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――第一印象はよく笑う女。ただそれだけだ。
季節は冬。時刻は十八時。それなりに洒落た居酒屋の個室。その一角で、隠すことなく溜息をついた。
ただの飲み会だとバンド仲間に騙されて連れてこられたのは、事もあろうに合コン。数合わせだとか埋め合わせはするだとか頭を下げられ、半ば無理やり席に着かされた。
ほどなくしてやって来た女達。漂う香水と化粧の臭いに隠すことなく眉を顰める。
自分の前に座ったのは、どこにでもいるような普通の女だった。視線が合えば彼女は笑みを浮かべる。
「初めまして~!」
朗らかな声を無視してハイボールを飲み下した。その後も何やかやと喋りかけられ、気まぐれに相槌を打てば嬉しそうな顔をする。
興味のない相手の個人情報だけが降り積もってゆき、いつの間にか連絡先まで交換させられていた。自分のペースに乗せるのが上手い女だ。面白くなくて取り分けられた鴨ロースを摘む。
「また会えますか?」
「フン……」
駆け引きをするような問い。普通の男なら喜んで承諾するだろう誘いを鼻であしらう。興味が持てない女と会って、どうしろというのか。時間の無駄だとしか思えなかった。
「っ……」
「……いつか、な」
だけど。あまりに悲しそうな顔をするものだから、少し罪悪感が湧いて適当に言葉を続ける。それでも嬉しそうに笑う彼女。
また連絡しますね、と手を振る女の柔らかな笑顔が、なぜだか脳裏に焼き付いた。
それから数ヶ月。季節は移り変わって夏になった。幾度か会ううちに、俺と彼女は付き合うようになった。流れでなんとなく、またしても彼女に乗せられたようで面白くはないが。
途切れないメッセージのやり取りが煩わしく、徒労を覚えながら溜息を吐いた。電話したいだの、会いたいだのといった催促も辟易する。女はどうしてこうもやかましいのだろうか。
その彼女は、今日も俺の家に来ている。
「おい」
「やだ、もうちょっとだけ」
「早く帰れ」
ソファでテレビをザッピングしながら拒絶する。下らないバラエティ番組の笑い声が無言を埋めた。
「お願い……だめ?」
背後から首に腕を回して俺に抱きつき、甘い声で囁く彼女。狡い強請り方だ。だが嫌いではない、むしろ……。そこまで考え、片手で頭を抱える。まずい、またペースに呑まれそうになっている。
この女は俺がどんなに冷たく接しようとも、決して諦めることなくじゃれついてくる。鬱陶しいと思うのに、まとわりつくそのぬるい体温を、どうしてか振り払えずにいた。
好きなわけでは決してない。こんな女に、惹かれるなどありえない。
「……少しだけだぞ」
だからこれは、ただの気まぐれであって。
決して情が湧いたわけでは、無い。
そうしているうちに一年が経った。季節は巡り巡って冬。冷たい風が容赦なく身体を嬲る。
あんなどこにでもいるような女に興味などなかった。ないはず、だった。それなのに。
今すぐに会いたいと思うなんて、自分らしくない。だがそれが何故か……嫌ではなくて。
「庵、くん?」
歩きながら、発信履歴の一番上から電話を掛ける。数コールの後、電話に出たのはもちろん彼女だ。
「ああ……今から会えないか」
「えっ、今から!?」
俺の提案に、素っ頓狂な声を上げる女。彼女が俺に乱されていることが面白くて、つい口角が上がる。
ずるいのは、お互い様だったようだ。
「……嫌か?」
「っ……もう、仕方ないなあ」
甘く強請るように囁けば、一瞬息を詰めたあと溜息混じりに許可が出た。彼女はどんな我儘を言っても簡単に許してくれる。
オートロックの暗証番号を入力し、エントランスに入る。エレベーターに乗り込んで八階のボタンを押せば、目的地まではもうすぐだ。
「今、お前の家の前まで来ている」
「っえ!? ちょっと待って!」
扉の前に立つ。手摺壁に肘を置いて凭れ、出迎えを待った。電話の向こうから響くのは壁の向こうと同じ音。
やがて勢いよくドアが開いて――名前を呼ぶより先に、驚いている彼女を抱きしめた。
ああ、俺をここまで変えた責任は取ってもらう。
――今では誰よりも、愛しているお前に。
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