッドに負けず劣らずふかふかだった。
目的とした行為に似つかわしくないインテリアの中で、ラブグッズの入った自動販売機だけが異彩を放っている。
この分だとバスルームも相当期待できそうだ。
ラブホテルに入った時、真っ先にどんなバスルームなのか確認してしまうのはわたしだけだろうか?
期待をこめて、そちらに足を向けかけたとき、背後でもぞもぞと衣服のこすれる音がする。
「ん…え、あれ?」
寝ぼけた声の主は、考えるまでもなく桜木くんだった。
上半身を起こし、半目でキョロキョロとあたりを見回す。
「桜木くん、目ぇ覚めたの?水、飲む?」
冷蔵庫から冷えたペットボトルを出し、渡す。
「えと、ここって美奈子さんち?俺、どうして…。」
「あのね、桜木くんお店で寝ちゃったんだよ。井野先輩がここまで運んでくれたんだから、今度会ったらお礼言いなよ。」
「いのっちが…?」
まだ完全に酔いが覚めていないのか、焦点の合わない視線だ。
ぼーっとしている彼に、わたしは言う。
「先輩は用事あるから帰った。ていうか、もうちょっと早く目覚めてくれたら、わたしも終電乗れたんだけど…」
「え、ここって…。」
「だーかーら。ラブホテル。」
それもVIPルームの。という言葉を飲み込む。
桜木くんも大体理解できたようで、次の瞬間すごい勢いで立ち上がる。
「お、俺、帰る!」
しかし言葉とは裏腹に、足下はおぼつかない。よろけて、スプリングの効いたベッドに再び手をつく。
「帰ってもいいけど…一人で歩けないなら泊まっていったら?」
「うう…。美奈子さん、俺になんかしました?」
「はあ?するわけないじゃん!」
「だって目が覚めたらホ、ホテル…とか。」
「桜木くん重いし、先輩歩くのしんどそうだったから、妥協してここになったの!しかも超高い部屋だよ?楽しまないと損だよ?」
言わないでおこうと思っていたのに、やっぱり言ってしまった。
わたしは正直、この部屋に泊まることに対してテンションが上がっている。それは認めよう。
「で、でも、ハルコさん以外の女性とこんなトコに泊まるのは…バレたら絶対誤解されるし。」
「誤解も何もないでしょ。実際なんも起こらないんだから。とにかくわたしはもうお風呂に入って寝るね。」
「風呂…。」
「見てみる?絶対スゴいよ、ここのお風呂。」
ニッと口角を上げて笑って見せると、彼も好奇心に負けて後をついてくる。
「え、ウソ、なんスかこれ!!これがラブホの風呂?」
「広!デカ!え、みて、この照明…青だよ!?それにこっちにもバスタブが!」
広すぎるバスルームには二つの浴槽があり、ひとつはガラス張りで眼下に夜景が一望できるようになっていた。
きちんと外からは見えない加工になっているのかが気になるところだ。
「スゴ…。」
感嘆したように息をのむ。
わたしだってそうだ。ラブホのバスルームは広いといえど、こういうタイプの内装は初めて見た。
二人して遊園地でもまわるかのように、あれこれ言いながら引き出しを開けていく。
洗面台に並べられたアメニティを眺めていると、突然冷静になった桜木くんが口を開く。
「…って、盛り上がっちゃダメっすよね。やっぱ俺、帰る。」
「電車ないけど、タクシー拾うの?」
「…ぐぬぬ、歩く!」
「ええ、さっきまであんなに酔ってたのに?」
「大丈夫っす。」
「なんかわたしが引き留めてるのもおかしいんだけどさ、今日はもういいじゃん。泊まっていこうよ。先輩からホテル代ももらったし。」
ここまで言ってもまだハルコさんへの罪悪感を拭いきれないのか、頭を抱える彼は、本当に誠実なのだろうと思った。
だけどわたしもここで彼を一人で帰してしまえば、大きな罪悪感を抱くだろう。井野先輩から桜木くんを預かっているのもあるし、一人でこのホテルを楽しむのもなんだか寂しい。
「わたし、桜木くんのこと全然タイプじゃないし、襲ったりしないよ?寝るだけだよ?」
「その言い方はなんか…ちょっと傷つくっス。」
男女逆転したような会話を何度か交わすと、桜木くんはようやく首を縦に振った。
それから、わたしは密かに楽しみにしていた展望バスタブにお湯を張った。
そんなに高くないビルだと思っていたのに、眼下には夜の街が映し出される。
ネオンと、遠くを行き交うサーチライトがキラキラと泳いでいるのをぼんやり眺めながら湯煎に浸かり、バスルームを後にする。
交代で桜木くんがシャワーを浴びている間、わたしは部屋に付いているカウンターバーのようなところに腰掛けて、ウエルカムドリンクを飲んでいた。
炭酸の泡がパチパチと弾けて花火のようだと、午前1時のまどろみの中に感じる。
すると、遠くの方からバスルームの扉を開ける音がする。部屋が広すぎるせいで、この空間に2人しかいないというのが不思議なくらいだ。
視線を向けると、バスローブを着崩した桜木くんが、暑い、と顔をゆがめながら乱暴に髪を拭いていた。
短髪の赤髪には、まだしずくが溜っている。
その姿に男性らしさをみた気がして、どくりと心臓が跳ねる。
しかしつい先ほどタイプではないと言ったばかりなので、気づかれないようにゆっくり視線を外した。
「美奈子さん、なに飲んでるんですか?一人だけずりー。」
「あ、えと、シャンパン…いる?」
「…いや、やめときます。飲み過ぎはよくないっすよ。」
ひどく酔い潰れていたのを思い出したのか、差し出したグラスには目もくれずに、そのまま革張りのソファーに倒れ込んだ。
髪も濡れた、そのままで。
「おやすみっス。朝、起こすのだけ頼みました。」
「わたしも寝るよ。おやすみ。」
本当はわたしがソファーで寝ようと思っていたのだけれど、ここでまたどっちがベッドで寝るか?なんて論争をするのは、わたしたちの関係には不相応な気がして、やめた。
おとなしく広すぎるベッドに身を沈める。
間接照明も残さずに暗くした部屋は、防音設備の良さも手伝って、外の喧噪はまるで聞こえてこなかった。
しんと静まりかえっているのに、すぐ近くにいる彼の寝息は聞こえてこない。
「桜木くんさ…」
「…んー」
ぽつり話しかけてみると、しゃべる声よりもワンオクターブ低い返事が聞こえてくる。
「彼女と手を繋ぐにはどうしたらいいかっていってたじゃん。」
「んー…。それはまだ、勇気が出ねぇんっすよ。」
「んじゃあさ、練習してみるっていうのはどう?」
「え?練習ってなに、木の枝とかと?」
斜め上の回答に笑いそうになる。彼はもしかすると、傍若無人というよりも天然に近いのかもしれない。
「はは、違うよ!人間とだよ。」
「人間って、ダレ?」
「そうだな…じゃあわたしと練習してみるのはどう?今ここで。」
こんな提案をしてしまったのは、妙に酔いが覚めて眠れないのもあったし、さっき一瞬だけ桜木くんにときめいたのもあるのかもしれない。
だけど手を繋ぐくらいなら、襲ったうちには入らないだろう。まだセーフだ。
「…イヤだ。」
「へえ、桜木くんって意外に臆病なんだあ。手を繋ぐくらい、握手みたいなもんなのに?女の子相手なら握手も出来ないんだ?かーわいい。」
「な!んなわけないじゃないッスか!できますよ、そんくらいのこと!天才桜木に不可能はなし!」
「何ソレ。」
わざとらしく焚きつけたのに、おもしろいくらい乗ってくれるこの後輩くんは、思ったより扱いやすいようだ。
「じゃあ、桜木くんから握って。」
広い部屋なのに、なぜかベッドと近い距離にあるソファの方へ、手を伸ばす。
暗いので表情はハッキリ見えなかったが、少し迷ったように喉をならしたあと、おずおずと指先が触れた。
熱いだろうと思ったら、思いのほか冷たかったその指が、わたしの四本指をぎゅっと握った。
ハイ握手、といった感じだ。
「ホラ、このくらいのことは普通ですよ、普通。握手ですから。」
「うん、よくできました。でも、こうしたほうがもっといいよ?」
そう言いながら、彼の手の平からスラリと伸びる指の間に、自らの指を絡ませる。
4本の指が組み合う形になると、思いのほか緊張している自分に気づく。指先から、早まった脈拍が伝わってしまいそうだ。
「…美奈子さんの手、なんかすげえ熱いんですけど…。」
「桜木くんが冷たいんだよ。」
少し慣れたのか、桜木くんの指に力が入り、ぎゅっとわたしの手を包み込む。
手を繋いでいるだけなのに、それ以上のことはなにも起こっていないのに、このシンとしすぎた暗闇が、彼の感触を一層リアルに浮き上がらせていた。
「…なんか、いいっすね。人と手を繋ぐって、安心するって言うか…。」
「ん…だね。」
「このまま寝たら、すげーよく眠れそうって言うか…。」
「ん…じゃ、こっち来て隣で寝る?」
「あ、イヤ俺そういうつもりじゃ…なかったんスけど…。」
反射的に離れようとする彼の手をぎゅっと握って引き留める。
「ベッド広いから、大丈夫。端と端で寝ればいいじゃん。」
「ん…じゃあ…。」
声色から察するに、彼はきっと眉にしわを寄せて、困惑の表情を浮かべているだろう。
横に来た桜木くんとは、肩だけの距離でいうとたぶん70センチくらい離れていたと思う。
手はそっと握ったまま、お互いに天井を仰いでいる。
冷たかった彼の手がだんだんと熱を帯びてきたところで、わたしは今日の飲み会の疲れもあってか、うとうとと眠りの縁に落ちていく。
彼の言ったとおり、誰かと手を繋ぐのは安心する。それは恋人に限らず、家族や友人でも同じなのかもしれない。
睡眠欲が脳内のほとんどを占めると、先ほどまで彼に向けていた、ほんの小さな欲望のかけらはハラハラと消えていった。
…が、しかしそれは、わたしの勝手な感情にすぎなかったようだ。
急に、繋いだ手にぎゅっと力が入ったと思うと、桜木くんの体重がスプリングを軽くを揺らし、気づいた時にはわたしの上に、大きな影としておおい被さっていた。
半分眠りかけていたので、急な事態の変化についてゆけない。
「えっと…あの?」
「美奈子さん!…どうしたらいいっすかね…?こんなんじゃ俺、眠れないですって。」
「さ、桜木くん?」
薄いカーテンから透けた光で、目をこらさなくても分かる。
今、目の前の彼は、わたしに向けて欲情している。
荒い息がゆっくり近づいたかと思うと、その唇はぎこちなくわたしの頬へと落ちた。
唇でないところが、なんだか彼らしい。
ちゅ、と音を立てて、すると今度は冷たい鼻先が耳のうしろあたりを撫でる。
「ちょ、ちょっと待って!あのー、桜木くん?あなたさっきまで、手も繋げないって嘆いてた人だよね?同一人物だよね?」
「…もしかしたら俺、実践に強い男なのかも…。」
「ちょ、待っ…っ」
「美奈子さんのせいッスからね、こうなったのは…。」
実践に強い、なんていう桜木くんの瞳は少し潤んでいて、けれど真剣にわたしだけを映していた。
…ああ、でも、まあいいか。
わたしとしては、彼のように守るべき純潔もない。むしろいつ彼とそうなってもいいと、頭の中では思っていたのだから。
先ほどまで形として捉えていた彼の指先から感じる愛撫に身を任せつつも、ふわふわとした快楽の波に溶けていく。
だけどこれだけは後でハッキリ主張しておきたい。
宣言通り、わたしは襲ってない。むしろ襲われたのだ、と。
駅前の飲み屋に集まったのは、同じ大学のメンバーだ。
というのも、正確には男子バスケットボール部の集まりに、マネージャーである友人の麻衣に誘われて参加しているのだ。
なんでも男ばかりになるから、マネージャー権限で女の子を呼んでほしいと頼みこまれたのだとか。
実際行ってみると、わたし以外にも女の子がちらほらいて、なんというか合コン状態になっていた。
「麻衣…これって合コンじゃないよね?」
「まさか!みんな悪い人じゃないし大丈夫よ。わたしも近くにいるし」
そう言っていたのに、麻衣はマネージャーの仕事柄もあってか、先輩の空いたグラスを管理したり、空いたお皿のところに追加注文をしたりとあちこち奔走していた。
わたしも変に気を張るのをやめ、雰囲気に流される。
トイレに立って席に戻ると、そこには別の先輩が座り込んでしまっていた。
グラスを持って空いた席に移動すると、目の前にいたのは、バスケ部のムードメーカーと思われる男の子。
赤い髪の短髪で、1年生なのに先輩と友達のように打ち解けていたので、遠くの席からも気になっていた子だ。
その元気な彼が、3年生の先輩の横で、涙をうかべて落ち込んでいたので、心配になる。少し飲み過ぎたらしい。
「あ、美奈子ちゃん…だっけ?マネージャーの友達の。」
「そうです。あの、彼大丈夫ですか?」
「ああ、コイツ桜木っていうんだけど、美奈子ちゃん相談乗ってやってよ。」
「相談?」
まだ一度も話したことのない彼と目が合う。
切れ長の目が少し怖い、と思ったのもつかの間、彼は泣きつくように言う。
「俺、どうやったら彼女と手を繋げんのかわかんないんスよ…」
「え。手?ちょっとキミ、見た目とのギャップありすぎない?」
思わす吹き出しそうになるが、彼は酔っているせいもあってかえらく真剣に、そのくだらなすぎる質問の答えを待つ。
「桜木って意外に可愛いだろ?」
と隣の先輩が言う。
「ですね、めちゃくちゃ乙女じゃないですか。」
とわたし。
「美奈子さん…だっけ?美奈子さんまで馬鹿にしないでくださいよ…俺スゲー真剣なんだって。」
「ていうか彼女いるんだ?」
「へへ…。実は最近付き合うことになったんです!高1からの片思い。」
「ちょ、ちょっと、ピュアすぎるって桜木くん…!!」
ますます笑ってしまいそうになる。
バスケ部でも割と体格がいい方だと思われる桜木くんが、話してみるとこんなに純情ボーイだったとは。
色々聞いてみると、どうやらその彼女に一目惚れしたことがきっかけで、バスケを始めたらしい。
そんな彼女にずっと片思いしていたが、バスケの特待枠でこの大学に進学してから、ついに想いが実ったのだとか。
わたしも人並みに恋愛経験はあるけど、ここまでピュアな恋愛はしたことがない。
「手なんかフツーに繋げばいいじゃん。」
「イヤ無理っすよ…。俺にとってハルコさんは神聖な存在すぎて…。もっとこう、ムードとかシチュエーションとか…そういうのが揃った時じゃないと!」
「へえ…でもそんなこと言ってたら一生できないよ。いいの?大好きな彼女と色々できなくて。」
「いろいろ…。」
「そう、いろいろ…。」
色々の部分を強調されたので、言った自分が一番恥ずかしくなった。
「あんま奥手だと、そのハルコちゃんに逃げられるぞ。」
冗談めいた口調で、先輩が言う。
「うう、イヤなこと言うんじゃねーよ。」
先輩に対してため口なのは、わたしとしては違和感があるが、先輩は気にしていないようだった。
それが許されるのは、なぜか憎めないオーラを持つ、この桜木くんくらいのものだろう。
彼はちびちびと日本酒を口にしていたが、やがて机にうなだれたまま眠ってしまった。
「どうします?先輩。」
何度起こしても起きない桜木くんとおぶったまま、店を出た先輩に問いかける。
「コイツ抱えたまま移動するのはキツいわ。ビジホかどっかに寝かせるか…。」
わたしはこの2人の荷物を持って、後を歩く。
繁華街をふらふらと歩く途中で、新しくも古くもないラブホテルをみつけた。
先輩がしんどそうにしていたのもあって、とにかくそこに入ることにした。
週末と言うこともあって、空いているのは高い部屋ばかりだったが、再び街に出て探すのも骨が折れる。
そうして妥協して入った部屋の、妙にグレードの高いベッドに桜木くんを寝かせると、先輩は大きなため息をつきながら肩をぐるぐると回した。
「ああ、疲れたー!ホントに重かった!」
「ありがとうございました、ずっとおぶってくださってて…。」
「いや、それは美奈子ちゃんのほうでしょ!バスケ部の部員が迷惑かけちゃってごめんね。」
そう言いながら、彼はスマートフォンで時間を確認する。
頻繁に時間を気にしていることは、ホテルを探す道中でも気づいていた。
「先輩もしかして、なにか予定があるんじゃないですか?」
「あ、いやゴメン。実は今日、このあと彼女の家に寄る約束になってたんだけど…。桜木がこれじゃ、キャンセルだな。」
あははと困ったように笑う先輩に、わたしは試しにひとつ提案してみる。
「もしよかったらですけど、わたし朝までここに居ましょうか?」
「え?」
驚くのと同時に、その瞳には期待が混ざって見えたような気がした。
「桜木くん、たぶんこのまま起きなさそうですし…。わたしは特に予定もないですしね。」
「いや、でも…さすがに女の子を一人で残すわけにはいかないでしょ…。」
「大丈夫ですよ、桜木くんがわたしに何かできるとは思えませんし。」
冗談っぽく言ってみたものの、本当にその通りだとわたしは思う。
彼女と手も繋げない人に警戒するなんておかしな話だ。
相当説得力があったようで、先輩も
「たしかにそうだよな。」
と同意する。
「わたし実は家遠いんで、ここで寝て帰れるなら嬉しいです。」
「本当に?いいの?じゃあ…。」
お言葉に甘えて、と荷物を持ちあっさり出口に立つ。
別れ際にホテル代を渡されたので、悪いと思ったがそこは甘んじて受け取った。
さて、と部屋を見回す。
こんなにグレードのいい部屋に入ったのは初めてだ。
ホテルというよりマンションの一室にも思える、ブラウンを基調とした内装。
ベッドのそばにあるソファーは革張りで、ベッドに負けず劣らずふかふかだった。
目的とした行為に似つかわしくないインテリアの中で、ラブグッズの入った自動販売機だけが異彩を放っている。
この分だとバスルームも相当期待できそうだ。
ラブホテルに入った時、真っ先にどんなバスルームなのか確認してしまうのはわたしだけだろうか?
期待をこめて、そちらに足を向けかけたとき、背後でもぞもぞと衣服のこすれる音がする。
「ん…え、あれ?」
寝ぼけた声の主は、考えるまでもなく桜木くんだった。
上半身を起こし、半目でキョロキョロとあたりを見回す。
「桜木くん、目ぇ覚めたの?水、飲む?」
冷蔵庫から冷えたペットボトルを出し、渡す。
「えと、ここって美奈子さんち?俺、どうして…。」
「あのね、桜木くんお店で寝ちゃったんだよ。井野先輩がここまで運んでくれたんだから、今度会ったらお礼言いなよ。」
「いのっちが…?」
まだ完全に酔いが覚めていないのか、焦点の合わない視線だ。
ぼーっとしている彼に、わたしは言う。
「先輩は用事あるから帰った。ていうか、もうちょっと早く目覚めてくれたら、わたしも終電乗れたんだけど…」
「え、ここって…。」
「だーかーら。ラブホテル。」
それもVIPルームの。という言葉を飲み込む。
桜木くんも大体理解できたようで、次の瞬間すごい勢いで立ち上がる。
「お、俺、帰る!」
しかし言葉とは裏腹に、足下はおぼつかない。よろけて、スプリングの効いたベッドに再び手をつく。
「帰ってもいいけど…一人で歩けないなら泊まっていったら?」
「うう…。美奈子さん、俺になんかしました?」
「はあ?するわけないじゃん!」
「だって目が覚めたらホ、ホテル…とか。」
「桜木くん重いし、先輩歩くのしんどそうだったから、妥協してここになったの!しかも超高い部屋だよ?楽しまないと損だよ?」
言わないでおこうと思っていたのに、やっぱり言ってしまった。
わたしは正直、この部屋に泊まることに対してテンションが上がっている。それは認めよう。
「で、でも、ハルコさん以外の女性とこんなトコに泊まるのは…バレたら絶対誤解されるし。」
「誤解も何もないでしょ。実際なんも起こらないんだから。とにかくわたしはもうお風呂に入って寝るね。」
「風呂…。」
「見てみる?絶対スゴいよ、ここのお風呂。」
ニッと口角を上げて笑って見せると、彼も好奇心に負けて後をついてくる。
「え、ウソ、なんスかこれ!!これがラブホの風呂?」
「広!デカ!え、みて、この照明…青だよ!?それにこっちにもバスタブが!」
広すぎるバスルームには二つの浴槽があり、ひとつはガラス張りで眼下に夜景が一望できるようになっていた。
きちんと外からは見えない加工になっているのかが気になるところだ。
「スゴ…。」
感嘆したように息をのむ。
わたしだってそうだ。ラブホのバスルームは広いといえど、こういうタイプの内装は初めて見た。
二人して遊園地でもまわるかのように、あれこれ言いながら引き出しを開けていく。
洗面台に並べられたアメニティを眺めていると、突然冷静になった桜木くんが口を開く。
「…って、盛り上がっちゃダメっすよね。やっぱ俺、帰る。」
「電車ないけど、タクシー拾うの?」
「…ぐぬぬ、歩く!」
「ええ、さっきまであんなに酔ってたのに?」
「大丈夫っす。」
「なんかわたしが引き留めてるのもおかしいんだけどさ、今日はもういいじゃん。泊まっていこうよ。先輩からホテル代ももらったし。」
ここまで言ってもまだハルコさんへの罪悪感を拭いきれないのか、頭を抱える彼は、本当に誠実なのだろうと思った。
だけどわたしもここで彼を一人で帰してしまえば、大きな罪悪感を抱くだろう。井野先輩から桜木くんを預かっているのもあるし、一人でこのホテルを楽しむのもなんだか寂しい。
「わたし、桜木くんのこと全然タイプじゃないし、襲ったりしないよ?寝るだけだよ?」
「その言い方はなんか…ちょっと傷つくっス。」
男女逆転したような会話を何度か交わすと、桜木くんはようやく首を縦に振った。
それから、わたしは密かに楽しみにしていた展望バスタブにお湯を張った。
そんなに高くないビルだと思っていたのに、眼下には夜の街が映し出される。
ネオンと、遠くを行き交うサーチライトがキラキラと泳いでいるのをぼんやり眺めながら湯煎に浸かり、バスルームを後にする。
交代で桜木くんがシャワーを浴びている間、わたしは部屋に付いているカウンターバーのようなところに腰掛けて、ウエルカムドリンクを飲んでいた。
炭酸の泡がパチパチと弾けて花火のようだと、午前1時のまどろみの中に感じる。
すると、遠くの方からバスルームの扉を開ける音がする。部屋が広すぎるせいで、この空間に2人しかいないというのが不思議なくらいだ。
視線を向けると、バスローブを着崩した桜木くんが、暑い、と顔をゆがめながら乱暴に髪を拭いていた。
短髪の赤髪には、まだしずくが溜っている。
その姿に男性らしさをみた気がして、どくりと心臓が跳ねる。
しかしつい先ほどタイプではないと言ったばかりなので、気づかれないようにゆっくり視線を外した。
「美奈子さん、なに飲んでるんですか?一人だけずりー。」
「あ、えと、シャンパン…いる?」
「…いや、やめときます。飲み過ぎはよくないっすよ。」
ひどく酔い潰れていたのを思い出したのか、差し出したグラスには目もくれずに、そのまま革張りのソファーに倒れ込んだ。
髪も濡れた、そのままで。
「おやすみっス。朝、起こすのだけ頼みました。」
「わたしも寝るよ。おやすみ。」
本当はわたしがソファーで寝ようと思っていたのだけれど、ここでまたどっちがベッドで寝るか?なんて論争をするのは、わたしたちの関係には不相応な気がして、やめた。
おとなしく広すぎるベッドに身を沈める。
間接照明も残さずに暗くした部屋は、防音設備の良さも手伝って、外の喧噪はまるで聞こえてこなかった。
しんと静まりかえっているのに、すぐ近くにいる彼の寝息は聞こえてこない。
「桜木くんさ…」
「…んー」
ぽつり話しかけてみると、しゃべる声よりもワンオクターブ低い返事が聞こえてくる。
「彼女と手を繋ぐにはどうしたらいいかっていってたじゃん。」
「んー…。それはまだ、勇気が出ねぇんっすよ。」
「んじゃあさ、練習してみるっていうのはどう?」
「え?練習ってなに、木の枝とかと?」
斜め上の回答に笑いそうになる。彼はもしかすると、傍若無人というよりも天然に近いのかもしれない。
「はは、違うよ!人間とだよ。」
「人間って、ダレ?」
「そうだな…じゃあわたしと練習してみるのはどう?今ここで。」
こんな提案をしてしまったのは、妙に酔いが覚めて眠れないのもあったし、さっき一瞬だけ桜木くんにときめいたのもあるのかもしれない。
だけど手を繋ぐくらいなら、襲ったうちには入らないだろう。まだセーフだ。
「…イヤだ。」
「へえ、桜木くんって意外に臆病なんだあ。手を繋ぐくらい、握手みたいなもんなのに?女の子相手なら握手も出来ないんだ?かーわいい。」
「な!んなわけないじゃないッスか!できますよ、そんくらいのこと!天才桜木に不可能はなし!」
「何ソレ。」
わざとらしく焚きつけたのに、おもしろいくらい乗ってくれるこの後輩くんは、思ったより扱いやすいようだ。
「じゃあ、桜木くんから握って。」
広い部屋なのに、なぜかベッドと近い距離にあるソファの方へ、手を伸ばす。
暗いので表情はハッキリ見えなかったが、少し迷ったように喉をならしたあと、おずおずと指先が触れた。
熱いだろうと思ったら、思いのほか冷たかったその指が、わたしの四本指をぎゅっと握った。
ハイ握手、といった感じだ。
「ホラ、このくらいのことは普通ですよ、普通。握手ですから。」
「うん、よくできました。でも、こうしたほうがもっといいよ?」
そう言いながら、彼の手の平からスラリと伸びる指の間に、自らの指を絡ませる。
4本の指が組み合う形になると、思いのほか緊張している自分に気づく。指先から、早まった脈拍が伝わってしまいそうだ。
「…美奈子さんの手、なんかすげえ熱いんですけど…。」
「桜木くんが冷たいんだよ。」
少し慣れたのか、桜木くんの指に力が入り、ぎゅっとわたしの手を包み込む。
手を繋いでいるだけなのに、それ以上のことはなにも起こっていないのに、このシンとしすぎた暗闇が、彼の感触を一層リアルに浮き上がらせていた。
「…なんか、いいっすね。人と手を繋ぐって、安心するって言うか…。」
「ん…だね。」
「このまま寝たら、すげーよく眠れそうって言うか…。」
「ん…じゃ、こっち来て隣で寝る?」
「あ、イヤ俺そういうつもりじゃ…なかったんスけど…。」
反射的に離れようとする彼の手をぎゅっと握って引き留める。
「ベッド広いから、大丈夫。端と端で寝ればいいじゃん。」
「ん…じゃあ…。」
声色から察するに、彼はきっと眉にしわを寄せて、困惑の表情を浮かべているだろう。
横に来た桜木くんとは、肩だけの距離でいうとたぶん70センチくらい離れていたと思う。
手はそっと握ったまま、お互いに天井を仰いでいる。
冷たかった彼の手がだんだんと熱を帯びてきたところで、わたしは今日の飲み会の疲れもあってか、うとうとと眠りの縁に落ちていく。
彼の言ったとおり、誰かと手を繋ぐのは安心する。それは恋人に限らず、家族や友人でも同じなのかもしれない。
睡眠欲が脳内のほとんどを占めると、先ほどまで彼に向けていた、ほんの小さな欲望のかけらはハラハラと消えていった。
…が、しかしそれは、わたしの勝手な感情にすぎなかったようだ。
急に、繋いだ手にぎゅっと力が入ったと思うと、桜木くんの体重がスプリングを軽くを揺らし、気づいた時にはわたしの上に、大きな影としておおい被さっていた。
半分眠りかけていたので、急な事態の変化についてゆけない。
「えっと…あの?」
「美奈子さん!…どうしたらいいっすかね…?こんなんじゃ俺、眠れないですって。」
「さ、桜木くん?」
薄いカーテンから透けた光で、目をこらさなくても分かる。
今、目の前の彼は、わたしに向けて欲情している。
荒い息がゆっくり近づいたかと思うと、その唇はぎこちなくわたしの頬へと落ちた。
唇でないところが、なんだか彼らしい。
ちゅ、と音を立てて、すると今度は冷たい鼻先が耳のうしろあたりを撫でる。
「ちょ、ちょっと待って!あのー、桜木くん?あなたさっきまで、手も繋げないって嘆いてた人だよね?同一人物だよね?」
「…もしかしたら俺、実践に強い男なのかも…。」
「ちょ、待っ…っ」
「美奈子さんのせいッスからね、こうなったのは…。」
実践に強い、なんていう桜木くんの瞳は少し潤んでいて、けれど真剣にわたしだけを映していた。
…ああ、でも、まあいいか。
わたしとしては、彼のように守るべき純潔もない。むしろいつ彼とそうなってもいいと、頭の中では思っていたのだから。
先ほどまで形として捉えていた彼の指先から感じる愛撫に身を任せつつも、ふわふわとした快楽の波に溶けていく。
だけどこれだけは後でハッキリ主張しておきたい。
宣言通り、わたしは襲ってない。むしろ襲われたのだ、と。
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