夜明けのイノセント【水戸】
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「海でも見に行くか。」
最初は洋平の思いつきで始まった。
みんな何かっていうと海を見たがるものだ。
疲れたとき、癒やされたいとき、人生に躓いたとき、失恋したとき…。
そんな時、このありふれた提案は、急に特別な意味を持つ。
ましては、わたしも今現在、人生に躓いているうちの一人なのだから。
【夜明けのイノセント】
「またフラれた。」
「あれま、揃いも揃って俺のダチときたら…。」
洋平が呆れたように肩をすくめた。
わたしたちは高校を卒業し、もうすぐ1年が過ぎようとしている。
幼い頃から家族ぐるみで仲良くしている水戸洋平は、いうなればわたしの幼馴染だ。
同学年だけど、同じクラスになったことは一度もない。
家から近いという理由で、同じ高校にも通ったが、やはり3年間別のクラスだった。
わたしが洋平の隣で幼馴染をやっている間、わたしは恋がしたくて、いろんな人に告白してきた。
どうしても恋愛がしたかった。
しなければいけなかったのだ。
…理由は、この幼馴染への思いを忘れるため。
心の底では、洋平のことが好きなんだと思う。本当は。
だけどこの数年間の間、洋平はわたしの気なんて知らずに、女の子と普通に付き合うし、またそのぶん別れもした。
いつも飄々としていて、去る者追わずという感じ。
とにかく洋平は女の子に困ったことはない。かといってのめり込むこともない。
周囲からはフラットに映ることもあったが、それが余計にわたしなんか眼中にないと言われているようで辛くなった。
だとしたらわたしだって恋をして、彼氏を作って、洋平とはこのままいい幼馴染でいたい。
普通に恋バナしたり、悩み相談したりするような、友達の関係。
そんな気持ちで、好きかもと思う男子にはたくさん告白した。
けど、結果はいつも玉砕。
世の中、そううまくいかないものだ。
「美奈子といい花道といい…
なんでこう俺の周りにはこう、同じような人種が集まるかね。」
仕事終わりに近所のご飯やさんで会った彼は、くっくと喉奥を鳴らした。
洋平は仕事終わり、わたしは大学の帰りだ。
「桜木くんと一緒にしないで。」
桜木くんのことは知っている。
中学の時、“美奈子にそっくりなやつがいる”と紹介されたのが、あの背の高い強面の男子だった。
しかしわたしはあそこまで節操なくないし、フラれ記録もさすがにかなわない。
一緒にされるのは心外だと訴える。
「で、今度は誰にフラれたわけ。」
人の心を一瞬で素直にさせてしまうような、吸い込まれるような目と目が合う。
「同じ学科の先輩…。だけど彼女いるんだって。」
「あ、そう。じゃあ落ち込むことねーじゃん。」
「なんでー?だって話も合って、優しかったし、告白するまですごく良い雰囲気だったのに…。」
「彼女がいても平等に接してくれて、告られても浮気もせず本命をとる男…。
それってさ、美奈子は男見る目はあるってことだろ?
いいことじゃん。」
「な、なるほど…、そういう考え方もあるよね。」
だろ?と目で笑いかけ、今しがた店員さんが運んできた定食に箸を付ける。
こうやって落ち込んだ人を慰める能力は、洋平の得意技なのかもしれない。
それでいて押しつけがましくないのが不思議だ。
「あーあ。どこかにわたしと付き合ってくれるいい人いないかな。
あ、洋平の友達でいない?彼女募集中の人とかー…。」
「あーまあいるけど…。
ちゃんと紹介できそうなヤツはいねーかな。」
「ほんとにほんとに、いない?一人も?」
「お前に紹介すんだから、責任重大だろ?よーく考えとくよ。」
ケチ。誰でも良いから紹介しなさいよ、と心の中で拗ねてみる。
いつもそうだ。この話題になると、するりと核心をさけて通り過ぎていく。つかみ所がなくて、もどかしくなる。
「じゃ、景気づけに海でも見に行くか。」
「海?海ならそこらへんにあるじゃん。」
「そうじゃなくて…もっと遠くの海だよ。
要はドライブしねぇ?ってお誘い。
明日休みだろ?」
食事を終えた洋平は、指先でくるくると車のキーをまわした。
何度も二人でごはんを食べたことはあったが、二人で遠出をしたことはない。
ましてこんな時間から、洋平の車でドライブだなんて。
思ってもみない展開にとまどいつつも、気づくと首を縦に振っていた。
洋平の実家は車屋で、卒業後は彼もそこで働いている。
黒に近いネイビーのセダンは、古さを感じつつも綺麗に整備されているようにみえる。
オヤジから譲ってもらったんだ、と言っていたが、わたしも乗るのは初めてだ。
「どーぞ。」
と通された助手席は、初めて嗅ぐ芳香剤の匂いでなんとなく居心地が悪い。
中もきちんと掃除されていて、ゴミ一つ落ちていない。
(女の子とか乗せるのかな…)
知らない人物の陰がちらつき、胸の奥がちくりと痛む。
聞く勇気もなく、ラジオから流れる洋楽のシティーポップに耳を傾ける。
「寝ててもいいぜ。着いたら起こすから。」
カーオーディオの時計は、PM11:30を指していた。
「寝ないよ。洋平ヒマになっちゃうでしょ?」
「俺は運転してるからヒマじゃねーよ。
美奈子が起きててくれたら、そりゃー嬉しいけど。」
「…っ」
暗闇の中、通りすぎる街灯と対向車のサーチライトに照らされる洋平の横顔は、普段の3割増しでかっこよく見える。
車内というこの空間が、こんなにも彼の存在をハッキリと浮き立たせるだなんて、思いもしなかった。
「さ、桜木くん元気?」
空気を変えたくて、思いついてすぐの質問をする。
「花道ね。最近会ってねーけど、ちゃんと大学でバスケやってるみてーだよ。
あいかわらず、ハルコちゃんには相手にされてねーけど。」
「そか、スゴいね。一人の人をずっと思い続けるなんてさ。」
「中学んときはいろんな女の子に告白してたけど、ハルコちゃんのことは本気だったみたいだな。」
「いいな…。そんな相手に出会えて…。」
お互いの顔が見えづらいからか、つい本音が漏れる。
洋平の視線が一瞬こちらに向いた気がしたが、気づいたときにはもう前を向いていた。
「そんな相手に…まだ出会ってないんだ?」
洋平に言われて、即答できなかった。
わたしの心の中にいるのは…。
好きになる人に対して、いつも抱いている理想のイメージは…
幼い頃からずっと変わらず、ただ一人なのだ。
だけどそんなこと言えるはずもなく、とりあえず目を合わせないようにうつむいた。
目を合わせてしまうと、勘のいい洋平にはすぐに気づかれてしまいそうだ。
「うん…まだよくわかんない。
わたしが誰を好きになるっていうよりも、わたしを好きになってくれる誰かと出会いたい。」
「おいおい、それじゃ誰でもいいってことかよ。」
またも呆れたように笑われる。
「そうじゃないよ。ちゃんと理想もあるんだよ?
まず優しくてー、わたしが落ち込んでたら駆けつけてくれてー。
わたしのことよく理解してくれて、趣味も合って、どうでもいい話も聞いてくれ…て…。」
羅列しながら、恥ずかしくなる。
これじゃまるっきり、今日の洋平のことじゃないか。
この緊張が伝わってしまいそうな距離が、今は恨めしい。
頼むからラジオで、すぐにでも騒がしい音楽を流してほしいと願う。
「とにかく…桜木くんがうらやましいな!」
好きな人にずっと一途でいられて。
それを周りにもオープンに言えて、全力で好きって表現できて。
「じゃ、花道を紹介しようか?」
「いや、ソレは結構です。」
少しは迷うフリくらいしたほうがよかったかな?とも思ったが、うっかり即答していた。
それもわかっていたかのように笑い出した洋平につられて、わたしも笑った。
それからそりとめのない話をして…
いつそうなったのかも分からない間に、わたしは眠っていた。
トンネルのようなアーチを描いて通り過ぎていく街灯と、心地よく流れるカーラジオ。
思考がふわふわと現実と夢の狭間に落ちてゆき、わたしを深い眠りにいざなった。
まぶたの裏にずっとうかんでいたのは、まだ見ぬ海の景色だった。
かすかに聞こえるさざなみの音に目を覚ます。
うっすらとまぶたを開けると、外が薄明るくなっているのが見える。
きちんと整備された林の間から、遠くに小さく海が見える。
車は夜通し走り続け、今は目的地である海のそばの駐車場に駐まっているらしい。
「起きた?」
声のほうに顔を向けると、息づかいまで感じられるほど近くに洋平の顔があった。
お互いにシートを少し倒して、向かい合う形になっている。
きっと彼が、寝ている私の席も倒してくれたのだろう。
「ごめん、わたし寝ちゃってた。」
「いいよ、俺もちょっと仮眠できたし。」
いいながらもやはり眠そうにあくびをして、小さく伸びをしている。
自分だけぐっすり眠ってしまい、罪悪感に苛まれる。
「洋平まだ寝てていいよ。」
起き上がったときに、自分の肩まですっぽりと、洋平の着ていたジャケットが掛けられていたことに気づいた。
こういうことを普通に、好きでもないただの幼馴染にできてしまうのが、洋平なのだ。
そこに下心も他意もないことを、わたしはよく知っている。
だけど…。純粋に嬉しい。こうやって女の子扱いしてもらうのは。
深い意味は無いってわかってるのに、胸がきゅうと締め付けられてしまう。
わたしはジャケットを、洋平の肩にかけた。
すると彼は驚いたように、まばたきを一つする。
「いや、俺はいーよ。
美奈子寒いだろ。」
「わたしこそもう大丈夫だよ。
目も覚めたし、寒くないって。」
「そう?
んじゃ、もうちょっとこっち来て。」
え?と言われるがままに、シートの数センチ内側に寄ると、
「もっとこっち。」
といってわたしの身体を引き寄せる。
倒したシートの一番端まで、お互いに身体を寄せ合う。車のシートってこんなに近かったんだ、と頭の隅で考える。
そして大きなジャケットを、半分わたしの肩にかけてくれる。
「こっちのほうがあったかいから、こうしてて。」
「あの…ようへ…。」
言葉につまるほど、身体が硬直しているのが自分でもわかる。
普段どうやって呼吸していたかわからなくなって、脳に酸素が足りない。
頬のあたりがじんわり熱いのは、けして車内の温度が上がったからではない。わたしの体温そのものだ。
洋平は眠ったようにまぶたを閉じたまま、
「お前の心臓すげーうるさいのな。」
と言ってしばらく黙っていたが、こらえきれずに吹き出した。
「な、なに笑って…!
こういうのに免疫がないだけで、べつに洋平にドキドキしてるわけじゃなくて…。」
言ってみるけど、どうも言い訳くさい。
どう考えても、洋平にドキドキさせられている。
離れようとすると、またも洋平の手によって、近くに引き戻される。
「俺は結構、緊張してるけどな。」
「え…?」
「だって聞こえない?音…。」
わたしの手を優しくとり、彼自身の胸のあたりまで誘導される。
そう言われても、冷静に胸の音を確認できるほど、今のわたしには余裕がない。
「あ、うん、わかる。わかったから…。」
どうにか離れようとするも、急に真剣な洋平の瞳から目が反らせなくなる。
「美奈子…今度は俺にしない?」
「洋平…?」
強く発した言葉は、わたしのぼんやりとした思考にハッキリとした波紋を落とした。
今まで何度二人きりでいても、こうはならなかった展開に、ただ戸惑う。
洋平からは死ぬまで聴けないと思っていた言葉。
それを今、本当に言われたのだろうか?車内の冷たい空気が頬を撫でる。
「誰にも告白なんかしなくていーのにって、ずっと思ってた。」
「嘘、だって…、洋平だっていろんな女の子と付き合ってたじゃん。」
「それは、美奈子がそうやって距離置くからだろ?」
「わたしだって…洋平がそうやって離れていくと思ったから、必死で…。」
顔を見合わせてしばし無言になったが、堰を切ったように2人で笑いだした。
「それはつまり、俺の事は嫌じゃないって取ってもいい?」
「嫌じゃないって言うか…洋平が良かった、よ。ずっと。」
「俺も」
どちらからということもなく、気づいたら唇を重ねていた。
冷たい車内で、お互いの唇だけが熱を持ったように暖かく感じられる。
その余韻を感じていると、洋平の薄い唇は、何度かわたしの上唇を、音を立てて食んだ。
もちろんフラれっぱなしのわたしに、キスの経験なんてあるわけがない。
無意識に唇に力が入っていたようで、
洋平は「力入りすぎ…」と微笑んで、また小さくキスをした。
「っていうか美奈子さ、今日ウチの人になんて言って来たの?」
「え?えっと、洋平とドライブいくから朝帰るかもって…。
洋平と一緒だから安心って、お母さんも言ってるし、大丈夫だよ。」
「安心、ね。そっか。」
わたしの返答にため息をつき、
「俺って超信頼されてんのな。」
と、今度は意味ありげに唇の端をつり上げる。
「これから広ーいベッドのあるトコで休むっていう選択肢も、あるんですけど?」
「え、えっ…。」
さすがにこの歳で、意味が分からないわけではない。
しかし、苦し紛れに言う。
「それはそうと…とりあえず海、見に行きません?」
「海かあ、そうだな、忘れてた。行くか、見に。」
ここまで来たんだから海、見なきゃね?と念を押すと、一瞬うなだれたが、仮眠の間に乱れた髪を手でかき上げ、運転席のドアを開ける。
いつもの優しい洋平の顔だ。
「いくぞ、美奈子。」
その言葉に、わたしもシートを起こし、ドアを開けて波の音を聞いた。
<♡スキボタンでオマケあり>
最初は洋平の思いつきで始まった。
みんな何かっていうと海を見たがるものだ。
疲れたとき、癒やされたいとき、人生に躓いたとき、失恋したとき…。
そんな時、このありふれた提案は、急に特別な意味を持つ。
ましては、わたしも今現在、人生に躓いているうちの一人なのだから。
【夜明けのイノセント】
「またフラれた。」
「あれま、揃いも揃って俺のダチときたら…。」
洋平が呆れたように肩をすくめた。
わたしたちは高校を卒業し、もうすぐ1年が過ぎようとしている。
幼い頃から家族ぐるみで仲良くしている水戸洋平は、いうなればわたしの幼馴染だ。
同学年だけど、同じクラスになったことは一度もない。
家から近いという理由で、同じ高校にも通ったが、やはり3年間別のクラスだった。
わたしが洋平の隣で幼馴染をやっている間、わたしは恋がしたくて、いろんな人に告白してきた。
どうしても恋愛がしたかった。
しなければいけなかったのだ。
…理由は、この幼馴染への思いを忘れるため。
心の底では、洋平のことが好きなんだと思う。本当は。
だけどこの数年間の間、洋平はわたしの気なんて知らずに、女の子と普通に付き合うし、またそのぶん別れもした。
いつも飄々としていて、去る者追わずという感じ。
とにかく洋平は女の子に困ったことはない。かといってのめり込むこともない。
周囲からはフラットに映ることもあったが、それが余計にわたしなんか眼中にないと言われているようで辛くなった。
だとしたらわたしだって恋をして、彼氏を作って、洋平とはこのままいい幼馴染でいたい。
普通に恋バナしたり、悩み相談したりするような、友達の関係。
そんな気持ちで、好きかもと思う男子にはたくさん告白した。
けど、結果はいつも玉砕。
世の中、そううまくいかないものだ。
「美奈子といい花道といい…
なんでこう俺の周りにはこう、同じような人種が集まるかね。」
仕事終わりに近所のご飯やさんで会った彼は、くっくと喉奥を鳴らした。
洋平は仕事終わり、わたしは大学の帰りだ。
「桜木くんと一緒にしないで。」
桜木くんのことは知っている。
中学の時、“美奈子にそっくりなやつがいる”と紹介されたのが、あの背の高い強面の男子だった。
しかしわたしはあそこまで節操なくないし、フラれ記録もさすがにかなわない。
一緒にされるのは心外だと訴える。
「で、今度は誰にフラれたわけ。」
人の心を一瞬で素直にさせてしまうような、吸い込まれるような目と目が合う。
「同じ学科の先輩…。だけど彼女いるんだって。」
「あ、そう。じゃあ落ち込むことねーじゃん。」
「なんでー?だって話も合って、優しかったし、告白するまですごく良い雰囲気だったのに…。」
「彼女がいても平等に接してくれて、告られても浮気もせず本命をとる男…。
それってさ、美奈子は男見る目はあるってことだろ?
いいことじゃん。」
「な、なるほど…、そういう考え方もあるよね。」
だろ?と目で笑いかけ、今しがた店員さんが運んできた定食に箸を付ける。
こうやって落ち込んだ人を慰める能力は、洋平の得意技なのかもしれない。
それでいて押しつけがましくないのが不思議だ。
「あーあ。どこかにわたしと付き合ってくれるいい人いないかな。
あ、洋平の友達でいない?彼女募集中の人とかー…。」
「あーまあいるけど…。
ちゃんと紹介できそうなヤツはいねーかな。」
「ほんとにほんとに、いない?一人も?」
「お前に紹介すんだから、責任重大だろ?よーく考えとくよ。」
ケチ。誰でも良いから紹介しなさいよ、と心の中で拗ねてみる。
いつもそうだ。この話題になると、するりと核心をさけて通り過ぎていく。つかみ所がなくて、もどかしくなる。
「じゃ、景気づけに海でも見に行くか。」
「海?海ならそこらへんにあるじゃん。」
「そうじゃなくて…もっと遠くの海だよ。
要はドライブしねぇ?ってお誘い。
明日休みだろ?」
食事を終えた洋平は、指先でくるくると車のキーをまわした。
何度も二人でごはんを食べたことはあったが、二人で遠出をしたことはない。
ましてこんな時間から、洋平の車でドライブだなんて。
思ってもみない展開にとまどいつつも、気づくと首を縦に振っていた。
洋平の実家は車屋で、卒業後は彼もそこで働いている。
黒に近いネイビーのセダンは、古さを感じつつも綺麗に整備されているようにみえる。
オヤジから譲ってもらったんだ、と言っていたが、わたしも乗るのは初めてだ。
「どーぞ。」
と通された助手席は、初めて嗅ぐ芳香剤の匂いでなんとなく居心地が悪い。
中もきちんと掃除されていて、ゴミ一つ落ちていない。
(女の子とか乗せるのかな…)
知らない人物の陰がちらつき、胸の奥がちくりと痛む。
聞く勇気もなく、ラジオから流れる洋楽のシティーポップに耳を傾ける。
「寝ててもいいぜ。着いたら起こすから。」
カーオーディオの時計は、PM11:30を指していた。
「寝ないよ。洋平ヒマになっちゃうでしょ?」
「俺は運転してるからヒマじゃねーよ。
美奈子が起きててくれたら、そりゃー嬉しいけど。」
「…っ」
暗闇の中、通りすぎる街灯と対向車のサーチライトに照らされる洋平の横顔は、普段の3割増しでかっこよく見える。
車内というこの空間が、こんなにも彼の存在をハッキリと浮き立たせるだなんて、思いもしなかった。
「さ、桜木くん元気?」
空気を変えたくて、思いついてすぐの質問をする。
「花道ね。最近会ってねーけど、ちゃんと大学でバスケやってるみてーだよ。
あいかわらず、ハルコちゃんには相手にされてねーけど。」
「そか、スゴいね。一人の人をずっと思い続けるなんてさ。」
「中学んときはいろんな女の子に告白してたけど、ハルコちゃんのことは本気だったみたいだな。」
「いいな…。そんな相手に出会えて…。」
お互いの顔が見えづらいからか、つい本音が漏れる。
洋平の視線が一瞬こちらに向いた気がしたが、気づいたときにはもう前を向いていた。
「そんな相手に…まだ出会ってないんだ?」
洋平に言われて、即答できなかった。
わたしの心の中にいるのは…。
好きになる人に対して、いつも抱いている理想のイメージは…
幼い頃からずっと変わらず、ただ一人なのだ。
だけどそんなこと言えるはずもなく、とりあえず目を合わせないようにうつむいた。
目を合わせてしまうと、勘のいい洋平にはすぐに気づかれてしまいそうだ。
「うん…まだよくわかんない。
わたしが誰を好きになるっていうよりも、わたしを好きになってくれる誰かと出会いたい。」
「おいおい、それじゃ誰でもいいってことかよ。」
またも呆れたように笑われる。
「そうじゃないよ。ちゃんと理想もあるんだよ?
まず優しくてー、わたしが落ち込んでたら駆けつけてくれてー。
わたしのことよく理解してくれて、趣味も合って、どうでもいい話も聞いてくれ…て…。」
羅列しながら、恥ずかしくなる。
これじゃまるっきり、今日の洋平のことじゃないか。
この緊張が伝わってしまいそうな距離が、今は恨めしい。
頼むからラジオで、すぐにでも騒がしい音楽を流してほしいと願う。
「とにかく…桜木くんがうらやましいな!」
好きな人にずっと一途でいられて。
それを周りにもオープンに言えて、全力で好きって表現できて。
「じゃ、花道を紹介しようか?」
「いや、ソレは結構です。」
少しは迷うフリくらいしたほうがよかったかな?とも思ったが、うっかり即答していた。
それもわかっていたかのように笑い出した洋平につられて、わたしも笑った。
それからそりとめのない話をして…
いつそうなったのかも分からない間に、わたしは眠っていた。
トンネルのようなアーチを描いて通り過ぎていく街灯と、心地よく流れるカーラジオ。
思考がふわふわと現実と夢の狭間に落ちてゆき、わたしを深い眠りにいざなった。
まぶたの裏にずっとうかんでいたのは、まだ見ぬ海の景色だった。
かすかに聞こえるさざなみの音に目を覚ます。
うっすらとまぶたを開けると、外が薄明るくなっているのが見える。
きちんと整備された林の間から、遠くに小さく海が見える。
車は夜通し走り続け、今は目的地である海のそばの駐車場に駐まっているらしい。
「起きた?」
声のほうに顔を向けると、息づかいまで感じられるほど近くに洋平の顔があった。
お互いにシートを少し倒して、向かい合う形になっている。
きっと彼が、寝ている私の席も倒してくれたのだろう。
「ごめん、わたし寝ちゃってた。」
「いいよ、俺もちょっと仮眠できたし。」
いいながらもやはり眠そうにあくびをして、小さく伸びをしている。
自分だけぐっすり眠ってしまい、罪悪感に苛まれる。
「洋平まだ寝てていいよ。」
起き上がったときに、自分の肩まですっぽりと、洋平の着ていたジャケットが掛けられていたことに気づいた。
こういうことを普通に、好きでもないただの幼馴染にできてしまうのが、洋平なのだ。
そこに下心も他意もないことを、わたしはよく知っている。
だけど…。純粋に嬉しい。こうやって女の子扱いしてもらうのは。
深い意味は無いってわかってるのに、胸がきゅうと締め付けられてしまう。
わたしはジャケットを、洋平の肩にかけた。
すると彼は驚いたように、まばたきを一つする。
「いや、俺はいーよ。
美奈子寒いだろ。」
「わたしこそもう大丈夫だよ。
目も覚めたし、寒くないって。」
「そう?
んじゃ、もうちょっとこっち来て。」
え?と言われるがままに、シートの数センチ内側に寄ると、
「もっとこっち。」
といってわたしの身体を引き寄せる。
倒したシートの一番端まで、お互いに身体を寄せ合う。車のシートってこんなに近かったんだ、と頭の隅で考える。
そして大きなジャケットを、半分わたしの肩にかけてくれる。
「こっちのほうがあったかいから、こうしてて。」
「あの…ようへ…。」
言葉につまるほど、身体が硬直しているのが自分でもわかる。
普段どうやって呼吸していたかわからなくなって、脳に酸素が足りない。
頬のあたりがじんわり熱いのは、けして車内の温度が上がったからではない。わたしの体温そのものだ。
洋平は眠ったようにまぶたを閉じたまま、
「お前の心臓すげーうるさいのな。」
と言ってしばらく黙っていたが、こらえきれずに吹き出した。
「な、なに笑って…!
こういうのに免疫がないだけで、べつに洋平にドキドキしてるわけじゃなくて…。」
言ってみるけど、どうも言い訳くさい。
どう考えても、洋平にドキドキさせられている。
離れようとすると、またも洋平の手によって、近くに引き戻される。
「俺は結構、緊張してるけどな。」
「え…?」
「だって聞こえない?音…。」
わたしの手を優しくとり、彼自身の胸のあたりまで誘導される。
そう言われても、冷静に胸の音を確認できるほど、今のわたしには余裕がない。
「あ、うん、わかる。わかったから…。」
どうにか離れようとするも、急に真剣な洋平の瞳から目が反らせなくなる。
「美奈子…今度は俺にしない?」
「洋平…?」
強く発した言葉は、わたしのぼんやりとした思考にハッキリとした波紋を落とした。
今まで何度二人きりでいても、こうはならなかった展開に、ただ戸惑う。
洋平からは死ぬまで聴けないと思っていた言葉。
それを今、本当に言われたのだろうか?車内の冷たい空気が頬を撫でる。
「誰にも告白なんかしなくていーのにって、ずっと思ってた。」
「嘘、だって…、洋平だっていろんな女の子と付き合ってたじゃん。」
「それは、美奈子がそうやって距離置くからだろ?」
「わたしだって…洋平がそうやって離れていくと思ったから、必死で…。」
顔を見合わせてしばし無言になったが、堰を切ったように2人で笑いだした。
「それはつまり、俺の事は嫌じゃないって取ってもいい?」
「嫌じゃないって言うか…洋平が良かった、よ。ずっと。」
「俺も」
どちらからということもなく、気づいたら唇を重ねていた。
冷たい車内で、お互いの唇だけが熱を持ったように暖かく感じられる。
その余韻を感じていると、洋平の薄い唇は、何度かわたしの上唇を、音を立てて食んだ。
もちろんフラれっぱなしのわたしに、キスの経験なんてあるわけがない。
無意識に唇に力が入っていたようで、
洋平は「力入りすぎ…」と微笑んで、また小さくキスをした。
「っていうか美奈子さ、今日ウチの人になんて言って来たの?」
「え?えっと、洋平とドライブいくから朝帰るかもって…。
洋平と一緒だから安心って、お母さんも言ってるし、大丈夫だよ。」
「安心、ね。そっか。」
わたしの返答にため息をつき、
「俺って超信頼されてんのな。」
と、今度は意味ありげに唇の端をつり上げる。
「これから広ーいベッドのあるトコで休むっていう選択肢も、あるんですけど?」
「え、えっ…。」
さすがにこの歳で、意味が分からないわけではない。
しかし、苦し紛れに言う。
「それはそうと…とりあえず海、見に行きません?」
「海かあ、そうだな、忘れてた。行くか、見に。」
ここまで来たんだから海、見なきゃね?と念を押すと、一瞬うなだれたが、仮眠の間に乱れた髪を手でかき上げ、運転席のドアを開ける。
いつもの優しい洋平の顔だ。
「いくぞ、美奈子。」
その言葉に、わたしもシートを起こし、ドアを開けて波の音を聞いた。
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