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彼らから連絡が来るだけで嬉しかった。仮初めの名と身体以外は何も知らない男たちから。
例えそれが、ホテルの名前と部屋番号だけが書かれたものだとしても。「今から行く」という、拒否権のない一方的なものだとしても。
相手が誰であろうとすることは同じだ。肌を合わせて熱に溺れ、夜を共に過ごす。やさしく触れられることもあれば、乱暴に嬲られることもある。それでも嬉しかった。自分がここに存在していることが実感できるから。その瞬間だけは誰かに必要されていると思えるから。
それでいいと、自分に言い聞かせてきた。
――だから私は、傷ついてなどいない。
クラブのバーカウンターで、グラスを一気に煽って空にする。もう何杯めだろうか。うるさいほど鳴り響く音楽が今は心地いい。周りを見渡せば、何十人もの男女が体を揺らし、好き好きに踊っている。
「オネーサン、ひとり?」
「ええ」
「ほんと? 良かったら俺と……そうだな、雰囲気いいバー知ってるんだけど、そこで飲み直さない?」
しばらくそうやってお酒を呑んでいれば、話しかけてきたのは知らない男。
どうやら今夜のお相手はこの人に決まりそうだ。ストリート系の格好をした陽気な彼に、慣れた手付きで腰を引き寄せられる。私も口角を上げてそれに応じた。
これから始まるだろう疑似恋愛と駆け引きの数々、そして肌の熱を予感し、少なからず気分が高揚する。
言葉でYESを伝えようとしたところで――別の腕が私の手首を掴んだ。
「悪いが、俺が先約だ」
人混みの中から現れたのは知らない男。歳はたいして違わないだろうに、その姿は軟派な彼とはまるで真逆で。
精悍な顔立ちに特徴的な赤髪。パンクファッションに包まれた、隠しきれない筋肉質な身体。
そして何より――昏い光の灯った、瞳。あかく輝くそれは、欲望渦巻くナイトクラブとは場違いに美しかった。思わず見惚れてしまうほどに。
「……そうなんだ? 残念。また今度ね、オネーサン」
いきなり現れたその男に、彼は笑みを浮かべてあっさりさよならを告げる。鍛えられた体躯や立ち昇る気迫を見て面倒事の匂いを嗅ぎつけたのだろう。たかが一夜抱くだけの相手を奪い合うなんて、時間の無駄だもの。
それにしても――突然現れたこの男は、一体誰なんだろう。
お互い初対面、のはずだ。一度寝たことのある相手でもない……と思う。ここまで特徴的な男なら流石に忘れることはない。多分、きっと。
「ねえ、あなた……っ、きゃ」
問いかけてみれば、突然手首を捕まれて。そのままずんずん歩いてゆくのだから、思わず転びそうになる。足を縺れさせながら、引きずられるようにして彼の後についていく。
階段を降り、クラブが入っているビルの裏手から路地に出たところで、やっと開放された。
月もない夜。窓から漏れる光が二人を照らす。
「っちょっと、なに」
「何故お前がここにいる?」
私の疑問には答えず、顰めっ面をした彼がそう問う。
どうして、って。見ず知らずの男に詰問される筋合いはない。
そう言い返そうとしたけれど。できなかった。
「……覚えていないのか」
血のように鮮やかな赤を持つ彼が、苦しそうに表情を歪めたから。思わず口をつぐんでしまう。
覚えていないも何も、私と貴方は初対面。きっと人違いだ。否定しようとしたけれど、やめた。
――それでもいいと、誰かの代わりでもいいと……そう思ってしまったから。
「あなたが、私を満たしてくれるの?」
溢した言葉は彼の唇で拾われた。冷めそうだった熱が再び灯り始めて、私は心の底で安堵する。
そっと瞼を閉じ、男の体温にその身を預けた。
ああ、またいつもと同じ夜が始まる。
傍らで眠る女の頭をそっと撫でる。無防備なその寝顔は、昔と変わらないように見えた。成長はしているけれど、そこに含まれたあどけなさは全く同じで。
夜明け前のホテルの一室。ラブホテルのベッドに寝転んだ男女。カーテンを揺らす風は梅雨の湿気を含んだ重いもので。けれど俺の心はそれに反して羽根よりも軽く浮足立っていた。
十数年に及ぶ恋が、今やっと決着しようとしている。身体を重ね睦み合ったふたり。その絆は今までよりずっと強固なものになった。
彼女はああ言っていたが、俺のことを覚えていないわけがない。家が隣同士という典型的な幼馴染で、数歳上の彼女が中学校に進学すると共に引っ越すまではずっと同じ時を過ごしていた。……それに。
――おおきくなったら、けっこんしようね。
記憶の中の彼女が笑う。子供の頃、小指を絡めあった稚い約束。それでもその契りは強く自分の心に残った。その笑顔に執着して、離れ離れになってもずっと探してしまうぐらいには。
まさか再会したその日に同衾することになるとは思わなかったが、彼女もそれだけ俺のことを求めてくれていると思えば心地よかった。
どうしてあんなところで、男を引っ掛けるような真似をしているのかはわからない。だがそのおかげで再会できたと考えるなら、むしろ幸運だったのかもしれない。
俺がいながら他の男に手を出している事には苛立ちを感じたが、これから上書きしていけばいい。
彼女の首筋にひとつ、キスを落とした。もう二度と離さない。これからはずっと――永遠に一緒だ。
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