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閉じた世界の中。あなたと二人で。
自分のくしゃみで目を覚ました。布団を被っていても寒いなんて、これだから冬は……。
時計を確認すれば、時刻は既に十六時を過ぎていて。昼寝のつもりが寝すぎたかな、なんて独りごちた。
このダブルベッドは、一人で眠るには広すぎる。どうしようもなく寂しさに襲われて、振り切るようにベッドから出た。
リビングへと続く引き戸を開け、キッチンに向かう。さて、家主が帰ってくる前に晩ごはんを作らないと。とりあえず空調のリモコンを探してスイッチを押せば、冷え切った部屋の温度が徐々に上がっていく。その心地よさに息をついた。
スタンドに設置されているはずのベースがないことから、彼がバンドの練習に行くと言っていたことを思い出す。ということは、帰りは十七時を過ぎるだろう。遅くなるという電話も来ていないし、いつも通りの時間に帰ってくるはず。それまでにご飯を炊いて、おかずを作って……と冷蔵庫の中身を思い浮かべながら、今日の献立を考える。
あらかた段取りをつけた私は腕まくりをした。あと一時間で、なんとか今晩の食事を完成させなければ。
静かに玄関の扉が開く音がして、慌てて泡まみれだった手を洗う。料理は何とか間に合い、あとは洗い物を少しと、ご飯と味噌汁を器によそうだけ。タイミングの良さに驚きながらドアを開ける。
靴を脱いでいた彼と目が合って、頬が緩むのが抑えられない。ああ、やっと帰ってきてくれた。そのことが何より嬉しくて。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
目線で来い、と促す彼。その腕の中に飛び込んだ。背中に手を回し、遠慮がちに、けれどしっかりと抱き締める。
そうすれば私の恋人――八神庵が、かすかに笑った。
生姜焼きにほうれん草のお浸し、シーザーサラダと味噌汁。それにほかほかのご飯。
オーソドックスな献立を、テーブルで向かい合って口に運ぶ。無言の食卓だけど、気まずいとは思わなかった。
静かにおかずをつつく庵。でも、私にはわかる。彼は、自分の好物や美味しいものは急いで食べる癖があるから。今だって、生姜焼きでご飯をかき込むように食べている。
そんなに急がなくても誰も取ったりしないのに、と微笑ましく見つめながら私も自分のご飯を口に運ぶ。
今日も美味しく出来てよかった。彼と付き合うようになって始めた料理だが、なんとか様になっている。日がな一日家に籠りきりでは他にすることもなくて。つい凝ってしまいがちになる。
咀嚼しながら明日は何を作ろうかな、なんて考えていると。
「い……っ」
突然痛み始める頭。その酷さに、思わず手にしていた箸を落としてしまう。
「どうした?」
「っ、あたま、が……」
途切れ途切れに言葉を紡げば、庵の顔が微かに歪む。心配してくれているようだった。こんなに頭が痛いのに、それが嬉しくて笑いそうになるなんて、私はおかしいだろうか。
腕を引かれ、口付けを落とされる。深く深く、とろけるようなそれ。何度も唇を啄まれ、息が甘ったるくなった頃。
「……来い」
完全に火が点いてしまった庵によって、ベッドルームに引きずりこまれた。
押し倒され、派手に捲れ上がったパジャマ代わりのパーカーの裾。羞恥に顔を熱くする隙もないまま、彼の手は私のお腹を辿る。素肌に触れた指先があまりにも冷たくて、思わず身体を震わせた。
確かめるようなその手付きがどうにも擽ったくて、照れ臭くて。思わず笑みを零す。
「……なんだ」
「ううん、なんでもない」
そう返せば、眉を顰めた庵はまた肌を辿る。強弱のついた刺激に翻弄され、頭が蕩けていくようだった。
「あ、っ……」
溢れる嬌声。湿った秘部に彼の屹立を挿入される。ぽっかりと空いた穴が埋められ、満たされる感覚。それと同時に、言いようのない歓喜に包まれた。
――ああ、なんて幸せなんだろう。
快楽と熱に感じ入って身体を震わせる私を、庵はそっと抱き寄せた。
「俺のことだけを考えていろ」
耳元で囁かれる声が甘く響く。独占欲の滲むその言葉は、私にとって何よりのご褒美で。何度も頷けば、彼は満足したようにまた仄かに笑みを見せて。
頭の痛みは、いつしか消え去っていた。
「おはよ、庵」
「……おはよう」
頭上から掛けられた声で目を覚ます。重いまぶたを上げれば、眩しい笑顔の彼女がエプロン姿で立っていた。
「朝ご飯でき……ちょっとー」
対して低血圧の俺はまだ覚醒しきっておらず、再びベッドに潜り込む。
夢うつつの中、薄い意識の中で考えるのは彼女のことだ。
俺のバンドのファンだった彼女。最前列を彩る花に、その笑顔に惹かれて。いつしか焦がれるようになっていた。
だが彼女がその瞳に映すのは、違う男。同じバンドのギタリストだった。
実にならない想いを腹の底で育てていたある日。街中で、ふらふらと危なっかしい足取りで歩いている彼女を見つけた。話しかけてみれば、なんと記憶喪失だという。
事故か、それとも事件か。心配もしたが、何より――チャンスだと思った。
だから。俺を恋人だと思い込ませ、彼女を世界から隔離した。
彼女は何も疑問に思ってはいない。外界と関わりを持つことは許されず、部屋に一人取り残され、携帯電話どころか他の通信手段もない。不安だろうに、健気に俺の帰りを待つその姿が……とても愛おしい。
そう、手段などどうでもいい。彼女が俺の腕の中にいれば、俺だけを見ていれば、それで。
ほの昏い悦びに口端を歪ませる。ああ、今日は彼女と何をしようか。そう考えるだけで俺の胸中は満たされた。
――このまま二人。鮮やかな幻の中で死んでゆけたら。
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